Make Dinner,Not War [料理人の話]
さいきんとくに、おくさんの料理がまずいってこぼす人、ふえたねえ。仕事を持つ女がふえ、ツマの浮気ってのがふえ、離婚がふえ、そういうものがふえふえで、家の料理もまずくなるのかな。
もっとも、クロートの料理だって、よっぽど高いところは別として、最近ではまずいところがふえたとわたしは判断している。
それは、いまの、料理人ができてゆく課程にもんだいがあるのだが、もう一方では、味とか風味とかをもんだいにするほど落ちついた人間がますますこの都会では少なくなってきていることにも原因があると思われる。
わたし、職業柄だけで言うんじゃないけど、人間、おいしいものづくりにはげんでいるとき、これいちばん平和ですよ。そんときの愛情こそホンモノの、いつまでつづいたってアキない愛情だよ。
”メイク・ラブ、ノット・ウォー”ってのはまだだめ。セックスは人間を自閉的にし、社会に無関心にさせますからね。コンドームもオギノ式も堕胎も、そんなコソクなこといっさいやらないで、子供つくって、人間社会つくって、そして、”メイク・ディナー、ノット・ウォー”と行きたいもんだな。
いっしょにおいしいものをたべる、ダンナにおいしいものをたべさせる、これ、唯一の、コミュニケーションね。あとは、ひとりで本読むのと同じ、海や山ながめるのと同じ。
たべること、わたしたちの生活の中心、しかもおいしいまずい、だいたい共通している。すばらしいことで、恥じる必要なんにもない。着ること、住むこと、これは注意すればするほど人間の心貧しくする危険な要素持ってる。
食べること ---- 300円持ってスーパーへ行く、何を買うか、それをどう処理するかの問題だけよ。ずぼらにやるかキメこまかく大胆にやるかの話ね。
料理、本当にまずくなった? これ、日本末世ね。あるいは夜明け前かな。
と言えば中国でも、女が女であることおろそかにして男なみに仕事なんかやろうとするとき必ずその朝廷の亡びる直前だね。
男が迷いはじめたころ、女、やっと、おくれて、キンダイテキジガなんか持ってきたかね。ねえ、シャシン屋さん。それ余計なこと、国亡ぼすのもとよ。なんとかしなさい。
いわたに・ひろし さん
〔これまで〕1942年1月6日、ソウルに生れた。28歳。45年暮れに引揚げ、以後公務員だった父親の勤務の関係で、各地を転々する。福岡県立福岡高校から京都大学文学部入学。仏語仏文学専攻。昭和39年に卒業したが、約1年半ブラブラした後、40年秋上京して、パン菓子業界紙に勤めた。現在は株式会社マーケティング・アーツに勤務し、企画の仕事を担当している。
〔いま〕マーケティングとは、こむつかしくいうならば、企業の活動内容を大衆の欲求の変化動向に適合したものにする仕事だそうで、外に出て仕事をする機会が多い。そのせいか、風俗的なことがらには敏感で、好んで新宿、銀座あたりを歩く。
都内に両親の家があるのに「仕事で遅くなることが多いから」とアパートに一人住い。週末に、たまった洗濯物をかかえて両親のもとに帰るという。
〔ことば〕ある土曜日の午後、ひまだったのでどこに投稿するというあてもなく書いておいたものです。仕事で、毎日、日本の企業の体質というものに接しているせいか、そのうっぷんばらしという意味もあります。優秀作になるか、ぜんぜん相手にされないかのどちらかだと思っていたんですが、入選作とはちょっと中途半端な気もしますけど、まあいいでしょう。
商売がら”生活の中の革新”に気づくのが一番おもしろいんです。たとえば数年前までは、東京の人でも銀座に出るときは着るものに気をつけていったものですが、今の若者は洗いざらしのシャツなんか着て、疲れれば道端にすわったりしちゃう。
言葉は正確に覚えていませんが、赤瀬川原平氏のとなえる「人間の意識、精神を含めた私有制の破壊」というようなことにはすごく共鳴します。仕事でフリーのカメラマンやデザイナーなんかとつきあっても、彼らは「オリジナルな仕事」ということで根強い私有の概念にこりかたまっていて、なかなか大衆の次元にまでおりてこないんですよ。
(朝日ジャーナル 1970.8.9~16 合併号)
