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岩谷宏と一緒

岩谷宏の同居人岩谷啓子(けい子)が、犬猫まみれの官能の日々を綴る

岩谷宏 朝日ジャーナル入選論文 1970年 ④

2007-12-02 11:24:02 | 岩谷宏 ロック
Make Dinner,Not War [料理人の話]

さいきんとくに、おくさんの料理がまずいってこぼす人、ふえたねえ。仕事を持つ女がふえ、ツマの浮気ってのがふえ、離婚がふえ、そういうものがふえふえで、家の料理もまずくなるのかな。

もっとも、クロートの料理だって、よっぽど高いところは別として、最近ではまずいところがふえたとわたしは判断している。

それは、いまの、料理人ができてゆく課程にもんだいがあるのだが、もう一方では、味とか風味とかをもんだいにするほど落ちついた人間がますますこの都会では少なくなってきていることにも原因があると思われる。

わたし、職業柄だけで言うんじゃないけど、人間、おいしいものづくりにはげんでいるとき、これいちばん平和ですよ。そんときの愛情こそホンモノの、いつまでつづいたってアキない愛情だよ。

”メイク・ラブ、ノット・ウォー”ってのはまだだめ。セックスは人間を自閉的にし、社会に無関心にさせますからね。コンドームもオギノ式も堕胎も、そんなコソクなこといっさいやらないで、子供つくって、人間社会つくって、そして、”メイク・ディナー、ノット・ウォー”と行きたいもんだな。

いっしょにおいしいものをたべる、ダンナにおいしいものをたべさせる、これ、唯一の、コミュニケーションね。あとは、ひとりで本読むのと同じ、海や山ながめるのと同じ。

たべること、わたしたちの生活の中心、しかもおいしいまずい、だいたい共通している。すばらしいことで、恥じる必要なんにもない。着ること、住むこと、これは注意すればするほど人間の心貧しくする危険な要素持ってる。

食べること ---- 300円持ってスーパーへ行く、何を買うか、それをどう処理するかの問題だけよ。ずぼらにやるかキメこまかく大胆にやるかの話ね。

料理、本当にまずくなった? これ、日本末世ね。あるいは夜明け前かな。

と言えば中国でも、女が女であることおろそかにして男なみに仕事なんかやろうとするとき必ずその朝廷の亡びる直前だね。

男が迷いはじめたころ、女、やっと、おくれて、キンダイテキジガなんか持ってきたかね。ねえ、シャシン屋さん。それ余計なこと、国亡ぼすのもとよ。なんとかしなさい。



いわたに・ひろし さん

〔これまで〕1942年1月6日、ソウルに生れた。28歳。45年暮れに引揚げ、以後公務員だった父親の勤務の関係で、各地を転々する。福岡県立福岡高校から京都大学文学部入学。仏語仏文学専攻。昭和39年に卒業したが、約1年半ブラブラした後、40年秋上京して、パン菓子業界紙に勤めた。現在は株式会社マーケティング・アーツに勤務し、企画の仕事を担当している。
〔いま〕マーケティングとは、こむつかしくいうならば、企業の活動内容を大衆の欲求の変化動向に適合したものにする仕事だそうで、外に出て仕事をする機会が多い。そのせいか、風俗的なことがらには敏感で、好んで新宿、銀座あたりを歩く。
都内に両親の家があるのに「仕事で遅くなることが多いから」とアパートに一人住い。週末に、たまった洗濯物をかかえて両親のもとに帰るという。
〔ことば〕ある土曜日の午後、ひまだったのでどこに投稿するというあてもなく書いておいたものです。仕事で、毎日、日本の企業の体質というものに接しているせいか、そのうっぷんばらしという意味もあります。優秀作になるか、ぜんぜん相手にされないかのどちらかだと思っていたんですが、入選作とはちょっと中途半端な気もしますけど、まあいいでしょう。
商売がら”生活の中の革新”に気づくのが一番おもしろいんです。たとえば数年前までは、東京の人でも銀座に出るときは着るものに気をつけていったものですが、今の若者は洗いざらしのシャツなんか着て、疲れれば道端にすわったりしちゃう。
言葉は正確に覚えていませんが、赤瀬川原平氏のとなえる「人間の意識、精神を含めた私有制の破壊」というようなことにはすごく共鳴します。仕事でフリーのカメラマンやデザイナーなんかとつきあっても、彼らは「オリジナルな仕事」ということで根強い私有の概念にこりかたまっていて、なかなか大衆の次元にまでおりてこないんですよ。

(朝日ジャーナル 1970.8.9~16 合併号)

終わり





岩谷宏 朝日ジャーナル入選論文 1970年 ③

2007-12-02 11:21:05 | 岩谷宏 ロック
"人間"を撮るって、なんだ? [カメラマンの話]

おもにベトナムでの話をしよう。だれかに話さずにはいれないことがあるんだ。

ぼくが今ごろになってベトナムへやられたのは、社づきのカメラマンの中でも、ぼくは現象だけでなく"人間"をとれるヤツだということになっていて、ベトナムの人間の生活感情とか表情とかを中心に撮ってこいということになった。

ぼくにとってはじめての"外国"だった。そのせいもあってか、ものめずらしさが消えて、フンイキその他がわかり、撮れそうな感じになるまでしばらくかかった。そしてまず言いたいこと。それは、その間、ぼくの感覚にとってはアメリカ人や南ベトナムの要人の方が親しく、同じ貧乏なアジア人であるはずのベトナム人に対してまことにクリアーな違和感を感じていた。

(あとから思えば、そのクリアーな違和感は、むしろ気持ちのよいものだったのだが)

つまり、要するに、洗いざらしの白いナッパ服を着てぼくの目の前に去来する捕虜たちは、ぼくとは全く別の精神界にいるんである。あきらかに。

出かける前は、やれ人民戦争とか、長い抑圧の歴史とか、貧困の毎日とか、不屈の闘志とかいろんなことを読んだり想像したりして、ぼくなりの、いわゆる"人間的"なベトナム像というものを仮想していた。

ところがぜんぜんちがうんだ。

アメリカ人や南ベトナム要人の方にはこの戦争をやってる”理屈"というものがあり、個人のレベルででも、なぜ参戦しているかという"理屈"がある。

人間てのは要するに自分のやりたいことのために苦労し、悩み、悲しみ、いかり、おごり、よろこび、ときには尊大になりときには卑屈になり、エトセトラエトセトラで、まあ近代的自我というやつを中心に展開される"人間"というもの。日本の今のフォトグラフィングの世界で"人間"といえばこれのことだ。

そして、もっと高度(?)になってくると、いわゆるソフィスティケーションというのが入ってきてそういう人間が、ある種の自立した風景になる。"自閉した"といった方がいいのか・・・。

ただ、ぼくの場合、そういうふうに撮れるということはぼくのショウバイ上のテクニックであって、ぼく自身ではないという気がいつもしていた。

そしてつまり、ベトナムへ行って、写真ってのはせいぜい家族や仲間の記念写真さえあればいいのだと感じさせられたのである。

どうも、どういったらわかってもらえるか。たとえば北ベトナム人にとってこの戦争は理屈じゃなくて彼らの生活そのものなのだ。めしを食わなきゃならんみたいに、この戦争はどうしても勝つまでやらなきゃならん。こんな変則で残酷な生活はないが、しかし、これが生活なのだ。

要するにアメリカ人の方は、兵士ひとりにしても人間として絵になる、シャシンになるってとこがあるけど、北ベトナム人の方はサッパリだめなのである。

表情がすっこぬけていて絵にならない。ちょっとちがうけど、つつましいサラリーマン家庭の夕食風景が絵にしにくいのに似ている。

だけど、本社に対して、「彼らは人間じゃないよ」では仕事にならない。

で、通訳を立てて、彼らにいろいろインタビューしてみることにした。

だれもかれもにこやかにあるいはおだやかに応じてくれたね。そこからしてぼくはまたチョーシくるった。インタビューを申しこんだときに見せる反応ってものがあるはずだ、人間なら、というのがぼくの先入観念。

いまにして思えば、ぼくはよけいなことばかりたずねてたものだ。早く帰って勉強したいとか、田んぼをたがやしたいとか、カァちゃんを抱きたいなんてことを聞くためにインタビューしたという結果になった。

しかも、そんなことを答えるときに、心のしこりとか、悲しみとか、いかりとか、その種のかげりや緊張がぜんぜんないんだからぼくとしてはコマル。

かといって、理想に生きる個人のすばらしさ、なんてものでもない。

彼らの中にも知的職業(こんな呼び方がそもそもいけないのかもしれない)の人がいて、たとえばぼくと同業の人もいたんだけど、人相、風体、ほかのお百姓さんたちとまったくかわらない。スキやクワを持つかわりに、たまさかカメラを持っているという感じで、どうってことはない。

それで結局、ぼくが彼らをとった写真は、どれもこれも、ちょっとした記念写真ふうのシマラない写真になってしまった。こうしか撮りようがないのだ。彼らは。

同業氏が撮ってくれたぼくの写真もちょうどそんなふう。

だいたい南の島はしじゅうあついからシマラない、そのうえに仏教的なモラルの風土がある、そのうえにコミュニズムの理想がある(しかもその理想は戦争という日常生活と化している)、だからシマラないことはなはだしい。気取ろうにも気取れない。

そこで写真を撮るということは、たとえばぼくのカメラがニコンであろうと、コダックインスタマチック的なフィーリングになっちゃうのである。歴史の患部写真にはどうしてもならない。人間を撮ろうとするかぎり(死体とか破壊された家とか、重傷の兵士なんてのだけだ、患部写真は。人間、は、関係ない。やんなきゃならないからやってるだけなのだ)。

いま、帰ってきて半年になろうとするけど、ぼくはボーッとしつづけた。仕事はやってますいままでの慣性でできるもの。

でも、脱出衝動というのが内心ですごくしつこい。戦争してて柔和な表情 ---- つまり生活そのものであるような闘争なんて日本ではのぞむべくもない。全共闘も赤軍派も実にトゲっぽい。

なぜか、というのがいまくにははっきりわかっている気がするんだが、ぼくなりの言葉の使い方での、”近代的自我”というやつがくせものなんだ。日本で生活するかぎり、このクサビを自分の中から抜き去ることは死を意味する。

日本で生活するかぎり、なんか、つくりつくられるものの渦の中に居なきゃ(ヽヽヽヽ)ならない。

ヒッピーは脱出ではない。逃避だ。

「オマエの写真、さいきんツマラなくなったなあ」・・・・・・ぼくは内心で「フン!」。

資本主義社会は本質的にナルシストである。したがって鏡(ぼくら)に高いゼニを払う。

だが、パン焼き職人への転職なら簡単なのだが、この鏡をもってなんとかできないだろうか。これを考えてみたい。
ちょっとかっこよく言うと ----《美は、暴力的たり得るか?》


④に続く

岩谷宏 朝日ジャーナル入選論文 1970年 ②

2007-12-02 11:19:33 | 岩谷宏 ロック
パッケージ作りあきちゃった [服飾デザイナーの話]

私、去年の暮れで仕事やめたんです。26歳でご隠居かい、なんていわれたけど、そんないい気なものではなかった、内心。

経営(マネジメント)のめんどう見てやろうという男の人はたくさんいたわ。でも私のモンダイはマネジメントでもなかった。だって私にはその種のやりくりの才はあったし、友だちもたくさんいたから。

