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岩谷宏と一緒

岩谷宏の同居人岩谷啓子(けい子)が、犬猫まみれの官能の日々を綴る

岩谷宏のロック論 32 イマジン ジョン・レノン 

2008-02-24 12:59:23 | 岩谷宏 ロック
IMAGINE

         by John Lennon




天国もない 地獄もない
人間はみんな ただ
毎日なんとか生きているだけ
―そう思うことにしよう


国家もない 宗教もない
殺し合うことはなにもない
人はいつも平和に生きていると
―そう思うことにしよう


所有もない 我欲もない
すべての人間が
すべてをわかち合って生きていると
―そう思うことにしよう


ぼくのことをバカな夢想家だというのか
でも こう思ってる人は決してぼくだけじゃない
きみもこういう考え方に賛成する必要があるんだよ
世界がほんとうにひとつになるためには



『ビートルズ詩集』(旧訳 シンコー・ミュージック刊)
143ページ) 岩谷 宏訳


(この訳詩は、私の原点です。高柳)


      

岩谷宏のロック論 31 レッツ ダンス

2008-02-22 18:10:06 | 岩谷宏 ロック
レッツ・ダンス


きみの赤い靴をはいてブルースを踊れ
踊ろう、あのラジオの曲に合わせて
踊ろう、顔を照らすライトと共に
人ごみを通り抜け、だれも居ない部屋へ行こう


逃げると言うのなら ぼくも一緒に逃げる
隠れると言うのなら
二人で隠れたい
ここでこのままきみが
ぼくの胸に泣き崩れ
花のように震えるとしたら
それはぼくにつらすぎる


踊ろう、凶運がさし迫っているのだから
踊ろう、安心な日々は今夜で終りなのだから
目と目をひたと見合わせたまま
踊ろう、月の光の下で
この、厳しい月の光の下で


きみは赤い靴をはいてブルースを踊れ
踊ろう、ラジオでかけている曲に合わせて
踊ろう、さあ、じっとぼくの目を見て
からだを揺すろう、月の光の下で
この、重苦しい月の光の下で


          ―対訳/岩谷 宏

「赤い靴」の「赤」の上には、「レッド」と
振り仮名が振られています。

「ひた」の上には、「・・」が振られています。


「レッツ・ダンス」 日本盤シングル・レコードより
B面は「キャット・ピープル」

岩谷宏のロック論 30 イギー・ポップ LUST FOR LIFE

2008-02-19 06:59:18 | 岩谷宏 ロック
Iggy Pop Lust For Life



ラスト・フォー・ライフ
見なよ また酒漬けドラッグ漬けのがむしゃらジ
ョニーの登場が見事なからだを見せつけてまた例
のストリップをやる気だな しかし なんという
ローションだ ひどいもんだ


うかつにも愛とかいう名のからくりにひっかかっ
てしまって以来 あたしは毎日毎日痛いぐるりを
素晴らしすぎる女のコ達にずっと取り囲まれてる
みたいな気分だ


あたしもいわゆるナウなヤングですから 愛なん
てこれまでも耳にうんざりするくらいたっぷり
吹き込まれていた でも今はただ


がつがつと生きたい
なにがなんでも生きたい


あたしが苦しんでのたうっているフイルムは100万
ドルの賞金の値打がある GTカー現代社会の制
服どれも政府ローン 道ばたで寝るのは卒業した
酒とドラッグで自分をごまかすのも卒業した こ
れからはただ


がつがつ生きたい
なにがなんでも生きたい



シックスティーン
ロング・ブーツが似合う見事な16才
ぼくはさっきからあなたにくぎづけ
あなたはすごくおいしそうだ
ぼくは今ひどく飢えています


うす暗いバーの中は顔々々々々、顔でいっぱい
小ぎれいな顔々、ご立派な顔々
しょぼくれ男のぼくを
みんなが胡散くさそうにチラチラ見る


あなたには見抜いてほしい
ぼくが爆発し終ったヌケガラだってことを
いまは痛くって
泣き叫んでいるだけだってことを


みんなみんなご立派な人達で
ぼくなど眼中にない
どうしたらいいのか
あなたにぼくのすべてを貰ってしまってほしい



サム・ウィアード・シン
生きる免許を手にしたことがない
彼等は決して渡そうとしない
だからぼくはこの世の縁(ふち)に立って
なんとか割り込もうとするが
しょせんぼくのガラじゃない
そういう自分の姿が見えてくると
なんかひどくゲッソリしてしまって
そんな時だよ むしょうに
異常な悪事を働きたくなるのは


世の中はますます硬直化し
ぼくには耐えられない
自分自身が、ピンでがっちりとめられた
虫みたいに感じる
外(はず)そうともがいても
しょせん徒労に終る
そういう自分の姿が見えてくると
もうガックリしてしまって
そんな時だよ むしょうに
奇っ怪な悪事でも働いて
くだらないと知りつつも
つかの間のリラックスを得ようとするのは



ザ・パッセンジャー
ぼくは単なる乗客
この町の裏側を走るバスに
もう何年も前からこうやって乗りっぱなし
空には星達(スターズ)が出て来て
おお、なんと明るく虚(うつ)ろな空よ
なんとまあステキな夜よ
ぼくは車窓から眺める乗客
この町の荒れすさんだ裏側の上に
なんと明るく虚(うつ)ろな夜よ
なにもかもステキに見える夜よ
この眺めは全部きみとぼくのもの
いっそ 鼻歌など歌いながら
このまま乗りつづけることとしよう



トゥナイト
「みるまに血の気が引いて青くなっていった。もう、
これは、死ぬ、とはっきり分った。ぼくは彼女の
ベッドの近くにひざをついて、こんなに若くて死
んでゆく彼女にこう語りかけた・・・・・・。」


いい夜だ、今夜は
心配事も問題もなにもない夜だ
だれもガサつかない
だれもおしゃべりしない
だれも考えあぐねない
だれもどこへも行かない
今夜は世界中がいい人だ


ぼくは一生彼女を愛しぬく
この想いだけがぼくを貫いていて
ひ弱な雑念は消えている
今夜からぼくは彼女を空(そら)に見ることになる
そして空(そら)ならいつでもどこにでもある
いつでもどこにでも彼女を見れる



サクセス
これからはすべてがうまく行く
(心の中の)峠をひとつ越したので
今後は万事好調、大成功
タフな車があるのと同じ
みっしりしたジュウタンがあるのと同じ


ギリギリまで追いつめられたから
この大好転、これからは
(自分のことでなく)きみのことを気にする
これまでは人間社会などと
  ごたいそうに考えていたが
いまでは完全に動物園に見える
ゴタゴタの中にうずもれていた自分の顔も
いまではぬけ出て
くっきりはっきり
ヘンな顔だけれども
なにしろこれがぼくの顔
ぼくは自分をあけ渡し
きみに殺られたので
ぼくの中は新しい感動でいっぱいになり
むさくるしい頭でなく
カツラをつけた気分になり
もう、嬉しくてたまらなく
きみと一緒にワッとハデにやりたく
カエルみたいに跳びはねたい


