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岩谷宏と一緒

岩谷宏の同居人岩谷啓子(けい子)が、犬猫まみれの官能の日々を綴る

岩谷宏のロック論 45 ぼくの独断的ロック訳詞論 

2008-04-28 08:46:16 | 岩谷宏 ロック
ぼくの独断的ロック訳詞論
ロックの歌詞による文章入門

          岩谷宏


 六八~六九年頃からです。ロックの詞に関心を持ったの
は。まず、なんといってもビートルズ後期ね。小野洋子お
ばさんも「あの四人の中じゃ、歌の歌詞も、わりと内容の
あることを言ってるし…」と、おのろけを言っていたジョ
ン・レノンの歌詞ですな。訳して、一人で悦に入ってても
しょうがないので、当時では唯一のまともな音楽雑誌「ニ
ューミュージック・マガジン」に何回か投稿して、ストロ
ベリ・フィールズなどの訳詞が読者欄に載ったこともあり
ます。その時は〝感動のおたより〟というやつが四~五通
やって来まして、私を感動させました。その中の一人は、
今も私の友だちです。


 NMMに投稿した中には、「ジョンの魂」の全訳もあり
ます。これは国内盤の歌詞カードとして付いていた日本語
訳の、あまりにもの空々しさにアタマに来て、ひと晩で全
部訳して翌日ポストに放り込みましたが、これは載りませ
んでした。いまでも、国内盤の日本語訳にはアタマに来る
ことしばしばでありますが(最近の例ではロキシーとかス
パークス)、あれは、日本のレコード会社が、ロックの本
質とは全く関係ない、ずるずるした人間関係に基づいて仕
事を発注しているのだと判ってから、まともに腹を立てる
のもバカバカしくなりました。


 内ジャケなどに、原詞がちゃんと印刷されている場合
は、外盤の方を買う習慣になってしまった。今では値段も
国内盤とたいして変らないし、ジャケットの印刷もキレイ
だし、ライナーノート書き(という得体の知れない人達)
のギャラを支払わされている、という不ユカイな認識をし
なくて済むし…。ヒアリングはたいして強くないので、外
盤に原詞がついていない場合は国内盤を買うのですが、そ
れには往々にして、私にもはっきりわかるヒヤリング・ミ
スがあります。ミスが多いのは東芝、ビクター(RCAを
含む)、比較的少ないのはフォノグラム、キングなどで
す。


 なにしろ、ヒヤリングというものは、たとえば、根っか
らのロック・ファンであるところのガイジン三人に同じL
Pで仕事を頼むと、あがって来るワーディングは三通りの
それぞれ異なったものである、とか。……だから、最終的
には自分の耳と、ロックにつき合ってきた自分のキャリア
(?)とを信ずるほかないようです。


 七二年に「ロッキング・オン」という雑誌が創刊されま
して、これは仕事としてではなく、編集長との友人的くさ
れ縁でもって創刊時から原稿を提供しておりますが、私の
出す原稿の半分くらいのウェイトを占めているのが訳詞で
す。〝日本における正統的なロック評論の確立をめざす〟
という編集長の意図とはうらはらに、ロックに接して日の
浅い若い読者にとっては、「訳詞」が載ってることがこの
雑誌を買う一番の動機だったケースが多いみたいでした。


 これと同じ頃、新興楽譜から「ビートルズ訳詞集」を出
す、という話があって、これは今読み返すと恥ずかしい部
分もあるけど、「これまでに日本で出た類書と違って、も
っと面白い訳詞集にしたい」という担当者の意図と、「訳
詞といえども、書く人間のロック的パフォーマンスである
べきだ」という私のガンコな信念とが、(日本のビジネス
界の常識からすれば)奇蹟的になんのトラブルもなくすん
なり結びついた結実でありまして、おかげで良く売れてい
る。私がこの五年間に本書から得たギャラは三〇万円くら
いのものですが、ビートルズのお情けにあずかっての三〇
万円、といったうしろめたさはない。


「五〇年代には歌手は〝うた〟を歌っていた。でも、私は
〝言葉〟を発しているのだ。私の〝言葉〟をちゃんと受け
とめてくれないオーディエンスは私のオーディエンスでは
ない」――これはジャニス・ジョプリンの有名な言葉であ
ります。


〝うた〟は、聞き手がその人格になんらの損傷をこうむる
ことなく、楽しんだり、感傷にふけったりすることができ
る。これに対して〝言葉〟は人格を犯すものである。つま
り、歌手としてのジャニスに私が〝感動〟するのでなく、
ジャニスという人格存在が私を犯すのだ。古来、〝言葉〟
が人を変え、社会を変えて行く。〝言葉〟が人と人とのつ
ながりを作り、反目も作って行く。


 これに対して、最近では、サウンド・トリップ的な音楽
の楽しみ方もあるようだ。が、しかし、少なくともピンク
・フロイドに対してはそんな聞き方は失礼である。彼等
も、七〇年代に入ってからは明らかに「言葉重視型」すな
わち社会派のアーチストになっていると思う。


 もともとロックは「学校なんかやめちまえ!」とか「一
六歳でセックスして何が悪い?!」といったアジテーショ
ンとしてのメッセージを持っていた。つまり〝言葉〟を持
っていた。 〝言葉〟とは常に、社会の中にあるものだか
ら、ロックの本質がジャニスの言うように〝言葉〟にある
とするなら、あらゆる音楽の中でロックは唯一「社会的な
音楽」だと規定することができよう。そして、社会とは、
時代と共に少しずつ変化するものである。たとえば、十六
歳でセックスするなんて事が珍しくもなんともなくなっ
てる現代においては、右の歌詞は十二歳か十三歳くらいに
変えなければいけない。


