岩谷宏と一緒

岩谷宏の同居人岩谷啓子(けい子)が、犬猫まみれの官能の日々を綴る

岩谷宏のロック論 33  THE LONG AND WINDING ROAD

2008-02-28 08:28:52 | 岩谷宏 ロック
THE LONG AND WINDING ROAD

by John Lennon & Paul McCartney




この二十年間
ぼくはひとりぼっちで
いろんなことをして生きてきた
いろんなことを考えて生きてきた
いまおもえば
ぼくの過去の人生は
はるかな くねくねとした長い道


それは長い道
「きみ」という人に
到りつくための
無益とも思える
長い道だったよ


でも
生涯で出会った
たったひとりの
かげがえのないきみよ
ぼくはまだ
その道の上にいまも
ひとりで
立ちすくんでいるんだよ
朝になったら
きみの家(うち)にむかって
歩きだそうとおもうのに
まわりはこころぼそい風雨の夜
くらい夜


はやく朝になれ
もう淋しさにはあきた
泣くのにもあきたよ!


この 気の遠くなるような長い
くねくねとした道の上に
ぼくはまだたちすくみ
ただひたすら
きみのことを想っている


『ビートルズ詩集』(旧訳)より、
117ページ

(この訳詩もまた、暗記するほど何度も
読み返した岩谷さんの訳詩のひとつです。 高柳)



岩谷宏のロック論 32 イマジン ジョン・レノン 

2008-02-24 12:59:23 | 岩谷宏 ロック
IMAGINE

         by John Lennon




天国もない 地獄もない
人間はみんな ただ
毎日なんとか生きているだけ
―そう思うことにしよう


国家もない 宗教もない
殺し合うことはなにもない
人はいつも平和に生きていると
―そう思うことにしよう


所有もない 我欲もない
すべての人間が
すべてをわかち合って生きていると
―そう思うことにしよう


ぼくのことをバカな夢想家だというのか
でも こう思ってる人は決してぼくだけじゃない
きみもこういう考え方に賛成する必要があるんだよ
世界がほんとうにひとつになるためには



『ビートルズ詩集』(旧訳 シンコー・ミュージック刊)
143ページ) 岩谷 宏訳


(この訳詩は、私の原点です。高柳)


      

けいこさんは、真性ミーハー パート5 ぐるんぐるん星人物語

2008-02-23 21:33:45 | 岩谷啓子(けい子) ミーハー道
ぐるんぐるん星人は、毎日、nirvana(涅槃)


ある小説に、
主人公の主婦が、
蛇口の水の流れを、ずっと、放心したように、見ていて、
夢見心地で、ぼーとしているなんていう描写を、読むと、
ぐるんぐるん星人の場合と、全く同じだな~と、思う。

ぐるんぐるん星人の私は、
毎日が、夢心地、ずっと、放心状態、nirvana=涅槃
(このグループ名の音って、大好き)って、状態で、
毎日が、エロチックで、毎日が、官能で、毎日が、だから、
目の回るような、酔い心地の日々で、
頭の中は、熟れきったメロンでもって、グジュグジュしていて、
とろける、とろける、ってな、感じで、
毎日ヘロイン摂取状態の、エクスタシー~、ってなもんね。

エクスタシーって、昔そんな「ヤク」があったらしいけれども、
(ぐるんぐるん星人は、そんなヤクは必要ないわけである。
毎日、何をしなくても、ぐるんぐるんの人であるからして、)
私の頭が、エクスタシー状態っていうのは、
まあ、私の頭は、いつも、死んでいるっていうことで、
(君達、エクスタシーって、「死」の一状態であるって、知っている?)
つまり、ぐるんぐるん星人は、毎日が、死んでいるような状況なわけよ~。
だから、私は、毎日、nirvana(涅槃)にいるってことね。

涅槃にいる、ぐるんぐるん星人は、地球人のその辺の男の子の、自分だけに
囚われた、煩悩をいっぱい抱えた愛などに、もう、全く応えることなどは、
出来ない世界に住んでいるわけよ~。

まあ、私の毎日の、nirvana状態は、あのグランジュファッションを流行らせた
シアトルの、nirvanaの音よりも、数倍も、ひどいわけ~。


毎日、犬の匂いに、陶酔しているし、
毎日、犬のくるくるした尻尾や、ふわふわの毛の柔らかさに、陶酔しているし、
毎日、青い空に、陶酔しているし、
毎日、青い空を、流れる雲に、陶酔しているし、
毎日、青々と茂った草むらの、アツイキレに、陶酔しているし、草の中にいると、
なんか、柔らかな甘い匂いに抱きしめられているようで、温かくなるし、
毎日、庭に咲いている薔薇の形や、薔薇の棘や、薔薇の香りに、陶酔しているし、
毎日、猫の尻尾が、ゆらりゆらり、ゆっくり、ゆれているのなんて、なんかとっても、エロチックで、セクシーだし、
毎日、猫の宝石のような目に、心が吸い込まれるし、
毎日、水面に映った光が、キラキラして、そんでもって、その光りが、壁に反射する様子なんどを見ると、なんか、レース模様の影絵を見ているようで、
そんな絵なんかは、何時間見ていても、少しも飽きないし、
時々、雨が降ったりすると、窓の上からしっとりと、雨が流れる様子なんかだけで、
ちょっと、センチメンタルになるし、
時々、犬の散歩で、西の空の夕焼けなんか見ると、自分が、永遠の世界の中に、
たった一人で、いるように、感じちゃうし、
時々、猫の顔をじっと見ると、私は、きっと、猫族の子孫であったんだって、
思うくらい、猫が私にしゃべるし、