いろいろ言ったり考えたりする
余裕すらないところにまで
ギリギリに追いつめられてしまったので
かえってなにもかも軽くなり
あかるくなってしまった



ネイバーフッド・スレット
ずっと下の方、おまえのメッキが剝げているあた
り、ほら、秘密の階段のところに、ダチ公がひと
りいるだろ


ああ、そこには、かならず、だれかがいて、そこ
で寝泊りしてるんだ、そいつには


外の荒れ模様もわからんし、おまえが楽しそうに
してても関係ナイという顔をしているし


ほら、いま、そいつの目を見てみろ
まともじゃない目を見てみろ
おどろきだろ
そいつはおまえの葬式に出る訳じゃない
でも、ほかの連中はみな
おまえのガラクタばかりに目をつける
おまえはそいつが邪魔だ
どの人間も実はそいつが邪魔だ
でもそいつにはおべんちゃらは効かない
おまえの所にたいしたものはないと知っているし
おまえを顔を見たって
  特別な感情を抱くわけではない
だのにおまえはまだ隣人を警戒するのかね
隣りにはミルクを呑む赤ン坊がいるだけだ
隣りには手伝いの欲しい母親がいるだけだ
家の外では子供ががんばっているが
たいていはうまく行かないで泣いている
おまえのメッキが剝げているところにいる
見知らぬダチ公とは
その子のことだぜ
だのにおまえはこれからもまだ
隣人を警戒するのかね
隣人のことなど無しで済ませたいのかね



フォール・イン・ラヴ・ウィズ・ミー
はるか西ベルリンの
この古めかしい*サルーン
白ワインがひと瓶
水でできたテーブル
そして、あなた


あなたは安物の毛皮を着て
ビニールのレインコートをはおって
ビニールの靴はいて
雪の町に立っていた
とてもすてきに見えた


あなたは見かけよりは
ほんとはもっと若いのでしょう


あなたの黒い瞳
髪も黒い
気持も若々しくて
あなたはめったにいないタイプ
ぴったり、ぼくが必要なタイプ


とても若くって
しかも浮わついてない
めったにいないタイプ
ぼくが欲しい
たったひとつのタイプ
あなたは実際のとしよりは
ずっと若くみえます


くずれたならば
さらにあなたはすてきでしょうに
はるかにはるかに魅力的になるでしょうに

注*)やや広めのバー


           [対訳:岩谷 宏]

*「ターン・ブルー」は、歌詞・対訳共省略
させて頂きました。ご了承下さい。

イギー・ポップ「ラスト・フォー・ライフ」
日本盤CDより



岩谷宏のロック論 29 ジョンレノン SCARED

2008-02-16 08:51:49 | 岩谷宏 ロック
SCARED
ジョン・レノン



結局ぼくはすごくブザマな死に方をする


旧人類の総体に対する憎悪が結局ぼくの
いのち取りになる


いや、いままでだって、ぼくはまだ一度も、
生きたためしなどない


傷だらけになりながら、つのる恐怖に
ビクビクしながら、かろうじて
すり抜けてきただけだ


もう、ロックというかたちで
自分のユニークさを喜ぶことなど
やめようと思う


どんどん押しつぶされてきているのが

はっきりわかる


ぼくらになんにもできないことも
はっきりわかる


無駄な抵抗は止そうと思う


憎悪が黒い固いかたまりになる
ぼくは、ぼくがこうして、古い世界の
ことを気にする理由を考えようとする


そして
気にする自分を恥じる
本当に気にしてたら
恐怖以外のなにもない



『ロック訳詩集』より、30・31ページ

邦題は、「心のしとねは何処」で、アルバム
「心の壁、愛の橋」に収録されています。(高柳)

岩谷宏のロック論 28 ファシネーション

2008-02-14 06:15:52 | 岩谷宏 ロック
FASCINATION
デビッド・ボウイ



ここにエーテルの星を撒くはだれ?

幼いつる草のむれは黄色い手に

いちご色の光の花冠に

(わたし)を(きみ)にそそのかす

そそのかしつづける永遠の

小舞踏会よ熱帯よ ひたいに光る汗よ

もはや

来るべき朝は月の出

夜は月のさかり

ひそかにつむがれているのは

ひそかにひそかに

放射とたわむれをくりかえす

(わたし)たちの

バスストップのつどい

夜よ

もう決して下らない微熱


 ファシネーション
 きみをとりまき
 ファシネーション
 僕はかなしばり


坂を下りていったのはだれか?
夢を食べてしまったのはだれか?
花びらをちぎってしまったのはだれ?


世界を
このように
まるくたわめたのはだれか?

きみの犬のほえ声は
いま急速に遠ざかる

時間を食べたのはきみだ
ほのおを
やわらかいふとんに変えたのはきみ

夢を見たんじゃない
いま

わたしたちが夢になったのよ
もう さめて帰ることは
不可能な夢に―


ああ
花冠よ
世界をやわらかくとざして
生きることを可能にしてしまったのは
きみ

ほのおの滑走路
急降下してゆくわたしたち

火花が
無数の小さな火花が
もはやとまることなく散(ち)リ散(ち)リリリと
散りつづけるるのみ


 ファシネーション
 きみとぼくの
 ファシネーション
 やわらかい


 ファシネーション
 永遠のきずな
 ファシネーション
 きらめきつづける


(訳注:この曲は、これまでのボウイの曲すべ
ての中での、最高傑作だと思います。みんな異
論はないと思います。ただしウマク訳せたとい
う自信はないノダ。Fascination =魅入られ
て動けないこと。)


     ―『ロック訳詩集』P78~81


岩谷宏のロック論 27 なにしろ 元気な あなたへ

2008-02-11 09:29:39 | 岩谷宏 ロック
「なにしろ 元気な あなたへ」


あなたが ほんとうに 最大に大きく求める人なら いつかきっと気付くでしょう。この世界が 実は とても希薄な世界であることに。あなたが 今の不注意な 荒々しい呼吸を ふと反省する日が きてほしい。

あなたに 私の 裸で無一文の ほんとうの私の姿が しっかりと見えているなら 今だって 気付くでしょう。あなたが歩いているのも 私が歩いているのも闊歩の許されない 薄氷の上だってことに。

私達は この乏しいもののために この弱いもののために この乏しくて弱くてでも私達にいつも涙させるほどに貴重なものを 大切に育んでいこうと そのために生きているのではなかったか。

ある日 それが確かに見え 確かに感じられたからこそ 私達は 新しい世界の可能性を信じたのではなかったか。幻想でもなく 理想でもなく 思想でもなく確かに 現(うつつ)に。まず 最初にあなたの中に。

それを度外視しては ほかに あなたが生きていくねうちはなんにもない。

それを 優しく守り抜こうとするだけでほんとうは私もあなたも いつもせいいっぱいにのはずで だからあなたも それからいつも視線が外(はず)れてさえいなければほかに なにか客観的視点など 持てる余裕はないはず。

それに ちゃんと気付かなかった老人達が この世界を汚し 荒らしていった。今また あなたの元気活発な視線と言葉が 薄氷を無造作に踏みしだいて行くような。

なにか 手近にある 客観的基準らしきものを これみよしに手にしたあなたは一見 とっても偉そうに見える。でも 私の方には 手にすべき武器はなんにもない。

そして あなたは忘れている。わたしたちはこれっぱかりも 客観的にスタートなどしたのではなかったこと これからの だれの どのスタートだって・・・。 (入学試験や入社試験じゃあるまいし!)