とにかく、はやっていたので、男の人たちは食指をそそられたらしい。コシノ・ジュンコのなどよりはるかに大量販売の可能性があるともいわれた。

たとえば、こんなたとえ。好きでやってたことが義務化してゆくことのわずらわしさ。

それからもうひとつ、着るものなんて、TシャツとGパンさえあればいいと思うようになったこと。

女優だの歌手だのがつくってくれと言ってくるようになったこと。

あるとき、いまのと、3年ぐらい前のとをくらべるときがあって、いわゆる、"ウマク"なってることに自分でギョッとしたこと。

でも、東京というひとつのまち(?)で、場所によって売れるものと売れないものとがはっきりちがうのはおもしろかった。

そして、そんなコツがよくわかってきちゃったのもつまらなくなった原因かもしれない。

お客さんの中には、1週間に2回ぐらい買いに来る人も何人かいて、私のつくりたてのウインドーに出したてのをかっさらって行った。最初は単純にうれしかったけど、でも私は、1シーズンに1つか2つを、母親に気兼ねしながらやっと買ったりつくったりしたものだったわ。

とにかく、ファッションの仕事ってのは、まわりでもしじゅううごめいているもののあいだを、するするとうまぁくすりぬけて行くような、そんな快感があって、けっこうわたしはカラダが柔軟で、自分の好きとか興味でもってそれがやれたのね。

原動力はやはり少女時代の飢えかしら。

洋裁学校に通えば、どんな豪華なイブニングドレスでもパーティードレスでも自分でさっさとつくれるようになるので、私のような単純な少女はほいほいと入学した。勉強は好きだった。

卒業のとき、エンダンというやつがありまして、父親としては私をおヨメにやるより、店を持たした方がいいと心情的に判断したらしい。私の希望と父の感傷とが店開きとなった。

「あんたは東京生まれの東京育ちだから、ド根性とかガメツサがないよ」これはよく言われたことば。でも、いまにして思えばそれが私の作品の良さだったのだ。

みんな私の店にはキンチョー感なしに入ってきて、私のドレスも、とにかく単純でかわいいというだけで、要するに一輪一輪の小さな花みたいなもので、それがよろこばれた。

だが、お客より先に私があきちゃった。

雑誌の編集部だとか写真家の助手なんて人たちが品物をとりにくるんだけど、せいぜいはたち前後で、お店のお客さんと年齢はちがわないのに、その着てるものといったら、まあ私が毎日ひとりでうれしがってつくってるものとは全然ちがう。

当時、私は、まだだれもやってないときから、空色のアイシャドウなどしてなんとなくご満悦の態であったが、彼女らのアイ・メーキャップはすごく単純だ。そして生き生きとしててかわいいと私も思った。

かといって、私が、彼女らの着ているような紺のコットン・サージのミニスカートだとか、白メリヤスのポロシャツだとかをつくるというわけにはいかない。

それに彼女らは、およそ、いいものを着たいとか、おしゃれをしたいとかいう感覚ではないのだ。飢えがない。そのままでバッチリとサマになっている。靴はズックだ、アア。

私はだれを相手に何をやってるんだろう?

おしまいのころには私はお客さんに対してつっけんどんになり、なげやりになり、仕事に対してもなげやり的気分になっちゃった。

そのころ新聞で、アメリカのウーマン・パワー運動のことを読んだ。その中に「ミス・コンテスト反対」というのがあって、それは要するに、女を商品化するのもだから、女をブベツする催しである、というのだ。

そのときは、ただ読んだだけだったけど、1人のせっかちなお客さんを相手にしているときハタと思い出した。---- この人も要するに、ミス・コンテストに出たいクチなのよ、そして、私は、パッケージのデザインをやってんだ、と。

彼女らは(おつかいをするだけだから)、ショーバイはショーバイと割切ることができる。でも、私は張本人だ。割切る、とは、やめる、ということなのだ。

やめて、みて、いま、すごくサッパリしていていい気持ち。就職のさそいはたくさんあったけど、もうおしまい。

ファッション・デザイナーは工業デザイナーになるべきだ。でも私は機械のことはあまり知らない。

彼女らは、とにかく自然なナリをしていて、いまいろいろいわれている多様化だの個性化だの創造性だのが、ぜんぶ、もう少なくなりつつあるイナカッペ連中のまやかしであり、ほんとうの自由とは、彼女らが自然に、彼女ら自身でありつづけるときにあるんだということを体得している。

どうも、青山という場所がよくなかったみたいだ。あこがれた私がワルイんだけど。

どだい今の都会っ子に、私のつくるいわゆるキレイな服なんて似合いっこない。そして、私は、あまりにサバサバと生き生きとしてて、本人自身だけですでにかわいい彼女らの方を、なぜか《正しい》と思うようになったのだ。

青山とは、気がついてみれば、日本中からあるいは世界中から上京して来る、カッペたちの巣窟である。ただ、彼らは、おちつきなくなにかヤルから目立つ、それだけのこと。

今、私はふたたび両親の家にいて、おそまきながらハナヨメ修業、炭鉱夫になるわけにもいかないからだれかのオカミさんになる。炭鉱夫のオカミサンに(決まった相手はまだいないけど)。

子供をジャンジャン生んでやろう!


③に続く



岩谷宏 朝日ジャーナル入選論文 1970年 ①

2007-12-02 07:58:16 | 岩谷宏 ロック
”生活”の中に何が発見できそうか

私への集中は悪。愛による私の霧消を! 霧みたいに遍在して、とらえどころのない私。透明な私 ---- それが理想。

入選 岩谷 宏


世をしのぶ毒キノコになりたい [建築学生の話]

もういまさら、ぼくらはひとつの家をたてるとか、ビルをたてるなんてことに興味をもてる世代ではなく、そこで、傾向として自然にコミュニティ論としての都市論にゆくんだな、なんかやる気のある連中は。

ところが、とどのつまり、どういうことになるか。かなりワイザツな話だと自分でも思うけど、とどのつまり、すなわちいろいろ考えたあげく、たとえば卒論がだ、5万分の1かなんかの大都市の地図の上にナマコをのせて、そいつを写真にとったものを教授に提出するなんてことになる。

おわかりだろうが、これは、絶望の表現である。都市論そのものへの絶望であると同時に、人間という生き物そのものへの絶望をそれはあらわしているんである。

いまの建築業界には、有名無名の、いわゆる”作家”てのがいて、まあそれぞれ、みずからのポエジーなり理論なりを作品に展開しているわけである。それを1カ所に集めてみたのがたとえば万国博会場である。

緑魔子という、なんかおちつかない冷感症じみた女優(?)が、あの会場の林立を見て「毒キノコみたいでキビが悪い」と言ったそうだ。ぼくらは、毒キノコたちを総体してみると、1匹の巨怪なナマコであると直感したわけである、たとえば。

いわゆる、”出世”かなんかして、安定したお金をかせぐためには、ぼくもなんとか、1本の目新しい毒キノコになるよう努力しなければならない。でもそれはいやだ。

この社会体制の中で、資本の側の欲望や、あるいは大衆の倦怠感みたいなものが、たとえ常に、より目新しい毒キノコを見たがっているとしても、もうぼくはいやだ。

理由は単純だ。そこには、人間のしあわせはないからである。作る側にも作らせる側にも、またそれらを見る側にも、その意識の深層には、ある種の卑屈さがあるだけだ。それがぼくにはもうよく分かっちゃってる。

ぼくらの2、3年先輩で、もう卒業しちゃって、仕事をしている人達には、ぼくにとてもよく分かる”照れ”がある。まだせいぜいスナックとか喫茶店などをまかされているていどなんだが、そういう仕事を見ると、まことに投げやりである。投げやりなんてのはまことに新しいから、けっこう都会の若者はそういう店に入る。施主は、はじめはあきれていてもあとから喜ぶ。「外ならともかく、内壁までコンクリうちっぱなしにするなんて!」といってた施主が。

だいたい建築なんてくだらないもので、どんな高層ビルでも鉄骨を組んで、その外側と内側にレディーメイドの壁だの窓わくだのをペタペタ張りつければそれでおしまいなのである。とてもじゃないが、20世紀の人間がまじめにやるべき仕事じゃない。

だけど、である。まじめにやってる連中がいるんだなあ。まず男。男には多少なりとも”照れ”があるから、構造そのもので奇抜なものを考えてみたり、あるいはぼくらの専門語で「デテール」と言うけど、要するに、外側の壁の色とか、かたちとかにコッてみたりする。グラフィック・デザイナーそこのけの活躍をしてるんである。

しまつにおえないのは女。それは、インテリア・デザイナーと称する連中のうち、またとくに毒キノコ性濃厚な連中のことで、照れのテの字もなく、いわゆる”目新しい”ことをやってのける。まあ、手芸本能の拡大したものと思えばいい。

大学ってところは若い人間を反省的にするから、かりに男にもある種の手芸本能みたいなものがあったとしても、まあ要するに、4年もたたないうちに自己批判しちゃうわけだ。

さらば少年の日の夢よ。社会のムジュンよこんにちは、というわけで、---- ナマコ登場。

余談だが、自民党並びに自民党的利益集団は、大学なぞという精神の自由の空間をなくすことに努力すべきであって、全共闘と対立して大学正常化なんてのはソンですぞ。そうすればあなたがたの思うとおりの世の中になりそうだ。

さて、しかし、しかしこの精神の自由の空間から、絶望、しか生まれないとしたら、ぼくはどうしたらいいか。

いま新聞にものるようになったアンチックのブーム。これがぼくの今の信条の中ではないか、というと、たとえば新宿駅の横のバラックのソバ屋(おいしい)であったり、ぼくの家の、窓がガタピシしてうす汚れた4畳半の部屋であったりするんだ。

生理的快適さはゼロだけど、こういうものには心のやすらぎちゅうもんがあるんだ。だが、これも絶望の一表現にしかすぎまい。

マンション。毒キノコたちはなぜ、大物も小物もマンションに住みたがるか。なぜ、マンションは毒キノコたちのステイタス・シンボルたり得るか。

マンションというのは通常でっかい。そして、団地とちがって、ふつうの住宅地の中にただ1つだけデンとそびえている。秀和レジデンスなんてのは、外観からしてまさしく毒キノコである。

故郷憎悪。故郷を憎悪する者がその憎悪においてとりあえず(高慢なる)落ち着きを得るためには、マンションの内部は、いわゆる洋風モダンリビングというやつでなければならぬ。彼らはそこでうどんを食い、焼きなすを食べている。

毒キノコには毒キノコを培養するカクリされた器がなければならぬ。器はたれあろう、彼らの培養者が提供するのだ。これがマンションという建築物のごく単純なる存在理由である。

オフィス・ビル。大企業のオフィス・ビルは、人間という超大型ICを無数にはめこむためのボックスである。交通費はしたがって会社もちである。

したがって、そこには毒キノコは育たない。むしろ、何も育たないといった方がいい。だが、毒キノコになりたいという欲望は育つのだ。

ソーニャという信仰あつい売春婦は、日本では育たない。すくなくとも今の日本の都市環境の中では。いっさいが古びるなんてことがあって、また、その時を待てるものだろうか?

