唯物論者

唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学存在論 解題(2.弁証法と商品価値論(2)使用価値の大きさとしての効用)

2020-03-13 00:06:17 | ヘーゲル大論理学存在論


6)抽象的人間論で現れる転化構図

 前出のマルクス商品価値論における商品の労働力への転化構図では、労働力の実存として労働者を記載した。しかし実存は本質に先立つものである。それゆえにこの転化構図の本来の姿も、次のように逆転しているのではないのかと考えられる。

   実存(質) → 量     単位     本質   概念的超出
   人間    → 世の中 → 生活道具 → 自由 → 人間生活

この転化構図において質としての始元的実体は実存に等しく、それは現存在する生身の人間として現れる。その存在形式は無限に続くように見える世の中である。しかしその生の現瞬間は刻々と続く脱自の連続であり、その脱自において人間の生活は切り出されて生活空間として現れる。ここで生活空間として表現したものは、例えば家や畑や道である。ただしそれは特に空間的である必要はなく、むしろハンマーや個々に現れる生活道具として切り出される。それらの道具は単なる物ではなく、そのいずれも人間の全体を構成し、その本質を人間存在の自由とする。この人間の本質は、再び人間生活として具体的な生活材の形で日々に外化される。お分かりであろうが、この転化構図は筆者がハイデガーの実存主義、またはフッサールのプラグマティズムをイメージして、ヘーゲル弁証法をできるだけ生かす形で前出の商品価値論の転化構図を再構成したものである。ちなみにこの転化図と商品価値論の転化図の各部分の対応を一覧にすると次のようになる。

            質   → 量      単位     本質   概念的超出
   商品価値論    商品  → 交換価値 → 貨幣   → 労働力 → 労働者
   抽象的人間論   人間  → 世の中  → 生活道具 → 自由  → 人間生活

この転化構図では始元に現れた商品が人間と入れ替わり、価値単位としての貨幣の代わりに世の中を構成する生活道具が現れる。ただし貨幣もこの生活道具の中に含まれると考えるべきであろう。商品価値論では商品の本質が、交換関係の網の中に現れる労働力でしかなかった。それに対し、この人間生活の転化構図の世の中は道具連関の総体であり、労働者はその総体の中で暮らす人間の自由を本質とする。この転化構図は、さしあたり日々の生活で困難に直面しない限りで言えば、人間の現実的生活を表現している。あるいはそうでないとしても、現実の世の中は本来このような転化構図としてあるべきである。共産主義にしても、所有の分断が人類史に登場する前にこのような世の中が普遍的に実在していたと考えている。一見するとこの転化構図は、人間としての労働者を分析する上で役に立ちそうである。しかし商品としての労働者を分析する場合、この転化構図が提供するのはむしろ余計な情報である。それどころかそれは労働者の現実を見失わせ、逆に労働者の分析を阻害する役割を果たす。悪く言えばこの転化構図は、資本主義の現実から遊離した牧歌的な夢物語だからである。


7)労働者の実存

 上記の本来あるべき人間生活の先験形式としての転化構図を、資本主義がもたらす現実の人間生活の姿だと勘違いすると、それは資本主義を賛美する単なる目隠しに転じる。資本主義社会において労働者の本質は人間ではなく労働力であり、その実存は人間生活ではなく商品だからである。物と化した人間が超出するのは、やはり物としての人間生活であり商品である。ここで言い表わされている物とは、自由な人間としての労働者ではなく、その疎外態を言う。現実の労働者は養鶏場のニワトリと同じであり、ただ卵の排出を強要された物である。卵を産む間のニワトリはある程度の幸せを感じるであろうが、それは卵を産む間の小市民的幸福である。ただしこの現実はニワトリにとって養鶏場の現実を賛美する理由にはならない。ニワトリはそのような商品的役割から離脱すると、往々にして自らの恐るべき運命と向き合わなければいけない。養鶏場の所有者は、彼らニワトリたちではないからである。上記の転化構図に対してマルクス商品価値論における商品の労働力への転化構図では、労働力商品としての労働者が明確に人間と区別されている。この区別は人間の実存的尊厳を保持する上で重要である。労働力商品としての労働者は物体化した人間であり、人間にあらぬ人間、すなわち人間の疎外態である。そしてマルクスが明らかにし、また拒否するのは、この現実である。この疎外の現実は、始元的実体に商品を措定したことの必然的結末である。したがってそれは、特段に驚くことではない。問題は始元的実体に商品を措定するような現実社会の側にあり、そのような世界の在り方の側にある。マルクスが転倒を目指すのはこの世界の在り方である。そして彼はその問題思考の根底に意識が世界を規定する観念論を見出す。その思想は意識の恣意で事実を糊塗し、事実ではなく観念に始まる自らの姿を得意気に語る。そしてその虚偽を始原的実体にしつらえて世界を支配し、貧困と悪を撒き散らしている。求められているのは、事実から始まって現実変革に到達するための実践体系である。当然ながら唯物論によるヘーゲル弁証法に対する非難も、始原的実体に精神を充当するその観念性に向けられた。上記に示した人間生活の転化構図は、実存を出発点にした転化構図であるにも関わらず、明らかに観念的なものとなった。この観念性は、始元に現れた労働者を抽象的人間として描くことから生まれたものである。このような転化構図は、現実から見れば理想の厚化粧をかぶせた事実の糊塗である。それは資本主義の現実を隠すためのイチジクの葉である。それゆえにこの転化構図は、そのような観念的弁証法を表現するものとしていかにもヘーゲル的である。このような観念性の指摘は、上記の転化構図の元ネタにしたハイデガー実存論に対しても、またフッサール式プラグマティズムに対しても十分通用する。


