関係論の視坐
ロバート・フリップが「今はまだ、その黒い表紙しか見えない」といった、ニュー・バイブル。しかし私には、夏のある日、忽然と第一ページ目の大文字が見えたのであった。
大書していわく、関係論の視坐 と。
私は愕然として、そして、これまで、「新人類」などという、曖昧なヤケクソ気味の概念を振り回していた事を恥じた。
「関係論」が、これまでの人類を久しく支配してきた「存在論」を越える概念として言われている事は明らかである。
さて、見た者は見た事を、まだ見ていない者に報告する義務がある。本誌の読者なら、これから書いていく事について、既にうすうすは感じていたことであろう。
①存在論とは?
人間が「存在」から思考を出発せざるを得なかったのは、当初、人文地理学的にも精神論的にも、人口密度が低かったためである。
周りを見渡しても、空と星と海と平原ぐらいしかなかったら、なによりも頭をもたげて来るのは「存在」という概念である。それはやむを得ない。
ところで、しかし、問題の根本は、そのスタート地点にあるのだ。つまり、人間が「存在」という概念でその思考を開始したとき、すでにその思考の欠陥を証左するかの如く、「不安」があった。しかし、まだ、その「不安」を現実的に処理するすべがない。
すでに当初から人間は、「存在」という概念の自立性・自律性をおびやかす「不安」を抱いていたが、これに代る有効な概念を見出せぬまま、その思考は、<存在の根拠を問う>という方向に走り、存在をやみくもに固定化するネジのような概念として「神」を借定した。
神の借定によって、存在論は存在論として完結した。では、この<存在論>にどのような欠陥があったのであろうか。
初期の部族信仰から二十世紀の実存主義に至るまで、人間の思考の歴史は、存在論の歴史である。観念とはすべて恣意的なものであるが、存在論自体が内包する恣意性を表象する観念が「神」である。思考の歴史を辿ってみると、まるで、ヘボ将棋で追いつめられる王さんのように、「神」は、しぶとく、場当り的に、その位置を変えてきた。その、思考者自信の中にまで追いつめられた姿が実存主義である。
(私は、なにも哲学史の話をしているのではない。人間の思考様態が存在論であるかぎり、いかなる者も神を抱く。そして、ロックをも、存在論的にしかとらえられない一連の芸術青年達にむかって、私は大批判を展開したいのだが、それは別の機会に譲りたい)
さて、存在論と、そこに於ける「神」との関係は、いわば十二枚でテンパイして十三枚で和る麻雀みたいなものである。つまり、存在しない十四枚目が神。和り牌はきわめて恣意的であるから、あとはモノを言うのは暴力だけという事態になる。
もっと素朴な次元に戻って考えてみる。みずからの神を借定しみずからの存在論を完成させた人間が、しかし、ある日、他者に出会ったらどうなるか。
自足した存在論にとってそれは、(論理的に)解釈不能な邪魔者あるいは厄介者でしかない。
ごく初期には、それを殲滅したりタブー視したりして、あからさまな「非在化」の努力が採られたが、次の檀家としては、それを都合のいいように、みずからの存在論の内側に組み込む試みが行なわれ、それでも駄目となるとなんらかの「共存」の手続きをとった。「共存」とは、あくまでも形式的なものだから、存在論的体の居心地の悪さにはなんら変化がない。
神が、自分の神以外にももっと他にいるらしいこと、そして自分の神がそれらに対しては神(=絶対者)として有効でないこと、―ここで存在論は自滅への一歩を踏み出すが、それに代る良き概念はまだないから、あとは、やるかやられるかの闘争がおっぱじまる。
そして、ある程度人口密度が高くなってくると、人間はその闘争に、可能なかぎりでのルールを設けた。法律ならびに諸制度である。
(また、今日では、ロック等も含む音楽や芸術の諸形態において、自分と音、あるいは自分とスターという、「存在論的完結態」が多く見受けられるように思う。)
②関係論の視坐
本論の主旨はすごく単純な事なのだ。それは、人は「存在」を思考する前にそれ以前からとっくにあまねく行き渡っている「関係」を意識すべきであった、という事だ。
つまり、Aは非Aとの関係の中でその存在をかろうじて得ているのだし、またAと非Aの関係自体も、それをとりまく、もろもろのn次項との関係の中に存在を得ておるのだ。