民主主義とは衆愚主義のことだということは、今の現実で証明している。小市民的な人生観を温存することをもって"自由"などと呼称する、このどうしようもないオロカサはいつどうやってやむのだろうか。

夢想としての建築ではなく、現実の仕事としての建築という仕事を通じて、ぼくになにかができるだろうか。

いまのぼくのくみしている考え方はこうだ。とにかく、個別資本の増殖が最大限に行えるような仕事を考えることに精を出す。つまり、世をしのんで毒キノコになる。とにかく、世の中をもっともっとめちゃくちゃにしてしまうことだ(夜になって1人で泣く)。

そのあと。そのあとが見れるほどには、だれも長生きしない。子供をつくるのもこわいな。きのどくだもの。

②に続く


岩谷宏 朝日ジャーナル入選論文 1970年 (前座)

2007-12-02 06:00:27 | 岩谷宏 ロック
下で、松村君のことを、少し書かせて頂いたんだけれども、
けいこさんは、ときどき、渋谷陽一君にも、電話することがある~。

カブシキガイシャ・ロッキングオンに電話すると、まず、大会社の
受付にいるような、女の子が出るのね~。

そんでもって、けいこさんが、
「わたくし、岩谷けい子と申します。もし、よろしければ、
渋谷陽一さん、お願いいたします」って、言うと、
その受付嬢さんが、電話を、内線で、社長室のほうに、回して
くれるんだけれども、
その社長室で、また、女の子が、出るわけ~。
そんでもって、また、その女の子が、
「渋谷は、今、会議中です」とか
「渋谷は、今、外に出掛けています」とか
言うわけ~。

でも、その女の子は、渋谷ッチの秘書ではないのね~。

橘川君の言うところによると、
渋谷ッチは、今や、5分刻みの忙しさで、動いていて、
有能な秘書が、渋谷ッチには、影武者のごとく、
ぴったりとついているらしい。

その子は、男の子だということだから、
そういえば、いつぞや、けいこさんが電話したとき、
「ただいま、会議中です」って応えた男の子がいたが、
あの子が、キツカワ言うところの、有能な秘書さんか~って、
けいこさんは、思ったの。
とっても、声が、知的だったから。

さすが、シブヤッチ、
あの男の子の声なら、有能に決まっているわいって、
けいこさんは、思ってしまって、
悪いんだけれども、
受付嬢やら、社長室の電話にはじめに出る女の子たちは、
あの声からして、
裕子ちゃんとは、大違いの、世間さまに、べったり~
している、世間さまに、あの声からして負けてしまっている、
人生、やり直したら~って、けいこさん的には、言ってしまいたい、
言い切りたい、声であるからして、
シブヤッチの秘書とは思えなかった、けいこさんの直感は、
やはり、正しかったわい~って、思っておる。

そんでもって、
けいこさんが、
「野菜を送ったよ~」とか、「餅を送ったよ~」って
電話で、一言、渋谷ッチに言うとさ、
本当に、うれしそうな声してくれるの~。
だから、けいこさんは、渋谷君が大好きなのよね。
そしてさ、ただ、一言、
「元気か?」だけよ、「元気か?」っていうだけよ。


岩谷宏が、まだ、懸命に、ロッキングオンで、読者に、
アジテイターしていた頃、
渋谷ッチとは、電話で、お話することが、あった。
渋谷ッチは、根元的に、松村君や、岩谷とは、全く違う
タイプの人。

まあ、橘川君が言うように、
渋谷ッチは、本職は、編集者とか、経営者でもって、
だから、
渋谷ッチはね、一生懸命、ロッキングオンに集まる、欠陥人間、
まあ、もしかしたら、きち○いと紙一重の、天才達の面倒を、
身をこにして、面倒みてきたわけね~って、
けい子さんは、思っている。

だから、渋谷ッチはね、ボウイやら、ブライアン・フェリーやら、
マーク・ボランなんかの、あの手の男子とは、違うのね。
とても、現実的で、父性的な人。

そんでもって、
橘川君には、
「むかしは、おまえがいたから、よかったんだよ。
今は、おれ一人で、妙な奴らを、面倒みてるんだ」って言うらしい。

そんでもって、
けいこさんのことは、昔から、とても心配してくれた~。
生活破たん人、岩谷宏なんかと、一緒にいるな~。
はやく、河口湖(けいこさんの実家)に帰れ。離婚しろって、
言われたことも、何回もある~。

本当に、けい子さんのことを、渋谷ッチは心配してくれたの~。

そうそう、渋谷ッチは、大阪にもいたんだけれども、
基本的には、東京の人で、
洋服は、本当に、オーソドックスな洋服しか着なかった。
例えば、グレーの普通のVネックセーターなんかが、
一番似合う子だったわ~。
目白のお坊ちゃんなんだけれども、
渋谷ッチは、渋谷ッチのおかあちゃんに、泣きつかれ、
大学に入ったんだけれども、
そこの、学食でさあ~。
おバカ学生がさあ~、食べ残しの飯の上に、たばこの灰を、
落とすのを見て、怒りがこみ上がってきたっていう、
いいところのある、やつなのよ~。
中学だか、高校では、美術部だったわ~。


渋谷陽一と、岩谷宏と、橘川幸夫は、水上はる子さんの主催?していた
レボルーションで、出逢ったわけだけれども、

今日は、そのレボルーションで、ロッキングオン創刊者達が
出逢う前の、岩谷宏の朝日ジャーナル入選論文を、UPします~。


これは、下で、コメントを書いてくださったkilakilaさんが、
けいこさんに、テキスト化して、送ってくださいました。
ありがとうございます。

キラキラっていう、言葉、とっても、ステキですね。
みんな、それぞれが、星(スター)。
みんなが、キラキラ星のキラキラ星人って、けいこさんは、
思っているわ~い。


岩谷宏のロック論 5

2007-12-01 06:21:16 | 岩谷宏 ロック
下で、松村雄策の、イターナウのことが、出て来たわけだけれども、 松村君は、岩谷さんとけいこさんが、下落合に居たとき、家に泊まりに 来たことがあった~。
 松村君は、その時、「岩谷さんは、僕の先生です」って言っていた。 マッキーは、純粋な少年の心を持った人で、けいこさんと同じ血液型(AB型)をしていた。けいこさんと同じ血液型をしているって言うだけで、けいこさんは、マッキーが大好きだった。

 松村君とは、あまり、話は、しないけれども、 けいこさんは、松村君の文章が大好きで、けいこさんの妹も、松村君の文章が大好きで、岩谷宏も、最近、「ロッキングオンで印象に残っているのは、松村の文章のうまさだ」って、言っていました。

マッキー、これからも、たくさんの文章書いてね。 こんど、マッキーの「トークショウ」には、是非、参加するぞ~って、けいこさんは、決めているわい。

そんでもって、 たまたま押入を整理したら、「イターナウ」の一番はじめの、つまり渋谷陽一にプロデューサーが移る前の、一番はじめの「イターナウ」のパンフレットが出てきた。 同時にテープもあるはずだが、まだ、見つかっていない。テープは、実家にあるのかもしれない。 ただ、単純に、あの松村君の美しい声を、聞いてみたい!!って、おバカなけいこさんは、今思っているのであります。

そんでもって、 「イターナウ」=「今がすべてっ」て、けいこさんの意識のことを言っているようにも、感じます。 けいこさんの頭では、時間の軸が、どこにあるのか解りません。 けいこさんは、今でも、10才の子供のような気がします。 とにかく、けいこさんは、現実処理ができなくて、意識が毎日ボーットしている。 だから、仕事場の人達から、軽蔑され続けています。

そんでもって、 今日は、岩谷宏が書いた、「イターナウ」についての、文章をUPしてみました。

EterNowは、 ロックの透明な上澄み液

1言葉とロック

言葉の問題さえなければ、私達はアメリカやイギリスから送られてくる技術的に非常 に優秀な音楽(レコードや日本公演)を買っていればいい訳で、なにも、日本人によ る日本語のロックなんて必要としない。 それに、音ばかりでなく、言葉としてのロックの成立基盤は、さかのぼれば、アメリ カ黒人が彼等の社会で、英語という言語に、彼等独特の実にしなやかな率直でやさし く直接的な日常用法を大々的に持ち込んだことにある。 たとえば「ヘイ、ベイビー」などと、ロックに頻繁に出てくる言い方も、元をただせ ば黒人英語です。 だから「日本語のロック」とは、「四角い円」と言うのと同じで、本当は成立不可能 だ。 普通にある日本語の用法の中で、直接的なものといえが、悲しいことに、いくつかの 「罵り」の言葉しかないのです。 クソッ、バーロー、シネッ!・・・・・・。

 2思想としてのロック

ニグロ・ブルースを起源とする言葉は、ロックばかりでなく、ほかにも色々あって( 例えばジャズ、リズム&ブルース、ソウル・・・・・)むしろロックは今それらの中 でブルースから一番遠い所に来ている音楽かもしれない。ブルース系の音楽を、”ま ねぶ”ことから出発したロックがなぜ今日、このように変化成長してきたかというと 、それは彼等が、”まねぶ”段階をすぐに卒業してしまって、音楽を自分達自分自身 の問題としてとらえるようになったからです。 つまり、たとえば、イギリスのとある工業都市でAという少年が1960年頃ブルー スのレコードを買いあさり聞きむさぼったという事自体、すでに、”趣味”ではなく 、”思想”の萌芽だったのだ。 黒人音楽から彼等が感じ取った新しい生き方、もっと”いい”考え方、見方、感じ方 ・・・・彼等はそれを自分の中に育て、表現して行く道を選んだ。 だから、それは、当然のようにみんなの共感を招き(よび)、したがって「商売」と して成立した。

3これまでの日本のロック

さて、海のむこうからロックという大変いい音楽がやってきて、その良さが解る連中 はそれに飛びついた。 バンドを作ってそれを、”まねぶ”者のたくさん出て来て、一時はグループ・サウン ズと称されて商売にもなった時期もあった。 歌謡曲の伴奏にも8ビートがどんどんどん採り入れられてきた。しかし、肝心な問題 、つまり、”まねび”の段階を卒業して、自分達の思想として最把握すること、これ を今日までだれもやらなかったのである。 ファンサイドからは、1972年に「ロッキング・オン」という雑誌がそれでも誕生 したが、それもいまだに単に”イギリス等から出てくるものの後追い姿勢”に終始し て、雑誌メディアとしての自分達のロック、を確立しようとしないために、創刊後4 年経った今も商売としては微々たる存在である。

4イターナウをなんと呼ぶか?

白人青年達がブルース系音楽を、自分たちの表現手段として再把握したものを、”ロ ック”と呼ぶなら、私達日本人がそれをさらに自分達みんなにとっての音楽表現とし て再把握して行こうとする姿勢をなんと呼ぶか? ロックをブルースとは呼ばないのと同様、ソレはロックとは呼べない。 すなわち、イターナウはロックではない。つまり、”四角い円”ではない。 適当な呼び名がないから「日本人の日本人による日本人のための新しいポピュラーミ ュージュック」とでも言っておくしかない。 イターナウはロックではないから、 いわゆるロック・コンサートとかロック・フェスティバルには誘われたとしてもでま せんし、大学祭等での、いわゆるロックバンドとの共演もいたしません。 あんなものとごっちゃにされてはたまらない。 レコード会社へのセールスも、いわゆるロックのディレクターは対象外です。邦楽ポ ップスのディレクターで、商売熱心な方のところに持って行きたい。

 5再び思想してのロック

イターナウはロックではない。しかし優秀なるあなたがとっくにお気付きのように、 こういう、決然としたオリジナルな姿勢こそが実は本当の「ロック」なのです。 ロックとは、受験戦争から本物の戦争に至るまで、もっぱら好戦主義思想で成立して きたこれまでの社会への「ノー!」であり、留保のない愛や優しさへの「イエス!」 だ。 このように明確に思想として差把握され、表現されたものが、多数の共感を得る(= 商売になる)ためなら、(音の形態としての)欧米ロックのことなど忘れてもかまわ ない。欧米ロックに日本語を乗せても、ただオカシイだけ。 あなたにも、あなた自身で、一から始めなければならない日が、きっとやって来る (もう、大学を卒業したって、企業は、ホイホイとやとってはくれないよ) 良い音楽は、安くておいしいパンや、着心地のいい下着のように、いつでも多量に売 れるものでありたい。 (みんなにとっては)どうでもよい高価なアクセサリーではありたくないのです。

岩谷宏 1976年(で良いと思う?)


