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岩谷宏と一緒

岩谷宏の同居人岩谷啓子(けい子)が、犬猫まみれの官能の日々を綴る

岩谷宏のロック論 60 自己観念

2008-11-29 09:35:57 | 岩谷宏 ロック
自己観念

19世紀の詩人A・ランボーは「自分とは一人の他人だ」と言ったし、
今世紀のロック・ミュージシャンD・ボウイーは「自分は一台の
コピー機械」と言った。

この、一見奇妙な言葉の、意味を考えてみる前に、二十世紀末の今日、
私達が置かれている一般的な思潮の質をチェックしてみよう。
-----一般的な思潮とは、私達が生まれ、育ち、学び、生活して
行くこの社会環境の中で、暗黙の前提になっているような、”ものの考え方”
のことである。


それは、ひとことで言うなら、平和が叫ばれるわりには平和が得られず、
自由と平等が願われてもそれが実現しない、どうも、最初っから、
そのように”想定”しているらしい思潮である。
どこが問題なのか。

社会の物質的(経済的)条件・構造を改変すればよい、という考えが、
一部の人には広く受け入れられている。
日本でも革新勢力と言えば、だいたい、この思想を基調にする人々である。
しかし一方では、社会主義国の現状への深い幻滅感も広まりつつある。

忘れられていたものはなにか。
これまでほとんど考えられたことなく、したがって、ほとんど
原始状態のままにほっておかれているものはなにか。
----私達がこれからの時代に向けて、本当に真剣に取り組むべき
課題はなにか。
それが、私の思うに、「自己観念」とその検証、変革である。


「自己観念」とは、自分とはなにか、について、
暗黙のうちに、自分で抱いている観念のこと。
これが、たとえば、通常の「物」に対する観念のように、唯一絶対、
万古不易で、変わりようのないものなのかどうか。
-----「物」に対する観念なら、たとえば「とうふ観念」なら
”大豆タンパクを凝固させた白くてフワフワの食品”で、
だいたい、変わりようがない。


「自己観念」は、通常、歴史的・社会的に条件づけられ、その人の
生き方を決定する。しかし、完全に絶対的に条件づけられたまま、
ということはなくて、その人の意識の力によって、相対化することも、
改変することもできる。
そして、自己観念の変革がなくて、ただ、物質的条件の改変が
行われても、それは、必然的に元のもくあみ的な社会にしかならない。


外側については、ついに、宇宙空間や原子にまで手をつけてしまったが、
内側については、ごくごく少数の芸術家たちが、(中には、
危険あ薬や、瞑想などの手段に頼りながら)、中途ハンパに
”いじくり”の試みをしてきたに過ぎない。


もって冷静に構えて、たとえば、「変容し得る自己観念をパラメーターと
して含んだ科学」とは、どんなものになるか。




岩谷宏のロック論 59 農業

2008-11-26 06:16:35 | 岩谷宏 ロック
日本では、たぶん今世紀の内に、農業において、資本(土地所有)、
経営、労働が分離するだろう(せざるを得ないだろう)。
農業も、だれもがアクセスできる一つの職業になるのである。

日本は工業大国とか言われるが、実は、小さな、そして山の多い島国であって、
大規模な工業には適していない。
ヨーローッパ各国も日本も、これまでは一方的に海外資源をきわめて安く
収奪できたから一方的に工業が発達したのである。
いまとなっては、はるばるインド洋の向こうから大型タンカーで原油を
運んできて、人のこみ合ったところでエチレン・プラントを
操業するなんて、まったく、アホなことだ。

農業にも、粗放な大規模生産に向いている作物(小麦など)と、
人間がいちいち自然や作物と対話しながらやらねばうまく行かない作物とがある。
日本に向いているのは当然、後者である。

地球的な規模での平和、生産技術の平準化、そして公平な為替レートを
前提とすれば、あらゆる生産は適地適物産業となる。
そうなった場合、日本では、漁業と、ある種の林業、ある種の農業は無視できない。

電気製品などと言っても、いますでに、いくつかのものは、台湾、シンガポール、
香港などで、いいものが作られている。

結局、ロックが栄えている国=先進国の人々の苦しみの原因の一つが、
工業化による都市集中、それによる、孤立した、たよるべきもののない、
プロレタリアート化にあり、またそうなった構造そのものにあるのだから、
成功して牧場暮らしをするロック・ミュージシャンの気持ちはあるイミでは
自然であり、未来を先取りしているのかもしれない。

工業的な集中や偏在がなくなり、地球的な規模での物々交換や、
余剰の贈与が円滑に行われなければ、生きていけない、ということになれば、
国家の硬直性も弱まらざるを得ないだろう。
なお、貿易は種類数も量も、いまより大幅に減るだろう。

欠乏の表明、または欠乏の代替的埋め物であった仰々しい音楽は、
もっとすっきりしたダンス音楽に変わって行くだろう。
いますでに、私自身は、都市への未練も愛着も幻想も持っていない。
都心部には、良からぬ人種、無料な人種がうじゃうじゃうごめいているだけだ。
そして、これまで、農業がうっとおしいところだったのは、
資本・経営・労働・人間関係が、不透明にゆ着していたからだ。

いまに、イモやダイコンとコンピューターの希少性(=のなさ)は、
全く同格になるだろう。いまは、要するに、地球はかたむいている。
でも、昔は、もっともっとかたむいていた。
でも、あえぎ声のブルースが力強いレゲエに変わっただけでも、
そこには進歩がある。


岩谷宏のロック論 58 アメリカ

2008-09-10 07:33:31 | 岩谷宏 ロック
アメリカ

アメリカ人の性格は未知なるものに出会うことによって、
みずからを拡大しない。
むしろ、未知なるものはただちに恐脅、恐怖、絶滅の対象。
これら、不毛なワン・パターン娯楽映画に、今日も長い列ができる。
彼等が映画館に入りきったら、ガソリンをかけて焼いてしまおう。

上陸した清教徒たちが、原住民(インディアンという、
間違った名前で呼ばれている)に対して最初に行ったことはなにか。
答=殺した。

vulnerable、よく使われる形容詞で、良い意味を持つ。
英和辞典を引いてみよう・・・・・・傷つけられやすい、攻撃されやすい・・・・・・
これが、日本語の「感じやすい」とほぼ同じ意味を持つ。
きわめて単層的で原始的な人格概念。
感じることについての、もっと肯定的・積極的・複層的・宇宙全体包括的な
人格概念を示す一般的な形容詞はない(日本語にもない)。
要するに、(広い意味での)他者を感取する能力は、
はじめから欠落している。


日本語でも、「あの子は感じやすいタチだから」などと言った場合、
この”感じやすい”には、拡大的で積極的ニュアンスは全くない。
日本人、以外とアメリカ人に近いかも・・・・。


北米、中南米、あの広い大陸を、英語系およびスペイン語系白人が
おおいつくしている、ものすごい単調と退屈だ。


アメリカ人のメンタリティー、あるいはアメリカ的なメンタリティに対して、
はっきりと否定・否認が行われたのは、ロックの世界からだが、
不思議なことにまだ、他の分野に波及していない。
このメンタリティに、多くの黒人すらおかされていることへの警告も、
皮肉なことに白人ロック・ミュージシャン(デビッド・ボウイ)からなされた。


飛行機---、燃料が供給され続け、エンジンが正常に動き続けねば落ちる、
という、考えてみればおっそろしいシロモノである。
こんなものを考え出し、考えたばかりか生産し就航させている神経は
まともではない。
自然や宇宙の条件とよく調和し、うまくおり合った、
いわゆるソフト・テクノロジーの発想がないという点で、
白人は無神経は野蛮人である。


歴史のなりゆきは、まともでない神経に罰を下す。
これからは二十世紀にかけて毎年ますます、飛行機事故は増えるであろう。
ブルジョワ観光客をどっさり乗せた飛行機が、人里はなれたところに、
どんどん墜落するのは大いに結構だが。


私達が彼等をほろぼすことはできないだろう。
彼等が、彼等の愚直な志向性のなり行きの果てに、
勝手にほろんでくれるだろう。


「ロックからの散弾銃」より。



岩谷宏のロック論 57 ストーンズ

2008-09-10 07:22:07 | 岩谷宏 ロック
IT'S ONLY ROCK'N ROLL

THE ROLLING STONES


胸にペンを突き立て
ステージを血の海に…
きみはご満足か それとも
きみの目に 私はただの
変わった男の子か?


わが身にナイフ突き刺し
今このステージで自殺すれば
きみのもの欲しげな気持はおさまるのか
きみの痛みはやわらぐのか
頭がすっきりするのか?


おためごかしのラブソングで
きみの浮気心をそそったところで
なんになる
私の孤独な癒えぬ


胸にザックリ傷を開け
血をしたたらせば
きみはご満足か それとも
きみの目に私はただの
狂った男の子か?