すなわち、あるとしたらもともとあるのは、関係の総体であって、存在は存在自体としては存在し得ない。だからこそ存在論者は常に「不安」だった。
関係の総体の中に、ごくアトランダムに、一枚のフィルムあるいは鏡を挿入してみると、その狭い面積に映る像を「存在」という。
その小さな像を実体と思い誤り、固守した結果、人は、像と像との間に、もろもろの便宜的な<関係性>をこじつけてきた。そのムリが、ムリであった事を露呈してきているのが、二十世紀末の今日の世界状況であろう。
人類が、存在論的に閉鎖していることから来る大小の惨事は、今日も明日もなくなりはしない。
しかし、「関係論の視坐」に今から立ち得た者は、今後、それぞれの興味と能力の分野において、救世主たり得るだろう。
ROは、バカ者どもにも売らなければならんという必要上、スターの名前や写真を多用するが、もちろん本意はそんなとこにはない。スター(神)にアキた人達の来る場所だ。
いま、世をおおっている不安は、これまでの存在論的完結、それ自体に投げかけられている大きな?であり、存在感を越える不安である。私達にとってはこの不安こそが生きる糧とならねばならないだろう。
最後に、音楽の分野に限ってニ、三、具体的な話を試みてみよう。
●ビートルズをのちに、あのようにあらしめたのは、P・マッカートニーでもジョン・レノンでもなかった。ハンブルグのディスコでの、連日連夜の、極度にイラついた客達であった。その“しごき”の中で、B4は、純粋な関係性そのものへと、錬られていった……という見方。
●ジミー・ページは、ベック、クラプトンと違って、“自分が”のめり込むべき音楽、というものを持っていなかった。LZの創設に当って彼は、自分もへったくれもない、即、関係性自体であるような、すなわち、即、売れて儲かるような音楽を作り出さねばならなかった。
●アリス・クーパーは、フランク・ザッパの“アーチスト性”がいやでいやでたまらなかった。つまり、ザッパのあくまでも、“自己存在性”が……。等々。
ロッキング・オン19号(1975年12月号)
ロッキング・オン増刊●秋号1977「岩谷宏のロック論集」から
ロバート・フリップが「今はまだ、その黒い表紙しか見えない」といった、ニュー・バイブル。しかし私には、夏のある日、忽然と第一ページ目の大文字が見えたのであった。
大書していわく、関係論の視坐 と。
私は愕然として、そして、これまで、「新人類」などという、曖昧なヤケクソ気味の概念を振り回していた事を恥じた。
「関係論」が、これまでの人類を久しく支配してきた「存在論」を越える概念として言われている事は明らかである。
さて、見た者は見た事を、まだ見ていない者に報告する義務がある。本誌の読者なら、これから書いていく事について、既にうすうすは感じていたことであろう。
①存在論とは?
人間が「存在」から思考を出発せざるを得なかったのは、当初、人文地理学的にも精神論的にも、人口密度が低かったためである。
周りを見渡しても、空と星と海と平原ぐらいしかなかったら、なによりも頭をもたげて来るのは「存在」という概念である。それはやむを得ない。
ところで、しかし、問題の根本は、そのスタート地点にあるのだ。つまり、人間が「存在」という概念でその思考を開始したとき、すでにその思考の欠陥を証左するかの如く、「不安」があった。しかし、まだ、その「不安」を現実的に処理するすべがない。
すでに当初から人間は、「存在」という概念の自立性・自律性をおびやかす「不安」を抱いていたが、これに代る有効な概念を見出せぬまま、その思考は、<存在の根拠を問う>という方向に走り、存在をやみくもに固定化するネジのような概念として「神」を借定した。
神の借定によって、存在論は存在論として完結した。では、この<存在論>にどのような欠陥があったのであろうか。
初期の部族信仰から二十世紀の実存主義に至るまで、人間の思考の歴史は、存在論の歴史である。観念とはすべて恣意的なものであるが、存在論自体が内包する恣意性を表象する観念が「神」である。思考の歴史を辿ってみると、まるで、ヘボ将棋で追いつめられる王さんのように、「神」は、しぶとく、場当り的に、その位置を変えてきた。その、思考者自信の中にまで追いつめられた姿が実存主義である。