 セックスにこだわる訳ではないが書き始めたついでにこ
のテーマでまとめてみよう。ごくいいかげんなジャーナリ
スティックな言い方ではロックは「反社会的な音楽」など
と言われる。しかし、実際は、セックスは人と人とを結び
つける、すなわち〝社会的なるもの〟の最たるものであ
る。これに対し、今の学校制度や受験制度などはむしろ、
人と人とを離反させる〝反社会的なるもの〟である。そし
て、もろもろの〝反社会的なるもの〟の促進にいそしんで
いる今の大人たちは〝悪人〟である。


 ……こういう時代だからこそ、「私たちが私たちの本心
を込め、わかってくれる友人を切に求めて、語り、叫ぶ言
葉」ってもの、つまり社会を真に社会として形成する原動
力としての言葉が必要とされ、ロックがある。言葉は自主
的に主体的に発せられる言葉でないと、その人を置いてき
ぼりにした社会(=ニセの社会)が出来てしまうのであ
り、だから、やじ馬的ロック・ファンや、アイドル崇拝的
ロック・ファンや、サウンド自閉症的なロックファンがい
くら増えようとも、私がここで言ってるような意味での
「社会」はいつまでたっても出来ないであろう。


 が、しかし、たとえばあなたは「若者文化」とか「反体
制的」とか「ヤング・ミュージック」とか等々の、軽薄で
限定的な定義に、いつまで甘えているつもりなのか?


 私事を例として述べれば、私がこれから発してみたい
〝言葉〟は、新らしいテレビ局を作ることか、新らしい感
覚塾(一種の学校)を作ることである。だれか、何十億と
いうお金を貸して下さいませんか。それから、当面の課題
として「子供を(今の)学校制度の中には入れない会」み
たいのを作りたい。これは、教育基本法違反となるそうで
すから、一人ではとてもがんばれないことです。


 ドレイ貿易とドレイ利用を、当時の日本人がやっていた
ら、ロックの発祥は日本となり、黒人によって変質させら
れた日本語によってロックは歌われていたであろう。しか
し、幸か不幸か、ニュートン力学も産業革命も植民地主義
もブルジョア革命も、すべてリーダーシップを取ったのは
イギリス人であった。アメリカは近代イギリスの肥大した
部分である。


 さて、日本の近代も、その肥大した英語文明の影で生き
てきた訳で、このことがなければなぜ私たちが義務教育で
も英語を習うのか、説明がつかない。「個人の自由」とや
らを絶対視する「競争社会」(=私の言う、反社会的な社
会)……この概念も欧米ブルジョア社会ゆずりの概念であ
る。


 ところが、大都市でのゲットーの生活を見たり、あるい
はさかのぼってアフリカのでの生活を見てみると、黒
人とはもともと(私の言う意味での)社会的な人間である
らしい。(私などは、できればもう一度学生の身分に戻っ
て、黒人が持っているエートスについてじっくり研究して
みたいぐらいです)


 英語という言語は、もともと、感覚的にはあまり面白く
もない言語である。たとえば、響きだけを聞いているな
ら、中国語の方がよっぽど美しい。黒人ゆずりの英語を全
部なくしてロックの歌詞を作ったら、おそらく固苦しく
て、ロックとして歌うことは不可能になるだろう。


 日本語でも、関西弁とか、各地の方言には、いわゆる
「標準語」に較べるとはるかに生活感にあふれ、感覚的な
ニュアンスも濃いものが多い。しかし、これらを用いて私
たちが私たちの歌を、言葉を普遍的に確立させることは不
可能である。技術的に云々ではなく、歴史的必然性がない
のだ。だから、長年ロックとつき合ったキャリアでもって
日本語にとり組むとしたらその相手は、ごくふつうの「標
準語」であるべきだろう。


 実は、ロックの訳詞をするという行為は、右に述べたプ
ロセスの、個人的な試行である訳です。単に語学的に正し
い翻訳者的態度や英文学者的態度で訳しても、それは「訳
詞」とはなり得ても「ロックの訳詞」とはなり得ない。ロ
ックとは、いついかなる場合も、言葉を発する人本人の、
切実なパフォーマンスなのだから。そういうパフォーマン
スこそが、私たちの社会を社会として緊密にしなやかに形
成して行く唯一の要素なのだから。


 私たちの問題意識は、この国で、この時代に、この言語
を日常言語として生きている人間としての問題意識であ
る。ロックの訳詞をする場合にも、そういう、私たちの側
の生きた問題意識にひりひりと生々しく触れて来る部分だ
けを正確にとらえればよい。呼応している部分さえ正確に
とらえさえすれば、あとは、それを、完全に自分自身の言
葉として発してみることである。……これが、私の、独断
的ロック訳詞論。


 かつてのイギリスのブルース少年、R&B少年たちの中
でも、のちに人気ミュージシャンとして大成したのは、決
してうまいコピー・バンドの方ではなく、単純なラブソン
グすらも、自分たち自身のオリジナルな言葉として、せっ
つくように歌いかけた、あれらの連中だった。ただし、ブ
ルースやR&Bを、実にがつがつと吸収した後に、である。


 ブルースが白人青年の間に開花した音楽がロックなら、
ロックがいつの日にか私たち日本語社会に開花する(であ
ろう)音楽は、なんと呼ばれるであろうか。



   ―「宝島」1976年7月号より、164~170ページ


※文章中、「右に述べた」とあるのは、原文が横書きでは
なく、縦書きだからです。
※「たち」と「達」、「ロック・ファン」と「ロックファン」
が混在していますが、原文のままです。(高柳)