あの人達がやったことはあの人達がやったこと。それはあなたがやったことじゃないし 私がやったことでもない。なぜそんな 初歩的な錯覚を。

1963年から数えるなら14年経ったわけか。だもんで今あなたは、化石の側に つまり出来上がってしまったものの側に つまり客観の側に しっかりと染まって いつも幼い私を・・・・・・ そりゃあ 蹴り捨てるのはラクでしょうよ。なにしろあなたは トラの威を借るなんとやら。

あなたが最初に感じ これを信じるべきではないかと感じたもの そして 今日この日までも そしてほんとうは この今このときも 感じ続け 信じ続けているものは 私は知っている それはあなたの中で老いることはなく いまも その日のままに 幼く みずみずしく ひりひりと たよりなぁい存在であることを。

その この ただ一点をごまかしたり ワキへ置いたりしたのでは そんなあなたの言葉 行動 いっさいは もう どう言っていいかわからないほど すっかり空(むな)しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

稀薄な空気は 心して静かに呼吸しないと からだにしみない。薄い氷は ほんとうに心して歩かないと あることがわからない。あなたが ついにわからないまま この世を ばったばったと 駆け抜けていく人だとは・・・・・・思いたくないけど どうしてもそんな人なのなら 私のような 生身(なまみ)の人間は せめて よけて通って下さい。針1本でも 人は死ぬのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

X氏「ロッキング・オン=ミニコミ誌 アングラ誌 センズリ誌 ぺらぺら 貧乏雑誌」
私「そんな客観的なことを言うあなた分だけいつも1ページ薄いのさ。あなたみたいな人がn人いればnページ分いつも薄いのさ。でも そんなふうなことを言うあなたって いったい 何様(なにさま)?」

★岩谷 宏


【RO 1976年6月号 p.50】

岩谷宏のロック論 26 ロックンロールウイズミー

2008-02-08 07:13:17 | 岩谷宏 ロック
ROCKN’N ROLL WITH ME
デビッド・ボウイ



かろうじて調子を合わせたフリをして
生きている僕の正体を


何万人ものあいつらに見破られたとしても


冷たい黙秘の態度をとれるだろう



僕にはきみがいるからです
僕とロックしてくれるきみがいるからです


優しい心はますます無造作に

け散らされて行く


もうなにも見えない
音の中にもなんにもない


僕は息切れしそうに苦しい
しかし、もう迷ってはいない


突破口ははっきり見えている
あそこから脱出すればよいのです


ロックを聞いていると僕は自分が
このままで正しいのだと思える
それに すばらしいきみがいる
ああ 最近僕はわけもなく
泣けてきて泣けてきてしょうがない



『●エピタフ叢書第一回 ロック訳詩集
 世紀末解體新書』著者 岩谷宏 より
P8~9
 

岩谷宏のロック論 25 イースト・オブ・エデン「世界の投影」

2008-02-07 02:22:54 | 岩谷宏 ロック
イースト・オブ・エデン「世界の投影」


1.我が北半球


北半球はすてき
いろんな事が起こる
自分の頭を取り外す手品師もいて
ほら今その頭が消えてしまう
頭も手足も無くなった胴体に
もうお仕舞いよ と女は告げる
ところがそいつはまたまた出現
この西半球に
すてきな事ばかりの西半球に
たとえば小鳥が飛んでいる
ダイヤの木の周りを飛んでいる
無名がいいわ と女は告げる
だって彼女は自由でいたいから
だって家に帰ればどの家にもやすらぎ
でもこの北半球では
おかしな事ばかり起こる
でもあなたの中の小鬼は答を待っている
もっと高いところからの呼び声を


南半球だってあるんだよ
そこではあったかい事が起こる
陽の下の小さな島々
太陽=人生という人だっている
キモノの襟を正しなさい と女は告げる
うんと高いところから女は告げる


2.イザドラ


踊ってよ、イザドラ、あなたはすばらしい
そよ風に袖をゆらめかし
あなたのしなやかなからだが
すすり泣くように揺れるとき
わたしの心はやわらかくなる
あなたの踊りは生命(いのち)あなたの愛は惜しみなく
あなた自身は今つたの葉のしげみの下にねむっている


あなたは世界中の嵐と斗う
あなたの踊りは毅然としている
太陽と重なって、燃える炎のよう
あなたの生命(いのち)は踊り
いっさいのてらいもなく見事
あなたは眠る、つた草の下に


3.大河の流れ

ピンクと真珠色の流れ
白いハゲタカとワニ
黒いゴンドラを揩ぐ人
両岸の木々は高く美しい
ピラミッドはすべてまっ赤に染まり
王と女王の秘曲が聞こえ
真紅のローブと感動の歌
はためく黄金のつばさ
探せばさらに
アイスクリームのコーンに玩具
陽に焼けたネクタイに優しいサンダル
頬すりよせるライオン達


それらすべては鏡の中に
それらすべては真夜中の太陽の影に
それらすべてはむなしく流れゆき
それらすべてはからみ合う大蛇のむれだ


4.半人半獣の女


からだは人間のからだでも
顔は一角のようなんと不運な女(ひと)よ
美しいからだに馬の顔
からだを美しくしなわせて
水浴するときもお尻にはしっぽ
私がキスするとハリネズミになる
一緒に食事して
私はステーキ・フランベを注文するけど
あの女(ひと)はひとたばのまぐさを食べるだけ
ああ、私は、いっそ
空に駆け昇るライオンとなり
こんなことのすべてをかき消したい


5.水浴する人々


ときおりその浜辺には魔女達が現れ
濃い錆び色の砂路の上を飛び
洞窟になだれ込む
その洞窟の中は色とりどりの石で光っている


それは秋のある日のこと
私達は小舟に乗って釣りに出かけた
舟に潮流にゆっつがくり流されて
空と海の交(つが)う彼方をめざす
水浴者達はこぞっておもむろに
水着を脱いで全裸となり
ジプシーの笛の音に誘われて
ゆっくりと水に入ってゆく


ここは世の人の知らぬところ
私達は夜の海辺を歩み、くちづけを交(かわ)す
私達は波に乗り潮に流される
空と海の交(まが)う彼方、月は昇り
水浴者たちはおもむろに水着を脱いで
ジプシーの笛に誘われて
水に入りゆく


6.コミュニオン


あなたの唇が私の息を塞ぐとき
私は死んだように静か
あなたの手が私の目を覆うとき
私はあなたの眠りの中で眠る
あなたの胸が私を悦ばすとき
私は完全に充ち足りる
ああ、あなたは素晴らしい


あなたはそのままで素晴らしい
あなたの唇が私の目に蓋をするとき
きっと私は熟睡できる
そして二人のからだに生命(いのち)よみがえり
あなたの目を見つめるだけで
私はなんにもしたくなくなるだろう
確かな新鮮な生命だけを
感じていることだろう
あなたはさらに素晴らしく・・・・・・
(ナレーション部分=省略)


7.蛾


この夢がうつつとなるならば
私は世界を理解するだろう
そしてあなたと私は
再び確かに愛し合えるだろう
ちっちゃな柔らかな美しいあなた
まるであなたと最後に寝る夜に
夢に出て来る小さな蛾みたい
あなたはベルベットの羽根をはためかせて
深く安らかな眠りの国へ
舞い降りゆくのだろう


朝の光が滝のように眩しく降り注ぐ
蜘蛛が静かに巣を紡ぐ
思えば懐しい愛の日々よ
昇りつめ、安らぎ
束の間の栗の香※を放ち
あなたと最後に寝る夜は
別荘のすべての明かりがついている
そんな中をあなたは
小さなベルベットの蛾になって
深い安らかな眠りの国へ
舞い降りてゆくのだろう

(※=射精時の精液の匂い)

     
           (訳・岩谷宏)

ストレンジ・デイズ・プレゼンツ
BRITISH ROCK LEGEND SERIES 第一回
ROCK FANTASY Part1より

UICY-9036(Deram) 紙ジャケCD
解説 岩本晃市郎

現在は廃盤です。(高柳)