今、Tレックスの「グレイテストヒット」(最近、アマゾンから買った)
を、聞いているけれども、
Tレックス(マーク・ボラン)って、なんか、凄い! 天才だわ~。
こんな音を創れる人は、もう、絶対、出てこない!!
魔法よ、魔法の、音ね。

(まあ、私も、魔法の人なんだけれども、ふ・ふ・ふ・・・)


Tレックスの音は、私の頭の中と、全く一致しちゃう、
マーク・ボランの音は、私の頭の中と、全く合同になっちゃう、
困った、困った、困った、本当に、どうしよう、どうしよう、
脳みそが、弾けちゃう、脳みそが、どっかに行っちゃうよ~。


でも、なぜ、私は、いつも、涅槃状態なの?
でも、なぜ、私は、この現実を、現実として感じられないの?
でも、なぜ、私は、この現実を、生きている気がしないの?


私は、この今が、ずっと昔、遙か昔、何万年も前の「あの時」にしか
感じられないし、
私は、この場所が、ずっと昔、遙か昔、何万年も前の「あの場所」にしか
感じられないわけよ~。


宇宙を遊泳しているような、毎日なわけよ~。
ヤクなんかなにもやらなくても、毎日が、トリップなわけよ~。
(まあ、酒だけは、ほしいんだけれども~。)
マイナス100度の、エクスタシーな、わけよ~。
プラス100度の、エクスタシーな、わけよ~。


君達も、早く、ここに来ておくれよ~。
やっぱ、一人じゃ、さみしい、じゃない?


岩谷宏のロック論 31 レッツ ダンス

2008-02-22 18:10:06 | 岩谷宏 ロック
レッツ・ダンス


きみの赤い靴をはいてブルースを踊れ
踊ろう、あのラジオの曲に合わせて
踊ろう、顔を照らすライトと共に
人ごみを通り抜け、だれも居ない部屋へ行こう


逃げると言うのなら ぼくも一緒に逃げる
隠れると言うのなら
二人で隠れたい
ここでこのままきみが
ぼくの胸に泣き崩れ
花のように震えるとしたら
それはぼくにつらすぎる


踊ろう、凶運がさし迫っているのだから
踊ろう、安心な日々は今夜で終りなのだから
目と目をひたと見合わせたまま
踊ろう、月の光の下で
この、厳しい月の光の下で


きみは赤い靴をはいてブルースを踊れ
踊ろう、ラジオでかけている曲に合わせて
踊ろう、さあ、じっとぼくの目を見て
からだを揺すろう、月の光の下で
この、重苦しい月の光の下で


          ―対訳/岩谷 宏

「赤い靴」の「赤」の上には、「レッド」と
振り仮名が振られています。

「ひた」の上には、「・・」が振られています。


「レッツ・ダンス」 日本盤シングル・レコードより
B面は「キャット・ピープル」

トマスの死

2008-02-20 06:57:53 | 岩谷宏 犬猫
トマスが、多飲多尿になった時から、トマスの死は、覚悟していた
わけだけれども、
長生きする多くの猫の最後は、多飲多尿で、
腎臓が、駄目になって死ぬって、
岩谷さんと、けいこさんが、もっとも信頼している、
国立のダクタリ動物病院の森田院長から、聞いていたから、
トマスが、ここ数ヶ月(1年近くか?)水をたくさん飲んで、
オシッコをたくさん出してって、いう生活を、し始めてから、
ああぁ、トマスも、老年になったのね~、
トマスも、もう、人間で言うと、
80才とか90才の、おじいさんになったのね~って、
けいこさんは、トマスが、日々、痩せていくのを、
トマスの自然現象、ごくあたりまえの、死への準備期間って、思って、
トマスを、遠くから、見守ってきたわけだけれども、

2月16日の朝、
威風堂々としていた、ライオンの生まれ変わり、猫の中の猫、
孤高で崇高なる精神の体現者、けいこさんの、愛して止まない
トマスが、その生涯の最後を迎えた。


トマスは、今年の冬、元々持っていた、猫風邪のウイルスに、
年取って体力が落ちてしまったのか、勝てなくなっていて、
1月の末頃から、涙目になり鼻水がたらたらっていう状態になって、
食事がとれなくなっていった。

食事がとれなくなったトマスを、毎日、皮下注射(点滴)に連れて
行ったけれども、
点滴をしても、いっこうに、トマスの状態は、良くならないから、
点滴すること自体が、トマスの苦しみを長引かせることに
なるのかもしれないって、思って、
点滴のために、獣医さんに、トマスを、車で運んでいくことも、
最後は、あきらめ、

ただ、ひたすら、トマスを、自由に、好きなように、解放した。

トマスは、1才前に、けいこさんが、多摩の公園で、保護した野良猫で、
保護したときも、ひどい猫風邪をひいていて、紙のように、実がない、
内蔵も骨も、何処にあるのっていうほどの、体重のない猫だったけれども、

けいこさんが、保護してからは、「完全室内飼い」猫になり、
まあ、もしかしたら、自由を奪われてしまった猫生活を、けいこさんから、
余儀なくされたような、もしかしたら、けいこさんの、囚われの猫で
ぼくは嫌ですって、本人は思っていたのかもしれないと、
ふと、けいこさんの身勝手で、自由を奪ってしまったのかって、
そんな罪悪感も、わいて来ないわけではないけれども、

まあ、交通事故やら、病気を外からもらって、花火のような短い人生ではなく、
ちんたらちんたら細長く生き延びるためには、室内で、けいこさんの
囚われの猫になってもらうほかは、なんか、道はなかったわけで、