岩谷宏のロック論 44 ウエストコースト・サウンドをぶっころせ 

2008-04-14 07:52:23 | 岩谷宏 ロック
■ウェストコースト・サウンドをぶ
っころせ
 
 日本およびイギリスのロック・ミ
ュージシャンならびにロック・ファ
ンは、ピンクフロイド、EL&P等、
意識へのゲバルトをもってせまるタ
イプと、かの優しい優しいウェスト
コースト・サウンド・タイプの二者
に大別される。前者はあくまでもブ
ルーズ&ロックンロールを基礎にそ
のはてしない深化と展開につとめて
いるものであり、後者のオリジンは
ごしょうちのようにカントリー&フ
ォークである。
 さて、革命をこころざすワレワレ
にとって、優しさとは、それこそ大
前提中の大前提、核中の核であって
いまさらそれをことさら表出するこ
となどないものである。だいいちそ
んなヒマはないはずだ。
 では、いったい、なぜ、あの優し
いかったるいカントリー&フォーク
系の音楽、〝自己あまやかし型〟の音
楽が、けっこうまんえんしているの
であろうか。
 それは、ああいう音楽が可能な心
理的スペースというものがあるから
だ。
 そして、そのスペースは、実は、
大衆、労働者の怨念をまねくもの以
外のなにものでもない。
 アメリカ大陸、とくにその西海岸
は、彼等のオヤジたちがインディア
ンをおっぱらって確保したスペース
であり、彼等はその広さと富の中に
ヌクヌクといるのである。
 日本のウェストコースト系サウン
ドのファンも、一般に、そのような、
ある種のスペース、大衆からも一般
的なスペースを確保しているのであ
る。
 それは、〝なまけ〟というスペース
であったり、〝超越〟というスペース
であったり、経済的にまたは人間関
係的にすごく〝めぐまれている〟と
いうスペースであったりする。かく
ごを決めて労働者になることをイヤ
がり、いつまでもバイト的な感覚で
世を渡っているというスペース確保
の形態もある。
 ワレワレは、この種の〝スペース〟
を望見して、即座にぶっころしてや
りたいほどのはげしい怨念をたぎら
せるのである。
 優しさ、などという、ワレワレに
とっては、とっくに当然のことを、
チンタラチンタラ音楽表出していら
れるのも、そういうスペースの中に
ヌクヌクといるからであり、またそ
れは、そうしている自分たちを、ヌ
ケヌケとあまやかしていることにほ
かならない。
 ウェストコースト系のサウンドと
は、ワレワレにとっては、もう、あ
たりまえすぎて、わざわざ聴くほど
のものではないのだ。
 それより、たえまない「意識鍛造」
「意識拡大」「意識沈着」「意識かくら
ん」にはげむべきであって、その方
に忙しく、その方が楽しくてきも
ち良い。革命とは永久革命、たえざ
る革命、でしかありえない。
 最後にあらためて言おう。意識の
相乗的進化、弁証法的深化にはじめ
からそっぽをむけている、かの、ウ
エストコースト・サウンドは、結局、
アメリカ白人の犯した歴史的罪の延
長上にあるものにすぎず、彼等は、
ワレワレのように、ブルーズに全身
犯され、愛したのではなく、ブルー
ズをあるとき、都合のいいように〝侵
略〟したものなのである。
 ぶっころすべきである。

             岩谷宏


―「NEW MUSIC MAGAZINE」1972年2月号
LETTERS レターズ 164ページより

岩谷宏のロック論 43 T・REX スライダー(Aめん)

2008-04-08 07:45:55 | 岩谷宏 ロック
METAL GURU

きみは海底にしずめららたテレビのツマミですか
きみは地中に埋められた自動車のエンジンですか
そうです
きみは
金属のかたまり(かみさま)です

きみはきみ自身そのままで
真実です
だからきみは
部屋に電話を引きません

ロックがきみを
金属のかたまり(かみさま)に変えたのです
そうです
万事休すです
おめでとう


MYSTIC LADY

きみは
ぼくの夜を
そんなにも
やわらかく
専領しますが
もう
ぼくのナニは
たたないのです
残念ながら
愛は
そのむかし
きずつけられて終わったのです

いま こうやって
三ヶ月のお月さまをみていると
ぼくのこころにはひとすじの痛みが走り
きみはとにかく
すてきすぎるのです


ROCK ON

ぼくはもうずいぶん前からここにいます
みんなももうずいぶん前から
ここにいるんです

絶望こそが
愛の天使なのです

駐車場のリタもまえからここにいます

こころのキズこそ
予言者なのです

きみもぼくももう
詩人であるしかない そして
詩人はいま
ヨロイを着ているのだ

それでは、もっともっとロックに酔い痴れよう


THE SLIDER

悲しいときには
泣かない
ぼくはソッポむくだけだなあ
ぼくは逃げていくだけだ

いろんなことがココロで理解できるよ
でも なんにも理解できない だから
悲しいことも
うれしいこともないよ

ぼくには
なく
ということが
ぜんぜんできないのだ というのも
それほど
ものごと理解しちゃいないもの

学校なんてなんだかわかんないし・・・・・・

ぼくは愛しているよ でも
あれらこれらのどれひとつが
愛であるなんてのは
おもえはしないさ

ぼくは愛しているよ

この広い(?)世界がじつは
せまくてあったかい花蜂の巣か
この小さい「私」という世界がじつは
もしかしたらまったく存在しないくらい
空漠空虚無限広大であるか

そんなことが
てめえらにわかってたまるか


BABY BOOMERANG

きみはやせてひきしまったイイ顔をしたお大者(きつかわ)だが
きみは現実には 夜、きみの想像力によって
はじめて自由(かなしく)になるにすぎず
実際は
都市の昼間は牢獄であり
とじこめられて
小説(のーと)など書いたところできみは
すぐにアホらしくなってしまう