岩谷宏のロック論 24 ヒーローズ訳詞

2008-02-01 07:05:03 | 岩谷宏 ロック
「HEROES」

私は王になり あなたは王妃となろう
救いは無いが きっとうち勝てよう
いつの日か 私達はヒーロー

みじめさをかみしめて 酒びたりの毎日
愛は確かでも それはただ 私達だけの愛
まわりの世界は 今もすさんでいる
あの人達をうち負かすとき 私達の愛はヒーローの愛

イルカのようにすばやく 自由に泳げたらと思う
助けを求めることなく 醜い人々を倒して
いつの日か 世界を私達の手に

この私 私が王 あなた あなたが王妃
救いはどこにも無い しかし闘いは続く
私達がヒーローになるその日まで

いまも忘れはしない ベルロンの壁ぎわに立ち
頭上に絶えぬ銃声の中で 私達は抱き合っていた
でも一方では うしろめたくて
世界を彼等が支配するかぎり
私達の愛は無力なもの

ヒーローにならねば 世界を掌握する愛でなければ
いつの日か 私とともに みんなが 一人一人がヒーローに

まだみんながバラバラな今 一人よがりを言うだけになる
いつの日にかきっとヒーローに そうとも確かに
確かな強い愛で いまではなく きたるべきその日に

いつの日にか私とともに 一人一人がヒーローに
確かな強い愛で いまではなく きたるべきその日に

訳 岩谷宏



1978年12月12日 NHKホールでのコンサートを収録した
「YOUNG MUSIC SHOW」より 1979年3月26日 午後
5:30~6:30放映

読みやすさを考えて、テレビ画面と同じ改行にはして
いないことをお断りしておきます。(高柳)


岩谷宏のロック論 23 エマーソンレイクアンドパーマーろん ⑤

2008-01-30 09:31:09 | 岩谷宏 ロック
ぼくは小さいときから、いろんなことにうとくて、いろんなことに
気付くのが遅かった。
といより、ほんとうに正確にいえば、あとから、むりやり、
いろんなことに「気付かされた」た。


だからぼくは、人間は、本来的には、実体的な思想とは
まったく無縁ないきものであるといまでも信じている。
一例をあげると、小学校三~四年生のころ、
ぼくが女の子たちと、からだをぶっつけあったりしてふざけたり、
あそんだりしていると、同級生のやつらの一部が、
しきりと、ぼくをひやかしたり、はやしたりするのだ。
当時は彼等がなぜそんなことをするのか、
ぼくはさっぱりわからなかった。

いまにしておもえば、彼等こそ、”実体的思考世界の人間”だったのである。
彼等は、本来的な人間に抑圧を強いるだけのへんてこりんないきものだと思うが、
しかし、少なくともいままでは、世界は、彼等の論理のみが通用する世界だった。

いろんなことに気付かされ、気付かされても本心では
納得できないままにいままで生きてきたぼくとしては、
抑圧がたまりにたまってふき出す寸前。
そして、そこに、ロック、具体的にはジョンレノンのショウトが
ある日がくぜんとひびいたのだ。

さきほどの例でもわかるように、ぼくは、ぼくの同世代、
近隣世代の中では、特に男の中では、どーしょうもない
マイノリティであり、一見した現象としえはまったくの
アウトサイダー的である。


また、女にたいしても、女が、いわゆるアメリカ・ヨーロッパ渡来の
”自由”というやつを所持するようになってからは、
一部の女どもからもアウトサイダー的になってしまった。

ところで、ぼくよりも十もトシのちがう、つまり、いま、
二十才前後の連中の中では、ロックを好む人間はやはり
マイノリティなのだろうか?
どのていどのマイノリティなのかマジョリティなのか?

もっとも、ぼくは、こんなことを本気で気にしているわけではなく、
どおなのかなあ、といったていどの気持ちなのだ。

だいたいぼくは、新しいサウンドの良さに気づくのが、
ティーンたちより半年から一年おくれていた。
でも、なぜか最近はほとんど差がなくなってきた。
いまでは、むしろ、ときどき、大学生ぐらいのやつの好みの感覚を、
(つまり、なにかというと”イモだ”と連発したがるやつら)
「古いなあ」「まだ実体のシッポが残っているなあ」と
思えるまでになってきた。


(おもえば、むかしは、ぼくの同世代の環境では、とても、
「フルーツガムカンパニー」が好きとは、「ビージーズ」が好きとか、
言えないような状況だったのだ。みんな、ジャズによって育った
お上品なやつらばっかしだったから)

イモでいいじゃねえか。みんなハダカになって土にまみれりゃ、
人間だれもがイモじゃねえか。
なにをツウぶってやがる!なにを上品ぶってやがる!
おれは土のついたイモがいちばん好きだぞ!----と、
いまは、ぼくは、こうやってテッテイ的にイナオッちゃうのだ。

エマーソンレイクアンドパーマーも、いってみればイモバンドである。
しかし、もはや、土を洗いおとしたふてぶてしさがある。
肌にもろにヒリヒリとうずくような、裸形の狂暴さがある。

そして、土をおとすもの、それは、自己意識の行為にほかならないのである。
磨かれた鉄鋼製のピカリギライのイモ。

(どうも、いまは、立場が逆転しているらしい。
無意識的にやれる連中(古き良き時代の連中)の方が、ツウ好みらしい)

そもそも、だいたい、「無意識的に狂暴になれるやつ」なんていっこない。
いれば、それは犯罪者、精神病者、そして動物のたぐいである。
(北爆なんてのはあれはちっとも狂暴ではない、
あれは、ひたすらおろかしく”怜悧”なだけである)


これでおわり(なんマイあるかな?)




岩谷宏のロック論 23 エマーソンレイクアンドパーマーろん ④

2008-01-29 07:34:51 | 岩谷宏 ロック
意識的にやることが必要である。
それは、ヨーローッパの特徴でもあり、インテリの特徴でもあるが、
また、ぼくらにおいても、これからは、無意識にオメデタク
やることなどゆるされておらない。

意識的にやること、このことこそが、ワレワレをして、
アフリカからも、黒人のブルースからもはるかに強力な存在とし、
やがて、世界村落を望見させるみなもとでもあるのだ。

キラーの最後のテープの音は、「まきもどす」音ではなくて、
急速に「消去する」音だ。
「意識的な行為」とは、むろん、後者の方であることはおわかりだろう。

朝日がのぼったらおきる、というのは、
実体思考型人間の典型的な日常行動である。

そして、タルカスの冒頭では、次のようなことばがたたきつけられる----
「おまえは時間というもおを自分からつきはなしてみたことがあるのか。
夜が明けたら目をさますという習慣が、
おまえを、いまのようなどうーしようもないバカ者にしてしまったことに、
おまえはいつ気付くのだ。」
実体的な思考=バカげた習慣にほかならない。

(ぼくが、いま、夜寝て朝おきるというのはメシをくうための、
世間への妥協にすぎない。)

「おまえが自由とやらを語るたびに、飢えた子供がまた一人死ぬ」----
これは、アメリカの連中、カルフォルニアのイイ気な
ぼっちゃんどもにむけて言われたことばであるような気がする。ぼくは。

(すこし酔って、だるいからだにムチうちながら、
タルカスのAめんをききながら、このへんは書いているのです)

EL&Pの音は、アタマやカラダにひびくというより、
むしろ、セキズイのあたりにビンビンひびく。キモチイイ。


平原は ただ 雨を待ち
年月が 豊かにみのるたび
愛は
雨風(あめかぜ)にうたれた、私の高い壁を浸食する。
潮(うしお)はしずまり
風はやすらぐ----
この、私、という小島に。
(キングクリムゾン、アイランズ)


だから
私の生には終わりはなく
また 私の死は
”いつ死ぬ”というものでもない

死は生

(キエフの大門)


(もうなにも書けなくなったョ。でも書くぞ。
あと十マイくらいは書くぞ。ていさいつけるために!)