でも
これがロック
私はロックが好き

訳/岩谷宏


ー「guts ガッツ」昭和50年10月増刊
「ロックアイドルたち」より、23ページ


岩谷宏のロック論 56 概念訳 ダイヤモンドドックス

2008-08-18 18:38:20 | 岩谷宏 ロック
「概念訳」●ダイヤモンド・ドッグス
DAVID BOWIE


未来の伝説

Future Legends

………そして、死が世界をおおった。
わずかばかり残った屍体がぬかるみの
路上で腐ってゆく。関りを断って貧し
くひっそりと隠れ棲んでいた者達の建
物のシャッターが、いま、ほんの数イ
ンチ開いている。また、窃みによって
生き続けてきた者達の丘、その上から
いまミュータントの赤い目が下の方に
ひろがる飢餓の都市を見つめている。




――そこにはもう自動車がなく、鼠の
ように大きな蚤が猫のように大きな鼠
たちの血を吸い、およそ一万の奇形化
人種がいくつもの小群族に分裂して、
いまや廃屋と化した摩天楼群の、一番
高いのを争っている。――また一方で
は、かつてひ弱な人間達がもの欲しげ
にうごめいた大通りで、一群の犬たち
が店々のウインドウを襲い、ミンク、
銀狐などの高級毛皮や宝石類を襲う。
毛皮は足を暖めるために、そしてエメ
ラルドやサファイアは自分達のグルー
プのバッジとして……。――いまや、
毎日がダイヤモンド・ドッグスの年だ。


「ロックなんか手ぬるいぜ。むしろ、
もうジェノサイド(みな殺し)だァ」


ダイヤモンド・ドッグス

Diamond Dogs
(よくみてごらん、犬しかいない、という
歌)

居心地のいい酸素テントから
きみはもうとっくに外に引っぱり出さ
 れているんだ
ごまかしちゃいけない
ここは戦場さ
きみだってきのうなんか
最新式の受験参考書なんか買ったじゃない
そうだよ
目をこすってよく見た方がいいよ
ここにはもう人間なんか生きてやしない
どぶ板の上をちょこちょこ走り
腐肉をあさる犬の群
生もみじめ
死もみじめ
ただただ極度に無責任に
都市を跳梁して生きるのみ
そういうふうにきみも
覚悟を決めた方がいいぜ


Sweet Thing
(女が男をセックスにさそう歌だよ)

ビルの廊下でしたって
だれもとがめはしないわ
都市ってそ~ゆ~ところなのよ
ドアのカーテンを破って
中の人にも見せてやりましょうよ
みんな心の底では
痛みのようなものを感じるはずよ
それはステキなことじゃない?
そう、私はこわいの
淋しいの
こうして今あなたを誘惑するのも
広場のまん中に走っていって
叫び声をあげるかわりなの。


心配しないで
とってもいいことよ


Candidate/Sweet Thing
Reprise
(未来人候補生の、みじめな現状の歌)

後悔してるの?
無茶なことしたって?
だめよ、もう諦めなさい
いまさら自分をごまかすことなんか
できはしないでしょ


そうよ
欲しいのなら
いまとりなさい
いまつかみなさい


むつかしくはないのよ
高くはないのよ
やさしいことよ


もうあともどりは出来ないのよ
気持のいいことよ
お金はいらないわ
こんなこと
お金をもらうほどのことじゃないもの


私のこと気づかってくれて
とても嬉しいわ
こんなにいいことがもしも
二人の不幸の原因になるというのなら
いいの、わたし
あなたと一緒に死刑になったって


手に手をとって
流れに飛びこんだんだから
この安っぽいたわいない望みが
私たちにとっては
唯一至上の望みだったんだから
そうよ
覚悟を決めるべきなのよ


Rebel,Rebel
(子供にむかってのアジ)

子供たちよ
反抗できるのはせいぜい
きみたちだけなんだから
はたち以上の大人は今
もうぜんぜんダメなんだから
精一杯反抗して
きみたちが
未来社会の基礎をつくるんだ
そうだよ、やるべきなのだ
学校
に対しては
登校拒否を
貨幣制度に対しては
万引を
性の観念に対しては
×××を
でもこんなこと書くと
ロッキングオンも
「未成年教唆」で
とっつかまっちゃうかなあ
ヤバイなあ
だァめだなあ


いいものはロックだけ
Rock'n Roll With Me
(ロックしか納得できるものはない、
という歌)

必然的に世をすねて
斜に構えて生きてきたぼくだけど


本当にいいものに
たったひとつ出会ったなあ


それはロックそして
いっしょにロックしてくれるきみ


そうさ
ロックの中にいるときだけは
生きてて良かったと思うんだ
きみとロックで結ばれてるときだけは
生きることは正しいと思えるんだ


優しさがなんの役にも立たない今の時代で
どうやって生きてったらいいのか
かいもく解らない世の中だけど
ロックだけはなぜか
すごくたしかな手がかりのような
気がするんだ


We Are The Dead
(なんにもできないぼくらは死人だという歌)

単に仕事の関係で知り合ったにすぎな
いけど、ぼくはふと、あなたの目の奥
をのぞいてみたい気がしたのです。あ
なたも、ぼくと同じことを考えてる人
かもしれない、という気がして。


つらい毎日。まるっきり不本意な毎日
の生き方。死んでるのと同じなぼくた
ちだ。


(でも、いつかはきっと、こんなバカ
げた世の中なんかひっくり返ると思う。
そうだよ、ぼくらの子供達を信じよう。)


ぼくらはいずれとっつかまって、牢屋
にぶちこまれ、ゴーモンを受けて、転
向させられるかもしれないけど、しょう
がないよ。いますでにぼくらは、死ん
でるのと同じなんだから。


1984
(いますでに一九八四年、世の中は凍結
してる、という歌)

ここ数年ロックびたりで
ゴキゲンなぼくらだったけど
実はすでに
一九八四年になってるのかもしれない
気をつけろ
やつらはきみをつかまえて
きみの頭の中に
空気をつめこもうとしてるんだ
さからってもムダかもしれない
あせってもムダかもしれない
あのバカな大人たちが
そのバカさかげんのすべてを
きみに強制的に押しつけようと
がんばっているのだ
だからいますでに
一九八四年だ


ああ、乗り物が欲しい
逃げ出せるための乗り物がほしい
一九六五年頃の
希望と活気にあふれていた
あの時代がもう一度ぼくはほしい


Big Brother
(メサイアの出現を希求する歌)

ゴミやバラについて語るな
自分の花をたたきつぶせ
割れ裂けよ
そして
鋼鉄のように
無機的な強さを身につけよ
罪を犯したときから
すべては本当に始まるのだ


世を救え
七つの大陸を救え
「人間」を糾弾せよ
勇敢なアポロとなって
人間を恥辱の自覚の泥沼に
全員死滅させよ


つまり、きみ自身が
絶対に肯定的な存在になれ


でもわからない
だからといってどうしたらいいのか
いまのぼくにはわからない
そんなことは
まるっきりつまらないことのようにも
思えるし
ほんとに
ど―したらいいのかわからない


がいこつ家族の歌
(ワレワレの貧相な現状をずばりうたった歌)

ぼくらは死人ですらない
もはや骸骨
がいこつになると
だれがだれだが
よく見分けもつかない
だれがだれを愛してるのか
愛してないのか
そんなこともわからない
みんな兄弟みたいで
なんだかコッケイで
なんだべさ
コレワ?
そう
ぼくらがいこつ
がいこつ家族



岩谷宏


―「ROCKIN’ON ロッキングオン」1974年11月号
№13 20~23ページより




岩谷宏のロック論 55 炎(あなたがここにいてほしい) Ⅱ

2008-08-14 09:20:08 | 岩谷宏 ロック
PINK FLOYD
WISH YOU WERE HERE 75年新譜全訳
 きみにここに居てほしい

●岩谷宏

Shine On You Crazy Diamond(part1)


若かった頃の君は 輝く太陽だった
今はその目も 空(そら)にあいた黒い穴
幼児性と上昇志向との板ばさみになり
鋼鉄の風に吹きさらわれて
今の君は遠い哄笑、異邦人、伝説、殉教者
きみは狂えるダイヤモンド
世を超脱して輝くがいい


君は月に叫び 秘密に触れるのが早すぎた
夜の影におびえ 昼の光の晒し者になり
おのが特権を手当たり次第ハードに使い尽し
鋼鉄の風に乗って去った


今の君はうわ言、幻視者、画家、笛師、囚人
きみは狂えるダイヤモンド
この世を越えて輝くがいい


Welcome To The Machine


お子様方よ ようこそ
このマシンにようこそ
僕等はきみ等のことはなんでも知ってる
きみ等は時間という管に押しこまれて
玩具をあてがわれ、ボーイスカウトに入り
きみはそんなおっかさんをやっつけるため
ギターを買い 学校を嫌い 孤立した
だから このマシンのそばにいらっしゃい


お子様方ようこそ このマシンにようこそ
僕等はきみ等に夢を抱かせた犯人だ
きみはスターになることを夢見
一方ギターの下手なスターは
いつもステーキを食いジャガーに乗っていた
というわけだから今も
このマシンのそばにいらっしゃい


Have a Cigar


ねえ、ぼうや 葉巻を一本おくれよ
これから君は僕等の音で
ハイになるつもりなんでしょ?
僕等を尊敬してくれてありがとう
たしかにすばらしいバンドだよ
ところでピンク・フロイドって
どこにいるの?


