振り向けば大宮の夜が明ける。 少し変わった角度から眺めるの!

大宮在住。
伸び行く大宮市、
その時々の目に留まったことなどを楽しくユーモアも交えて
書きたいと思います。

ブルーノタクトという世界的な建築工芸家がダルマ寺に住んでいた!

2018-11-18 18:43:32 | ブログ

 

 もうすっかり紅葉も色あせて、緑葉樹も心なしか暗く見えます。

 

ここ少林寺ダルマ寺にあります庭園は趣があり、とても素敵で、一年に2回

京都から庭師が来まして、お手入れをしているのだそうです。

 

 

 

 

その中で黄色い銀杏の絨毯はとても綺麗でした。

 

 

 

 

 赤色、黄色、緑色と信号カラーがお目見えです。

 

 

 

 

 

 晩秋のこの頃、君は何を考える?

1933年(昭和8年)ドイツから世界的な権威のある建築家が

婦人を連れてドイツから国外逃亡をし日本に亡命してきた。

ヒトラーが台頭してきてナチスに追われ、親ソビエト派の彼の身に危険が迫った。

 

 

 

 

 ブルーノタウトという世界的に著名な建築工芸家がこの場所に2年3ヶ月間、

奥様エリカと共に住んでいた。

それは昭和9年8月から11年の10月までのことでした。

京都、仙台を経てここ高崎にたどり着いたのです。

洗心亭は彼の身の安全を考えた配慮でした。

 

 

 

 

 石段を登りますと粗末な小さな家が見えます。

タウトは喘息持ちだったそうです。

毎朝2時間を費やして鼻高丘陵周辺を散歩したそうです。

住民とお茶したり、フレンドリーで和やかな雰囲気を好んでいたそうです。

 

 

 

 

 

鴨長明の方丈記や松尾芭蕉の奥の細道、

池大雅の十便図を楽しんでいたようです。

 

 

 

 

 4畳半と六畳間の本当に小さな木造のお家です。

夏向きの家で、日本式冬の暖房仕様は寒かったと思いますが、ドイツに比べれば

昼間は暖かかったかも?

この佐藤寛治博士の別荘である「洗心亭」でタウトは日本の研究をして本を書きました。

「日本文化私観」「日本美の再発見」などの著名な多くの本がここで

書かれました。

 

 

 

 

 

 タウトの思惟の径と書いてあります。

サインもあります。

 

ドイツでは大きな家に住んでいたと思いますが、ここで今までとは

違う生命の息吹を感じたに違いありません。

命の危険にさらされたからのことでしょう。

 

 

 

 

 

「私は日本文化を愛する」と書いてある。

建築学の専門家なので、日本では本領を発揮出来ず、イスタンブールの大学教授に

なるためトルコへ行ったそうです。

 

タウトが日本を去る時は八幡村の全住民が駆け付けました。

「タウトさん万歳、奥さん万歳」と村民が言うと

「八幡村万歳、少林山万歳」と答えました。

 

 

 

 

 

 私は日本文化を愛する!

生前私が死んだら少林山に埋めてほしいと言っていたタルトは、トルコで建築の

デザインの過労から、わずか2年後に亡くなりました。

その後エリカ夫人がタルトのデスマスクを少林山ダルマ寺に持ってきました。

 

 日本の草花や木々の種類の多さに山々の変化に、四季の織りなすカラフルな色に

も驚いたことでしょう。

日本の文化の総称ワビ、サビをドイツにいた時から理解していたそうです。

桂離宮はタウトの強い息ぶきで世界的に賞賛されるようになりました。

 

 

 

 

地場産業の育成のために様々な工芸品のデザインを行い、人質向上を

図ると共に、群馬県工芸所で指導にあたり後進の育成に努めたと

書いてあります。

銀座のミラテスで人気があり沢山の人の手に渡りました。

 

タウトの月給は200円(当時知事が450円)でしたが、生活には足らずに貯金

をおろしていたようです。、

その後、イスタンブールの大学教授になるため後ろ髪をひかれつつトルコへ

行った。

 

 

 

 

2月26日のタウトが書いた日記から

 

少林山へ帰る。

洗心亭はこの上もなく質素な家であるが、私達にとっては凡そ日本で持ち得る

最も快適な足溜りである。

床の間には新たに梅花が活てあった。

掛換えられた軸は、2匹の亀の図である。

(日本では亀は長寿の象徴だ。)

 

家の中は簡逸な雰囲気、家の外には山々、数珠の梅。

 

 

 

 

 

 近くに洞窟がありましたので、石を積んできました。

 

 

 

 

 タウトも覗いたかもしれません。

タウトは、碓氷川が大雨で洪水になった時(昭和10年9月25日)八幡村に見舞金

を贈りました。

そこで「水害見舞ブルーノタウト」と書かれたバケツが住民に配られました。

 

 

 

 

 

 

夫婦が小径を歩いていると、後ろから付いてきた大勢の村の子供達が

両側の灌木の枝を手で押さえつけ、枝が体に触れないようにしてくれた。

外人を見ようとする好奇心はあっても、実に細かい心遣いをする。

子供達は皆貧しい?

それも極めて貧しいのに!

やはり日本なのだ。

 

 

 

 

 

 おじいさんが「ほら、見てごらん、中山秀征と書いてあるよ。

彼は毎年ここダルマ寺にお参りに来るんだよ」と言っていました。

素敵な笑顔でお話の上手い方ですね。

 

 

 

 

 

 タウトは、少林山の節分会で「年男」として豆まきもしました。

少林山達磨寺の広瀬住職の庇護の下に出来た事でした。

ご苦労様でした。

鶴は眉、亀はひげ、座禅の元祖達磨寺。

 

 

 

 

 

 托鉢!

そうか、君は旅にでたのか!

 

 

 

ここまでのお付き合い有難うございました。

これから山もみじの紅葉が本格的に始まります。

 



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