ロックバンドが、主役対脇役という一体的な関係から、
いまのような、それぞれが強固な主役、という、
音楽的な関係へと成長してきた過程において、
その時期時期で、サウンドの本質をきわだたせる楽器が
推移してきている。
それは、ギター&ボーカル→ドラムス→ホーン→
ベース&キーボードといううつりゆきである。

キーボードの場合、クラッシク畑では、
タッチとかフレージングといった、人間の、肉体的な要素が、
その演奏表現上重視される。
しかし、現時点でのロックの場合、その演奏はエマーソンもいうとおり、
「パーカッシブ」な要素が圧倒的な主勢であり、
また、楽器もムーグとかメロトロンのように、
「意識的に」「対象的に」音を操作でるものが、
おびただしく鳴りわたる。


また、ベースの場合は、従来、サウンドをその基盤において
支えるための役割を地味になってきたこの楽器が、
「支える」という基盤的な場から浮きあがることなしに、
力強く、明確に振動する(させる)というひびきになってきている。
基盤そのものをビンビンと振動させること、
これは、意識化を完全化せんとする完全な衝動以外のなにものでもない。

そして、そのような激しい音の中で、往々にして用いられるストリングスは、
それは、「完全な意識化」という衝動の中に、
全存在を拉致しよう、包括しようとする、とてつもない意欲の
あらわれである。


まだ、基盤がゆりうごいていない者のみが、ときとして、
「ハードロックはきけない」という気分におちいるのである。
そして、くりかえして言うと、ゼッペリンは、今日のロック状況における、
過渡的、中間的、結節的な存在なのである。

基盤がゆりうごくことは、同時に、基盤が完全に空白化することである。
つまり、ゆりうごきは、存在という地平でヨコにゆりうごくのではなく、
タテに、垂直に、しかも、存在→無という一方方向のみにゆりうごく。
つまりつねに、どっすんばったんびんびこびんと、”おちる”のである。

ぼくらは、存在を、たえず、一挙に、無へと回収する。
そこで、実体の独自存在性という文明人にとって何千年もの固執であった観念が、まったく無意味化するのだ。

「幻想」とか、「錯乱」とか、「狂気」ということばはすごく誤解されやすい。
実体的な思考をはなれられない人々にとって、それはふつう、なにか”奇怪なもの”
”奇妙きてれつなもの””反社会的な挫折すべきもの”といった意味をもつ。
しかし、ここでぼくのいっているそれらのコトバは、あくまでも、
このような、「主観基底の空白化の中におけるそれら」なのである。

世界がはがれおちる、実体がまったく無意味化する、といったことは、同時に、主観
基盤の空(くう)を意味する。

つまり、それは、自動的な幻想であり、自動的な錯乱であり、
自動的な狂気であって、主体的な中身のぜんぜんないものなのだ。
つまり、それは、ひとつの純粋な衝動そのもの。
それが、実体の無化であり、普遍的な主観性の全面的な回復であるという意味で、
これらのコトバを、つかうことになるのだ。

「実体的な幻想」ではない、ということ。

そして、普遍的な生活としての普遍的な主観性とは、
これこそが、ただひとつの「実在」である、うむをいわせずあり、
うむをいわせずイキているものである。だから、ロックの根は、
あくまでもブルーズなのである。


続く。



岩谷宏のロック論 23 エマーソンレイクアンドパーマーろん ③

2008-01-26 07:00:33 | 岩谷宏 ロック
そしてぼくには、そういうものをすべて一挙に破壊してしまう能力は
そなわっていない。

永山則夫的愚行にはしるには、いまのあたしゃ、インテリすぎる。


いずれにしても、「ハードロックはきけない」なんてのは、
どうしようもない保守反動だ。いずれおれが銃殺してやるからまってろ。


たとえば、NMMという雑誌の、こんぽんてきなマチガイは、
すべて、各種各様の古典的実存どもが、いろんな文章を
書いたりレコード評書いたりしている、という点にこそあるのだ。

理解する能力、自分にとって外的なものとして味わい鑑賞する能力と、
どうしようもなく「やられる」能力(?)とは、こんぽんてきにちがうのだ。

さて

カールパーマー、マイケルジャイルス、そしてイアンウォーラスといった
連中のドラミングは、それまでの名ドラマーのごとく、
ある固有のリズムにぴったしインしてくるのではなくて、
たえず外側からビートを加えて反撥されたり、むちゃくちゃに
ふみはずしたり、あるいは外側にはみでる、といったタイプの
ドラミングである。


(こういう傾向のさきがけは、すでに、ジョンボーナム、
ドンブリューワー、サイモンカークあたりに、はっきりにおっている。)


これは、たとえば、ビートルズ後期のレコードのような、
つまり、ジョンのオトの上で他の三人が、
チョコマカとおにんぎょしばいをやっているといった感じとは
まったく逆の、むしろ、強力なプラスの関係としてそうあるのである。


つまり、ロックバンドはコミュニティではなくて、
むしろディスコミュニティであるようなコミュニティであるという、
新しい関係がここには確立している。


いま、ぼくが、ドラムをやるとしたら、
やっぱし、こういうドラムにならざるを得ないだろう。
偽善的演奏でもしないかぎり。


これはどういうことか、というと、
つまり、いまや、ロックが、ひとりひとりの人間のものになった、
ということである。ひとりひとりの人間がロックになった、
ということなのだ。
つまり、ひとりひとりの人間が、
ロックへと、醒めたと、いうことなのだ。


産出行為の中で産出目的のために一体となった一定の複数の個人、は、
まだ醒めておらない。
したがって、Tripにおちこむキケン性を十二分にもっている。


たとえば、これまでの倫理学は、
「ひとりひとりの人間が勝手なことをやっちゃいけない」というものであり、
はなはだしいのは「ある特定の人間はある別の特定の人間に従わなければならない」というものであった。
とくに、これまでの歴史を推進してきたのは、主として後者の方である。


ロックは、そのいきつくところでは、
こういったデーゼをまったくけちらしてしまう。
それでいて、なぜ、まったく心配はないのか。
(ぼくはワカラズヤに説明することの無意味さにはコリているので、
この点についてはこれ以上書かないことにする)


古い音楽になじんでいる人はこいういった傾向にどうしても違和感を感じ、
ひとによっては拒絶反応をおこしてしまうらしいが、
これは黒人音楽になにんでいる人が「ロックはどーもイヤだ」というのと
相似的な関係にある。
まあそーいう人は、「ヘッド」の「永久革命」を
はじめから放棄してしまっている人なのだ。


(この節、平岡政明氏のような人に捧ぐ)


「あらゆる犯罪は革命的である」なんつっちゃって、
「革命的である」ことと、現実に「革命である」ことが
月とスッポンほど以上にちがうんだという、
この、ごく基本的なことすらわかってないバカが
この都会には多いような気がする。
人は、革命「的」であることについてなんて書いちゃいけないのだ。
なぜなら、そんな行為の中でこそ、
その人は、ほかならぬ自分自身の革命を完全に見失うからなのだ。