あんなに売れるなんて びっくりだよ
みんなみんな いい人なんだなあ
チャートを見た?
他のグループみんなカタなしじゃない
なんか すごい人気なんだなあ
買って呉れた人全部とチームを組めば
怪獣に変身することだってできそうだ
そのように思えば これは
すばらしいスタートかもね


Wish You Were Here


今だってこれからだって
きみの目は曇りはしない
天国と地獄 青空と痛み
緑の野と冷たい鉄路
ほほえみとてらい
それらの違いは今だって
はっきり分かるでしょう?


きみは彼等にきみの理想を売り飛ばされて
代りに亡霊を押しつけられたの?
熱い砂の代りに青臭い木を?
熱した気持を無情にも冷まされたの?
このままで自分は正しいと思う信念を
無理やり変えさせられたの?


たたかいに参加するつもりだったのに
鳥かごに閉じこめられて
鉛の足かせをはめられたの?


僕等は今 とてもきみに居て欲しい
来る年も来る年も僕等は
金魚鉢の中をさ迷う惨めな魂
同じような事でいつも多忙
そして見付けたものは
昔から変わらぬ恐怖のみ
ああ
きみさえ確実に居てくれたら と思う



  ・最初の曲のパート2の訳詞が9ページ
  にあります。なお、老婆心ながら、この
  アルバムで言ってるYOUとは、シド・
  バレットのことではありませぬ。それは
 「きみ」のことであります。しかし、思
  うに、「きみがどっかに当然居る」事を
  前提とした、もっと楽な音楽はあり得な
  いのだろうか? 早すぎるんだろうか?




Shine On You Crazy Diamond
( Part2 )



今はきみがどこに居るかだれも知らない
もしかしたらすごく近くに居るかもしらぬが
それも分らない
きみはこれからも もっともっと
自らの夢と狂気を重ね続けるがいい
そして いつかどこかで
僕はきみの手を握ろう
それまで僕等は過去の成功の影で
日なたぼっこをしながら
鋼鉄の風に乗って旅をしよう
きみは子供
きみは少年
きみは勝者
きみは敗者
きみは真実と妄想の探究者
きみは狂えるダイヤモンド
輝きぬき、超えぬくがいい


―「ROCKIN’ON」1975年10月号(第18号)
4~6ページより

 

岩谷宏のロック論 54 炎(あなたがここにいてほしい) 

2008-07-31 07:58:10 | 岩谷宏 ロック
炎 (あなたがここにいてほしい)
    WISH YOU WERE HERE

     ピンク・フロイド
      PINK FLOYD



SIDEA
1、狂ったダイアモンド(第1部)
   きみの狂気は超越者の輝き


覚えているでしょう若かった頃
きみは太陽のように恍々としてた
でも今きみの目はすでに異様
青空にあいた黒い穴みたい
 硬い結晶になってしまったきみの狂気
 あとはひたすら世を越えぬくのみ
スターになっても幼児性を捨てきれず
そんなきみを鋼鉄の寒風がひきさらった
 遠くできみの事をあざ笑う声がする
 きみはすでに他界の人だ、伝説だ、殉死者だ
 徹底的にこの世を無視するがいい


きみは人より早く心の神秘を知った
きみひとりが月に向かって叫んだ
夜の暗い影におびえ
昼の光はまぶしく残酷だった
 でも今きみの狂気は硬いダイヤモンドだ
 さらにさらに見事な超越者であってくれ
自分の才能をいつも限界を越えて使い尽し
きみは鋼鉄の風に乗って行ってしまった
 うわごとしか言わない今のきみ
 幻視者、絵師、笛師、そして囚人
 そのままでいいよ、十分に美しい



2、ようこそマシーンへ


さあ坊や、このマシーンにようこそ
私達はきみのことはなんでも知っているよ
時間というパイプに押し込まれた事も
玩具をあてがわれて
ボーイスカウトに入れられた事も
そんなおっ母さんをやっつけたくて
ギターを買った事も
学校が嫌いだったことも
いまは全てに対して不感症である事も…
さあ、このマシーンにいらっしゃい


さあ坊や、このマシーンにようこそ
私達はきみに夢を抱かせた犯人だよ
きみはスターになろうと思ったんだろ
あのヘタなギターを弾くスターに
そのくせいつもステーキを食い
ジャガーを乗り廻してるスターに…
さあ、このマシーンにいらっしゃい



3、葉巻はいかが


いらっしゃいよ、どう? 葉巻なんか?
ハイになりたいんでしょ? 飛ぶんでしょ?
大丈夫、死にはしないよ、叱られないさ
きみは素晴らしい、いや本気だよ
う~ん、すごいバンドだ、いやまったく
ところでピンク・フロイドってどれ?
きみにはほんとの事を教えてなかったっけ?
あれは、ひた走る血とヘロインさ


しかし、われながらビックリしたね
キップは売り切れ、すぐに次のアルバム
世間のみなさまに感謝しなくちゃ
幸せすぎてオタオタしちょうよ
他の連中みんなマッツァオじゃない?
チャートを見たでしょ?
でもこれはすごいスタートかもね
買って呉れた人みんなとチームを組めば
怪獣にだってなれそうじゃない
ところでまだ正体を明かしてなかったっけ
これは、ひた走る血とヘロイン列車



4、あなたがここにいてほしい


いまでもきみには分かるでしょう?
天国と地獄、青空と痛み
緑の野と冷たい鉄路
本当の微笑と偽りの笑顔
ちゃんと見分けはつくでしょう?


なのにきみは自分の理想を売りとばし
幽霊達と仲良くしてるの?
熱い灰を青くさい木と交換させられ
燃える想いを冷まされて
不本意な変化を強いられたの?
戦いに加担する気でいたのに
檻の中の主役になってしまったの?


ああ、僕は今とてもきみに居て欲しい!
今の僕達は来る年も来る年も
金魚鉢の中をさ迷うあわれな魂
走れど走れど風景は同じ
その果てに見い出したものは
昔と変わらぬ恐怖のみ
………きみが居てくれたら………



5、狂ったダイアモンド(第2部)
   きみの狂気は超越者の輝き


きみが何処にいるかだれにも分からない
ひょっとしたらすぐ近くかもしれないけど
 でもいいさ、きみは狂ったダイヤモンド
 ぼくらを無視して輝くがいい
狂気のひだを重ねてゆけよ
きっとどこかでまた会えるだろう
 硬く結晶した狂気のダイヤよ
 あくまでも超然と見事であってくれ
ぼくらは人気の上にあぐらをかいたまま
世間の寒風に乗って旅を続けよう
きみは永遠の少年
勝者にして敗者
真実と妄想の探究者
すべてを越えて輝いてくれ



    訳=岩谷宏

岩谷宏のロック論 53 ロックで生きられるか 

2008-07-14 05:34:02 | 岩谷宏 ロック
■ロックで生きられるか?

 いまは、確実に、なにかが始まら
ねばならないと、私は、百パーセン
ト心の中でそう思っている。
 きっかけは、これを書き出した夜
ローリンス・ストーンズがもう、ロ
ックのお経のようにしか聞こえず、
ボブ・ディランがもう、ドラムをバ
ックにした、青い政治家の演説のよ
うにしかきこえず、突然、こころサ
クバクとして、なにかが、あきらか
に終ったのだと確信したのである。
 それは、あきらかに私達の中で終
ったのであり、あるいはすでに、か
なり以前から終っていたのであり、
あるいはそれは、もうかなりひろく
社会の土壌の肥料となっていたので
あり、いまは、その肥料によって期
待されている新しい生物を発見、あ
るいは創造しなければならないとき
なのである。
 それは、新しい時代、自然にやっ
てくるのではなく私達の意思がつく
りだす、生活のしかたとしての新し
いエチックと、その構造的な具象化
としてのなにものかである。
 このことは、音楽を、時代精神の
同時的な反映であるなどといってす
ましこむのではなく、ことに、ロッ
クの場合、ひとつの予感として、あ
るいは準備として、あるいは胚芽と
して、私達であるみずからのうちに
聞きとるこころが言わせるのである。
 なぜなら、たとえば、私は、私の
年令的な特権として(28才)、ジャ
ズは、ただ、疎外を深化させたにす
ぎないという具体的な人間的実例を
まのあたりにいくつも見ているし、
その深化とは、同時に《定着》であ
るといういまわしい事象も見ている
からである。
 そして、ロックとは、ほかならぬ
この種の定着への拒否であったと私
は思っている。拒否できるだけの若
い精神的筋肉の持ち主が聞けばの話
である。
 拒否の精神とは、それ自身であり
つづけるか、他のものへの転化しよ
うとするか、どちらかでしかあり得
ない。ロックのロックとしてのオリ
ジナルな歴史的展開なるものはいま
までだって現になかったし、これか
らも、その本性上あり得ない。
 わるいのは私自身である。かん
じんの生活の概念そのものを、なん
だかかっこよく(?)絶望しちゃっ
て、もの静かにひらきなおっている
ようなところがありはすまいか。め
んどくさいというのはよくわかるし、
なにをどうしていいのかわからない
というのもよくわかる。だが始める
べきだ。始めよう。
 聴くのは終り、聴かされるのはも
う終りとしたい。弾こう。楽器はあ
なたの職業であり、ステージはこの
日常生活だ。手もとにある楽器でや
るべきだ。指揮者になろうとするか
ら絶望するんだ。
 しかし、私達には、まだ、いった
い、妥協ができるのであろうか?
こころの中では妥協していない云々
というのは、これは要するにおしゃ
べりであって、私達は、この種のお
しゃべりでもってけっこうかせいで
いる人達がいるという事実にも、ま
ず挑戦しなければならないのだ。
 ロックは決して教条的なメッセー
ジではなく、その激しく明快な生き
生きとしたリズムそのものが、私達
の、人類史はじまって以来かつてな
かったようなくだけた仲良さ、具体
的で率直な日常の中での愛といった
ものを、はじめて、私達の生活感覚
そのものへ告げているのだと信じた
い。
 だから、まず始めることが大切で
あり、それよりさらに大切なのは、
手もとにある楽器ではじめることで
ある。その音楽をこそ、汚すまい。
ぼやかせまい。なぜならこれこそみ
んなが聞くものだから。

