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ウクライナは侵略されたのになぜ停戦なんだろう


小生の知る情報では、ウクライナは一方的に侵略されてそれを防戦しているのだと思っている。だとすれば、戦争の状況であっても侵略された側からすれば、けしかけた戦争なんかではないし、ロシアだって戦争というより国土略奪のための正当な侵略行為だと思っているだろう。
何が言いたいかというと、停戦という文言ではなく、侵略停止という表現ではないだろうか。両国で戦闘が行われているので戦争に間違いないが、侵略戦争だと言う気がしてならない。

先日のこと、”袖すり合うも他生の縁”と記憶していたが、新聞に”袖振り合うも他生の縁”と出ていた。新明解国語辞典でも調べると、両方の使い方があると出ていた。パソコンの変換ではどちらも変換されてくる。ただ単に”擦り”と”振り”であるが、気になる日本語である。重複をちょうふくを言ったり、じゅうふくと言ったりするが、パソコンの世界ではどちらも変換してくれる。辞書では、じゅうふくはちょうふくの新語形とあるので”じゅうふく”でも間違いではない。

どうしてこんなにややこしいのか。日本には漢字文化が輸入されたからである。漢字の前にひらがな文化が起こっていればと思うが、字を想像できなかった祖先に文句を言っても始まらない。事程左様に、日本の文化はいい加減さを併せ持っているのだと想う。そして、いつの間にか前言をいとも簡単に翻すのである。要するに、翻すことが得意な翻訳文化を起源としているからだろうと想うと納得がいく。

追記
漢字を尊ぶ人たちや、神社を奉(タテマツ)る人たちに異論をマスクして言うつもりは毛頭ないが、嘗ては危険な場所や不可解な場所を祠(ホコラ)として、不可思議な自然界に敬意を表したのがお参りの起源だろうと勝手に解釈している。
”け”の世界に晴れがましくも盛大な社を建ててお参りする文化が富に目立つ社会となっている昨今、歳をとったせいか違和感を覚えることが多くなった気がする。
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