追加:しかし、アークティックモンキーズのこの突き抜けた音はいったいなんだい! 「これでいいんだ。これで上等。ここにいることに、なにも心配はいらねえぞ!」 って、アクモンの肯定的な音は、けいこさんに、毎日、呼びかけてくれる!! アクモンの音で、ここが涅槃(ニルバーナ)っていう想いに、とり憑かれるけいこさんであります。

 

岩谷宏のロック論 4

2007-11-30 06:15:16 | 岩谷宏 ロック
by岩谷宏


「想い」―この非現実の沃野 結論期を展開するB・フェリーさん


ほんの。ひと時代前までの若者は、政治、経済、社会、宗教、芸術、イデオロギーなどなどに。非常にイレ込んだ幻想や情熱を持てた。言い換えれば、これら一般的・観念的存在と自己との間に、重大な関係があると盲信できた。

それが、いまでは、自国が戦争をしていてもまるで他人事だ。このぶんでは、1984年もまるで平気だろう。現代の若者は―かく申す私も含め―、なんらかの一般存在を媒介として自己が存在する、という観点から、完全な決別をなしとげたようである。

一般存在への批判や気がかりなどを表現の契機としてきた、かつてのビッグ・ネームたちのほとんどが"停年退職"しているかにみえる今日、それでは、いま、自己はなにによって存立しているのか。

MORE THAN THIS (Bryan Ferry)
 ぼくはあのとき次のように感じた
 人がだれかを好きになるのは
 全く自動的な出来事であって
 意思は介入できないし
 どこでどーしてこーなったかを
 確認することもできない むしろ
 海の大きな潮流みたいに
 人為でとどめることのできぬほど強い
 この想いに
 望みをかけるしかないのだ、と
 
 これ以上のものは   なにもない
 なにかが まだあるか
 いや なにもない
 これが最高で
 これがすべてだ
 これ以上のものは   なにもない

批判は一種のジャレ合い行為であって、美しくない。つまんないものごとに批判的にかかずらっているよりは、なにかとてもすばらしいものごとに夢中になっている方が、生き方としてはりそうである。

(例1●最近、内申書裁判というのがあったが、内申書なんて、学校が勝手につくるものだから、それをとやかく言って裁判に持ち込むこと自体おかしい。まったくあの裁判はジャレ合いの最たるものであった。)

(例2●無農薬有機栽培論がうさん臭い理由が、最近やっとはっきりわかった。つまり、うまい・安全な農作物を食べたいというのは、これまた人間の、一方的な"欲望"でしかないのだ。植物は植物でこれまた1個の生命体でっせ。かわいがってやらんとあかんし、元気のないときはかわいそがってやらんとあかん。これが明日の栽培学の基本たるべき、と私は想う。)

私という人は、本誌への参加時点から今日まで一貫して、文章それ自体が目的であったことはない。―そして、音楽も、少なくとも当時は、音楽それ自体が目的であるような音楽ではなかったのだ―。

文章は、まだ見ぬ、だれか、美しい人に、語りかけたくてたまらない気持を語りかけるための、手段であった。そして、しかし、その意思とは逆に、まあ、あんまり、美しい人に出会いはしなかった。

(今日の一般的な社会体制は、人を美しい人につくりあげていくようにはできていない。あいまいで矮小な人間を量産するようにできておるのである。)

仮に、美しい人に出会えたとして、その人を大好きになり夢中になったとしても、それは、私の中に、その人のことを大好き、という圧倒的な想いがある、そこまでで、ピタっと終りである。

好き、ということを基盤として、この現実のこの世において、なにか現実的な具体的なものごとへ展開していける、ということは絶対にない。だから、文字どおり、"これ以上のものはなにもない"のである。そして、

「これでいいのだ」というのが、最近の―前作あたりからの―フェリー氏の"悟り"だろう。言い換えれば、彼が、現実の仲で現実的に悪戦苦闘したのは、結局、現実の不毛性に気付くため、だったのである。

(ここで初学者向けの論理的説明)
なぜ現実は不毛か。それは"想い"によって新しい世界がひらかれる以前の、旧い世界のことをいわゆる"現実のこの世"というのであり、両世界はお互いに、全く異質だからである。"新しい世界"を"旧い世界"に、移植したり、つぎ木したりすることは絶対にできない。―好きな人といっしょにやっていけるなにごとか、は存在しない。ウソだと思う人はいろいろ試みてみるがよろしい。

したがって、アルバム・タイトル「アヴァロン」は、伝説上の架空の島、すなわち非現実であり、彼の想いの対象となっている美しい人な「ダイアモンド・レディー」―硬く(or剛く)―だ。

現実―旧い世界―の中で、日々、さまざまな現実性をこなしながら生きていても、自分にとっての迫力がそれらより圧倒的に大きいところの非現実―新しい世界―を同時に抱えていることは、その人を勁くする。現実の不毛性がはっきり見据えられ、どーでもよくなるからである。そしてジャレ合いとは訣別する。

(例3●パワー・トゥ・ザ・ピープル、人民に権力を、という言い方と、どこもパワーを持つことのない生き方を、という言い方の違い。これがたとえば、一般的なロックと、フェリーのような観点との違いである。)

アヴァロンは、男が男として死んだあとに、行って住む極楽浄土である。美しく死ぬひけつが、「これ以上のものはなにもない」と見定めることであるのは、もう読者にもおわかりだろう。「想い」は、人にとどめをさすものであって。決して、がんばらせるものではない。

ある種が、欲望のおもむくままに何世代か生きると、そのせいで地球の環境が、その種が生きられない環境に変る。その新しい環境に適した新しい種が今度は主に生きるようになる。人間はいずれ、熱汚染だかなんだかによって滅ぶとしても、すでに人間の中に、(一部の人に)、人間であることの抑止(=アヴァロン行き)が生じていると思える。

「かぎりないもの、それは欲望」―これは、地方出身・おのぼりさん・上昇志向人間であったために、現実の不毛を見据えることができず、むしろ現実の不毛のまっただ中でぐじゃゝになっていった―美しくなるどころかますますキタナくなっていた―かつてのスター、井上陽水の歌詞の一節だ。

「想い」は「欲望」ではない。なぜなら「想い」は、そこで完全にとまっているものだからだ。対象のところでとまっている。対象を最大限に生かそうとする意思である。

むろん、未来の進化の事件を予測することはできないが、しかし、なぜか、「想い」の、そのぶ厚い安定感の中には、あきらかに"希望"がある。これが正しい路線だ、という"予感"がある。

"希望"や"予感"は、学問や仕事をやっていく場合の、新しい"仮説"を生む力である。そして、本物の仮説は、つねに、自分の中に、まるでとつぜん、天から降ってわいたような気しかしないものである。非現実が現実と切り結ぶことができ、現実を侵食していけるのは、この点をおいてほかにない。

まあ、だから、若いあなた(読者)において、なによりも大切なことは、美しくなることと、「想い」の濃い中身となるところの美しい人に出会うことだ。ひたすらツカレル人々とかかずらうことではなくて。

フェリー氏の場合も、これはもう、悟りの境地であるからして、これからの作品も、当分の間は、キンタローアメ的な、同じものになっていくだろう、と予想できる。

最後に、私も、私自身の言葉として言いたい。これ以上のものはなにもない、と。



岩谷宏のロック論 3

2007-11-29 04:49:34 | 岩谷宏 ロック
またまた、YOSHIさんが、
昔の岩谷宏の原稿を、テキスト化してくださいました。

けいこさんは、ボウイ、ロキシー、Tレックスなんかは、
今でも、大好き。
それに、ブライアン・フェリーの「美意識」、アート性は、
その「自虐性」故、けいこさんと、おんなじ、似ているわ~って、
思っているところがある。

YOSHIさん、本当にありがとう!!




「男が美しくあるための ロキシー・ミュージック」


ニュー・アルバム「Flesh & Blood」から


夢が終ってなお
なぜ目覚めることができるのか
(スピン・ミー・アラウンド/マニュフェスト)

つまり、だれも、毎朝目が覚めるときには夢は終ってるわけで、夢が終わることとひきかえに得られる目覚めなんて、つまんないじゃないか。むしろ、よりしっかり大きく夢を見続け、夢を生命の糧とし見続けることが、目覚め以降の時間の内容であってほしい。―こんなニュアンスのことが、前作のアルバム「マニュフェスト」の終りの方でつぶやかれる。
神秘学におけるデュオニソス的秘儀は、夜眠っているときに体験する夢をあらためて意識化する行為からはじまる。

 (前略)、すべての方向が自分の中に存在している、という体験を獲得することです。そもそもわれわれの個性は、決して母親の胎内からこの世に生れ出たときにはじまるのではなく、そこには無限の、永遠の過去から蓄積されたすべてがこめられているのです(神秘学講義/高橋厳)

夢見る自信の回復。自分の体温源は夢であることの確認。彼はふたたび“マザー・オブ・パール”のあたたかいおだやかな闇の中で生きる。「反復」の世界。だれも歳をとらないし、現世的・現実的に賢くなったりしない世界。―アルバムは名曲「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」から始まる。―この曲を好んで歌うレゲェのボーカリストは多い―。「夜」とか「闇」はロックの重要なキー・ワード、シンボル・ワードのひとつだ。

人間が現実・現世的に理性的であり、意識がせまく硬化することと「視覚」とは大いに関係がある。視覚的存在が自己と世界を奪う。映画、女の肉体的な存在、道路標識、町行く人々の顔、などがここではとりあげられる。

物を見るのでなく、その物が像として存在している地平、スクリーン、鏡などの方を見る、意識する―これもたしかに秘儀の初歩である。視覚像をもって視覚に平手打ちを食らわせることは、すぐれたポップ・アートにまたなければならない。

高校の漢文の教師が黒板に『酔生夢死』と書いて、「おまえら、こんな生き方をしたらあかんぞ」と言った。しかし私達は、永遠にたしかなものを、いま、ここで、たしかにつかんでいるために、訪れる不思議な酔いに身をゆだね、この胸腔いっぱいを夢の満ちる場とするのだ。

音と声、そしてある無垢で美しいプレゼンスに魂をくぎづけにされて、そのここちよさの中で、彼は、まわりが戦場のような環境の中でも、夢遊病者のように生き、夢遊病者のように死ぬ。

ふだんはわりとざっぱくなつきあいをしている相手でも、ふと一瞬、彼(彼女)が神秘的なまでに美しくせまってくるときがあるだろう。B・フェリーは、いまや、その一瞬を見すえる。見すえることで、夢はもうニ度と逃げない。見すえることで夢は世界の空気を支配し、その色さえも変える。彼は、永遠に見すえつづける。予感や憧れをのままにしておかず、いまここの温室の中に移植してしまう。それが育つ。