            岩谷 宏

ー「NEW MUSIC MAGAZINE」1970年5月号
128ページ レターズ欄より

岩谷宏のロック論 52 ポール・マッカートニー 

2008-07-13 04:19:06 | 岩谷宏 ロック
ポール・マッカートニーは、ごぞんじ、元ビートルズの片割れの一人で、
いまは自分のグループ「ウィングス」をひきいて音楽活動をしている。
訳詞をしてみると愛だの平和だの、人類みな平等だのと、べつに、
文句のつけようのない、ヨイことを言っているんだけど、

パフォーマンスの質としては「つまらない」。
なぜ、つまらないのかを、この本全体のトーンにとっての、いわば
”反面教師”として追求してみる。

それは、「自分」に対する反省、がないことに尽きる。
自然な、そぼくな「自己」というものへの、不安、疑問、うたがい等が
彼には全然ない。
彼は、自己についての保守主義者で、実はヌケヌケとしている。
この自己観念は、愛だの平和だの、人類みな平等だのが、
実現しない自己観念である。


彼のラブ・ソングは、ふつうの、一人の男と一人の女のラブ・ソングであり、
特定の個人が恋愛的に完結してしまうことへの不安感など、みじんもない。


そぼくな「自己」なるものが、その願いも空しく、この何千年の間だに、
結局なにをしてきたか、私達はうんざりするほど知ってきたではないか。

「自己」が、そぼくな「自己」のまま、ステージ上から多くの人々に
愛だの平和だのを説けば、テレビに出てくる「人類みな兄弟」おじさんと
同じことになってしまう(自己観念の位相としては)。


愛だの、平和だの、自由、平等だのは、もっと厳しいもので、
人間一人一人の、もっと厳しい態度からしか実現しないものだ。
「自己」が、そぼくなもの、自然なもの、来歴的なもの、直接的反応等々を
ひきずっているかぎり、平和もなにも絵に描いたモチだ。

彼にとって、ロック・コンサートとは、ある曲の歌詞によれば、
ブロンドの長髪の白人が、浮かれに集まるところであるらしい。
優雅なもんだなあ。
長髪は、たしかに一時は、とても積極的な意味を持ったが、
いまでは、むしろ、うさんくさいものや、だらしないものになってしまってる。
そういうことを感づく、敏感さがマッカートニー氏にはない。


この本を書く私自身のインスピレーションの一つとなっている、イギリスの
ロック・アーチスト、デイヴィド・ボウイーは、ウィングスを
「人畜無害、モスクワにも行けるだろう」と酷評している。
人畜無害とは、変化を呈示できない、ってことだ。
そして、私は、もっとも手に負えない、もっとも悪質な保守主義者は
(歴史をみるかぎり)、このテの
「自己についての保守主義者たち」であると思う。



岩谷宏のロック論 51 ロックからの散弾銃 サバイバル 

2008-07-06 02:47:42 | 岩谷宏 ロック
たとえば、いま、東南アジアのどこかの水田で、
一人の農婦が黙々と農作業をしている。彼女の村は皆殺しにあい、
父も母も、夫も、子どもたちも、そして隣人たちも殺された。
なにかの偶然で彼女一人が生き残った。

要するに、親しい人、愛する人が、みんな死んだ挙げ句の生き残り。
ふだんから控えめな人だったが、最近はますます寡黙。
毎日、炎天下で働いて、食べて、寝るだけである。
娯楽はない。心を浮き浮きさせるようなこともない。
夢もない。


時間と空間を少し広げれば、私達も実はこの農婦と変わらない。
なにしろ、罪もない人、心優しい人、非戦闘的な人、正当防衛だった人が、
大量に殺されきた挙げ句の生き残り。なにも、イキがったセリフなど
吐けないし、かっこつけることもできない。
破壊された家の跡地に、ぼうぜんと立っているようなものだ。


家はまた建てることができる。
彼女は再婚してまた子供をもうけることもあり得る。
しかし、以前と同じ、言うなれば呑気は、生活感覚には二度と戻れない。


大失敗の記憶が歴史的感覚として万人に深く根付かないかぎり、
言い換えれば、おめでたく元気であるかぎり、
愚行と悲劇は繰り返される。
油断しているからヤられるし、ある人はヤる側に回る。
私達は大地にしっかりささった、錆びた五寸クギになって、
冷たい心と冷たい目を持ち、地球上に残っている微熱、ひ弱な浮き足立を
冷ますのだ。


歴史の成果を肯定的にだけ見ることはできない。
科学文明がよく引き合いに出されるが、そんなものは、ない時代、
ない土地でも、それなりに生活は十分に成り立っていたのである。
だから、定理●科学文明的には、どの時代も同一である。


小学校でも、中学でも高校でも、歴史を習う。
でも、そこには、歴史と人間(=まず自分自身)との関係が把握されない。
で、文字通り、関係ナイね、になってしまう。
千×百×十×年には、ナントカ革命があっったんだってよォ。


いまの自分というものは、比較的ついこないだ生まれて、
生まれたての人間だから、歴史なんて関係ない。
だれもがそう思いつつ、実際は、
だれもが歴史的条件の中でしか生きられない。
でも、生き方や心がけは、ある程度選べる。


私は、私もまた、さきにあげた東南アジアの農婦だと思って生きていたい。
ロックがかつて、歴史に対して全否定を投げつけたのも、
彼女の立場からだったに違いない。
でないと、すべてはウソだったことになる。


岩谷宏のロック論 50 ボウイ GO ROCKING 

2008-06-16 08:44:08 | 岩谷宏 ロック
GO ROCKING 


破壊か再生か!?西欧文化終焉の今
ボウイーの予感する真の未来とは?


デビッド・ボウイーの
「英雄夢物語」が告げ
る20世紀文化の終焉


 パンク・ロッカーのように髪を短く切っ
てしまったボウイー。
 しかしその視線は過去の彼とは比べよう
もなく生々しい。もはや髪をオレンジ色に
染めた異星人のようなデビッド・ボウイー
はそこにいないのだ。
〝世界を変えたい〟という欲求が再びよみ
がえり、80年代に向けて新たなパワーを彼
はためこんだに違いない。
 来年の2月には、世界ツアーを計画、日
本公演の可能性も大きいという。
 これから彼が果たすべきパフォーマンス
の意図するものは何か? 彼のロックのあ
りかを探ってみる。



「マイ・ウェイ」って
ツカレル歌だ


「マイ・ウェイ」という歌がある。
日本の流行歌手も、ステージ公演
したりLPを吹き込んだりの場合、
中の1曲としてこの歌を歌うこと
が多い。最近では野口五郎と山口
百恵がそれぞれ歌っている。


 知ってる人は多いと思うけど、
なかには知らなかった人もいると
思うので書くと、この歌は昔々ポ
ール・アンカが作った曲で、いまや
スタンダード・ナンバーになって
いるのは、昔々フランク・シナト
ラが歌ったのが世界的大ヒットし
たから。たまたまテレビで見たポ
ール・アンカのこないだの来日ス
テージではこの歌がラスト・ナン
バーだった。レコード店にいまあ
るのはいまのポール・アンカが歌
っているシングル盤。


スタンダード・ナンバーっての
は、ほら、たとえばギターだった
ら「禁じられた遊び」とか、ピア
ノだったらショパンのノクターン
やベートーベンのソナタとか、結
婚式だと「世界は二人のために」
とか、深夜の場末のスナックだと
「シバの女王」とか、ロック・ポッ
プスなら「青い影」「イエスタデ
ィ」「ビー・マイ・ベイビー」等
等、ロックン・ロールなら「ジョ
ニー・ビー・グッド」等々、要する
に、きわめて当たり前に、だれもが
知っててだれもがやる曲のこと。