(私は、なにも哲学史の話をしているのではない。人間の思考様態が存在論であるかぎり、いかなる者も神を抱く。そして、ロックをも、存在論的にしかとらえられない一連の芸術青年達にむかって、私は大批判を展開したいのだが、それは別の機会に譲りたい)
さて、存在論と、そこに於ける「神」との関係は、いわば十二枚でテンパイして十三枚で和る麻雀みたいなものである。つまり、存在しない十四枚目が神。和り牌はきわめて恣意的であるから、あとはモノを言うのは暴力だけという事態になる。
もっと素朴な次元に戻って考えてみる。みずからの神を借定しみずからの存在論を完成させた人間が、しかし、ある日、他者に出会ったらどうなるか。
自足した存在論にとってそれは、(論理的に)解釈不能な邪魔者あるいは厄介者でしかない。
ごく初期には、それを殲滅したりタブー視したりして、あからさまな「非在化」の努力が採られたが、次の檀家としては、それを都合のいいように、みずからの存在論の内側に組み込む試みが行なわれ、それでも駄目となるとなんらかの「共存」の手続きをとった。「共存」とは、あくまでも形式的なものだから、存在論的体の居心地の悪さにはなんら変化がない。
神が、自分の神以外にももっと他にいるらしいこと、そして自分の神がそれらに対しては神(=絶対者)として有効でないこと、―ここで存在論は自滅への一歩を踏み出すが、それに代る良き概念はまだないから、あとは、やるかやられるかの闘争がおっぱじまる。
そして、ある程度人口密度が高くなってくると、人間はその闘争に、可能なかぎりでのルールを設けた。法律ならびに諸制度である。
(また、今日では、ロック等も含む音楽や芸術の諸形態において、自分と音、あるいは自分とスターという、「存在論的完結態」が多く見受けられるように思う。)
②関係論の視坐
本論の主旨はすごく単純な事なのだ。それは、人は「存在」を思考する前にそれ以前からとっくにあまねく行き渡っている「関係」を意識すべきであった、という事だ。
つまり、Aは非Aとの関係の中でその存在をかろうじて得ているのだし、またAと非Aの関係自体も、それをとりまく、もろもろのn次項との関係の中に存在を得ておるのだ。
すなわち、あるとしたらもともとあるのは、関係の総体であって、存在は存在自体としては存在し得ない。だからこそ存在論者は常に「不安」だった。
関係の総体の中に、ごくアトランダムに、一枚のフィルムあるいは鏡を挿入してみると、その狭い面積に映る像を「存在」という。
その小さな像を実体と思い誤り、固守した結果、人は、像と像との間に、もろもろの便宜的な<関係性>をこじつけてきた。そのムリが、ムリであった事を露呈してきているのが、二十世紀末の今日の世界状況であろう。
人類が、存在論的に閉鎖していることから来る大小の惨事は、今日も明日もなくなりはしない。
しかし、「関係論の視坐」に今から立ち得た者は、今後、それぞれの興味と能力の分野において、救世主たり得るだろう。
ROは、バカ者どもにも売らなければならんという必要上、スターの名前や写真を多用するが、もちろん本意はそんなとこにはない。スター(神)にアキた人達の来る場所だ。
いま、世をおおっている不安は、これまでの存在論的完結、それ自体に投げかけられている大きな?であり、存在感を越える不安である。私達にとってはこの不安こそが生きる糧とならねばならないだろう。
最後に、音楽の分野に限ってニ、三、具体的な話を試みてみよう。
●ビートルズをのちに、あのようにあらしめたのは、P・マッカートニーでもジョン・レノンでもなかった。ハンブルグのディスコでの、連日連夜の、極度にイラついた客達であった。その“しごき”の中で、B4は、純粋な関係性そのものへと、錬られていった……という見方。
●ジミー・ページは、ベック、クラプトンと違って、“自分が”のめり込むべき音楽、というものを持っていなかった。LZの創設に当って彼は、自分もへったくれもない、即、関係性自体であるような、すなわち、即、売れて儲かるような音楽を作り出さねばならなかった。
●アリス・クーパーは、フランク・ザッパの“アーチスト性”がいやでいやでたまらなかった。つまり、ザッパのあくまでも、“自己存在性”が……。等々。
ロッキング・オン19号(1975年12月号)
ロッキング・オン増刊●秋号1977「岩谷宏のロック論集」から