外的な経験の断片から構成されている世界(=これまでの、いわゆる世界)は見捨てられ、廃墟になる。内側からの、生きた、あったかい世界が、ゆっくりと生育し、ひろがる。闇の中では、見ること・見えること自身が、それだけが唯一の光となる。つまり、ついに、光とは「私」なのだ、「私」からにじみひろがる暖気が光の正体なのだ。それは太陽光線のように無差別になにもかも照らしだす光ではない。光自身のよろこびにふさわしいものをだけ…。また、それ自身もまさに光であるものをだけ…。

この奇異な、しかし決して奇異でない論悦をほのめかす曲がB④にあり、つづく最後のランニング・ワイルドは訳しにくい。いつも、ハダカの、無垢の、生れたての、本来的の、自由な自分に帰っていること、とでも訳すか…。

自然科学に代表される西欧文明は、なんでも外的操作の歴史で、その外的操作性を、さらに、社会科学とか人間科学といったかたちで形式的に応用しようとさえする。そしていま、外的操作性の権化ともいうべきアメリカが、最も非文明国・非文化国・野蛮国にみえるのはなぜか。あるいは、およそ国家というものはすべて…。音楽も、バッハが平均葎を考えだしたときから「死体乾燥」がはじまる。―モーツアルトが例のクロマチック多用とフラット・マイナーでその難を逃れようとする―。

人間存在において、外的操作の対象となり得るものは、その肉体的存在(フレッシュ&ブラッド)だ。賃金労働者、兵士、売春婦、手術台の人体、エトセトラエテセトラ。そしてその外的操作性は、客観的な法則であり、システムであり、制度であるから、一見、ひろく行き渡り易い。

外的操作性の対象となり得ないものを、外的操作性が行き渡ってしまったこの広い世界に、密度濃く、行き渡らせることができるかどうかが、ロックの課題でありメディアの課題であろう。―それは、しかし、「神秘学」とか、そのように「特殊化」されたものであってはなんにもならない。

現実の、生身の肉体をして、夢の支配領域に語らしめる。うっかり一歩前に出ず、ここにいて感じ続ける、感じ続けることを深めていく、するとフレッシュ&ブラッドにも別の意味が与えられるだろう。自己が一本の木であり、たわわな枝であり、清冽な樹液がゆるやかにめぐる。神秘とは自分自身のことだとわかる。

すると。言葉の両義性は存在の両義性を表しているのか。フェリーは「去年マリエンバードで」について語ったことがある。ここがどこなのか。いまがいつなのか。ここでこうしている自分はだれなのか。こうして、両義性はただちに多義性に転移する。そしてそれが、自己の多義性に回帰し、多義性の保持の中で、あらゆるわたしが、あらゆるあなたのなかに、なつかしくいとしい、あらゆるわたしを直視する。

この真理があまねく知れわたり、すべての兵器が錆び、すべての教養と実験室が見捨てられ、みんなが、この多義性の野原にすわりこみ、へたりこんで、“相対一を絶対一とするいつわりの力”を全身から抜くときに、もしかして、おもわずハラハラとこぼれる涙みたいに、この声が神経にしみることだろう。B・フェリーの声は、おだやかな終末の日にふさわしい。

A・ウォホールにとって「キャンベル・スープの缶」であるものが、B・フェリーにとっては「自己」であり「関係性」である。それは、自己という(一義的な)夢を(盲目的に)見つづける自己を荒野に遠く置き去りにして、訪れるあらゆる夢に対して開放的であるような多義的な自己(=関係性と自己とが同一であるという意味でシュールな自己)へのデジタルな(=デジタル時計みたいにパッと移行する)変位を行なうアートだ。もろもろの一義性の根っこがややこしくからみあって、徒労で不毛な世界をかたちづくっている、その張本人は男なのだから、ロキシーの音と声とは、まず、男が、身を洗い、美しくなり、たおやかになるために聞くべきものだろう。(ゆえに、なぜ、ゲイの人達が好んで聞くか、は増刊号に書いた。)



岩谷宏のロック論 2

2007-11-28 05:29:21 | 岩谷宏 ロック
下でコメントくださった
昔のロッキングオンファンで、イワタニストの
YOSHIさんから、
岩谷宏の昔の原稿が届きました。

YOSHIさん、テキスト起こし、本当に
ありがとうございます。

みなさんも、YOSHIさんに、感謝してね~。



「共生(共に生きること)への願い」


DAVID BOWIE
NEW ALBUM
LOW

媒介(メディウム)について考える場合、それを「橋」のような比喩で考えてはならない、と最近はっきり分かってきた。AB両岸にとって橋は異質な第三者であり、ABは変っていない。橋が壊れれば元のままだ。メディウムの原料は私達の衷心の分泌物でなければなるまい。現代の政治や貨幣は橋として考えられる。

運動の方向性として時間があって、しかし、その時間に乗せられている私自身とは、いつも、もやっとした“停滞(とどまり)”である。意識が方向性の側にあるとき、そのようにしてなにかに夢中であっても、その本人自身はさびしいのだ、ということもあろう。そのことに気付くか気付かないは、人類を、前述の新旧両メディウムの方向へと分かつのであり、たいしたことではないがこのアツバムを感じるか感じないかの差ともなる。

デイヴィッド・ボウイーは旧いタイプのロック・スターではない。つまり私達の(どこを向いているのか分らない)“方向性の代理人”ではない。彼は、言うなれば、ステイする人、このとどまりの中にとどまる人、とまどったまま私達によびかけている人、である。

運動の方向性としての時間、その疾駆の中でとどまりは無視され、ときには蹂躙される。私達がとどまりであるかぎり、私達一人一人がワルシャワである。

歴史は決してヨーロッパの発明品ではないが、全世界をひとつの歴史の動きの中にまき込んでしまった動因はユーロッパである。しかし、もう、この方向性は行き詰りである。これまでの方向性をタテ方向のバラバラの伸長運動とするなら、これからはヨコ、というか、私達の中から、中に、メディウムが形成されてくる方向をさぐるのである。この新しい方向性は歴史と同方向ではなく歴史を垂直によぎる面、のイメージである。

最近は日本でもいよいよ離婚が盛んだそうである。この場合、結婚とは社会通念であって、いわば「橋」である。つくりものの橋は(橋はどれでもつくりものだな)壊れるにしくはない。

(いわゆる“詐欺”ということも、結局この「橋」というあり方、つくり方、そして護持の姿勢、等を示すものと思われる。欺瞞、それは、ライ、ライ、ライ、ライ、とロックの歌詞では、かねてからひんぱんに出てくる。lie、lies。)

日本ではボウイーのレコードはあまり売れないのだそうである。売れない理由は明白である。それは、ロックが、ロックファンの中でひとつの思想として対象化されていないから。いわば、まだ、気分でもって、その気分に呼応するような音のみを追いかけているからである。

あるとき「いったいこれは何だろう?」と自分に問うてみること。そして、その「何」が、はっきりと言葉にはできないまでもつかめること。そしてその「何」が、自分の生活、仕事、発想、行動等の基盤になるとき、言い換えれば、自分の意識が自発的行動的になるときは、ボウイーという人間の今のあり様(よう)、出様(よう)がいかに見事なものか、肉迫的に感じとれるはずである。

(60年代にはロックとはかぎらず、ほかにもいくつかのムーブメントがあったのだが)そのような思想史を一身にになって、ちっともごまかさない人、あそばない人、裏切りをしない人がこのボウイーという人である。

「ファン」が「ファン」でしかないかぎり、あるいは「読者」が「読者」でしかないかぎり、それらは究極的には私にとって要らない人達であるし、またその人達にとっても私という人間は究極的には要らない、どうでもいい人間である。だから要らない人間であってほしくはないのでBe My Wifeと言う。無責任な「客」でなどあってくれるな。私を解り、私と共に生き、私と共に行動しつづける人であってくれ、そんな人でなければ、たとえ世界中何十万のファンであろうとも私は要らない、と。

音楽は、芸術は、メディアは、生活的に機能するものでなければならない、と言う。音楽(等)が生活的に機能するとしたら、それは(ほかに適当な言葉がないので)政治である。で、ボウイーは政治家になりたい、イギリスの首相になりたい、と言う。世界中の人々を意識化的に支配したい、とも。ここでつかむべき第一の点は、彼の音楽表現がこのように行動への意欲を持つ者の、たまたま音楽によるパフォーマンスだ、という点。

(これは非常に馬鹿げた願望でもなんでもないのであって、たとえばアフリカ人ならむしろ、欧米的日本的に音楽が音楽としてだけとどまっている現象、商品化している現象を、そんなことになんのイミがあるのか絶対に理解できない。

いわゆる、音楽商品としての音楽のあり方のその社会的背景は、それぞれ、生活が個人的生活としてあって、その個人が息抜きその他で楽しむ材料として音楽があるというあり方だろう。この場合、その人の好みによってなんでもいいのである。ロックと言う音楽の聞かれ方も、この、人によってなんでもいいのワンノブでしかない。

そうではなくて、ロック(など)が先頭を切って、歴史や、これまでの人間のあり方に大きな?を、大きなNon!をたたきつけ、私を、私達を変革へとうながしたのだとすれば、私達は音楽にとどまっていることはできないし、むしろ、音楽のそのようなあり方にとどまっていられない内心のうながしが音楽行為の起動力となるだろう。音楽家の場合は。

問題はしかし、変革へのうながしを行なう者が、本人自体はちっとも変革してなくっていいのか、ってことである。どうも私には、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド等に至るいわゆる旧タイプのロックでは、こういう、肝心な主体の問題がおろそかにされている気がするのだ。つまり、ああいうのだと、それはべつに、ジミー・ページという人でなくとも、ブラックモアという人でなくとも。R・ウォーターズという人でなくとも、よいわけでしょ?原則として、代理可能である。なぜなら彼等はプロの代理人なのだから。つまり彼等の場合は、自分の意識が、ギリギリの自分自身へと追い込まれてはいない訳だ。だから、音楽という限定の中での音楽という仕事さえちゃんとやってればいい、となってしまう。音楽は成熟するかもしれないが、ムーブメントとしてのロックは停滞するのである。

スピード・オブ・ライフ=自分の傍らをたゆみなくどんどん流れて行く時間というものに、ふと、気付く。私は、さっきから、すっと立ったままだ。ブレーキンググラス=旧方向性が無効に帰している場合、人は、往々にして鏡で自分の顔を見つめたり、足下(もと)のカーペットを見つめたりする。しかし、ほら、私がいるよ、と。
A-3には「リアル・ミー」という、日本語にはちょっと訳しにくい言葉が何度も出てくる。ほんとの、私、か。……その他、A面はもっぱら、今日の主体性論の展開であり、しかもいわゆる一般論ではなく、まさに「その人そのもの」性で通している。くどいようだけれど、これに較べると旧タイプのロックは張り子のペニスか、せいぜい包茎である。

B面は、A面の「主体」が立っている、生きている「場」の、「時代」の、認識に当てられている、と言うべきか。しぼり出すような祈りの叫びでありながら、同時に「えいっ! ぐいっ! むんず!」という把握的な感じもしっかり感じとれる≪ワルシャワ≫はブライアン・イーノとの共作で、このアルバムの圧巻である。

陽の当るところが、戦争や工業や経済競争や独占や個人の自由やなんやかんやでもってギラギラ輝いているのなら、私達は影の部分で(=ギラギラしたものの一部になろうなどとせず)、地下で生き続けるのであり、影の世界での栄養素として、あるいは連帯形成のきっかけとして、役立ち得るのなら、私のこの朽ちた魂を分かち合ってくれ、というのが最終曲、≪サブテラニアンズ≫。影の部分で…というテーマは≪ゴールデン・イヤーズ≫にも共通する。