ぼくはゴミの山をかきわけかきわけ
ひっしで友を求めるのだが
しょせん きみも、また、きみも
とらわれの身
また ぼくも

かくしておろかなぼくは
おろかなおまえをつけまわし
いつかはべっど(雀卓)の中で
決着をつけてやろうと
コシタンタンとねらっているのだが
けっきょくは
ぼくもきみも
おたがいをキズつけることさえできない

というのも
たぶん
だれにおいても
否定の力の方が
強いからだ


SPACEBALL RICOCHET

私はタダの人
風はからだに感じ
世代の悲しみは
私を刺す(グニョ~~~)

私はレスボールをかかえた
ちっぽけな男
でもとにかくなんとなく
その日その日をくらしているぜ

本が好きで
つぎからつぎへと本を読む
どの著者もどの著者もみんなその語り口は
まるでぼくの友達みたいだなァ

なにができる?
ぼくらは動物園に住んでいるのだ
ぼくらにできるただひとつのことは
宇宙のはしっこの方で
ぶざまに飛びはねてみせるだけ

こころのう~~んと深いとこでならぼくは
きみのほとんどすべてを
永遠に抱きしめていてあげられる

でも、きのう買った中古車は
もうぬすまれてしまった

きみはいつみてもすてきだ
都市よ ○○よ
そしてぼく・・・・
この
関係ない両者の関係

こうやってイライラと
宇宙のはしっこをぶざまに
すべり跳んでいるときには
疲労を休める方法は皆無なのか。


BUICK MACKANE

ビュイック・マッケーン
すげえクルマだなあ
おれはおまえとやりたいよ

とくに
雨がふってるまちん中で
おまえのすがたは
じつにカッコイイのだ

ほんと
ぼくは
おまえにのって
どっかに消えてしまいたい

まちに
雨がふりしきる日なんか・・・・・
ビュイック・マッケーン
どこかにいこうぜ


(あと書き)

ティラノザウルス・レックスからT・レックスへの変貌は、
マークボランが、その発声を、趣味的神秘主義を防ぐことから、
むしろ、彼の想像力が現実に向かって投じられるやいばとなり、
疲労した肉体の声へと”転じた”ところに生ずる。
T・レックスもバカでかい音できかねばその本質はわからない。
荒涼とした音・・・彼の衣装と化粧は、彼のDesolationの表現である。
一時、ぼくらの仲間うちで、仕事とそれをとりまく環境が
かったるくてラチがあかないような日々に、
彼のような発声でためいきをつくことがはやった(?)。
キレイな夢の中に住む人たちが、いかにして自己を破り、
汚辱とワイセツさとかなりのブザマさの中にこそあるリアリティを、
いかにして発見するのか、ということの好個の実例がここにある。
やさしく「見守る」ことなどよりも、「強姦する」ことの方が
百倍も千倍も愛である・・・・・といったのは19世紀の人
ドストエフスキーである。
そして、T・レックスは、人が、本当に真剣に世界と
かかわろうとするときにその人の中に湧き立つ、
ワイセツな暴力性の音楽である。
くりかえすようだがT・レックスの音楽を、ただ 幻想的とか、
セクシーとか、ファンキーなどという形容詞で、
「愛しつつ」きいている人は、もっとでっかい音できいて
たたきのめされた方がいい。
きくところによれば、武道館の公演では、音量があまりに大きくて、
聴衆の大半はとまどったという。
私なんかは、かねてから、T・レックスが日本にくるのは
いまはまだ状況的に早い、と、気にしていた方なのだ。
ひとつの、まるっこい、やわらかな夢・・・・ビートルズによって
代表されるひとつの夢が、完全に破産し、そのあとの荒涼の中に咲いた
あだ花T・レックスを、日本ではなぜかビートルズ
と同様の夢として、幻想として遇する人が多い。


(ロッキングオン VOL4より)1973年4月号





岩谷宏のロック論 42 HERGEST RIDGE/マイク・オールドフィールド

2008-04-03 07:26:55 | 岩谷宏 ロック
HERGEST RIDGE/マイク・
オールドフィールド/岩谷宏



キング・クリムゾン最新譜のA面第一
曲目は、歌詞を見ると、グレート・デ
シーバー=大いなる詐欺師とは、ロッ
クのことであるらしい。ロックに対す
る大否定と大肯定の意を併せ持った曲
で、そのニガい思いは私なぞにはよく
分かる。くそっ、だましやがって!
とは思いつつも、しかし結局、自分の
夢も理想も思想も感性も、すべてロッ
クの中にしかなかったわけで、ほかに
楽しいことなんかなんにもなかった。
社会は人と人とのコミュニケーション
によって成り立っている、と教科書的
に教えられているが、ロックを聴き込
んでいくと、今の社会はまるっきりコ
ミュニケーションから成り立ってなぞ
いない、ということがあまりにも明き
らかにわかってくるので、ロックは、
私にいらだちと怒りと淋しさと絶望感
とをつのらせただけだった。「なのに
じゃあ、なぜ、まだ生きているのか?
その理由は、きみになら分かるよね!」
(ジョン・レノン=ヤー・ブルース)
「沢山の新しき生命が、もう生まれて
いるんだ!」(グレッグ・レイク=キ
エフの大門=展覧会の絵)


ロックにこそコミュニケーションがあ
る。ロックにしかコミュニケーション
はない。ロックは、スピーカーからこ
っちに向かって、突き刺さってくる音で
あり、メッセージでなくてはならない。
つまり、ミュージシャンの、聴き手と
かかわろうとする意志の感じられない
ものはロックではない。マイク・オー
ルドフィールドの音楽がロックでない
のは、ベートーベンの田園交響曲がロ
ックでないのと同じく、〝一聴瞭然〟で
あって、私はこのレコードを、レコー
ド評を書けと言われて一度聴いただけ
だ。