「現実に革命であること」は、すごく単純なことであり地道なことである。
あんたのいうとおり「たいくつでつまらない」ことだ。
まず入門者用としてフリーってグループのレコードでも聞いてみなさい。
たしかにそうだってことがわかるから。


(アリスクーパーの声は、きいているとぼくのセキズイから
オロオオロとナミダがにじんできそうな、イイ声だなあとおもって、
いま、しばしボーゼンとしているところ)


(今日の日曜日は早めにおきてせんたくをすませて、
めしをくい、まずキーボードでコーラをのんで一回、
そして夕方サブマリンでビールをのんで一回、つごう二回、
ライブクリームⅡBめをでかい音できいた。
よっぽど買おうかと思ったけど、クランプトンのギターインプロは、
いまとなっては、いっこうに古めかしい。だめだ。)


(四月下旬から五月上旬にかけてはキャベツがいちばんやわらかくて
おいしい季節あのだ。今日は一日中キャベツばっかしくってた。)

いまの、くるしみの中からこそ、新しい生命はうまれる----と
グレッグレイクの詩はあくまでカッコいいし、
また、それは、すごくほんとうだと思う。
ほんとうだと思うよ。


なにも心配することはない。


知っている人もかなりいると思うけど、
十九世紀末のフランスにランボーという大変な詩人がいて、
そいつは、十七、八才のころ、パリコミューンの影響をうけて
ちょうどロバートプラントのシャウトみたいな感じの詩を書き、
しかし、オトナになるにつれ、いたたまれなくなってアフリカへ逃げた。


二十世紀末、ひとつ。
いたたまれなかろうがなんだろうが、ここ、を、動かぬこと。
「ここ」で、すでに、なにかがはじまっているのだから。
ふたつ。アフリカも、黒人のブルースも、
すでにぼくらには一種のギマンであること。
つまりぼくらはいまや、まったく新しい、
すなわち「自覚的な」そして「当然な」コミュニケーションの次元
にいること。


「世界がはがれおちる」とは、
実体的な思考実体的な認識感覚から解放されてゆくことだ。
肥大し、世界を占領した幻想をまえに、実体が萎縮し無意味化してゆくことだ。


キースエマーソンは、いまや、意識的にそれをやろうとしているのだ。
そして、ぼくらの特徴として、やろうと思ったことは、
次の瞬間には、完全に成功している。
幻想は、世界を占領している。


レッドゼッペリンは、まだ、完全に「意識的にやっている」というほどではない。
その証拠に、といってはおかしいかもしれないが、
彼等は、「本当は自分たちはカントリーがやりたい」といっているそうではないか。


「本当はカントリーをやりたい」やつらが、
状況的に、すなわち意識の状況としては
とてもじゃないがそんなことはやっておれず、
また、やっておれないからこそ、
それにあこがれてやまない、というありかたは、
歴史の、ある決定的な変節点に特有の現象である。
レッドゼッペリンとはそういう過渡的を記念する偉大なグループなのだ。
彼等は、意識の、時代的な状況というものに忠実であった。
「カントリーをやりたい者」が、実際に「カントリーめいたことをやる」ことの、
とんでもない欺瞞性を彼等は完全にまぬがれているのである。
ザ・バンドは偽善家である。


ひとが、実体的な思考にしばられているかぎりは、
人間同志が本当に仲良くなることはぜったいにあり得ない。


ロックはなぜ巨大な音でなけりゃならないのか。
また、なぜ、巨大な音であるがゆえに、
なぜ、ああまでもキラわれ、ニクまれるのか。
それは、実体的な思考を、そのとき、
暴力的に切断するがためであり、
また、その切断のずうずうしさが、
旧人、すなわち実体的な思考のワク内にいる人には、
とおざけたくてやまない対象であるのだ。


幻想の中にいること。
シラケた、すなわち普遍的な、主観性の中にいること。
認識論のマリファナ。


ピンクフロイドは、実体に対する主観の主張ならびに拡大である。


エマーソンレイクアンドパーマーは、実体の慣性に対する主観の自由行動である。


前者は存在論的であり後者は人間論的である。


続く。




岩谷宏のロック論 23 エマーソンレイクアンドパーマーろん ②

2008-01-23 06:52:07 | 岩谷宏 ロック
いまでも、アフリカ人ってのは、どうみてもぼくらのいまの目からみ

て、ナミの人間じゃない。
顔や目や表情をみてもそうだ。
『わたしのものはあなたのもの、あなたのものはアフリカ(=全存在)のもの』
これが、東アフリカの、日常的な童謡の歌詞だというから、まいったあ。

そこで、ロックは、もっとはげしくやる力をもってる。
ロックならこういう----『わたしのものなんてものはない!単に、
いま、たまたまわたしが使っているということにすぎない!
わたしのものなんてものは、そもそも、大地かいびゃくいらい、どこにも存
在しておらない。したがって、あなたのものなんてものもそもそも、
この世に存在しておらない!』


意識のうしろに自分をまいぼつさせてきくかあるいは意識と自己意識
とを、針のように正確に対峙させつつきくか、によって、音楽の好み
はずいぶんちがってくるようにおもえる。


ぼくにとっては、後者の場合しかあり得ないので、
もっぱら後者の場合のことについてしか書けない。


つまり、そこにはよけいなものがない。すべてが暴力的に明白だから、
ぼくらはそこで、いわば「錯乱の正当性」ともいうべきものを入手する。
完全な錯乱とは完全な忍耐である。


よけいなものがない、ただひとつの、わかりきった、なにかしかない、
というココロのありかたは、従来ならそれは、「インテリ」という
概念の理想型である。


無色透明で硬質、そして普遍的、そして、あらゆる完全な柔軟さのに
なもとであるような硬質さをもち、単純で、最強。


「ソウル」の本質。


そして、だれもがこぞんじのように、実存するあらゆるインテリが
その理想型とはほど遠いのであるから、この本質は実存するインテリから
ぜんぜんほど遠いのである。


すなわち、それは、完成の要因ではなく、変化の要因である。
しかも、じつに強力な。


女は、たとえば「無料(ただ)の娼婦」になりきることによって、
その、実存の無化を、わりとたやすく現実的に入手できる。


男はしかし、変化の主体となることによってしか、すなわち、最低限、
自分の意識くらいは、解体して、溶解し、錯乱させ、はげしく変化
させてゆくおとによってしかそれを入手できない。
それは、細部まで計算された、ちみつな、たえざる、行為である。
なぜなら、それは、もう、わかりきった、ある、ひとつの、単純なこ
とについてでしかないのだから。


つまり、「旅」である。Tripでなくて、Journeyである。


このスモッグとほこり、そしてまわりじゅうに無理解、無神経なひと
がおおぜいいる、すさんだ都市の中に、しかし、いつづけること。
ここにこそ、ほんとうの「旅」があるのだ。
しかも、みちすじは、もう、かなり以前からはっきりと
定まったひとすじの「旅」が。

(きのう、モットザフープルの四マイ目を買ったら、そこにも、
ちゃんと、Journeyというコトバがあった)

Tripには目的性がない。歴史から、時代のストレスから強制され
ている外的な強制力がない。だからあれは本来、プチブル・スウィン
ガーのものだし、まちあってそっちの方におちこんじゃったロックミ
ュージシャンは、みな早々に死滅することになっておる。

WE ARE ON THE JOURNEY

WE ARE JOURNEY, YEAH


JOURNEYというコンセプトが新たに登場したのはいつごろかと
いうこと、わたくしめはそおなんでもかんでもきている方ではないが、
たぶん、明確に、たいへんな重みをもってあらわれてくるのは、1