 すでに1960年代の後半には
ポピュラー・ソング界の大スタン
ダード・ナンバーになっていた「マ
イ・ウェイ」、題名も直訳すれば
「私なりの生き方」となるのかな。
歌の内容は「いろいろあったけれ
ども、私は私なりに計画し判断し、
私なりの生き方で生きてきたん
だ!」と、なんてのか、自分という
ものをいっしょうけんめい絶対的
に、肯定しようとしてる歌なのね。
ガッツ、ガッツ、根性、根性、ま
あ、水前寺清子か村田英雄の世界
だね。


 この文章をいま読んでいるあな
たが、いまのふつうの、やさしい
男の子であり女の子であるなら、
右に内容を紹介した「マイ・ウェ
イ」について、「なんだか、いや
らしい歌ね」とか、「ツカレル(疲
れる)歌だなあ」とか思うでしょ
う。そう思ってくれると、私もデ
ビッド・ボウイーの話を始めやす
くなる。


 デビッド・ボウイーはイギリス
では大スターだけど、日本ではい
まだに、そんなに沢山レコード売
れてないし、来日公演も1973
年に1回しただけだから、よく知
らない人が圧倒的に多いと思って
この文章は、どちらかというとよ
く知らない人向けに書いている。
(よく知ってて、冒頭の「マイ・
ウェイ」の文字を見ただけで私が
何を書く気かわかっちゃった人は、
いいから、さっさとべつのページ
をめくるなり、クソして寝るなり
しなさい。)


すべては「火星の生
活」から始まるのさ


 やさしい心をしたやさしい人達
向けのやさしい歌というと、いま
ではたとえばオリビア・ニュート
ン・ジョンとかカーペンターズとか
になるのだろうか。日本人の歌手
だとだれだろう。なぜ、いまは、
それらのやさしい歌がしきりに売
れるのだろうか? それはいいこ
となのか? いい状態なのか?


 やさしい、ってどういうこと?
あなたもしかして、やさしい親や、
やさしい先生や、やさしい
上役や、やさしい友人・異
性などのいわゆるやさしさ
になやまされたり、うんざ
りしたことはない?


 また、戦争が大好きな戦
闘機乗りや、競争や策略の
好きな攻撃的ビジネスマン
が、友達の間や家庭ではす
ごくやさしい人だ、なんてことも
よくある。こういうのも、一応、
やさしい人、というんだろうか。


 また、一人だけ、自分だけやさ
しくって、それだけってのも、あ
まり意味ないんじゃないだろうか。
つまり、心だけ、気持ちだけやさし
くっても、今の時代は受験戦争~
就職戦争~企業競争、といったふ
うに、やさしさが大ピンチにおち
いってる状態でしょ。一人で、や
さしい歌や、やさしい少女マンガ
にふけっていたって、この状態は
変わらない。


 つまり、たとえば、庭に友達を
よんでパーティーなどしようとい
うときは、その前に、ゴミだの腐
った落葉など犬猫のウンチを掃除
するでしょう。来た友達と一緒に
やれば、早いし楽しい。自分一人
だけやさしいやさしいと思ってい
ても庭はきれいにならない。やさ
しさとは、社会的・行動的なやさ
しさでないと意味ない。しかし、
いまの資本家や政治家は犬猫のウ
ンチよりもっとひどい、と考えて、
殺してしまうことばかりやってい
る西ドイツの一部の人達は、むし
ろ、犬猫のウンチを庭の上にかた
くこびりつかせてしまうのです。
彼等はウンチ掃除のコツを全然知
らない。


 やさしさがいやらしいやさしさ
でも無力なやさしさでもなく行動
的なやさしさであることの感じを、
庭の掃除の例で説明したけど、デ
ビッド・ボウイーという人の社会
人としての仕事は音楽家だから、
音楽によって、私達の内面にある
古くてよくないものや、弱くて役
立たないものを掃除する。そして、
彼は彼のパーティーを主催する。


「マイ・ウェイ」という〝ツカレ
ル歌〟を、同じコード進行と同じ
テンポで〝掃除〟してみせたのが、
1971年発表のアルバム『ハン
キー・ドーリー』に入っている「火
星の生活」です。「自分」という
もののとらえかたが「マイ・ウェ
イ」の歌詞内容とは正反対だ、と
いう点に注目して次の訳詞を読ん
でみてください。


 火星の生活


 ほんのささいな事なのに
 母親にはダメ!とどなられ
 父親には出て行けと言われ
 友達もいないからしかたなく
 まちの映画館に入って
 いちばんよく見える席にすわる
 くすんだ色の髪の少女
 こんなめにあう人間は
 今は数限りなくいる
 少女はじっとスクリーンを見つ
 めるが実はそれはもう何回も何
 回も見た映画
 映画とはみじめな退屈
 しかし
 映画館に入るしかない少女は
 あいもかわらず
 ダンスホールでけんかする水兵
 原始人の行進
 悪漢をぶつ保安官
 等々を見つづける ああ
 ちっともこっちを見やしない
 あいつら 一流の演技を


 火星には生物はいるのだろうか?


 いまはマンガ雑誌とかゲームセ
ンターとかいろいろあるんだろう
けど、ぼくらの世代はだいたい映
画館で、ハリウッド映画とか東映
時代劇だったね。なぜ最後にいき
なり「火星には……」と出てくる
のかは、この部分の発声をレコー
ドで実際に聞けば、その意味がこ
こでくどくどと説明するよりは一
発で十分にわかると思う。なお、
「うちのお父さんお母さんはそん
なひどい人じゃない」という人へ
の返事は「たまたま、あなたのお
父さんお母さんはいい人だった、
ぐらいじゃ、全然、問題解決にな
らないのです」。


ヨーロッパ文明=
人間の管理的支配


 デビッド・ボウイーは1947
年生まれ。「こんな世の中、不満
だ! 不満だ!」と歌ったストー
ンズや「愛こそすべて」と歌った
ビートルズより半世代ほど若い世
代の人。よく彼のことを「未来派
ロック」などといわれるらしいが、
私にはなんのことだかよくわから
ない。あえてこじつければ「デビ
ッド・ボウイーが発散するバイブ
レーションの中には、私たちが私
たちとしてつくっていく未来の、
その空気が感じられる」というこ
とか。それは、私たち一人
一人の天から与えられた孤
独と、そして孤独を自覚し
た、もう二度と離れないト
ゥギャザーネス(一緒にい
ることだ)だ。


 ロックは日和るとエンターテイ
ナーになったり歌屋になったり
音遊び屋になったりするのだが、
ボウイーはちっとも日和らずに、
ロックの本筋を一歩も踏
み外さずに進みつづける人。だか
ら、ルー・リード、イギー・ポッ
プ、ロバート・フリップ等々、ロ
ック界でも一番えらーいえらーい
人達がみんな彼のまわりに集まっ
てくる。一緒に仕事をする。ただ
し、もちろん、エンターテイナー(等)
になっちゃった人達は彼と関係を
持ったりはしない。


ボウイーたちはいま、もうかなり
の長期、ベルリンに滞在している。
イギーのが2枚、ボウイーのが2
枚、すでに計4枚のアルバムがベ
ルリンで作られた。ベルリンは、
あの、壁と銃を持った監視兵とで
二つに仕切られている都市。
ボウイーが何を考えている
かははっきりわかる。
ヨーロッパ文明の遺物、ヨーロ
ッパの歴史の結果(なれのはて)への、
大掃除をどうしてもやらねば、という気
らしい。音楽が対象とするのは人間の内
面であるから、明治以来の国の政策や、教
育、教養、生活様式、生活に使うもの等
等、あらゆる面でヨーロッパ性(アメリ
カ性もヨーロッパ性の極端な一例)が大
はばに根を張ってしまった私たち日本人
にとっても、ボウイーの仕事は無縁ではな
い。


 ヨーロッパ型文明の特徴=トゥ
ギャザーネスの無さ(例=進学競
争)。人間を管理支配的に上から
まとめること(例=強権を発動する
親)。だから、ロックの側からは、
もう、マイ・ウェイ(my way)
では駄目なのであって、だんこ、
アワ・ウェイ(our way)にして
いかなくては、との発言がなされ
る。表面的な変化の激しいデビッ
ド・ボウイーで、最初から今日まで
ひとすじにつらぬかれていて変わ
らない根本的なテーマがこれだ。
ゆえに、自発的に個人のカラをぶ
ち破ろう、あたらしい内面世界を
ひらこう、という衝動のない人が
ボウイーを聞いても馬の耳に念仏
になるね。


           岩谷宏


―「GORO」昭和53年1月12日号
155~157ページ



 

岩谷宏のロック論 49 ジェネシス 創世記 

2008-06-08 18:15:35 | 岩谷宏 ロック
ジェネシス 創世記

1、WHERE THE SOUR TURNS TO SWEET なみだが蜜に変わるとき


自分の心を見つめてごらん
しのびよる暗い想いを――
でも、そこにこそ優しさが生まれ
そこにこそ太陽は静かに昇るのさ
さあ、心を愛でいっぱいにして
豊かな明日を今摑もう


君がほんとうの自分に出会うのは
辛い涙が甘い蜜に変わるときです
自己という醜い殻を捨てて
燃える炎に溶け入ろう
ほら、変わって行くのがわかるでしょう?
さあ、変化は君の目から始まる


(コーラス)
君のことを待っているよ
ねえ僕等の仲間になって!
君にもいて欲しいんだ
おいでよ、ここに早く


顔をまっ白に塗って
心の平和を示そう
オレンジ色の炎に身を任せて
虹の彼方の国へ行こう


自分が変わって行くのがわかるでしょう?
さあ、今こそ気持をしっかりもって!