描写音楽は、オールドフィールドはす
ごくイイものを描写してるのであろう
けど、描写はリアリティではない。一
人でダブル役満あがるのを夢想してる
のよりは、おもしろいひっかけをして
橘川にリーチ一発ふりこませてる方が
ユカイだ。(麻雀を知らない人への注
:ダブル役満は六万四千点、リーチ一
発はただの二千六百点) それから小
林くんへ、映画というメディアは、や
はりその基本性格からして、ロック的
ではないと私は思う。


また、だれも神様ではないのだから、
その人が本当はどんな人か、潜在的に
はどんな可能性を持った人なのかは、
最後の最後までだれにも決められない。
心の中ででも、あるいは爆弾を使って
現実にでも、一方的に勝手に消し去っ
てはいけないのだと思う。相手に対し
て、あきらめずにトライを繰り返すこ
とが必要ではなかろうか。懸命にトラ
イした結果、クビになっても、放校に
なっても、勘当されても、それはそれ
であきらめがつくじゃないか。なんつ
っても、ロックは正義のタタカイなん
じゃから。


こういうレコードを聞くと、「ロック」
と「芸術」とはどう違うのか、または、
「ロック」と「音楽娯楽」とはどう違
うのか、という、おなじみの問にぶつ
かってしまう。答をここで性急に出そ
うとは思わないが、オールドフィール
ドの音楽はやはり基本的に「芸術」的
であり、「音楽娯楽」的に感じられて
しまう。「クスリやってるときは、ア
グネス・チャンまでヨくなっちゃうん
だ」という呆けた話を最近きいたけど
マイクという人も、善意に解釈すれば
麻薬中毒者の現在進行形の人なのだろ
うか。


まあ、何を聞こうと聞くまいと、最近
はある種のひどい不安が、ちっとも消
えやしないのだけど。


―「ROCKIN’ON」第13号 ディスクレビュー
55・57ページ




岩谷宏のロック論 41 うーん、とっても、珍しい、70年の投稿

2008-03-31 10:36:24 | 岩谷宏 ロック
みなさま、高柳さんが、
岩谷さんの、とっても珍しい原稿を送って下さいましたので、
UPいたしますね。

高柳さん、お忙しいのに、
いつも、原稿のテキスト化ありがとうございます。




■マイ・ビートルズ
●サムタイムズ
ぼくのときどきは
いつもがときどき
そこでときどき
だれも夢などもっていないのに
タバコは人体にどんな影響があるんだろう
明日は雨が降るな
どうしてこうぼくもみんなもいそがしいのか
ぼくがまだ見たことのない果実は
だれがいつもぎとってたべるのか
ああぼくはいまたべたい
君の目はほらあなみたいだな
ときどきは
ぼくのときどき
それからひとがどう思うとか
あとは何年生きるのかとか
仕事はダ性になっちゃって
ダ性としての体制に関する試論
君の性生活はどうなってるのか
まあせいぜいお金をもうけよう
豊かな土を墓の上にかけるのはもったいないから
要するにときどきうちあげられる
理想の閃光というやつがシャクのたねで
かといってぼくらが殺される前に
あんたがみんなをみごとに暗殺しおおせるという
自信などさらさらなく
ぼくの焼いたパンをきのうあなたもたべたんだ
ああ壁がせばまってきたな
若い母親は新しい椅子を買って
午前十時の陽射しの中で静かにはしゃいでいた
壁がせばまってきたな
香をたいてお茶でもたてて
ものしずかに窓の光でもたべようか
さようなら きれいな君
青磁の大きなつぼはそれでも
十三才の少女にかかえられて
今日また場所を変えたんである
ときどきは
今日もときどき それは
ぼくのときどき
夢のような
やさしいいらだち
音もない激越な狂気…

■すべては もういちご畑(スト
ロベリー・フィールズ・フォエバー)
きみを連れて行きたい
ぼくはいちご畑へ行くんだから
なにものも真実ではない
あくせくすることはなにもない
すべては もう いちご畑さ
目を閉じてごらん楽になるよ
ひらいても見えるのは誤解ばかり
精進も出世もいまはむずかしい
でも それでいいんだ
ぼくにはどうだっていい
きみを連れて行きたい
ぼくの行くいちご畑へ
現実などどこにもなく
あくせくすることはなにもない
人間はみな木だってぼくは思う
つまりそれは高かったり低かったり
きみと同じ人なんていっこないのさ
でもそれでいいんだ
わるかぁないとぼくは思うよ
きみを連れて行きたい
ぼくはいちご畑へ行くんだ
なにものも真実ではなく
あくせくすることはなにもない
すべては もう いちご畑
いつも いや時々 それはぼくだと
 思う
でもそれはまた夢の中だよね
はっきり言いたいのさ本心は
でも それを言ったら それはすべてウソ
ウソになっちまうんだすべてが
ああきみを連れて行きたい
いちご畑にぼくは行くんだ
真実なんてなにもなくて
すべては もう いちご畑
すべては もう いちご畑

■ルーシィはダイヤモンドの空に
(ルーシィ・イン・ザ・スカイ・ウ
イズ・ダイヤモンズ)
川にボートをうかべて
それにのってきみは自画像をかく
情景はミカンの木とマーマレードの空
だれかがきみをよぶ
きみはとてもゆっくりこたえる
きみは万華鏡(カレイド・スコープ)
みたいな目をした少女だ
黄色とみどりのセロファンの花が
きみのあたまの上にたゆたっている
ひとみの中に太陽がある少女をさが
彼女はいっちまったんだ
ダイヤモンドをちりばめた空のルーシー
彼女を追って泉のそばの橋をわたるとき
木馬にのった連中はマシュマロ・パイを食べてて
信じられないくらいでっかい花のそばを
とおりすぎるきみんながほほえみかける
新聞売りのタクシーが浜辺にあらわれて
きみを連れて行こうと待っている
クルマの屋根にのって頭は雲の中
そうしてきみはいっちまったんだ
ダイヤモンドをちりばめた空のルーシー
駅にとまってる汽車にのって
そのすがたの自画像をかく
粘土でできたポーターがめがねのネクタイして
とつぜん、回転木戸のところにだれかがいて
ああ、それは万華鏡の目をした少女
ダイヤモンドをちりばめた空のルー
シー
             岩谷宏