トマスが、人の言葉を発したなら、18年間、「完全室内飼い」で、
けいこさんの囚われの猫ちゃんの位置にあった自分を、どんな風に、
思うのかって、けいこさんは、興味があるけれども、

でも、トマスの2月16日の最後を、岩谷さんと一緒に、
看取ったけいこさんは、

やはり、トマスが、18年間細々とではあったけれども、
病気もなく、けがもなく、お食事しては、遊んでは、太陽を体いっぱい
浴びては、そして、寝るっていう、
人も、ほんとうなら、見習わなければいけない、
生きることの基本だけを、トマスが、実行して長生きしたことに、
感動を憶えると共に、
トマスのその猫生の最後の様子は、
やはり、岩谷さんとけいこさんと、トマスが、18年間
一緒に生きてきた絆の上にあるのであって、

猫は、どんな猫でも、人と共に、人の腕の中で、
人に守られてしか、生きられない生き物なんだなって、納得させる
ものだった。


トマスは、死の前、黄疸になり、なにかを訴えるような声を
出した。
か弱い声で、しきりに、けいこさんに、なにかを訴えた。
温かいストーブの前に行くかと思うと、押入の暗がりの中に
入りたがり、そのうち、窓際の太陽の光の入る本棚の上に
体を、横たわせ、けいこさんが、
「トマス・・・」と、そっと、呼ぶと、
トマスは、ウォーン、ウェーンって、いうような声で、
体の不調を、しきりに訴えた。

いやいや、そうではない、
体の不調ではなくて、死が自分を、捕らえていることに、
もう、自分は、死ぬことを、覚悟しているような、
そんな声で、何かを、しきりに、訴えたのだ。

2月16日朝、トマスは、自分のお部屋のドアの近くで、
おしっこをした。

そして、その後、カーペットの上に横たわると、
いつもより、大きな声で、ウォーンウォーンと、泣いた。
呼吸は弱くなっていって、
ああぁ、トマスのこれは最後だって、けいこさんは、
思ったから、大きな声で、岩谷さんを、呼んで、
二人で、カーペットに横になったトマスの、
体温のない体を、何回も、何回も、そっとなでてあげたの。

「トマス、ありがとう、トマス、本当に、ありがとう」

トマスのやせ細った体を、けいこさんは、ひしっと抱きしめたら、
トマスは、17年前、けいこさんが、多摩の公園で保護した時より、
もっと、がりがりで、背中の骨の、ごつごつした様子が、
体に伝わって来た。

涙がけいこさんの体から、絞り出されるように、溢れ、

そして、トマスは、横になったカーペットの上で、
最後の大きな呼吸をして、最後の大きな「アぁ」っていう声を
出して、息をひきとった。

その時、けいこさんは、
トマスの大きな体、頭からシッポまで、1m位ある体の
中心から、「死」が、密やかに、心地よく、トマスの
体全体を、覆ってしまったように、感じたの。

トマスにとって、「死」は、恐怖でもなんでもなかった。
「死」は、とても、ピースフルなものであった。
「死」は、トマスの「生」に内包されていた。
トマスの体の中に、住んでいた。
トマスの「生」に連続していた。

トマスの死、トマスの最後は、
通常の死が、哀しみだけを、あぶり出してしまうのとは異なり、
けいこさんに、
平和で、心地よい、そして、至高なる瞬間を、
そして、生き物の美しさを、生き物の生の高みを、
感じさせるものだった。

そして、こんな心地よい瞬間を、こんな高い精神を
最後、私達二人に、見せてくれたトマスは、
やはり、猫中の猫、猫族の王様だと、

そして、トマスが、人の囚われの身ではあったけれども、
その生を、18年間という、長い生を、全うしたからこその、
心地よさであったのだと、
そんな風に、けいこさんは、思ったの。

けいこさんは、16日午後から東京に用事があって、
トマスの亡骸を、近くの霊園で、お骨に焼いてもらうのは、
その日は、できなかったから、

死後の硬直の始まったトマスの亡骸は、岩谷さんが、
ダンボールに入れて、日の当たらない北側の物置に
置いた。

17日、霊園で火葬するために、物置から
トマスを出してみたら、死の瞬間のあのがりがりした様子とは
うってかわって、トマスの体は、いつものトマスらしく、
威風堂々とした、立派な体に、見えた。

霊園で、トマスの亡骸を火葬してもらい、
一人、トマスの骨を、骨壺に、ひろったら、
トマスの頭から、背骨、そして、シッポまでの骨が、
星くずのように、連なり、
トマスと共にすごした18年間が、
星くずのようなトマスの骨の一つ一つに
染みついているようだった。

トマスの、頑丈な足の骨は、大きくて、
なかなか、骨壺に、入りきらなかった。
骨壺に入りきらないトマスの真っ白な
骨は、ビニール袋に入れて、帰宅した。

トマスは、最後の最後まで、
人の、基準値から、はみ出してしまうような、
人の、愚かさから、逸脱していくような、
大きな精神、深い精神を、持っていた
立派な猫だった。



岩谷宏のロック論 30 イギー・ポップ LUST FOR LIFE

2008-02-19 06:59:18 | 岩谷宏 ロック
Iggy Pop Lust For Life



ラスト・フォー・ライフ
見なよ また酒漬けドラッグ漬けのがむしゃらジ
ョニーの登場が見事なからだを見せつけてまた例
のストリップをやる気だな しかし なんという
ローションだ ひどいもんだ