2、IN THE BEGINNING 天地創造は今


海は動き
悶え、のたうち
ひしめきあって
多くの山々をつくる――
世界が新しく生まれる音
異様な空から射す光
これが、はじまり
きみは宿命(さだめ)


湧き起こる溶岩
奔出し、ぶつかり合う
興奮と炎の渦
抑えようもなく燃えさかる――世界が新しく
生まれる音
世界が新しく生まれる音
異様な空から射す光
これが、はじまり
きみも宿命(さだめ)


(コーラス)
黄金の種馬たちの率る戦車か
地に降り立った天国の貴公子か
あるいは轟く雷鳴か――
これが私の世界、戴冠を待つ
父よ子よ安堵して見よ
生は かくて始まりぬ


3、FIRESIDE SONG 暖炉のそばで


夜明けが地上の霧をはらい
美が永遠の支配につき
新たに生まれいずるもの達の蒸気たちこめ
固い岩も今つつましき生を始めんとす


(コーラス)
かつてここにありし混乱と
失望と不安と幻滅
いまや朝毎に希望は新生し
来たるべき明日を確かに見る
いま父達の悲しみは解き放たれ
川が海に注ぐように
ゆるやかに消えほそぼらんとす


影が重なって大いなる夜とるとも
木々は冷い風に耐え、葉を震わす
永遠(とこしえ)の平和が支配につき
生あるもの、もはや世をおそれず


4、THE SERPENT エデンの蛇


すべての惑星を創り終えた暗い夜
神は人間という名の夜明けを用意――
つまり若のことだ、君が肉体を貰った日
神は君に「さあ起ち上って生きよ」と言った


人間の神のお好みの像(イメージ)
肉体を持った神の像
だからこそ人間は素晴らしい
自分が人間だってことに注目すべきだ
人間は夜明けを作るものだってことに


*ここは私の世界、私のための世界
眼前に拡がる楽園
新生の世界に生きるこの気持
頭上に拡がる空も私のもの
さあ、これから始まるのは
人間の時間


神は塵から人間を創り、中に魂を入れた
そして女も創った
悪魔が櫂を握る船を


神は賢い蛇を創り
その目で人を悪に誘わんとした
それでもなおかつ人間は素晴らしい
人間だってことに気をつけよう
後悔しない明日を作ろう


Repest*


この侘しい世界に私は子供みたく立ちつくす
蛇は今でもよからぬ想いに誘う
でも人間が創られた意味を自覚していれば
これからもうまくやっていけると思う


5、AM I VERY WRONG 僕はいけないことを?


すごくいけない事をしているのだろうか?
すなおな鋭いまなざしを恐がるなんて?


僕はすごくいけないんだろうか?
欺瞞の世の中を気にして
不安が解消しないのは?


すごくまちがってるんだろうか?
あの大きな音に耳を閉ざそうとする僕は?
ステレオでいっしょうけんめい鳴ってる歌は
あれは僕の歌ではないか?


今日は君の誕生日
おめでとう
元気かい?
いい日だねえ
長生きしろよな


僕はすごくまちがってるんだろうか
なにかのとき、
つい自分を意識してしまうのは?
仲良くしてくれる友達にも心を閉ざし
音楽もうとましいと思うのは?


今日は君の誕生日
(と、言ってる)
おめでとう
(と、言ってる)
元気かい?
(と、言ってる)
いい日だね
(と、言ってる)
長生きしろよ
(みんなが言ってくれてる……)


6、IN THE WILDERNESS 荒野に呼ばわる音


この世の為すがままに放置し
使徒達は消え去る
木の葉は塵を集め鹿の如く疾駆し
私たちの生命(いのち)の破片(かけら)は
曙の餌食となる。そして
この嵐が生んだ鷗たちは霧に幽閉されている


いま、聞こえるのは音楽のみ
保証書つきの娯楽品
もっとましなものをと見渡せば
屋根に降りしきる雨が
しとど下水に流れ落ちる眺め、それは
人々の生命(いのち)の浪費
現世に蝕まれてゆく姿


敵をつくり、武器で殺し
誇りを捨てれば死はいと容易(やすく)く
勝った者達は悦楽のベッド
外で凍える死者の子等


音楽のみ、いま聞こえるのは
エンタテイメントの完成品
もっとましなものをと見渡せば
屋根に降りしきる雨の
流れ落ちて下水となる姿
人々の生命(いのち)は今かくのごとく
なすすべもなく流されゆく也(なり)


7、THE CONQUEROR 孤独の征服者


彼は鏡に写った自分の姿に襲いかかって
これぞにっくきヤツと言う
そしてきみにも、もっともらしく
ほら、銃口がきみを狙ってる、と言う


(コーラス)
百万の頭がどよめく
指導者のお出ましだ
正義の日は近い
指導者のお出ましだ


女の子たちも熱狂して
彼にむらがる
そう、彼の仕事はきつい仕事
だれもいない部屋でのたうつ事


絶対的な権力者になったのも
権力という概念(もの)を破壊するため
しかし凡人たちはかまびすしく
あいつはカラッポ頭の道化師だとわめく


記念碑を沢山たてることに忙がしい彼
一人ぽっちで墓に入りたいらしい
ねえ、きみ、だれかいない?
彼はだれかを救いたいんだって


愛だのなんだのの言葉が彼を殺す
指導者はいつも孤独だ
だれもいない部屋に言葉が散乱し
彼の死体もころがっている


8、IN HIDING 私一人の自由


つまんだり、落としたり、
つついたり、ねじったり
ひっぱたいたり、――好きにするがいい
私の心には
影響ない


なにもない夜の都市からも
真実とやら生む工場からも遠く離れ
私は一人、山上に立つ
ふる里も、あの不安の表情も
遠いかなた
私の思索は
いつも自由


それまでの自分の顔を隠していた
布をとりはらおう
川の上に浮かんで
野をはるか遠ざかり
あの雲の中に突き刺さって行こう
私はこうして美しいものの中に
消え去って行こう


ここにこのまま
私の永遠の沈黙
記憶も消えて
私は木々をぬけて歩む
この美しさ
私が愛するすべて
私の愛する気持は
いつだって自由


9、ONE DAY その日のために夢を持とう


誤解しないでね
いまも愛してると思う
でも愛という言葉には
じっと見つめ合う以上のなにかがあるのさ
誤解しないで
もっと大きな視野を持って
僕にはうまく言えないけど
君を抱いているときでさえ僕は
もっと大きな夢のことを気にしてるんだ


(コーラス)
その日が来たら
もっとしっかり君を抱けるだろう
その日が来たら
このかったるい生活を抜け出せるだろう
その日が来たら
今夢見ている王国に飛んで行けるだろう
その日が来たら僕は本当の自分を見付けて
それを愛でくるんで君にあげよう


空の鳥達よ
翼を貸してくれ
僕の愛する人をもっと大きな世界への
旅に誘い、出発するのももうすぐだ
桜の木よ、満開の花を貸してくれ
僕の愛する人を巣に誘うのももうすぐ
一人っきりで僕が心の中に作った巣に


優しい動物達よ
僕は心を決めたい
彼女にいつ出発をうながすべきか
彼女が決心するよう手伝ってほしい
深呼吸をすれば
今がその時
彼女は僕を見て優しく微笑む
まるで僕がいつもいつも
同じこと言ってるみたいに……


10、WINDOW 心の窓に見えるものは


いろんな「真理」が山のように聳(そび)えて
いて
夜の影はそこを渡りながら消えて行く
今こそ失意の泥沼から起ち上り
夢の実現に通ずる道を見付けよ
楽しむための日々、だれもが初めから知ってい
る平和――丘の上から見渡せば、夜明から夕暮
れまで、それからまた朝までと――切れ目なく
 さあ、おいで、私の手をとりなさい
 さあ、私の心の国にいらっしゃい
姿が見えないくらい高く高く飛べば僕は
この美しい空で確かに
愛を見つけ、心は透明に安らぐだろう