「ニューミュージック・マガジン」
1970年11月号「LETTERS レターズ」
より、124・125ページ 

(文章が繋がらないと思われる箇所が
あるかもしれませんが、すべて原文の
ママです。 高柳)

岩谷宏のロック論 40 ボウイ 円軌道の幅

2008-03-26 09:14:53 | 岩谷宏 ロック
円軌道の幅

デビッド・ボウイ

まだ人生はこれからだという時から私は
なにも行動するにあたいすることが
見当たらず、したがって坐りこんだまま
人間のこのような生き方を規定した何者かに
向かって毒づいていた。
どの道も決まりきった狭い道だった
思想も人生訓もどれもちんけでみじめったら
しかった。
やがてみんなは私のことを若いくせに年寄り
みたいだと言い出すようになった。
丁度そのころだ。
私は木陰でねむっている一匹の怪物に出会った。
私はその怪物を見ておもわずまゆをしかめた
が、その怪物は私だった。私自身だった。

―「ROCKIN’ON」1975年5月号 通巻16号
47ページ



岩谷宏のロック論 39 ANOTHER TIME ANOTHER PLACE

2008-03-22 17:38:27 | 岩谷宏 ロック
ANOTHER TIME ANOTHER PLACE
ブライアン・フェリー


今日も君の部屋では
針がまわる円盤をなぞるのか
それは ぼくとおんなじだ


しかし だからといって
シラケてしまってはいけない
ままならぬこの世の
かったるい構造を通して しかし
ぼくは いつも はっきりと
君の姿を見とどけているつもりだ


そのうち


そう
「そのうち」ということを
ぼくらは信じなければならぬ
愛がこの世の唯一の権力となる日が
そのうち絶対に来るんだと
信じていなければならぬ


いつか
どこかで
そのときこそ
ぼくらが本当に過ごせる場所
本当に行ける場所
ぼくときみとの
本当の出会い


あの無神経な錆びついた刃で
ズタズタに切り刻まれちまった今のぼくだが
それに今は
ぼくは君をチラッと見て
君もぼくをチラッと見るだけだが
でもぼくは ここに こうして
ちゃんと信じているのだ
それを言いたいためにぼくは
この歌を吹き込んだんだ




いつか
きっとどこかで
ぼくときみと一緒に
人間の愚かな過去を
優しく笑い合える


―『ロック訳詩集』P10・11

先日の、きつかわゆきおちゃんの出版会のこと 続き

2008-03-22 09:11:42 | 岩谷宏 ロック
そんでもって、当日の裕子ちゃんはと言えば、なんと黒の着物を
おめしになっていて、会場の入り口で、お客様を仕切るその姿は、
ああぁ、頼りになる姉御って、いう感じ。

けいこさんは、いくつになっても、こどもぽっいから、
裕子ちゃんのような姉御には、いつになってもなれない感じ。

「ゆうこさん、今日は、きもの姿なのね?」ってけいこさんが、言ったら、
「そう、今日は、ち@-ままだから」って、ゆきおちゃんが答えた~。

でも、当日、ingのヒール5cmの慣れないマニッシュの革靴で、
慣れないヒール5cmの靴なんかはくものだから、親指が痛くなるのを
我慢して、まあ、靴って、足が、休息する、足が、ゆったりして、
ほんわかしてしまう靴が良いのよね。昔、高い金払って買ったからって
いって、マニッシュなその姿が、陶酔感を呼ぶからっといって、
ヒール5cmの靴は、やはり、体にきついじゃあないの、なんて、
頭では、思いながらも、
ヒール5cmの靴を履いているから、歩く姿が、少しふらふらしてしまうのを、
なんとか、バランスを取りながら、
1Fのフロアーを、八戸名産の〆鯖や鯖の味噌煮やらイカの腸づけ?の
美味しい肴やら、八戸名産の煎餅汁やらを、みなさまに、運動会の
徒競走のような走りで、運び続けたけいこさん、ゆうこちゃんの代わりに、
20分ほど、ち@-ままを代行してしまったわ~。

そんでもって、子ども調査研究所の所長さんの高山英男さまに、
初めてお目にかかった~。
高山さんは、昔からロッキングオンでは、有名な人で、
そんでもって、ゆきおちゃんが、10代のころから、
ロッキングオン時代以前から、高山さんとお知り合いだったとは、
けいこさん、その日まで、知らなかったわ~。

高山さんや、作家の田口ランディさんが、ステージに立って
ゆきおちゃんに、なんか言葉をかけていたけれども、
けいこさん、お話の内容は、あんまり憶えていない~。
というか、けいこさんのいる場所には、ステージの声が
あまり届かなかった~。

それより、ブルースマンの妹尾 隆一郎さんの、
ハーモニカ+ブルースの音が、とっても良かった~。

そんでもって、けいこさん、たくさんの方々と、いっぱい
おしゃべりしたわ~。

11月のパーティーで、お会いした渡辺さんやら早樋さん、
藤巻さんとは、名刺交換しなくても、すぐに、おしゃべり
できたけれども、
やはり、初めてお会いする人とは、名刺交換から、
会話のきっかけってはじまるわけよ~。