うかつにも愛とかいう名のからくりにひっかかっ
てしまって以来 あたしは毎日毎日痛いぐるりを
素晴らしすぎる女のコ達にずっと取り囲まれてる
みたいな気分だ


あたしもいわゆるナウなヤングですから 愛なん
てこれまでも耳にうんざりするくらいたっぷり
吹き込まれていた でも今はただ


がつがつと生きたい
なにがなんでも生きたい


あたしが苦しんでのたうっているフイルムは100万
ドルの賞金の値打がある GTカー現代社会の制
服どれも政府ローン 道ばたで寝るのは卒業した
酒とドラッグで自分をごまかすのも卒業した こ
れからはただ


がつがつ生きたい
なにがなんでも生きたい



シックスティーン
ロング・ブーツが似合う見事な16才
ぼくはさっきからあなたにくぎづけ
あなたはすごくおいしそうだ
ぼくは今ひどく飢えています


うす暗いバーの中は顔々々々々、顔でいっぱい
小ぎれいな顔々、ご立派な顔々
しょぼくれ男のぼくを
みんなが胡散くさそうにチラチラ見る


あなたには見抜いてほしい
ぼくが爆発し終ったヌケガラだってことを
いまは痛くって
泣き叫んでいるだけだってことを


みんなみんなご立派な人達で
ぼくなど眼中にない
どうしたらいいのか
あなたにぼくのすべてを貰ってしまってほしい



サム・ウィアード・シン
生きる免許を手にしたことがない
彼等は決して渡そうとしない
だからぼくはこの世の縁(ふち)に立って
なんとか割り込もうとするが
しょせんぼくのガラじゃない
そういう自分の姿が見えてくると
なんかひどくゲッソリしてしまって
そんな時だよ むしょうに
異常な悪事を働きたくなるのは


世の中はますます硬直化し
ぼくには耐えられない
自分自身が、ピンでがっちりとめられた
虫みたいに感じる
外(はず)そうともがいても
しょせん徒労に終る
そういう自分の姿が見えてくると
もうガックリしてしまって
そんな時だよ むしょうに
奇っ怪な悪事でも働いて
くだらないと知りつつも
つかの間のリラックスを得ようとするのは



ザ・パッセンジャー
ぼくは単なる乗客
この町の裏側を走るバスに
もう何年も前からこうやって乗りっぱなし
空には星達(スターズ)が出て来て
おお、なんと明るく虚(うつ)ろな空よ
なんとまあステキな夜よ
ぼくは車窓から眺める乗客
この町の荒れすさんだ裏側の上に
なんと明るく虚(うつ)ろな夜よ
なにもかもステキに見える夜よ
この眺めは全部きみとぼくのもの
いっそ 鼻歌など歌いながら
このまま乗りつづけることとしよう



トゥナイト
「みるまに血の気が引いて青くなっていった。もう、
これは、死ぬ、とはっきり分った。ぼくは彼女の
ベッドの近くにひざをついて、こんなに若くて死
んでゆく彼女にこう語りかけた・・・・・・。」


いい夜だ、今夜は
心配事も問題もなにもない夜だ
だれもガサつかない
だれもおしゃべりしない
だれも考えあぐねない
だれもどこへも行かない
今夜は世界中がいい人だ


ぼくは一生彼女を愛しぬく
この想いだけがぼくを貫いていて
ひ弱な雑念は消えている
今夜からぼくは彼女を空(そら)に見ることになる
そして空(そら)ならいつでもどこにでもある
いつでもどこにでも彼女を見れる



サクセス
これからはすべてがうまく行く
(心の中の)峠をひとつ越したので
今後は万事好調、大成功
タフな車があるのと同じ
みっしりしたジュウタンがあるのと同じ


ギリギリまで追いつめられたから
この大好転、これからは
(自分のことでなく)きみのことを気にする
これまでは人間社会などと
  ごたいそうに考えていたが
いまでは完全に動物園に見える
ゴタゴタの中にうずもれていた自分の顔も
いまではぬけ出て
くっきりはっきり
ヘンな顔だけれども
なにしろこれがぼくの顔
ぼくは自分をあけ渡し
きみに殺られたので
ぼくの中は新しい感動でいっぱいになり
むさくるしい頭でなく
カツラをつけた気分になり
もう、嬉しくてたまらなく
きみと一緒にワッとハデにやりたく
カエルみたいに跳びはねたい


いろいろ言ったり考えたりする
余裕すらないところにまで
ギリギリに追いつめられてしまったので
かえってなにもかも軽くなり
あかるくなってしまった



ネイバーフッド・スレット
ずっと下の方、おまえのメッキが剝げているあた
り、ほら、秘密の階段のところに、ダチ公がひと
りいるだろ


ああ、そこには、かならず、だれかがいて、そこ
で寝泊りしてるんだ、そいつには


外の荒れ模様もわからんし、おまえが楽しそうに
してても関係ナイという顔をしているし


ほら、いま、そいつの目を見てみろ
まともじゃない目を見てみろ
おどろきだろ
そいつはおまえの葬式に出る訳じゃない
でも、ほかの連中はみな
おまえのガラクタばかりに目をつける
おまえはそいつが邪魔だ
どの人間も実はそいつが邪魔だ
でもそいつにはおべんちゃらは効かない
おまえの所にたいしたものはないと知っているし
おまえを顔を見たって
  特別な感情を抱くわけではない
だのにおまえはまだ隣人を警戒するのかね
隣りにはミルクを呑む赤ン坊がいるだけだ
隣りには手伝いの欲しい母親がいるだけだ
家の外では子供ががんばっているが
たいていはうまく行かないで泣いている
おまえのメッキが剝げているところにいる
見知らぬダチ公とは
その子のことだぜ
だのにおまえはこれからもまだ
隣人を警戒するのかね
隣人のことなど無しで済ませたいのかね