タイトル「Low」は、要するに「落ち込んでる」こと。少しでもハイだってことは、少しでも橋を架けよう(的な)姿勢があるってことだろう。ロウは待つのである。「私」がリアル・ミーになりきっているのである。行動はするとしても、感じることを少しでもおろそかにしたような行動はしないのである。

行動すると、感じることがおろそかになる―このワナに、これまでの人間は例外なくはめられていた、と言えよう。現在の、ささくれ立った文明世界が出来てしまった根因のひとつである。十分に感じていつつ、だからこそ適確な行動が機敏にとれる―私達が、こんな人間へと自分を変えていかねばならないとしたらボウイーのパフォーマンスに接することなどは、そのためのすぐれた自己訓練素材となる。そして各人が各人にとってBe My Wifeとなり、「共に生きること」が可能になるためには、まず各人が、前述のワナを破壊してしまうことである。ワナにはめられたままの、単なる古典的個人の寄せ集め社会では、たとえごく優秀なファシズム社会であろうとも、要するにだ~めである。

非常に大切な事だから最後にだめ押し的に繰り返しておくと、肝心の「自分はどうなのか」、「自分はどう生きるのか」「自分はどう変るのか」という点に関してすっかりオロソカなのが、旧タイプのロックなのである。それらは、単に気分にだけ迎合するために、いたって売れ易い。そして、この肝心の点で自覚しないかぎり、あなたは私にとって束の間の無責任な「読者」でしかない。あなたが一人で呑み込まれて見えなくなってしまえば、私もご同様とあいなる。

●岩谷 宏


○LOW○大意

BREAKING GLASS

最近ぼくはまた/あなたの部屋の鏡を割っている/ほら、その音が聞こえるでしょ

カーペットなんか見なさんな/さっきぼくが/ゾっとするようなものを描(か)いておいたよ/ほら、見えるでしょ

あなたはとても素晴らしい方です/でもいろんな問題を抱えてます/残念です/ぼくはあなたに決してタッチできません


WHAT IN THE WORLD

あなたはただ、灰色の瞳の女の子/気にしないで、なにか言って/そう、待つんだ/あなたは灰色の瞳の、ほんの少女なんだから

部屋に閉じ込もったきり/あなたは決して外へ出ない/ぼくの中の深いところのなにかが/ぼくの中の深いところにある切ない思いが/この暗がりを通してあなたに話しかけている

この世界で何ができるか/あなたに何ができるか/ぼくはあなたの愛がほしいなあ/あなたの愛がほしいなあ

ぼくはあなたが少しこわい/なぜって愛したらあなたは泣くでしょう/でも、群衆が去ってしまうのを待って/そうだ、泣かないで待って/いまは、/あなたが愛してくれるのは/少しこわいよ

ほんとのぼくに/ほんとのぼくにとって/あなたはなんであってくれるの/なにを言ってくれるの/なにをしてくれるの/クールにクールに秘めたその下で/その炎の下で/ほんとのぼくに/あなたはなにを


SOUND AND VISION

(自分の想いへの集中から醒めて)/音や光景(ながめ)に心奪われることはない?

ぼくの住みたい部屋の色は/ブルー、ブルー、つめたいエレクトリック・ブルー/ひる日中(ひなか)うすいブラインドが降りてて/その下で/なにも気にせず/ブルー、ブルーに染められて

ぼくは/坐ったまま/音と光景の賜物を待ちたい/聞こえてくるのを、見えてくるのを待ちながら/ぼくは歌いたい/私の孤独の中にこそたゆたい訪れ/私の脳をさする音と、見えてくることを

音と光景(ながめ)の方向に/ゆったりと感覚をひらくことが/たいせつと思わない?


ALWAYS CRASHING IN THE SAME CAR

なにか機会があるたびに/ぼくは出かけて行く/制限速度を守り、信号を守り/左右に注意のしどおしだが/いつもぼくは同じ自分の車の中で壊れていくだけ

そんなとき、あなたが忍び寄って来るのに気付く/ぼくは足を床に押しつける/そうやって町をぐるぐる/ホテルのガレージへ/ゆうべなんかはすんでのところで留置場行きだった/でも結局ぼくはいつも、同じ車の中で壊れていくだけ


BE MY WIFE

ときどきすごくさびしくなるよ/ときどき(忙しすぎるせいで)人間が具体的に見えなくなる/世界中で生活したし/もう世界中どこでも知ってる/(むなしいよな)/ぼくのものになって/ぼくと暮して/ぼくと一緒にいて/ぼくの奥サンになって


(以上、もっと解り易い歌詞が日本盤のライナーについておりますので、そっちの方も見てくらさい、岩谷)



ほんにロックはどこで鳴る (レボルーションより)

2007-11-27 05:47:08 | 岩谷宏 ロック
けいこさんは、ときどき、ネットサーフィンをするんだけれども、
そこで、
なんと、「岩谷宏は、左翼」っていう言葉を見つけてしまったわけ~。

あふぉくさ~。
岩谷宏が、左翼であるはずないわって、けいこさんは、思ってしまって、
岩谷宏は、学生運動などしたことないし、けいこさんも、大学に入った時、
学生運動が下火とはいえ、まだまだ左翼学生って多かったけれども、
けいこさんは、内心、
学生運動をしているキャツラって、なにか、胡散臭くて、信じていなかった。
(昔、学生運動していた方、ごめんなさい。)


まあ、けいこさんとしては、
外の悪より、自分の中の悪のほうが、大きいだろ。
それに、気がついた時には、
人様に、拳を上げることなんか、デキネエダロウって、思っていたわけ~。

けいこさんは、どちらかと言うと、クリント・イーストウッドの
草の根ライトっていうのが、心情的には、とても、よく分かる。

そんでもって、まあ、岩谷宏の名誉のために、
「岩谷宏は、左翼」なんていう誤解は、けいこさんが解いてあげなくては
いけないんじゃあないのって思って、

今日は、
岩谷宏の、
1972年のレボルーションへの原稿を、UPしてみました。


「ほんにロックはどこで鳴る」

ロックは、本質的に破壊的・暴力的な音楽であるから、《大衆に定着》することなどあり得ない。
そしてさらに、いかなる《文化活動》とも無縁である。
その意味で、12月24日に、妨害のためのインターを歌いはじめた連中の方が、少なくとも現象としては、よっぽど真にロック的である。

「ジャズと自由は、手に手をとって進む」という言葉があるそうだけど、いくら相手のホネが折れそうになるほどきつく握って歩いたところで、みずからは《自由》になれるものではない。
そのことに気づき、いらだち、決然と怒ったときに、かの、ロックなるものは生まれたのである。
したがってただ観念でしかない自由をロックが見捨てたとき、私たちは、ひとりひとりが、みずから、自由であろうとする、すばらしい、また厳しい時代に突入したのである。

よく見たまえ、あらゆる文化活動が所詮、観念崇拝の儀式でしかないことを。
さらによく見たまえ、あらゆる《文化人》が、観念との濡れ場を人目をさらして彼と同類のスケベエ達からの投げ銭を稼いでいることを。

つぎに、いわゆる《大衆》について、
まず私たちは、国々によって体制というものの質が違うんだという点をよく認識した方がいい。
むづかしい経済史論はさておいても、ヨーロッパにおいては、それは、もっとも明瞭でもっとも力の強い反体制思想をすら生めるほどに個人主義的・精神的・観念的であった。
また、アメリカの体制とは、そのヨーロッパ人によって、インディアン殺りゃく、黒人搾取等の手段をもって、人為的に構築されたものなのだ。
(だからその強さもモロさも大きい)。

ところが、日本における体制とは土着性そのものだ。
鈍感のようで頑固、冷たいようで妙に優しく、ぬらぬらとしぶとく、おそらく世界で一番てごわい相手なのである。
たとえばヨーロッパ人は、反権力に対する処刑をまで、体制が自己を正当化するためのもっともらしい儀式と化した、そんなおどろくべき体制の力は知らないだろう。
実に実に日本人はあまりにもぬけぬけと残酷であり、ふてぶてしい。
土着性百パーセントであり、人間の精神の他の可能性についてまったく鈍いのである。
ただ、さいわいにも、その鈍さが、彼等にとって都合の悪い連中をも育てるスキをつくってしまった。
 
まあ、そんなこんなで、いわゆる社会人になって五年もたてば、公私両面にわたっていろいろ経験して、あきれかえったり、はがゆくなったり、悲しくてやりきれなくなったり、いろいろするんである。
ヒガミからいうんではないけれど、まだ社会人じゃなくてロックを聞きつづけるとしたら、そのうち七割ぐらいは、アメリカの大富豪が名画を誉めて、日本の○○社長がベートーベンを愛聴するようなぐあいに、ロックを好んで聞くようになるぜ、きっと。
大変化がおこらないかぎり、日本人てのは、だいたいそういうだらしない生き物なんだ。
げんに、いわゆる文化人とか、文化職業にたずさわっている人達の中にそういう人がもういるもの。

あの、今にして思えば、ロックの前ぶれではないかという気さえする激しいソナタ、ベートーベンの「熱情」というヤツを聞いて、レーニンさんはこう言ったそうな。
「ああ、音楽の世界にはこんなに見事なものがあるのに!」
(ロックの場合、《音楽の世界》などとたてまつっては言えないくらい社会化し現象化しつつある点に注意しよう)
ロシア革命がいまにして失敗であり、ダラクの徴候を見せはじめたのは、レーニンがわるいんじゃない。レーニンが一人しかいなかったこと、その思想に大衆を定着させようなどとしたからである。

正直に言ってほしいけど、だいたい、《大衆》なるものに本当に関心のある人いますか?
だれもそんなものに関心ありません。あるとしたらそれはナマイキと言うもの。
いまや企業だってそんなナマイキな企業は落ち目です。
それでも、どうしても気になる人は、こう考えたらいいんじゃないか。
「いまもしユートピアをめざしての暴力革命がおこったら、殺さなくちゃならん人はだれとだれで何人くらいか、説得できそうなのは何人くらいか、また自分は完全に良心に恥じずに殺す側に居れるかどうか」・・・・・そうすると、いままでのモヤモヤとした観念が、具体的な情熱へとしまってくるだろう。

そもそも「ワレワレェ 労働者ワァ」とか、「ワレワレ学生ワ。」とか叫んでいるときには労働者も学生もどこにもいやしないのである。
いるのは、非常に抽象的な、観念のオバケだけである。
学生は勉強すべし、労働者は労働すべし、人間すべて労働すべし、学生の労働は勉強なり。そして、いつも非常に生き生きと好みのままに、クリエイティブにやろうではないか。
これこそたたかいであり、しかも一ミリの百分の一ずつくらいは確実に勝つたたかいなんだ。ゲバ棒ふるったって勝ちゃあせん。相手が銃をつかわないことに甘えるな。

----とまあ、ゲバ学生批判みたいなこと、日頃思っているものだから書いてしまったが、むしろ彼等にはモダン・ジャズファンが多い。「ジャズとゲバ棒・彼等の観念・は手に手をとって」というやつか。体制が狡猾にもゆるしている《スキマ》、というより、《ワナ》の中でいくら踊ったりあばれたりしたってしょうがないのになあ。
「バカだなあ、バカだなあ、だまされちゃああってえ・・・・。」ほんとにあいつらはおしあわせで、お気の毒。