そんでもって、滑川海彦ちゃん(ナメちゃん)から、
たくさんの人を、紹介してもらった~。

そんでもって、けいこさん、当日は、松村雄策(マッキー)が
来るに違いないっておもって、
けいこさん秘蔵の、リバプールのファンクラブからもらった
ビートルズのサイン入り写真を、持参したんだけれども、
残念ながらマッキーは来なかったから、
ゆきおちゃんや、市川さんや、ナメちゃんに、
その写真を見せたの~。
そんでもって、ナメちゃんに、「これはこれは、
65年以前のものなら、本物のサインということで、
本物のサインなら、値段は天文学的になります。
でも、66年、67年のものなら、ビートルズは、
もう、世界的に有名になったあとなので、
マネージャーなんかのサインかもしれませんが、
文化的価値はあります。
なんでも鑑定団に、応募してみたらいかがでしょう?」

なんて、言われて、
うーん、ナメちゃんらしい分析ね~、って、うなっていたら、

ゆきおちゃんからは、「渋谷も、こんなのもっているぞ。松村にこれを
見せたらだめだぞ~、」って、言われた~。


そんでもって、けいこさん、当日、お酒はあまり飲まないのに、
気分は、絶好調っていう感じて、
いつもより、テンションが、ハイになって、しまった~。

48才の元ロッキングオン少年やら、ロッキングオン創刊時代、
ロッキングオンを持って書店を回った酒屋の店主やら、
いまでも、フェリーにクビッタケっていう中年オヤジやらと、
檄をとばすように、なにかを、叫んでしまった~。

そんでもって、40代の血気盛んなロック少年たちと
盛り上がったおかげで、

まあ、けいこさんの人生、
ビートルズがいて、→ボウイがいて、→ロッキングオンがあって、→
岩谷宏がいて、→そんでもって、動物愛護活動があって、→そんでもって、
動物愛護活動は、100ぱあ人の肯定性、100ぱあ世界の肯定性を信じなくては
出来ない活動で、→その活動がこの3年ほど頭打ちっていう感じで、
壁にぶつかっていたところに、→ぺ・ヨンジュンがいて、→ぺ・ヨンジュンの本を書いてしまって、
→けいこさんの感情の解放があって、→そんでもって、そののりで、
ペヨンジュンをこの現実で生きてみようとして、
残念なことに、ペヨンジュン主義は、けいこさん一人では、
この現実を、変化させる力にはなり得ず、
→なん~か、この現実に、がくって、挫折したんだけれども、
→挫折なんかしていられないわ、
けいこさん、もっと、社会的な意義ある活動に、今の活動を、
前進させなければ、もっと、社会的に生きなければ、
社会的に生きることが、本当に人と共に生きるっていうこと
じゃあないのって、思って、→そんでもって、けいこさんは、
今後、この平坦を歩くような→(ヤジルシ前進行進)ではなくて、
絶壁の山を一山越えるような、不可能を可能にするべく、
そんな、活動を選択して、けいこさんのロック人生を、
前進させなければいけないんじゃあないのって、
そんな、気持ちがむくむくと胸の中にわいてきたわけよ~。


そんでもって、最後、ゆきおちゃんの、新刊にお話は戻るわけだけれども、
けいこさんのロック人生も、「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。」なわけ~。
けいこさんは、アート好きなんだけれども、ドラマや、小説は、嫌い。
そんでもって、ドラマや、小説で、満足出来ない、私やあなたが、
ロックを聞いていたわけで、
まあ、この世界に何らかコミットしていくことが、ロックを生きるって
いうことだと、思うわけね。けいこさんは。

午後10頃東京駅を出発して、午前12時過ぎに、茂原駅に着いたけいこさん、
車を運転して自宅に帰って、ヒール5cmの慣れない靴を脱いだら、
左の靴下の親指のところに、大きな直径1cmのあなが空いていた。

そのあなから見えた自分の親指が、「自分」なんていうちっぽけなものに、
撞着するけいこさんを、あざ笑っているように、思えて、
まあ、明日から、けいこさん、ここ数年、内へ、内への人生を
歩んでしまったけれども、もう少し、外へ、外への、人生を、
考えるべき時が来たのかなあ、、、なんて、思ったの~。


当日、お会い出来た、たくさんのみなさま、
また、どこかで、お会いいたしましょう!!
けいこさんに、お声をかけて下さり、
ありがとうございました。





先日の、きつかわゆきおちゃんの出版会のこと

2008-03-18 09:14:54 | 岩谷宏 ロック
ブログ、ちょっと、お休みしてしまいました。
みなさま、ごめんなさい。

今日は、岩谷さんの新刊CMに続いて、橘川幸夫ちゃんの新刊の紹介でっす!!

なぜに、今日は、橘川幸夫「君」ではなくて、橘川幸夫「ちゃん」に
なってしまったかというと、ゆきおちゃんが、こんどの新刊で、
「ロックする思索者 きつかわゆきお」って、自分のことを、
ひらがなで、呼んでいるからなの~。

けいこさんも、本当の名前は、「啓子」なのね~。
でも、おバカで、超お気楽、超ミーハーの、お酒飲むと、
唯げらげら笑うだけ、この世の中、不思議なことはなにもないのよ~、
この世の中、怖いものないわ~って
なんか、女ブルトーザーのようになってしまうけいこさんは、
「啓子」さんではなくて、「けいこ」さんのような気がするわけ~。

だから、アフォリズムいっぱいの、こんどの新刊
「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。」を
出したゆきおちゃんは、この題名からして、「幸夫君」ではなくて、
「ゆきおちゃん」であってほしいわけね~、けいこさんは。