フォール・イン・ラヴ・ウィズ・ミー
はるか西ベルリンの
この古めかしい*サルーン
白ワインがひと瓶
水でできたテーブル
そして、あなた


あなたは安物の毛皮を着て
ビニールのレインコートをはおって
ビニールの靴はいて
雪の町に立っていた
とてもすてきに見えた


あなたは見かけよりは
ほんとはもっと若いのでしょう


あなたの黒い瞳
髪も黒い
気持も若々しくて
あなたはめったにいないタイプ
ぴったり、ぼくが必要なタイプ


とても若くって
しかも浮わついてない
めったにいないタイプ
ぼくが欲しい
たったひとつのタイプ
あなたは実際のとしよりは
ずっと若くみえます


くずれたならば
さらにあなたはすてきでしょうに
はるかにはるかに魅力的になるでしょうに

注*)やや広めのバー


           [対訳:岩谷 宏]

*「ターン・ブルー」は、歌詞・対訳共省略
させて頂きました。ご了承下さい。

イギー・ポップ「ラスト・フォー・ライフ」
日本盤CDより



岩谷宏のロック論 29 ジョンレノン SCARED

2008-02-16 08:51:49 | 岩谷宏 ロック
SCARED
ジョン・レノン



結局ぼくはすごくブザマな死に方をする


旧人類の総体に対する憎悪が結局ぼくの
いのち取りになる


いや、いままでだって、ぼくはまだ一度も、
生きたためしなどない


傷だらけになりながら、つのる恐怖に
ビクビクしながら、かろうじて
すり抜けてきただけだ


もう、ロックというかたちで
自分のユニークさを喜ぶことなど
やめようと思う


どんどん押しつぶされてきているのが

はっきりわかる


ぼくらになんにもできないことも
はっきりわかる


無駄な抵抗は止そうと思う


憎悪が黒い固いかたまりになる
ぼくは、ぼくがこうして、古い世界の
ことを気にする理由を考えようとする


そして
気にする自分を恥じる
本当に気にしてたら
恐怖以外のなにもない



『ロック訳詩集』より、30・31ページ

邦題は、「心のしとねは何処」で、アルバム
「心の壁、愛の橋」に収録されています。(高柳)

岩谷宏のロック論 28 ファシネーション

2008-02-14 06:15:52 | 岩谷宏 ロック
FASCINATION
デビッド・ボウイ



ここにエーテルの星を撒くはだれ?

幼いつる草のむれは黄色い手に

いちご色の光の花冠に

(わたし)を(きみ)にそそのかす

そそのかしつづける永遠の

小舞踏会よ熱帯よ ひたいに光る汗よ

もはや

来るべき朝は月の出

夜は月のさかり

ひそかにつむがれているのは

ひそかにひそかに

放射とたわむれをくりかえす

(わたし)たちの

バスストップのつどい

夜よ

もう決して下らない微熱


 ファシネーション
 きみをとりまき
 ファシネーション
 僕はかなしばり


坂を下りていったのはだれか?
夢を食べてしまったのはだれか?
花びらをちぎってしまったのはだれ?


世界を
このように
まるくたわめたのはだれか?

きみの犬のほえ声は
いま急速に遠ざかる

時間を食べたのはきみだ
ほのおを
やわらかいふとんに変えたのはきみ

夢を見たんじゃない
いま

わたしたちが夢になったのよ
もう さめて帰ることは
不可能な夢に―


ああ
花冠よ
世界をやわらかくとざして
生きることを可能にしてしまったのは
きみ

ほのおの滑走路
急降下してゆくわたしたち

火花が
無数の小さな火花が
もはやとまることなく散(ち)リ散(ち)リリリと
散りつづけるるのみ


 ファシネーション
 きみとぼくの
 ファシネーション
 やわらかい


 ファシネーション
 永遠のきずな
 ファシネーション
 きらめきつづける


(訳注:この曲は、これまでのボウイの曲すべ
ての中での、最高傑作だと思います。みんな異
論はないと思います。ただしウマク訳せたとい
う自信はないノダ。Fascination =魅入られ
て動けないこと。)


     ―『ロック訳詩集』P78~81


岩谷宏のロック論 27 なにしろ 元気な あなたへ

2008-02-11 09:29:39 | 岩谷宏 ロック
「なにしろ 元気な あなたへ」


あなたが ほんとうに 最大に大きく求める人なら いつかきっと気付くでしょう。この世界が 実は とても希薄な世界であることに。あなたが 今の不注意な 荒々しい呼吸を ふと反省する日が きてほしい。

あなたに 私の 裸で無一文の ほんとうの私の姿が しっかりと見えているなら 今だって 気付くでしょう。あなたが歩いているのも 私が歩いているのも闊歩の許されない 薄氷の上だってことに。

私達は この乏しいもののために この弱いもののために この乏しくて弱くてでも私達にいつも涙させるほどに貴重なものを 大切に育んでいこうと そのために生きているのではなかったか。

ある日 それが確かに見え 確かに感じられたからこそ 私達は 新しい世界の可能性を信じたのではなかったか。幻想でもなく 理想でもなく 思想でもなく確かに 現(うつつ)に。まず 最初にあなたの中に。

それを度外視しては ほかに あなたが生きていくねうちはなんにもない。

それを 優しく守り抜こうとするだけでほんとうは私もあなたも いつもせいいっぱいにのはずで だからあなたも それからいつも視線が外(はず)れてさえいなければほかに なにか客観的視点など 持てる余裕はないはず。

それに ちゃんと気付かなかった老人達が この世界を汚し 荒らしていった。今また あなたの元気活発な視線と言葉が 薄氷を無造作に踏みしだいて行くような。

なにか 手近にある 客観的基準らしきものを これみよしに手にしたあなたは一見 とっても偉そうに見える。でも 私の方には 手にすべき武器はなんにもない。

そして あなたは忘れている。わたしたちはこれっぱかりも 客観的にスタートなどしたのではなかったこと これからの だれの どのスタートだって・・・。 (入学試験や入社試験じゃあるまいし!)