ロックを聞いている連中って、一見みんな(たぶん私も)、たよりなげな優しいカオをしている。
このたよりなさとか優しげな感じとかが、実は今、一番たいせつなものなんじゃないか。
自由ってのは一面、とりとめないということでもある。
とりとめなくてどうなるかわからないコード進行とか、まさにとりてめなくてどうなるかわからないギター・フレーズといった、ロックに特徴的なことは、トニカからもブルースコードからも《自由》だということでまさしくあり、しかもそれは、最高の音楽的教養(体験)と、最高の音楽的テクニックと、最高の表現意欲から生まれるものだから。
ニクソンなんかのいう自由が動物の自由だとすれば、人間の人間らしい自由とは、なにか、なにか、なにか。
ロックとは単純でしつような問いかけであり、その模索と実現へむけて私達の身をリズミックに整えさせて、解き放つ。
ロック特有のストップ・ノートやひんぱんな休符は、音楽がはじめて、人間を私有しないで、むしろ弾き手や聞き手を、その自分自身へと突き返し、再び迎える、そういう、歴史上まったく新しい躍動である。
なぜ長髪か。
バイタリスなどでまとめて、ひたいを出したスタイルはどうみたって挑戦的であり、動物の自由にこそふさわしい。およそそうゆう頭からは内面の豊かさは感じられない。ワク組の中でいかにツルツルうまく動くか、そんなことにふさわしい。
男性の女性化などというけれど、べつに女にあこがれるわけじゃない。
ただ、従来的な男のイメージ(タタカイ)をきらっているだけなんです。
長髪の、たよりなげな優しげな男性こそ、人類史はじまって以来、はじめての《文明人》なのであります。
あるノンセクト・ラジカル君は、ショート・ヘア、少年みたいな服装、そしていわく「ボクはあんな気分だけでタイハイしているってのはイヤなんです」
ところがですね、たいせつなのは「気分」なのであります。
言いかえれば、日常の生活感覚こそが、ただひとつ人類すべてにとってたいせつなんであります。
気分をのぞけば、オソロシイ「観念」あるのみですぞ。

女の子はなぜ----ロングヘアか?
考えてもみなさい。女のショート・ヘアというより、要するにさほど長くない髪はですね、女が、こともあろうに、男なみに、せっせと今日の体制なるおのに参画はじめるときにおこるものなんです。
あるいは「自我」も含めて、あらゆる観念に奉仕し始めるときににね。
ロ-----ング・ヘアの女の子たちはたいていお料理もうまいし、やりくりや子供育てるのも好きですぞ。
なに?そんなステキなのばっかりじゃない?
そうかねえ。
広告代理店や歌謡曲プロダクションの手先でもって、そうゆうインチキがときどきいるけど、そうゆうのはだいたい年増だし、それに服装がなんとなくつくりごとじみているからすぐわかるよ。

いわゆる今日的なファッションを、自己顕示欲的にでなく、自分なりに着こなしていて、それが、本(ボーグとか装苑とかいろいろ)のにおいを感じさせない、そういう気づかいとコツみたいなもの、つまり、個性(自分が自分であるということ)と時代とか社会というひらけた流動的なものとの一致感、をみごとに身につけるのもロック・ファンである。

職業柄よくインタビューをするけど、一番気持ちよくはじめからキサクになんでも明るく答えてっくれるのが、そうゆう、気づかいがイタについているかっこいい女の子たちである。
なぜ人間は人間として(歯車としてではなく)社会化されねばならないか------こうゆう問いに、彼女らは明快に服装でもってすでに答えていてくれるのである。
勝手なものを着たらいいしゃないか、とか、職業柄でさ、とか、金がないからあるもの、またはとにかく安いものを着つづけるけるとかいうんじゃ、人間は、その唯一のよき意味において、「社会化」されないのであり、疎外の、ヒンヤリ・カサカサした地獄はいつまでも、つづくんである。
地獄は何処にあるか。
そのへんの、日常の中にあるんである。
だから-----気分がたいせつ。
しかし、最後に、歌詞も大切。
ジャズの歌詞における人間観=しおたれ節。ひかれ者の小唄となんでもいいが、たとえば、フール・ストップ・ザ・レインの歌詞をくらべてみよう。

岩谷宏
1972年 レボルーション







岩谷宏のロック論 1続き

2007-11-26 07:57:50 | 岩谷宏 ロック
A1 Speed of Life
 ボウイは今年の1月8日で30才になる。
 なんだかんだで、みんな、時間の車に乗って生きて行くのだ。

A2 Breaking Glass
  最近はまたぼくは
  あなたの部屋の鏡を割っているんだ
  あなたが鏡の中の自分の顔は見ずに
  外界を直視してくれるように・・・

  足元のカーペットを見つめるなんて
  よしなさい
  カーペットの上にはさっきぼくが
  こわい絵を描いておいたよ
  あなたはとても素晴らしい方ですが
  いろんな悩みをかかえています
  だからそれが障害になって
  ぼくはあなたにさわれません

A3 What in the world
  こんな世界で 私に、あなたに さしあたり何ができるのだろう
  でも なれなれしくするつもりは少しもなく
  私はあなたを愛しているんだ
  本当の私だけを見続けてください
  そして みんなが声を上げるまで待とう
  彼等がいってしまう時を待とう

A4 Sound and Vision
  私はじっとして、ひたすら待ち続ける深海魚
  深いところで、エレクトリック、ブルーの部屋の中で
  薄いブラインドの下りた部屋の中で
  一人っきりで、なにごとにも関心がないままに
  私は待つ
  聞こえてくるのを
  見えてくるのを
  その訪れを・・・・・・

A5 Always Crashing in the Same Car
  いつもいつも
  いまや殆ど義務的に
  事ある度に車で出掛ける私
  走行計は上がり、信号は点滅し
  私は右を見たり左を見たりで忙しい
  でも、いつも私はただ
  いつも同じ車の中で
  ひとり壊れてしまうだけ
  あなたが目の前に現れても
  ただ急ブレーキを踏むだけだ

A6 Be My Wife
  こんなことをやっていても
  ときどきすごく淋しい気持ちになるな
  世界中を廻ったけれど結局
  たしかなものはなにも得られなかった
  私は客(ファン)など欲しくなかった
  まさに
  一緒に生活出来る人が欲しかったんだ

A7 新しい町で、新しい職に就いて・・・と言うのだが、
  この曲には歌詞は全然なし。


B1 Warszawa
  後半、ラテン語の祈祷文らしきものをボウイは歌い上げるが、
  聞き取り不能。
  したがってラテン語かどうかも不明。

B2 Art Decade/B3 Weeping wall
  芸術の無能。
  ただ、壁が涙で濡れているだけ。
  80年代が、ポリティック・ディケイドであろう、と
  ボウイは予見しているのであろう。
  私の予言としては、このディケイドに、
  極右と極左が完全に重なったような新政党が登場し、
  勢力を得るだろう。

B4 Subterraneans
  地下生活者。
  ケラワックの小説の題名でもあるが、
  現在のボウイの真情と現状。
  歌詞の一部は、
  ”Share my falling soul”
  と聞こえる。



以上、このアルバムは、コンセプト的には、ロキシー・ミュージュックのSong for Europeにも似ているし、ルー・リードのBerlinにも似ている。
ただし、こちらは単に主観的な心情的な情緒的なところがなく、相変わらず”その先”を見よう、待とう、という、いかにもデビッド・ボウイらしい厳しさと積極性が根底に貫かれている。



くそっ!
こんな世の中、いいかげんにどうにかならないか!と思っている人達、国家にも権力にも政治にも貨幣制度にも根底的な馬鹿馬鹿しさを感じている人達は、とくに若い人達は、おそらく世界中どの国にも多かれ少なかれいるのであろうし、過去にもいた。
その人達は、しかし現実には、それぞれ孤独な個人であって、ロックは原則として、そういう人達すべてにとってのメディウムたり得るものである。
最大の問題は、優しさは暴力のように顕在的な力になり難いという点である。
暴力とその機構や制度が人を組織化するのはたやすい事だが、こちらにはまだ今の所、有効な組織論・コミュニケーション手段がない。
まあ、ボウイがめでたく「世界優しさ党」の総統にでもなったら、私は日本事務局の雑用係ぐらいにはなってあげよう。


(岩谷宏)
1977年





岩谷宏のロック論 1

2007-11-24 20:36:06 | 岩谷宏 ロック
DAVID BOWIEの アルバム 「LOW]のライナーノーツから、 抜粋。


ヨーロッパ各地から刈り集められたユダヤ人は、その殆どがポーランド国内の強制収 容所に送り込まれた。ガス殺、射殺、そしてワルシャワ市内のゲットーでの病死餓死 を含めて、その数およそ600万人という。その前の段階でポーランドの指導者層や 知識階級の人々約2万人が短期間の間に殺された。ポーランドはこのようにナチに蹂 躙されたばかりでなく、戦中戦後にわたって、ソヴィエトを主とする戦勝国からも、 取引の材料とされた。一方、ワルシャワは、東欧の諸都市の中では、文化芸術学問が 最もよく栄えた都市として有名である。

ロックは、とくに60年代後半にプログレッシブ・ロックなどによって対象化され、 思想として再把握されたロックは、歴史を”断つ”という意味での「断歴史思想」と 言える。 歴史の中心的な力となったのは古今東西、「暴力」であるから、一種のユートピア思 想とも言えるマルクスシズムも、「暴力」革命を条件にする以上、歴史の延長線上に ある。だから今、パリ、ローマ、ロンドンなどよりも東欧諸都市に、歴史の暗さ、陰 惨さが、一種の廃墟感・虚脱感 を伴って感じられるのではないか。ここ数年、概念 としてのヨーロッパの、その肥大した部分、良くも悪くもダイナミックに活動展開し てきた部分----アメリカ----を追及してきたボウイは、前作「ステイション・ツゥ・ ステイション」でついに「私はまぎれもないヨーロッパ人だ」と、いわば積極的にあ きらめて、そしてこのアルバムでは、そのヨーロッパ人としての自分自身の暗部を見 つめようとする。個々の現象論を離れて、内面の本質論に迫ろうとするとき、シンセ サイザーの抽象的な音は格好の道具である。

ヨーロッパ人は、歴史の中心的な推進者であったのだから、そのヨーロッパ人が断歴 史的な立場に立つとは、自分の否定であり、その結果としての空虚さを持つこと、孤 独になることである。そのような状態になった自分を単純に露呈していくのがたとえ ばルー・リードのスタイルであるが、ボウイはこれをさらに対象化し、そこにこそ、 積極的な意義を見出そうとする。そここそが、自分が真に生きられ、また、他者との (からの)真のかかわりも得られる場であり、欺瞞も誇張もなく、自愛の自閉もない 場なのである。このアルバムの各曲で、もはやボウイはステージを想定していない。 歌詞からもお分かりのように、個室で聞く孤独な個人が対象である。

現在ボウイは、音楽が音楽でしかないことのまだるっこしさに、いい加減イヤ気がさ して来たらしく、政治をやりたい、イギリスの首相になりたい、なれるもんなら世界 の独裁者になりたい、いや、まず、自分が喜んで住みたいような新しい国を作らねば ----等ナドと言っている。 これは、20才で文学を捨て、にわか仕立てで土木工学を勉強し、海中に(そこなら だれの所有地でもどこの領地でもないから)ユートピア都市を建設しようとしたアル チュール・ランボオを連想させる。 たしかに、民主主義の”民”が”愚民”でしかない現状で、良質の独裁政治を夢想し てしまう癖は、私にもある。しかし、私には、始まりが文学でも演劇でもなく、思想 書でも政治運動でもなく、音楽であったことへのひっかかりを捨て去ることは出来な いだろう。音楽はリズムであり肉声であるから、変化へのプロパガンダ性は教訓性か ら最も遠く、むしろ、それ自身変化そのものである得るからである。このアルバムで は、うっかり聞くとルー・リードとまちがえそうな、ぬけたボーカルを一部に聞くこ とができる。