8)使用価値の大きさとしての効用

 上記の観念的弁証法に商品の居場所は無い。無限定に広がる世の中は、切り出されて道具として現れる。しかしこの切り出された道具が表現するのは、ただの使用価値である。またこのような道具は、市場に向かうまで価値法則を適用されるための価格決定場面とも遭遇しない。ここに現れるのは、相互の必要に応じて生産コストと無関係に行われる共産主義的商品交換である。このような道具に価格を与えるためには、生産者の恣意が必要である。すなわちその価格は、生産者が道具に対して適当に与えた適当な金額である。おそらくこのときの価格は、他の価格を参考にして与えられる。すなわち価格が価格を規定する。もちろん生産者が商品生産者として商品販売で生計を立てるなら、商品価格に自らの投下労働力を下回らない値を設定するであろう。この場合でも価格が価格を規定するであろうが、生産者はその価格が投下労働力だと理解して価格を設定する。ただしここではそのような労働価値論を持ち込まないで考察をする。この場合に生産者にとって価格規定者として直接に判っているのは、その価格の示すところが自らの直観だと言うことである。ここでこの直観を規定するものが何かを考えるのは、カント式に言えば超越行為であり、その超越論的理性に反する。すなわちカント式生産者に認識できるのは自らの意識だけであり、自らの認識が物自体に到達するのを望んではいけない。とは言えこの観念論がもたらす不可知論においても、生産者は自らの直観の分析を通じて商品の使用価値に到達し、その大きさを価格の根拠に適用することができる。このときの使用価値の大きさは、使用価値の実現を困難にする商品の希少性、または商品が実現する使用価値の物理的大きさとして現れる。もちろんそれらの使用価値実現の困難や物理的大きさも、その実現に必要な投下労働力の大きさによって規定されるのだが、ここでもそのことを無視しておく。この使用価値の大きさの規定にあたって、知らず知らずに生産者は弁証法を駆使する。使用価値は、いろいろな商品のいろいろな大きさの直観として現れる。この各種各様の直観は、全体としての限定存在を持ち、したがって全体としての大きさを持つ。一方で個別の商品についての直観は、この全体的直観の一部として切り出され、限定された大きさを持つ。そのように個別の商品についての直観の限定量が定まれば、それが使用価値の大きさである。しかし直観や使用価値が大きさとして現れるためには、その各種各様の姿を一元的な素材へと還元される必要がある。さしあたりこの一元化した素材は、上述において直観や使用価値との言葉で言い表わされてきた。しかし直観も使用価値も、各種各様の質を表現するものであり、一元化した表現に向かない。そこでこの一元的な素材は、直観や使用価値のさらなる抽象として、効用と呼ばれることになる。そこで上記の抽象的人間論の転化構図を人間の代わりに商品をおくと先の(5b)で示した転化構図が生まれる。

            質   → 量      単位     本質   概念的超出
   商品価値論    商品  → 交換価値 → 貨幣   → 労働力 → 労働者
   抽象的人間論   人間  → 世の中  → 生活道具 → 自由  → 人間生活
   効用価値論    商品  → 道具性  → 価格   → 効用  → 貨幣


(2020/02/10) 続く⇒((3)効用理論の一般的講評) 前の記事⇒((1)直観主義の商品価値論)


ヘーゲル大論理学 存在論 解題
  1.抜け殻となった存在
  2.弁証法と商品価値論
    (1)直観主義の商品価値論
    (2)使用価値の大きさとしての効用
    (3)効用理論の一般的講評
    (4)需給曲線と限界効用曲線
    (5)価格主導の市場価格決定
    (6)需給量主導の市場価格決定
    (7)限界効用逓減法則
    (8)限界効用の眩惑

ヘーゲル大論理学 存在論 要約  ・・・ 存在論の論理展開全体

  緒論            ・・・ 始元存在
  1編 質  1章      ・・・ 存在
        2章      ・・・ 限定存在
        3章      ・・・ 無限定存在
  2編 量  1章・2章A/B・・・ 限定量・数・単位・外延量・内包量・目盛り
        2章C     ・・・ 量的無限定性
         2章Ca    ・・・ 注釈:微分法の成立1
        2章Cb(1) ・・・ 注釈:微分法の成立2a
        2章Cb(2) ・・・ 注釈:微分法の成立2b
         2章Cc    ・・・ 注釈:微分法の成立3
         3章      ・・・ 量的比例
  3編 度量 1章      ・・・ 比率的量
        2章      ・・・ 現実的度量
        3章      ・・・ 本質の生成


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