あの人達がやったことはあの人達がやったこと。それはあなたがやったことじゃないし 私がやったことでもない。なぜそんな 初歩的な錯覚を。

1963年から数えるなら14年経ったわけか。だもんで今あなたは、化石の側に つまり出来上がってしまったものの側に つまり客観の側に しっかりと染まって いつも幼い私を・・・・・・ そりゃあ 蹴り捨てるのはラクでしょうよ。なにしろあなたは トラの威を借るなんとやら。

あなたが最初に感じ これを信じるべきではないかと感じたもの そして 今日この日までも そしてほんとうは この今このときも 感じ続け 信じ続けているものは 私は知っている それはあなたの中で老いることはなく いまも その日のままに 幼く みずみずしく ひりひりと たよりなぁい存在であることを。

その この ただ一点をごまかしたり ワキへ置いたりしたのでは そんなあなたの言葉 行動 いっさいは もう どう言っていいかわからないほど すっかり空(むな)しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

稀薄な空気は 心して静かに呼吸しないと からだにしみない。薄い氷は ほんとうに心して歩かないと あることがわからない。あなたが ついにわからないまま この世を ばったばったと 駆け抜けていく人だとは・・・・・・思いたくないけど どうしてもそんな人なのなら 私のような 生身(なまみ)の人間は せめて よけて通って下さい。針1本でも 人は死ぬのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

X氏「ロッキング・オン=ミニコミ誌 アングラ誌 センズリ誌 ぺらぺら 貧乏雑誌」
私「そんな客観的なことを言うあなた分だけいつも1ページ薄いのさ。あなたみたいな人がn人いればnページ分いつも薄いのさ。でも そんなふうなことを言うあなたって いったい 何様(なにさま)?」

★岩谷 宏


【RO 1976年6月号 p.50】

岩谷宏のロック論 26 ロックンロールウイズミー

2008-02-08 07:13:17 | 岩谷宏 ロック
ROCKN’N ROLL WITH ME
デビッド・ボウイ



かろうじて調子を合わせたフリをして
生きている僕の正体を


何万人ものあいつらに見破られたとしても


冷たい黙秘の態度をとれるだろう



僕にはきみがいるからです
僕とロックしてくれるきみがいるからです


優しい心はますます無造作に

け散らされて行く


もうなにも見えない
音の中にもなんにもない


僕は息切れしそうに苦しい
しかし、もう迷ってはいない


突破口ははっきり見えている
あそこから脱出すればよいのです


ロックを聞いていると僕は自分が
このままで正しいのだと思える
それに すばらしいきみがいる
ああ 最近僕はわけもなく
泣けてきて泣けてきてしょうがない



『●エピタフ叢書第一回 ロック訳詩集
 世紀末解體新書』著者 岩谷宏 より
P8~9
 

岩谷宏のロック論 25 イースト・オブ・エデン「世界の投影」

2008-02-07 02:22:54 | 岩谷宏 ロック
イースト・オブ・エデン「世界の投影」


1.我が北半球


北半球はすてき
いろんな事が起こる
自分の頭を取り外す手品師もいて
ほら今その頭が消えてしまう
頭も手足も無くなった胴体に
もうお仕舞いよ と女は告げる
ところがそいつはまたまた出現
この西半球に
すてきな事ばかりの西半球に
たとえば小鳥が飛んでいる
ダイヤの木の周りを飛んでいる
無名がいいわ と女は告げる
だって彼女は自由でいたいから
だって家に帰ればどの家にもやすらぎ
でもこの北半球では
おかしな事ばかり起こる
でもあなたの中の小鬼は答を待っている
もっと高いところからの呼び声を


南半球だってあるんだよ
そこではあったかい事が起こる
陽の下の小さな島々
太陽=人生という人だっている
キモノの襟を正しなさい と女は告げる
うんと高いところから女は告げる


2.イザドラ


踊ってよ、イザドラ、あなたはすばらしい
そよ風に袖をゆらめかし
あなたのしなやかなからだが
すすり泣くように揺れるとき
わたしの心はやわらかくなる
あなたの踊りは生命(いのち)あなたの愛は惜しみなく
あなた自身は今つたの葉のしげみの下にねむっている


あなたは世界中の嵐と斗う
あなたの踊りは毅然としている
太陽と重なって、燃える炎のよう
あなたの生命(いのち)は踊り
いっさいのてらいもなく見事
あなたは眠る、つた草の下に


3.大河の流れ

ピンクと真珠色の流れ
白いハゲタカとワニ
黒いゴンドラを揩ぐ人
両岸の木々は高く美しい
ピラミッドはすべてまっ赤に染まり
王と女王の秘曲が聞こえ
真紅のローブと感動の歌
はためく黄金のつばさ
探せばさらに
アイスクリームのコーンに玩具
陽に焼けたネクタイに優しいサンダル
頬すりよせるライオン達


それらすべては鏡の中に
それらすべては真夜中の太陽の影に
それらすべてはむなしく流れゆき
それらすべてはからみ合う大蛇のむれだ


4.半人半獣の女


からだは人間のからだでも
顔は一角のようなんと不運な女(ひと)よ
美しいからだに馬の顔
からだを美しくしなわせて
水浴するときもお尻にはしっぽ
私がキスするとハリネズミになる
一緒に食事して
私はステーキ・フランベを注文するけど
あの女(ひと)はひとたばのまぐさを食べるだけ
ああ、私は、いっそ
空に駆け昇るライオンとなり
こんなことのすべてをかき消したい