969年、キングクリムゾンのファーストアルバム、とくにエピタフ
という曲あたりからであると思う。

一年以上おくれて、日本人ぼくはビパップでそれをきいて、ノーミソ
とセキズイがガタというほどのすごいショックで、あのエピタフの歌
詞をしっこく何回も何回もやくしてみたのでありました。
あのころ。

世界がひび割れ、ボロッ、ボロッ、とぼくからはがれおちてゆくのが
わかる。


旅にあること、すなわち、時間の中に住まうことは、ぼくらが、どん
どん赤ン坊になっていくことだ、ハダカで、とてもびんかんな肌をも
ったみずみずしいあかんぼうになっていくことだ。
それは、とてもさわせなことだ。


この「世界がはがれおちる」という感覚は、小田実とか、滝田修、的
な人種にはぜったいわからない。


ましてや、「はじめからはがれおちている」ような、
若い、新しいやらは、彼等には、見えさえもしない。


まあ、あいつらのことはどーでもいい。

(そもそも、この文章からして、どーでもいい)


なにしろ、静けさはよくない、とおもってぼくは書いているのだ。


静けさを愛するものは、自己が、古典的実存(実存とはすべて古典的
だ)であることをするのである。つまり、みだされたくない、こわせ
れたくないのである。


そういうやつらは、トシに関係なく、すでに実存としてのナンカを所
持しておるやつらである。


現在の実存帝国主義は、夫婦(家族)性帝国主義からタレント性帝国
主義にいたるまで、各種各様にわたっており、いちいち分類するのは
あほらしい。


続く。


岩谷宏のロック論 23 エマーソンレイクアンドパーマーろん ①

2008-01-19 09:11:52 | 岩谷宏 ロック
心臓が割れ裂けたら、血はあたりにあふれ、人は、
生理的に死亡する、ことはわかっている。

しかし、もし、こころ、というものが、こころの壁というものが、
割れ裂け、みんなのここの壁が割れ裂ける----という事態を、
ぼくらは想定することができるだろうか。

割れ裂けて、みんなの、こころの”血”みたいなものが、
いたるところで溶け合いまじり合い、どろどろの、ワケのわからない
状態になる、ということを想定できるだろうか。

これを、正しく、強力に想定することこそがロックではないだろうか。

(以下、ぼくは、おなじようにロックを聞いているひとたちには、
なにも、あらたまってこんな、活字になる文章でいうようなコトバはな
にひとつ持っておらないので、やや次元の違う人たちを相手にして書く)

文明と体制は「壁」の「保身策」である。


あなたがたがこのぼくに教育しようとしたすべては
「壁の保身策」並びにそれを「尊重すべきこと」についてである。

だから、ぼくは、あなたがたを愛したことの無意味さをかみしめて、
あなたがたのもとを去った。

しかし、
いま、ぼくは、あなたがたの「壁」を、「破壊して」あげたいと
おもっているのだ。

その方法についていまいっしょうけんめい考えているのだ。


こころにむけて発射されるべき銃弾とはなにか?
グサリ、と突き刺すべきナイフはなにか?

ぼくにはわからない。わからないことを考えようとするとすごーく疲
れる。だから、またしてもぼくは、「あばよ」のせりふをくりかえす。


クリームのライブはエカった。サブマリンでBめんをきいたのだ。
ビンに入っているクリームじゃなくて、あのきたないひろい部屋中に
くねくねぶすぶすと充満しているクリームだった。


だが、ぼくはあのレコードはたぶん買わないのだ。
それは自分のシャシンをゼニ出して買うのがあほらしいのとほぼ同じ。
つまり、自分には、もうわかりきっているから。




幻想の順番と現実の順番とは、ちょうど逆だ。


つまり、幻想が肥大をつづけ、過肥大することによって、
やっと、現実は割れ裂ける。


ぼくは「割れ裂けたあと」だ。


いつ割れ裂けたかなんてのはしらないけれども、
やっぱし1968~9~70年ころのことだろう。
だから、いまクリームを買うひとというのは「自分自身を楽しむ」と
いうか、かなりゆうちょうといおうか、よおするに、デキたお方だと
思うのだ。


世の中はささくれだってきた。


むかあしのディープパープルのLPで最後にきかれるドアをしめる音
は、あれはやっぱしまともな「部屋」の、ドアの音で、「チョッとカッコ
イイ」といったていどの音だった。


キラーの最後に入っている音は、まるで、荒野に一マイの壁と大きな
ドアがつったってて、そいつをあけて、あけた男が荒野の右から左に
移動したとたん、その男の姿もない(これだけ書くのにクローした!)
といった、すさんだ、すごみのある音だなあ。
どっちにしてもくだらない音響演出だとは思うけど。


Tレックスも、あれもでっかい音できくとよくわかるけれど、実は、
すごく荒涼としたオトである。


どおでもいいけど、かってビートルズといい、またTレックスといい、
なんで、まっさきに気狂いじみたはげしい理解をしめすのはいつも
女のコめらであるのか。


「神は女です」----ボブ・ディラン


(ああ。そうーすると、水上はる子なんてのもあれはやっぱし神なのだな。
うーむ。)

(やっと、つぎに書こうとしていたことを思いだした)


日本で、東京で、男どもがサテンのシャツを着て、「時代環境的に」
サマになるのは、あと半年や一年はかかる。


いまは、地面に、どんどん どんどん ヒビ割れが進行している。旧
いタイプのコミュニケーション、つまり、ちっともコミュニケーショ
ンでないニセのコミュニケーションが、干あがり、ポキン、ポキンと
折れてゆく。からからにかわいた光景がぼくは見える。(このあたり
EL&P調)



そしてついに、ぼくらは、幻想と狂気についてのみしかモノを書かな
いようになる。また書けるようになる。

それが目前にせまっているときに、こうやって新しい雑誌ができると
いうのはとてもいいことなのだ。


きゃっらは、たぶん、疲労といらだちが先鋭化してくるのに耐えかね
て、三島なにがしみたいに、川端なにがしみたいに、みんな、バタバ
タと自殺してゆく。


ニールヤングは自殺し、ジョンはヨーコから突発的に離脱する。
(で、まあ、シンシアみたいなごくふつうの女を本当に愛せるようになる)


ロックの中から、ノン・リズム・ミュージューック(それは、オルガ
ンやムーグのキイをずうっとおしっぱなしにしているような)が生ま
れ、みんなは、そのオトに酔い痴れ、脳ミソを溶解され、錯乱し、メ
ロメロになる。


また、ビルディングを破壊するときのようなすげえ音響の音楽も同時
に生まれる。


そのころは、ハダカでまちを歩いたり電車にのったりするやつや、電
車の中や」まちでおま○○するやつらもチラホラあらわれはじめる。


なにもほしいものはないから、ほとんどのやつが労働しない。
これまでの習慣でやるやつギリのあるやつ等だけが労働する。


プロレタリアート神話は崩壊する。


これまでの、あらゆる対立概念が、ぐさりと差し交え、つがって一体
となったすがたのままで死亡する。


(そうすると、もう、だれも、おれのことをトシヨリだからといって
敬遠し、国立大学を出ているからといってケイベツするやつらはいな
くなる。ザマミロ)

(クリームをききたいな。ちきしょー、レコード買っときゃよかったな)