終わり

さいきんとくに、おくさんの料理がまずいってこぼす人、ふえたねえ。仕事を持つ女がふえ、ツマの浮気ってのがふえ、離婚がふえ、そういうものがふえふえで、家の料理もまずくなるのかな。
もっとも、クロートの料理だって、よっぽど高いところは別として、最近ではまずいところがふえたとわたしは判断している。
それは、いまの、料理人ができてゆく課程にもんだいがあるのだが、もう一方では、味とか風味とかをもんだいにするほど落ちついた人間がますますこの都会では少なくなってきていることにも原因があると思われる。
わたし、職業柄だけで言うんじゃないけど、人間、おいしいものづくりにはげんでいるとき、これいちばん平和ですよ。そんときの愛情こそホンモノの、いつまでつづいたってアキない愛情だよ。
”メイク・ラブ、ノット・ウォー”ってのはまだだめ。セックスは人間を自閉的にし、社会に無関心にさせますからね。コンドームもオギノ式も堕胎も、そんなコソクなこといっさいやらないで、子供つくって、人間社会つくって、そして、”メイク・ディナー、ノット・ウォー”と行きたいもんだな。
いっしょにおいしいものをたべる、ダンナにおいしいものをたべさせる、これ、唯一の、コミュニケーションね。あとは、ひとりで本読むのと同じ、海や山ながめるのと同じ。
たべること、わたしたちの生活の中心、しかもおいしいまずい、だいたい共通している。すばらしいことで、恥じる必要なんにもない。着ること、住むこと、これは注意すればするほど人間の心貧しくする危険な要素持ってる。
食べること ---- 300円持ってスーパーへ行く、何を買うか、それをどう処理するかの問題だけよ。ずぼらにやるかキメこまかく大胆にやるかの話ね。
料理、本当にまずくなった? これ、日本末世ね。あるいは夜明け前かな。
と言えば中国でも、女が女であることおろそかにして男なみに仕事なんかやろうとするとき必ずその朝廷の亡びる直前だね。
男が迷いはじめたころ、女、やっと、おくれて、キンダイテキジガなんか持ってきたかね。ねえ、シャシン屋さん。それ余計なこと、国亡ぼすのもとよ。なんとかしなさい。
いわたに・ひろし さん
〔これまで〕1942年1月6日、ソウルに生れた。28歳。45年暮れに引揚げ、以後公務員だった父親の勤務の関係で、各地を転々する。福岡県立福岡高校から京都大学文学部入学。仏語仏文学専攻。昭和39年に卒業したが、約1年半ブラブラした後、40年秋上京して、パン菓子業界紙に勤めた。現在は株式会社マーケティング・アーツに勤務し、企画の仕事を担当している。
〔いま〕マーケティングとは、こむつかしくいうならば、企業の活動内容を大衆の欲求の変化動向に適合したものにする仕事だそうで、外に出て仕事をする機会が多い。そのせいか、風俗的なことがらには敏感で、好んで新宿、銀座あたりを歩く。
都内に両親の家があるのに「仕事で遅くなることが多いから」とアパートに一人住い。週末に、たまった洗濯物をかかえて両親のもとに帰るという。
〔ことば〕ある土曜日の午後、ひまだったのでどこに投稿するというあてもなく書いておいたものです。仕事で、毎日、日本の企業の体質というものに接しているせいか、そのうっぷんばらしという意味もあります。優秀作になるか、ぜんぜん相手にされないかのどちらかだと思っていたんですが、入選作とはちょっと中途半端な気もしますけど、まあいいでしょう。
商売がら”生活の中の革新”に気づくのが一番おもしろいんです。たとえば数年前までは、東京の人でも銀座に出るときは着るものに気をつけていったものですが、今の若者は洗いざらしのシャツなんか着て、疲れれば道端にすわったりしちゃう。
言葉は正確に覚えていませんが、赤瀬川原平氏のとなえる「人間の意識、精神を含めた私有制の破壊」というようなことにはすごく共鳴します。仕事でフリーのカメラマンやデザイナーなんかとつきあっても、彼らは「オリジナルな仕事」ということで根強い私有の概念にこりかたまっていて、なかなか大衆の次元にまでおりてこないんですよ。
(朝日ジャーナル 1970.8.9~16 合併号)
終わり