探求の旅は終った、魂の覆いはとり除かれた
とめどなく溢れる喜びに身をゆだね
しぼんで行く不安に最後の別れを告げよう
 さあ、私の手を取って
 心の国にいらっしゃい
黄金の波の頂に坐るのは
髪なびかせる小さなニンフ
木々はみな、その生の無意味さを空に感謝し
地平線はまるで美酒をすすっているようだ
霧の彼方に、坐礁した船の姿が見えている
その船尾をめざしてアホウドリが飛ぶ
きみはその姿に投げキッスを送る―厳しい冬


いろいろな真理の山々があってそれ等の上に
あの人達はえらそうにつっ立っている
しかし私はこの警告灯の光を前に動けない
すべてが壊れて行く豪音で私は目覚めた
この光景を一掃し、混沌を美に一変したい
この願いが私を導く唯一の運命にてあれ
 さあ、私の手を取り
 異界の光景を見なさい


11、IN LIMBO ここは中途半端


どうかここから僕を
ずっとずっと遠くに連れ出して下さい
僕をここに残したまま
僕を連れ出して下さい


(コーラス)
一番遠い星まで
連れて行け
夜の底まで
僕を突き落とせ、愛の歌よ、僕はここに
不安と悲しみの世界にいる
連れ出してくれ
しつこい理想から自由にしてくれ
ラクになりたい


僕は時間を一蹴してやった
これからどうなるのか、僕はまだ僕なのか?
連れ出してくれ


(コーラス)
平和――ここは天国と地獄の中間
ここで――僕はもうどこにも行けない
平和、でもなにも動かない
わめきたい。このまま死ぬのか?
神よ、僕の魂はどうなったのだ?
私の心よ、私を自由にしてくれ
わめきたいよ。このまま死ぬなんて


12、THE SILENT SUN 死せる太陽


もう輝くことのない太陽の
わずかな温もりが孤独な私の心
元気に廻る車のようなきみよ
そろそろ止まって見回してくれないか


(コーラス)
きみはこんなにそばにいるのに
僕の愛に気がつかないの?
僕を変えてしまったのは
実はきみだというのに……


僕は秘かに身を隠している小石だよ
きみの目の前にいるのがわからない?
山から海に注ぐひとすじの冷たい流れは
きみのようなツッパリ屋さんだって感じるで
しょう?


(コーラス)
夜がきて空が星でいっぱいになると
僕はその星を手でつかみたい
醜い地上を雪が美しく覆っても
そのとき君の本当の美しさも覆われてしまうん
だよ


13、A PLACE TO CALL MY OWN 安息の地


どうやらやっとここで落ち着けるみたい
おだやかに目を覚ませば彼女がそばにいて
悪夢は消え去り、まわりは暖かい
僕は彼女の子供、彼女は守護の女神
彼女の子宮の中で僕は長い旅路を終える
ああ、やっとほんとの場所にいるみたい


14、冬の物語 15、片眼の猟犬 16、ザッツ・ミーは
KUNI TAKEUCHIさんが訳されています。




岩谷宏のロック論 48 女王たち 

2008-06-04 09:29:50 | 岩谷宏 ロック
さて、19世紀末から20世紀半ばにかけて一部の
詩人、画家などによって試みられた変容の技術を
「音楽+自分の姿の提示の仕方」に応用した人々がいる。
そのメイン・ストリームが、ルー・リード、デビッド・ボウイ、
ブライアン・フェリーという流れである。

彼等について述べるには、この種の説明的文章は全く適していない。

ふつう、人間は、まず、肉体として、つまりある物体のかたまりとして、
この空間に割り込む。
一見、うっかりと、そのように思われるので、
通常の認識パターンは、対立的、ないし弁別的となる。
存在と無、生と死、男と女、黒と白、等々。


弁別的な認識パターンにおいては、これら対立する概念を、
「対」としてまとめているのは、両者自身と関係ない第三者、
すなわちメディウム(複数=メディア)である。

存在と無←時間
存在と社会←?
存在と他己←?

ここであえて?と記したメディア
ごくごく広い意味でのメディアで、
いわゆるメディアばかりでなく、様々な制度や組織などのかたちで
存在している---にむかって、ある人は、はげみ、ある人はシラけ
ふてくされ、ある人はさいなら(自殺)する。


「サンデイ・モーニング」では、自己と世界とが無媒介に相接している
感覚が歌われる。
このあり方を、まだ存在せぬ”王国”にまで高めんと念じて、
「ヘロイン」が、そしてのちには、いつまでも無媒介の処女地を
歩き続けることを念じて、
「ウォーク・オン・ザ・ワイルド・サイド」が歌われる。

「時間(タイム)」とは、勝手に過ぎ去るものだから、
舞台の袖に待ちかまえていて、友達を連れ去ってしまうものである。
第三者的なものを必要とせず、みずからの分泌物だけで足りる
真珠母貝(マザー・オブ・パール)の世界、また、テキサスの
荒野に咲く野生のバラ、等はいずれも、無媒介性のシンボルである。

対立的にとらえられがちな概念の、実は連続性、同一性を、
闇の中から引きずり出そうとするとき、それまでの通常世界の
規定の中にあった自己が、なによりもまず対象となる。
きのうまでの青年某(なにがし)は闇の女王としてふるまわねばならない。


岩谷宏のロック論 47  D・ボウイの軌跡をたどる 

2008-05-06 06:41:32 | 岩谷宏 ロック
PROOF OF DAVID BOWIE   


ボウイが今日までたどって来た道は、夢、反
抗、希望、絶望、等の軌跡であり、それは
おそらく私たちのものと同一である。



絶望の深さと正比例して強まる信念の強さ―D・ボウイの軌跡をたどる


 デヴィッド・ボウイが今日ま
でたどってきた道は、夢、反抗、
希望、絶望、等の軌跡であり、
それはおそらく、私達のものと
同一である。


 人類史数千年を支配してきた
ひとつの巨大でいまわしい原
理、それは今日も、ほとんどの
人間の個人を内側からも支配し
ている。この原理を前に、私達
はときに挑戦し、反抗し、新し
い世界を夢見、そしてそれがテ
コでも動かないことを知って敗
北し、絶望し、途方に暮れる。


 それぞれの個人的な夢想から
出発したロックは、60年~70代
年代のサイクルを経て、いま、
深い絶望感と停滞の中にある。
そして、たたかいは、いま、個
人的なものから集団的なものへ
と、若い白人から再び黒人達の
手へと、夢想から現実(=政治
と戦争)へと、転位している。


 白人ロックが停滞してしまっ
たのは、それが発展し拡大し内
部をますます強固にして行く組
織論としてのコンセプトを欠い
たからであり、また一方では白
人的社会では、たたかいを現実
化し維持して行くことが不可能
だったからだ。白人的社会では
敵は拡散し分散している。大者
小者を含めて、私達のような社
会では、いやらしいやつらがい
たるところに、うじょうじょい
るのだ。そして、白人ロック自
身のもっていた致命的な欠陥も
ある。それは、それがあくまで
も「個人」の「表現」という位
相を抜けきれなかったことだ。


 いずれにせよ、デヴィッド・ボ
ウイを見る場合も、それを華や
かなスターとして、あるいは単
なるショー・ビジネスの成功者
として見るのは間違っている。
彼は、私達にとって、ひとつの
ラディカルな〝たたかい〟の共
有者であり、彼の希望も絶望も
いわば私達自身の希望と絶望と
が白いスクリーン上に映しださ
れた姿である。アルバムを追っ
て、その道のりをふりかえって
みよう。



―――――――――――
全編に亘る自己の存在を
見通す眼
―――――――――――


『スペース・オディティ』
 ロック・フェスティバルやア
ンダーグラウンド的なグループ
活動への、ナイーブな夢が語ら
れる。そして一方、この夢を共
有できなかった一人の女友達へ
の未練がましい歌もある。交信
不能になった宇宙飛行士、そし
てフリー・クラウド(自由雲)
から来たワイルドな目の少年
は、みずからを切り離した「自
己」の表明である。


『世界を売った男』
 このアルバムで彼の態度は、
不遜とも言えるほど、冷酷に、
挑戦的になる。「自分」は木かげ
でねむっている一匹の「怪獣」
であり、「彼等」のことは、単
に「ちょっと背の高いガキ共」
にすぎない、と言い切る。そし
て「世界なんて、売っぱらって
しまったよ」と冷たく笑う。し
かし、完全な救世主というもの
が現れたら、なによりもそい
つ自身が退屈してしまうだろ
う、と言うあたり、すでに個人
的な夢想の限界にもがいている
ようである。


『ハンキー・ドリー』
 はやくも、一般的なロック現
象へのいらだちが表明される。
チェンジズ 変れ! お前自身
がもっと新しいものになれ!
とボウイはアジるが、「新しい
もの」への予感は、もっぱら
「子供」に託される。そして、
いますでに子供ではない「少女」
は、親に叱られて映画館に入
り、見たくもない映画を見てヒ
マをつぶしている。最後の方
で、人々の心を変える力を持っ
た不思議な芸人達について語ら
れる。これが現在の彼の自主プ
ロデュース主体の法人名になっ
ている。