5.水浴する人々


ときおりその浜辺には魔女達が現れ
濃い錆び色の砂路の上を飛び
洞窟になだれ込む
その洞窟の中は色とりどりの石で光っている


それは秋のある日のこと
私達は小舟に乗って釣りに出かけた
舟に潮流にゆっつがくり流されて
空と海の交(つが)う彼方をめざす
水浴者達はこぞっておもむろに
水着を脱いで全裸となり
ジプシーの笛の音に誘われて
ゆっくりと水に入ってゆく


ここは世の人の知らぬところ
私達は夜の海辺を歩み、くちづけを交(かわ)す
私達は波に乗り潮に流される
空と海の交(まが)う彼方、月は昇り
水浴者たちはおもむろに水着を脱いで
ジプシーの笛に誘われて
水に入りゆく


6.コミュニオン


あなたの唇が私の息を塞ぐとき
私は死んだように静か
あなたの手が私の目を覆うとき
私はあなたの眠りの中で眠る
あなたの胸が私を悦ばすとき
私は完全に充ち足りる
ああ、あなたは素晴らしい


あなたはそのままで素晴らしい
あなたの唇が私の目に蓋をするとき
きっと私は熟睡できる
そして二人のからだに生命(いのち)よみがえり
あなたの目を見つめるだけで
私はなんにもしたくなくなるだろう
確かな新鮮な生命だけを
感じていることだろう
あなたはさらに素晴らしく・・・・・・
(ナレーション部分=省略)


7.蛾


この夢がうつつとなるならば
私は世界を理解するだろう
そしてあなたと私は
再び確かに愛し合えるだろう
ちっちゃな柔らかな美しいあなた
まるであなたと最後に寝る夜に
夢に出て来る小さな蛾みたい
あなたはベルベットの羽根をはためかせて
深く安らかな眠りの国へ
舞い降りゆくのだろう


朝の光が滝のように眩しく降り注ぐ
蜘蛛が静かに巣を紡ぐ
思えば懐しい愛の日々よ
昇りつめ、安らぎ
束の間の栗の香※を放ち
あなたと最後に寝る夜は
別荘のすべての明かりがついている
そんな中をあなたは
小さなベルベットの蛾になって
深い安らかな眠りの国へ
舞い降りてゆくのだろう

(※=射精時の精液の匂い)

     
           (訳・岩谷宏)

ストレンジ・デイズ・プレゼンツ
BRITISH ROCK LEGEND SERIES 第一回
ROCK FANTASY Part1より

UICY-9036(Deram) 紙ジャケCD
解説 岩本晃市郎

現在は廃盤です。(高柳)





けいこさんは、真性ミーハー パート4 ぺ・ヨンジュン作品評の書評

2008-02-02 07:02:53 | 岩谷啓子(けい子) ミーハー道
サブカル系酒ライター 本橋牛乳さん、(けいこさんは、
もうもうさんって、呼んでいるの)
から、けいこさんが書いたぺ・ヨンジュン作品評、
「遙かなり ぺ・ヨンジュン」の書評が届きましたので、
UPさせていただきますね。

この書評「トーキングヘッズ」NO33に載っています。
(有限会社アトリエザード発行)

もうもうさん、ありがとう!!