”遅れてきた白人”である日本人は、現在のところまだ、アメリカ的ヨーロッパ的な 考え方や生活様式を取り入れている過程にある。そして、いわゆる日本的なものは、 そのようになった感性から趣味的に再把握される。社会や自分自身のヨーロッパ化ア メリカ化白人化が徹底してゆく中で、これではやはりヤバいぞ、と感じ始めたわずか な人達が、ロックの意識的な聞き手となっているのであろう。たしかに、まだるっこ しく、実効乏しいメディウムではあるけれども、現在のところかろうじて唯一のメデ ィウムである。でも、また私はここで、音楽が政治であっていいと、いやむしろ、音 楽性を中心に据えない政治など、今後の政治としてはしんじられない、とさえ思う。 もちろんこの場合は、音楽とは、(ナチの愛好した)ワグナーやベートーヴェンでは 困るし、佐良直美や三波春夫でも困るわけで、明快で躍動的なオフ・ビートでなけれ ばならないし、自分をぬけぬけと凸型に主張することとは逆の、うつろで、ぎりぎり に孤独な声でなくてはならないが。

続く。


先日 ON BOOK のパーティーで

2007-11-18 11:53:42 | 岩谷宏 ロック
先日、橘川幸夫の会社 ON BOOKのパーティーに
呼ばれまして、本当に久しぶりに、橘川幸夫君と
彼のカミさんであられます、小林裕子さんに会ったんですね。
けいこさんは。

橘川君は、若い頃と少しも変わっていなくって、
あらまあ、髪の毛も真っ黒で、50すぎても
青年のような橘川君に
けいこさんは、超びっくり!!って思ってしまって、
そんでもって、
昔から美人だった裕子ちゃんは、まあけいこさんと同じ、
50代になってしまいましたから、
少しは、変わったけれども、
裕子ちゃんは、髪の毛をUPなどしておりまして、
しっとりとした感じなんですが、
お話なんどをし出すと、
そのおしゃべり具合が、まあ、かっちょいい女の子なんですわ。
やはり、70年代を強く生き抜いた強者であります。
たばこもヘビーだし、お酒も酒豪と言わるほど、頂きますが、
ああぁ、こんなかっちょいいおなごは、あまりいません。
けいこさん的には。

やはり、70年代からロックし続けた男と女は、
すんごいんであります。
まあ、岩谷宏とずっと35年ともに生き続けたけいこさんも、
強烈な個性の女の子であるわけですが、
裕子ちゃんには、負けます。
けいこさんは、裕子ちゃんほど、現実処理ができません。

橘川家を支えたのは、裕子ちゃんですね。たぶん。
「裕子ちゃんの料理はうんまい」と昔、岩谷宏が
言っていましたから、
料理の出来る女は聡明っていう世の通説通り、
彼女はとても聡明で心の温かい女の子であられます。

裕子ちゃんを一目見て、彼女こそが、
橘川君を、ずっと、支えて来たんだなって、
橘川君の会社をずっと懸命に支えて来たんだなって、
けいこさんは、思ったわけです。

なぜ、橘川幸夫君の、ON BOOKに、けいこさんが、
呼ばれたのかっていうと、
岩谷宏が、1982年ロッキングオンから出して、
絶版になっていた、
「にっぽん再鎖国論 ぼくらに英語はわからない」を
改題して、「ぼくらに英語が分からない本当の理由」って
いう題名で、ON BOOKで、復刻してくれたからなんですね。

この本は、本当に良い本です。

そこで、なんと、あのロッキングオン初期時代の投稿者
であられます、滑川海彦さんにも、会っちゃったんです。
彼は、東大卒業後、都庁に勤めていたんですが、
今は、橘川君主催のデメケンの一員で、
最近は、「ソーシャル・ウェブ入門」
(技術評論社)が、アマゾンで一位で、独走気味に、
売れているらしいです。

あぁ、彼もあまり変わっていませんでした。
すぐに、ナメちゃんって、けいこさんは、わかりました。

そんでもって、そこで、
早樋さんっていう方にお目にかかって、
また、渡辺さんっていう方にお目にかかって、
また、藤巻さんっていう方にお目にかかって、
みんな昔のロッキングオンファン、イワタニストで
あるっていうことで、
なんか、ブライアンフェリーの話だとか、
キングクリムゾンの話だとか、盛り上がっちゃった訳です。

名刺をいただきましたから、
みなさまには、けいこさんが最近書いた本
イワタニストにとっては、どうでも良い本でしょうが、
送らせていただきます。
もう少しお待ちください。

渡辺さんが、75年ごろだったか、岩谷さんプロジュースの
舞台「名無し人」に関わった石田君、黒川君の近況を
教えてくれて、
石田君は、けいこさんの頭にも強烈に残っている子で、
パン屋さんになりたいって、食べ物やさんをしたいって
言っていた子で、とても、「美しい」子でしたが、
彼は、今は、ラップの世界では、知らない人はいないくらい
有名な、ラップの親分のようになっているらしいです。
黒川君も、映像メディアで活躍しているって
渡辺さんが、けいこさんに教えてくれました。

そんでもって、渡辺さんも、橘川君の ON BOOKから、
本を出したそうです。
みなさん、是非、読んでくださいね。

2次会が盛り上がって、けいこさんは、
終電電車にも乗れなくなってしまい、
橘川君の事務所に泊まらせていただきました。

ナメちゃんは、今、銚子に住んでいるということでしたが、
彼も、銚子行き終電バスに乗れませんでしたので、
ON BOOKの市川君の所に泊まったそうです。

家に帰って、岩谷宏に、
石田君と黒川君の話をしたら、
ほっとした様子で、
「石田君や黒川君どうしているのかな~って
心配していたんだ」と、ぼそりと言いました。

渡辺さんから、
岩谷さんと関わったみんな、みんな、
彼らのその場所で、がんばっています。
それだけ、伝えてください・・・って
けいこさんは、言われて、

ああぁ、一緒に生きるって、こういうことよね。

ああぁ、フェリーが歌うように
「行かせないで!」「行かないで!」
みんなここにいようよ。
ここがすべて、ここが始まり。
そして、この場所以外には、なにもないっていう、
そんな、「幸せ」を、かみしめることの出来る至福感って、
そう、やたらにはないわけで、

ロッキングオンは、やはりすごい場を、創っていたんだな~って、
けいこさんは、改めて、ロッキングオンの偉大さを、
感じたわけであります。


渋谷陽一、あんたは、偉い!!




けいこさんは、アート好き

2007-11-17 06:51:42 | 岩谷宏 ロック
けいこさんは、音楽を聞いたり映画を観たり、
そんでもって、写真を観たり、絵を見たりするのが
大好き。
まあ、一般的に「アート」が大好きなんだけれども、
「アート」って、日常にも、いっぱいごろごろ
転がっているって、思っています。

(環境音楽を創っていたブライアン・イーノは
ある意味、とっても、真理の人ですね。)

けいこさんは、毎日、必ず空を見上げるんだけれども、
空の模様って、その時、その時、一瞬が、アートしている
っていう感じで、大好きです。
特に、雲の形って、同じ曇は、一つとしてないわけで、
この世は、アートでいっぱいって、けいこさんは
いつも、思っています。

昔、松村雄策が、「イターナウ」というグループを
作っていて、そのグループ名のコンセプトは、
岩谷宏が、考えた訳だけれども、
「今が永遠」「今がすべて」っていう、すんばらしい
思想であります。

空を見上げると、
いつも、松村雄策の「イターナウ」を思い出す
けいこさんです。

話は、ちょっと、脇道にそれますが、
アート好きなけいこさんは、アートでも、
「書」は、どうも、好きにはなれません。
「書」は、けいこさんの父親の得意な分野なんだけれども、
けいこさんの父は、今は、もうパーキンソン病という難病で、
字さえ、書けなくなってしまいましたが、書と短歌が好きでした。
「書」が得意であった父親の影響で、
けいこさんは、小さい頃から、書道を、
無理矢理、やらされたんだけれども、
けこさんは、書道には、陶酔感をなにも、感じませんでした。
墨の匂いには、官能性を感じましたが。

アートって、官能です。アートって、陶酔感です。
無私にならないと、アートはわき上がってきません。
けいこさんは、書道には、少しも官能性を感じませんでした。
書を書くことには、全く、無私にはなれませんでした。


それより、けいこさんは、
人の普通に書く「字体」に、それも、本当に、
純粋で、繊細で、なんていう、「字体」には、
その人の人柄を感じ、その人の本質を感じ、
「あたまぐるぐる」になってしまう位、陶酔感を感じてしまいます。
けいこさんは、一種、パーツフェチなんですね。
人の全部っていうより、その人のここがステキ!!って
思うと、その人のことは、すべて、大好きになってしまいます。
「一」の中に「すべて」があるわけです。
だから、人それぞれの「字体」って、その人の本質的人柄ですよね。

自分では悪筆だっていう、岩谷宏の「字体」は、岩谷宏そのものです。
ブライアン・フェリーのような英字を書くけいこさんの「字体」は、
ブライアン・フェリーと似ている、けいこさんそのものです。

そんでもって、よくペン習字なんどの、チラシが
新聞に入っていたりしますが、
あんなもの、けいこさん的には、「へ!」ですね。
おならです。いりません。けいこさんは。
ぺん習字をしていたような字がきれいな人って、
経験的に言って、全く本質的な人ではないので、
けいこさんは、ぺん習字のような字を書く人は、
はなっから、信じていません。

またまた、話は、脇道にそれますが、
「書」と言えば、川端康成の晩年の「書」って
すんばらしいですね。
一流の人って、なにをやっても、たぶん一流なのねって、
川端康成の「書」を、某雑誌で観て、そう、思いました。


そんでもって、けいこさんは、音楽は、ロックが大好きです。
中学生の頃から大好きで、
もちろん、今でも大好きです。
今はですね。アークティックモンキーズに陶酔しています。
あんなバンドを輩出するっていうのが、キリスト教世界、
EUの強さです。
すんごく肯定的な彼らの音は、セックスピストルズ以来、
けいこさんの頭脳を、撃沈したんですね。

中学校時代、ビートルズをはじめとするロックは、
不良の音楽でしたから、
お昼休み、内緒で、放送室から、
ウオーカーブラザーズのレコードをかけて、
校舎内に、放送してしまったけいこさんは、
職員室に呼び出され、先生から大目玉を食らいました。
そんな思い出もあります。

けいこさんは、72年当時、デビッド・ボウイの
ファンクラブ会長だったんです。
それが、けいこさんの唯一の自慢ネタ。

そんでもって、72年の初夏に、ロッキングオンを、
新宿紀伊国屋で手にして、カルチャーショックをうけ、
当時、デビット・ボウイ信者であった岩谷宏に出会い、
そんでもって、渋谷陽一や橘川幸夫や松村雄策に
運命的に、出逢ったんです。

この4人は、けいこさんの、本当のお友達です。
いやいや、けいこさんは、この4人は、
けいこさんの、永遠の恋人、永遠の情夫って、
思っているわけです。