『ジギー・スターダスト』
 このアルバムでボウイはロッ
ク論を展開する。主要な点は、
あいまいさの除去。つまり「人
間としてはこれまでの人間とな
んら変りのない人間が、たまた
まロックとやらをやっているだ
けなのか?」といった問いに対
して、それはちがう! と明言
したのだ。そこで、ただの人間
ではない、ジギーというフィク
ション的なキャラクターを登場
させる。そして聴衆に「ギミー
・ユア・ハンド!」と呼びかけ
るのだ。
 だが、いまにして思えば、ジ
ギーという規定は規定にすらな
っていない。


『アラジン・セイン』
 初のアメリカ・ツアー。「ス
ター体験」後の初のアルバム。
時間への異和感。アメリカのブ
ルジョア都市に感じた不穏な空
気。タイトル曲では1970年
代にぼっ発する大戦争を予感し
ている。デトロイトの雑踏の中
にゲバラの姿をちらっと見たよ
うな気がする。ハリウッドへの
「うんざり感」。そして、あや
しいまでに底なしに優しい黒人
コール・ガールとの一夜。黒人
娼婦は、ニーッと笑うのだ。黒
い顔で、ニターッと笑うのであ
る。


『ピンナップス』
 60年代ロック神話の、個人的
ルネッサンスをめざしたもの。


『ダイヤモンド・ドッグス』
 体制への完全な無力感にうら
うちされた体制批判。彼は、彼
にとってのビッグ・ブラザーを
救世主としての地球独裁者を待
望する。



――――――――――――
ヨーロッパ最深部への
旅立ち
――――――――――――


『ヤング・アメリカンズ』
 このころ、ディスコ・ソウル
に毒されていたアメリカ。毒を
もって毒を制しようと、ディス
コ・ソウルの本場フィラデルフ
ィアで制作したアルバム。なに
かというと、ニーッと、あるい
はニターッと笑う黒人達に対し
て「ちゃんとしっかり、はっ
きり、〝勝つ〟ことだけ考えてい
ろ。もう、ニヤニヤ笑うな!」
と語りかける。レゲエのミュー
ジシャンたちは、もう、あいま
いに笑ったりしない。


『スティション・トゥ・
ステイション』
 ようやくアメリカにあきあき
し、再び自分自身に戻ったボウ
イ。
 なにをしてももう遅い。な
にを考えてももう遅い。私は一
介のヨーロッパ人。ここ(アメ
リカ)でやることはない。いつ
も、ほんとは、自分は、単純で
深い愛のためにのみ行動してい
たのではなかったか…。とらえ
どころのないアメリカに見切り
をつけて、以後、彼はヨーロッ
パ最深部へと旅立つ。


『ロウ』
 ヨーロッパ(ベルリン)から
の第一信。深く暗い歴史の傷
跡。その中で、一人、一人に閉
じられている人間。彼もまた、
そのような個人の一人でしかな
い。暗闇を通して、そのような
一人一人に対して、彼は切実に
呼びかける。
「なにもいらない。ただ、あな
たの愛だけがほしいだけなん
だ…」と。
 ここでデヴィッド・ボウイ
は、もはやロック・スターでは
なく、一人の孤独者である。


『ヒーローズ』
 絶望。酒。ベルリンの貧民窟
ノイケルン。アラブ人。もは
や、一人一人の、弱い人間の、
その一人一人の深奥のひそかな
生、ひそかな想い、ひそかな
愛、といったものを信じるしか
ない。
 いまも、歴史の傲岸な壁はそ
そり立つ。「わたし」と「あな
た」とはへだてられていて、お
互いに無力。
 …しかし、いつの日か、私達
こそが、すべて、王となり、王
妃となる日が来なければ…。こ
れまで、歴史の犠牲者であった
私達こそがヒーローズとなる日
が、ぜったいに来なければ…。
 しかし、いつ、いかにして?



―「音楽専科」1978年9月号
152~154ページ

(「70代年代」となっていますが、
原文のままです。 高柳)


 


岩谷宏のロック論 46 スパークス キモノ・マイハウス 

2008-05-05 07:35:06 | 岩谷宏 ロック
スパークス「キモノ・マイハウス」


生きぬくための鋭い絶望
愛とゆう、底なしの絶望


音楽や歌などで表現される“やさしさ”とゆうものには、元来、欺瞞っぽいのが多い。昼間の国の、お砂糖やクリームやチョコレートやメレンゲなど少しずつはいった、そういう“やさしさ”は実は往々にして支配欲や自己主張の変形である。ロック・ファンがよく言う「きもちわりィ」やさしさだ。

だから、スパークスについて語るとき“やさしさ”という言葉を使うのにはためらいを感じるが、とりあえず、まず、“やさしさ”と言ってみたい。それは、ニガいやさしさ、キビシいよく脱力されたやさしさだ。ぼくらは、落ち込んでしまったし、しかし、この、落ち込んでしまってどうにもならない、このところで、ともに行き続けねばならないという、覚悟から来るようなやさしさである。

そこには、ひ弱さ、たよりなさ、こころ細さ、幸か不幸か私達が異質者になりおおせてしまったことの自覚、そして“きみもこっちへ入ってきて欲しい”という気持ち―すべてがある。

安定しなくて、たえず自分をつき抜けていくような動きがあり、したがって極度にセックシーであり、聞いていると不安でいたたまれなくなり、そわそわしてきて、しかもそれは極度にイイ感じで、これを聞いてから仕事で外になど出ると、現世のカサカサにひからびた光景が、もう、実に圧倒的につまらなくおおいかぶさってくる。甘い死。甘い死への願望。ロックは、死の恍惚の中に、ともに居つづけたいという願望。


夜中に、いろんな人のことをおもい出しながら、愛してる、愛してる!と言って泣いた。女達を、つぎからつぎへおもい出しながら、やりたい、寝たい、寝たい、寝たい、寝よう、寝ようよ! そういってもだいていた。

もう、極度に弱っていた。だから、こっちへ来てよ、ここへ来て、と言った。

どこへも行きはしない。ここは最後のところだ。もう、ズ―っとここにいるのだ。
みんな、ここに来て!

それぞれ元気な、楽しそうな人がいくらもいるかぎり、この世は、しょせんだめなのだ、と思った。この人達は、この人達によって構成されている今の社会とやらは、どうなるのだろう。失敗を失敗でとりくつろい失敗でとりくつろい、失敗でとりつくろって、ボロボロになって、しかも、カエルのツラに水をかけたようにケロッとした顔はかわらず………。

この時代で終りだろう。終りにしたい。

私は、地表にべったりはりついたアミーバのように、しぶとく生き残るだろう。

ラッセル・メールの声。その、よくやせたアミーバのような、なめくじのような、全身性感帯人間のような、声。

E・QU・A・TOR

方法
ぼくら全体を、ぼくときみとを、ひんやりと、やさしく、やわらかく、中和してくれる方法。すなわち「セクシーな方法」「恍惚の方法」

ハードロックで忙しい人は、B面ラストの「イクェイター」だけせめて聞いてほしい。それからAB両面、じっくり聞いてほしい。聞くたびに、かならず両サイドを、むさぼるように聞く、というレコードは、ざらにないのです。

キモノ・マイ・ハウス・モナムール。
キモノ=女のヨロイ。
キモノ=正式にはパンティをつけない。洋服と違って、前が、サッと割れ裂ける。きみの、あったかい、やわらかい濡れたところ、その気になればその気になれば世界を破壊し溶解する暴力ともなり得るところに入る入口も、最初から、生まれたときから、実に見事に割れさけているのだ。知らなかった?

男は、ミュシュラン・ガイドブックとともに一人とり残される。固着した世界にとり残される。ガイドブックによる旅とは、安全だけがとりえで、みじめな、つまらない、サクバクとした旅である。

いま、良心的な男は、自分が男であることに疲れ果てている。メール兄弟の目つきは、自分達の種族への、うらみの目、拒否と殺意の目だ。

世界を変えるのは女だ。これまでのように、男に、男の社会に、追従し、頼りきる女でなく、かといって、銃や言葉を持った女でなく、やさしい、やわらかいおまんこを、心身に自覚的に持った女達によって、おそらく世界は変わるのだ。それしかあり得ない。

「イクェイター」とは、そーゆーことなのだ。

キモノ・マイ・ハウス・モナムール。

ぼくは知っている
ここが天国だとゆうことを知っている
ここは天国だ
ここは天国でありうるのだ
きみがここに来てくれないのは
きみの健康さがジャマをしてるからだ
きみが来てくれさえすれば
ここは天国なのだ ああ
(HERE IN HEAVEN)

健康的な(現社会的に健康な)女が、キモノを、おのがヨロイとみなすのである。 オノ・ヨーコは、OPEN YOUR BOX!と言ったのである。だから、おめでたいハードロック・バカにとって、彼女は、自分のロックの、質的転回点にならねばならないのだ。RO13号の斉藤陽一(=ぼくの友人)の写真をけなしたやつら、百年後に後悔しろ!



RO14号(1975年1月号)
岩谷宏のロック論集175~180頁