「遥かなり ペ・ヨンジュン」
photographer著、右文書院、1600円、2007年2月

 ペ・ヨンジュン、通称ヨン様。主演したテレビドラマ「冬のソナタ」は、かつて日本で製作されたドラマ「君の名は」の再来と言われ、日本で大ブレイクし、韓流ドラマブームのきっかけとなる。その中心にいるヨン様は、中高年女性のアイドル。およそ、そういったところだろうか。だが、本書はその「冬のソナタ」をはじめとする、ペ・ヨンジュンの出演作の、その俳優としてのペについての批評、というスタイルをとりつつも、そうではない。
 この本を読む、というのは、ぼくにとって、とても奇妙な体験だった。ぼくにとって、ペ・ヨンジュンという俳優は、いつも清潔な微笑みを絶やさない、そういう人物でしかない。ペが出演したドラマは、一度だって見たことないのだから。それは、「冬のソナタ」のポスターから、少しも出ることはない。
 だからなのかもしれない。著者がペ・ヨンジュンを語るということは、その姿を通すことでようやく、自分の内面を語ることができる、そういうことのように思えるのだ。ペ・ヨンジュンは優れた俳優だと語られる。本書では、いくつもの作品が取り上げられるが、どの作品においても、監督や脚本の良し悪しは語られない。製作スタッフが意図したことを、ペ・ヨンジュンはいつも乗り越えてしまう。
 ストーリーだけを聞かされていると、巧妙に作られているとはいえ、本質は30年前、40年前の日本のテレビドラマ、例えば「細腕繁盛記」と大差ないのではないか、と思ってしまう(まあ、「細腕繁盛記」のことを言えば、花登匠の脚本が思いつきの連続で一貫性がないはずなのに、設定そのものの力があり、何よりも富士真奈美の演技があってこそ、必ずしも強い個性を持っていたわけではなかった新珠三千代が輝いた、というような批評はできるだろう。同じ脚本家で同じようなストーリーであっても「どてらい男」が男が主人公だったゆえに、そこまでの成功を収めなかった、というようなことも言えるだろうな、とふと思った、ということはどうでもいいか。でも、花登は死んだときに、彼の最高傑作は妻の星由里子だ、とか言われてもいたし、やはり役者で語られるドラマというのはあるわけだな)。そう考えると、韓流ドラマを中高年の女性が見ているというのは、昔の日本のドラマを彷彿とさせるからなのかもしれない。せっせとマンガを原作にしたドラマばかり製作している日本にはないものだ、と思う。まあ、これは余談だな。
 著者は、俳優は俳優以上でも俳優以下でもない、作品は作品以上でも作品以下でもない、最初にそう語る。だが、では、なぜ「冬のソナタ」を見た著者が、深い感情の波に襲われ、しばらく何も考えられない状況に陥ったのか。それは、ペ・ヨンジュンという俳優の演技そのものが、著者の奥底にあるものを引き出してしまったからだ。俳優は俳優以上でも俳優以下でもない。そうかもしれない。著者の内面を引き出してしまったのが、ペ・ヨンジュンという人間なのではなく、ペ・ヨンジュンという俳優の演技なのだから。それはプリズムのようにそこに存在し、著者自身にも見えていなかったものを見せられてしまう。そうであればこそ、感情の波に襲われてしまう。それは、感動したという外側の要因による体験ではなく、本当に内面の体験だ。だから、著者は次々と作品について語る。けれども、そこからあふれ出るペ・ヨンジュンについて語ることになる。それは、本当に、ペ・ヨンジュンが無色透明のプリズムであるかのように存在し、けれども過剰に反射率が高いために、どんどん光を分解していく、著者の内面にある要素をどんどんと明確にしていく、そういう過程として語られていく。
 著者はかつて、そして今でもロックミュージックを聞いてきた。考えてみれば、音楽に、とりわけアーティストにはまる、という体験は、自分の姿をくっきりと映し出すプリズムを発見する、そういうことかもしれない。渋谷陽一にとってのレッド・ツェッペリン、松村雄作においてのザ・ビートルズ。だが、そうだとして、渋谷も松村もある程度冷静な音楽批評を行なう。しかし著者はそれを選ばない。選んだとしても、結果として違うものになっている。俳優は俳優以上でも俳優以下でもない。そうかもしれない。そこには、ペ・ヨンジュンという思想があるわけじゃない。徹底して優れた俳優であるペ・ヨンジュンの演技によって、どれほどまでに著者の内面が引き出されたのか、ということだからだ。
 だから、この本を読むというのは、本当に奇妙な体験だった。ペ・ヨンジュンを語ることを通じて、その出会いまでの時間、たまっていた感情、孤独、官能、あるいは魂そのもの、そういったものが次々と語られる。ぼくはこの本を通じて、一人の女性、というよりもむしろ少女の魂が自分の中に流れ込んでいくということを感じた。そのことが奇妙な経験だったということだ。
 ジャネット・ウィンタースンであれば、作家として自分で自分のことを語ることができる。けれども、著者は、photographerというペンネームが象徴するように、レンズのないカメラよろしく、ペ・ヨンジュンという存在があることでようやく自分を語ることができた。
 あとがきで、ペ・ヨンジュンが好きな女性は、万年少女だということが語られる。例えば、トットちゃん(黒柳徹子)がそうである。でも、万年少女ではいけないのだろうか。社会は年齢に応じた女性像を現実の女性に求めてしまう。そうした中で、抑圧されてきたのが、多くの女性の内面にある万年少女なのかもしれない。だからこそ、ペ・ヨンジュンのドラマによって、その内面が引き出され、再発見され、感情の波にとらわれてしまうのだろうか。
 本書を読むことは、奇妙な体験だと書いた。だが、悪い体験ではない。一人の女性の中で、少女が再発見され、立ち上がり、解放される、その過程を、本を通じて追体験する、そうした過程でもあるからだ。そして、その過程を共有することで、ぼく自身の内面がゆさぶられる。そのことこそが、奇妙な体験だ。だからぼくは著者に、「ありがとう」と言う。




岩谷宏のロック論 24 ヒーローズ訳詞

2008-02-01 07:05:03 | 岩谷宏 ロック
「HEROES」

私は王になり あなたは王妃となろう
救いは無いが きっとうち勝てよう
いつの日か 私達はヒーロー

みじめさをかみしめて 酒びたりの毎日
愛は確かでも それはただ 私達だけの愛
まわりの世界は 今もすさんでいる
あの人達をうち負かすとき 私達の愛はヒーローの愛

イルカのようにすばやく 自由に泳げたらと思う
助けを求めることなく 醜い人々を倒して
いつの日か 世界を私達の手に

この私 私が王 あなた あなたが王妃
救いはどこにも無い しかし闘いは続く
私達がヒーローになるその日まで

いまも忘れはしない ベルロンの壁ぎわに立ち
頭上に絶えぬ銃声の中で 私達は抱き合っていた
でも一方では うしろめたくて
世界を彼等が支配するかぎり
私達の愛は無力なもの

ヒーローにならねば 世界を掌握する愛でなければ
いつの日か 私とともに みんなが 一人一人がヒーローに

まだみんながバラバラな今 一人よがりを言うだけになる
いつの日にかきっとヒーローに そうとも確かに
確かな強い愛で いまではなく きたるべきその日に

いつの日にか私とともに 一人一人がヒーローに
確かな強い愛で いまではなく きたるべきその日に

訳 岩谷宏



1978年12月12日 NHKホールでのコンサートを収録した
「YOUNG MUSIC SHOW」より 1979年3月26日 午後
5:30~6:30放映

読みやすさを考えて、テレビ画面と同じ改行にはして
いないことをお断りしておきます。(高柳)