人間が、やがて、軟体動物になる、という幻想もあるな。ゾルとゲル
の間をいつもいったりきたりしてあそんでるようなコロイド状の。


また、あるいは、すごい音響特性、共振特性のいい、すごく硬質の、
物質みたいになるという幻想もある。


まあ、すくなくとも、「宇宙」のことなどだれもかまわなくなる。
サターン・ロケットはみんなのわらいものになる。


公害についてもだれもさわがなくなるな。むしろ、まちがって清浄な
空気を吸ったら人間は即死するようになる。


ワレワレは「タルカス」である。もう、ナミの人間じゃないのだ。


続く。



岩谷宏のロック論 22  続 ボウイさんの訳詞

2008-01-17 09:26:40 | 岩谷宏 ロック
↓で、
ROの創刊号って、ちまたでは、いくら位で、取引されているのって、
質問したけれども、
たぶん、1万とか2万円位なんじゃあないの~。
でも、昔のROを、欲しい欲しいっていう人は、そうね、10万円でも、
出すのかもしれないわね~。

大きな図書館では、ROがそろっているわけだけれども、
初期ROは、ずいぶんと、盗まれたらしい。

そんでもって、話は、とぶけれども、
けいこさん、実をいうと、73年のボウイさんのサインと、
77年のボウイさんのサインと、66年のビートルズの4人のサインを
持っていて、77年のボウイさんのサインは、最近、職場のYOSHINOに
上げてしまった~。
YOSHINOが、ボウイさん好きだから、けいこさんが持っているより、
若い世代のYOSHINOが、持っている方がいいのよって、思って、
そんでもって、大切にしてねって言って、上げたわ~。
66年のビートルズのサインは、けいこさんが、中学生の頃(13才の頃かな)、
ビートルズに手紙を出したら、ロンドンのファンクラブから送られて
来たのよ~。
サインは、印刷ではなくて、実際に、ボールペン書かれているけれども、
ビートルズの4人ではなくて、だれか、スタッフが、書いたのかもしれない。
出来たら、スキャンして、このブログにUPするわ~。

そんでもって、ROの創刊号のことだけれども、創刊号の値段は、
なんと150円で、
裏のサブマリンの広告のこふぃー&てぃいの値段と同じよ、同じ。
昔は、こふぃー150円だったのね~。
そんでもって、連絡先は、渋谷ッチの実家になっている~。
(下落合ね)
この実家から、たぶん岩谷さんの職場の築地だとか、
橘川君の仕事場の東中野だとか、渋谷ッチ親戚の赤羽とかを、
当時の事務所は、転々としたのよ~。

岩谷さんは、RO創刊時から83年?(85年?)まで、RO命っていう生活をしていたけれども、
最近、「あの頃は、トルネードの中にいたようなかんじの生活だったなあ~」
って言っていた。

岩谷さんとけいこさんは、四谷の曙町から下落合のアパートに、
移ったんだけれども、ボウイが来日して、
ROで、ボウイ讃歌が、岩谷節で、がんがん、発表されると、
本当に、全国から、若い中学生や、高校生が、我が家には、
たくさん、集まってくれた~。
本当にあのみんなの10代の熱気って、熱さって、
けいこさんは、生涯忘れないわ~。
ただし、岩谷さんは、そんなみんなの熱気の中にいても、
さめていたわね。
自分を、崇拝して、集まるなんて、邪道よっていう感じで、
みんなを、冷たく、突き放していた。

その冷たさは、岩谷さんの、「本当の愛」だったわ~。

そんでもって、話は、ROの創刊号だけれども、
頭脳警察のパンタちゃんの写真が載っている~。
若いときのパンタちゃんよ~。
かっちょいいいわ~。
これは、斉藤さんの写真なんだろうか~。

そんでもって、ROの創刊号には、
岩谷さんの、「エマーソンレイクアンドパーマーろん」が
載っていて、これが、結構長文なんだわ~。
なめくじ、軟体動物のような、ちんたらした文体で、
まあ、なめくじとなめくじが、溶け合って、溶解していくような文体で、
すてきなんだわね~。

それを、テキスト化したら、このブログで、UPしますね。

そんでもって、このブログ、みんな、宣伝してね。
おねがいよ~。

きょうは、「エマーソンレイクアンドパーマーろん」の
つなぎっていうことで、
またまた、ボウイさんの訳詞よ~。

本当に、ジギーは、いいわよね。
ジギーのボウイさん、けいこさん、忘れられない~。

高柳さん、ありがとう!!



続・デビッド・ボウイ訳詞集


HANG ON TO YOURSELF

ストーブはもえている
コタツはあったかい
そしてきみは
透明で巨大な怪獣

きみはまちを歩く
店があり
物があり
人がある また
きみはいま腹ペコだが
ぼくにもきみにもしかし
なんにも見えないではないか!
なんにも見えないではないか!
なんにも見ようとは思わぬ
見えなくたってかまわない
見えたとしても
それはつかのまのやすらぎ
つかのまのやすらぎ
それは運命の
ぼくらへの悪意
ぼくはすでに
十万年前に
それらの悪意をうけいれた。だから
さよなら おばけちゃん


ZIGGY STARDUST

きみたちはしょせん
屈折する星くず
そしてぼくは
星(スター) ハハハ
へへん、ざまみろ
そしてきみたちは
きみたちがぼくを殺さないかぎり
きみたちのしあわせはない
星くずたちよ ハハハ
内面にもろもろの屈折を持つ
星くずたちよ
くやしかったらぼくを殺せ


STAR

吉永小百合はスター
天地真理はスター
麻丘めぐみはスター
藤純子はスター
そしてスターはまさに
ぼくらのくるしみの結晶。
ああ いつの日にか
ぼくも
爆発したい。


LADY STARDUST

きみはぼくといわゆる
“自然に”結ばれようとした。
きみは自分が単なる
女であることで自分を肯定しようとし
またきみはぼくが
単なる男であると思いたがった
だから
ぼくは不満になり
未練たらしく
ぼくはきみと別れた

いまぼくは
化粧をし
ラメのシャツを着て
毎晩ロックのステージを持つ
それはきみのためではない
だれのためでもない
満たされなかったぼくのあこがれ
その、いまだ、暗闇であり
人々の無理解のなかで
寒さにふるえているもののために
 ぼくはいま化粧をして
ラメとスパンコールをまとって
毎晩 ロックのステージを持つのさ


IT AIN'T EASY

ぼくたちは
ぼくたちのあこがれが
あまりにも大きいから
ぼくらが小さいことを苦しむ
ぼくらは
ぼくらの現実があまりにも小さいから
ぼくらの想いが
光より早く疾駆することを楽しむ
ああ満足はどこにあるのだ
ほんとうの充実はどこにあるのだ


MOONAGE DAYDREAM

ぼくはワニ
ぼくはきみの本当の両親
ぼくは他界の使者
そしてもうすぐ確実に
きみに買われるロックの安娼婦
きみは黙ってる権利があるよ
きみは二千円(れこーどだい)払ってくれた
だからあれこれ
いっしょけんめい考えて
コトバを発すのは
ぼくの方がやるよ ハハハ・・・・・・

さあこころをうつろにして
けんめいにぼくのほうを見るんだよ
きみの全身全霊よ
もうすぐ
ぼくにへばりついてしまうのだよ!

音が高まり
ぼくもきみもうつろになったとき
その「うつろ」こそ
神聖な 愛 という場
さあ飛べ
こわがるな
ここが地球だって?
現実は現実だって?
ああ
そんなつまらないことじゃなく
いまは
もっとほんとのことを
いってくれなきゃだめじゃないの!
二十一世紀の
きみの白昼夢を!

「ROCKIN’ON」VOL.4 1973年4月号
51~54ページより