そんでもって、こんどの、ゆきおちゃんの新刊、軽いノリの中に、
鋭い、ナイフが、隠されているわけよ~。
ゆきおちゃんの袂に隠してある言葉のナイフはさあ~、
飾りはないし、きらきらした宝石もついていないけれども、
鋭敏なナイフなわけ~。
ゆきおちゃんは、なんせ、70年代から、疾走し続けてきた、
ロックンローラーだからさあ~。
ロックの真髄(神髄)を、身をもって体験した人だからさあ~。
当然、硬質な言葉が、いっぱい詰まっているわけよ~。
ゆきおちゃんのおつむには。


そんでもって、そのゆきおちゃんの新刊の出版会が、
3月14日鶯谷であったの~。
けいこさん、世の中は、ホワイトデイなんていう、
ワケわかんないイベントで、たぶん、大忙しの中、
(だったでしょう?みなさま)、
ゆきおちゃんの出版会に出席すべく、
土砂降りの雨の中を、出かけたわけ~。

会場は、「東京キネマ倶楽部」っていう元キャバレーで、
キャー、けいこさん、キャバレーなんか行ったことないわ~、
でも、キャバレーってどんなところ~って、
興味しんしんだったわけだけれども、
なんということはないわ、地方にまだある古い映画館に、
毛が生えたような場所だった~。

でも、昭和のあのいかがわしさと場末のエロティシズムを漂わせる、
とっても、雰囲気のある場所だったわ~。

ライトはオサエメで、ぎらぎらではないから、人は薄暗闇の中を、浮遊する感じ~。
一階には、ステージがあって、そのステージを半円で囲むように、
二階と三階があるわけ~。
昭和の昔ではさあ~、ステージではレビューなんかがあったんでしょうね。

そんでもって、二階三階に置いてある椅子がさあ~、
これまた、昭和の高度成長期の汗と体液の匂いが染みついているような、
そんな感触で、厚手の生地の手触りが、ビロードっていう感じ~。
そんでもって、その椅子の朱(あか)のアラベスク模様は、
なんか、北朝鮮調、キムジョンイル調だったわ~。

まあ、けいこさん的には、「東京キネマ倶楽部」は、
キムさま好みのいかがわしさがあるって思った~。

平成のきれいきれいで当たり前、ばい菌みんないらない!!
ってな時代には、ちょっと、らじかる?している場所なわけよ~。
「東京キネマ倶楽部」はね~。
(まあ、程良い毒気、痛さがあるっていうわけ)

当日、けいこさん、岩谷宏のマネージャーとして参加したわけだけれども、
けいこさんには、名刺がないわけよ。名刺が。

けいこさん、おバカだから、当日になって、ハタと、こんな会には、
名刺って、必需品じゃあないのーって、気がついて、
そんでもって、当日、急遽名刺を作ってもらったの~。

午前11時に、ネットで、新宿のお店を探して、名刺サンプルを選んで、
自分の情報を、フォームに書き込んで、メールで注文を送って、
電車に乗ったら、午後2時には、名刺はできあがっていた~。

でも、けいこさん、小田急線に乗ってちょっと用事があったから、
新宿のその名刺屋さんに名刺を受け取りに行ったのは、午後5時すぎ。
新宿をこの時間では、鶯谷のあの会場に、午後6時には、
間に合わないかもって、焦ってしまって、もう、あふあふ言いながら、
早足早足で、お馬さんがトロットトロットするように、
シャワーのような雨が足許にからみつくのを、蹴り上げる感じで、
一生懸命歩いて、けいこさん、新宿西口から、山手線に乗って、
鶯谷に着いたわけ~。

鶯谷に着いて、南口に出たら、雨は止むどころか、本格的な様子。
本当に、土砂降りな雨っていうわけね~。(ザーザーザーってな感じ)
ああぁ、「東京キネマ倶楽部」って、どこなのって、不安になって、
小さなロータリーを進んだけいこさん、左手に大きなビルディングがあって、
その5階に「東京キネマ倶楽部」の看板が見えた時には、ほっとしたわ~。

まあ、土砂降りの雨の中でも、水たまりの中を、懸命に、
慣れないヒール5cmのマニッシュな靴で、前に前に進んで、
何分でも歩いて、会場にたどり着くのが、
けいこさんの、生きる道じゃあないの、
ゆきおちゃんの、ためじゃあないのって、
看板を見るまでは、思っていたんだけれども、ちょっと脱力。
なんか、3月14日の神様は、けいこさんにはちょっとやさしかった
わけよ~。

2分ほど歩いたら、ビルの1Fに着いて、
そうしたら、左手にタクシーが止まっているわけね~。
そのタクシーの後部座席を覗いたら、当日の参加者さんだと
思われる男性がタクシー料金を払っているところで、
けいこさん、なんと牛乳さん(もうもうさん)じゃあないのって
思ってしまって、エレベーターでご一緒したその方に、
もうもうさんですよね?って訪ねたら、
「いいえ違います。」と言われてしまったけいこさん、
その方は鈴木さんとおっしゃる方だったんだけれども、
けいこさんは、人の顔を憶えていないわけよ~。
脳味噌が足りない人だから。
だから、当日鈴木さんを、何回も、もうもうさん?って
聞いてしまって、とても失礼なことをしてしまったの~。
鈴木さま、けいこさんの脳味噌は、いつも、もやがかかっているんです。
当日のご無礼、どうか、許してくらはい。

そんでもって、その「東京キネマ倶楽部」には、当日は、
本当に、たくさんの人が集まったわけ~。
企業関係者さま、出版関係者さま、教育関係者さま、
そうそうたるメンツが集まったわけね~。
このネットワーク作りが、ゆきおちゃんの真骨頂なわけよ~。

会場の入り口で、参加予定者さんたちの、パンフレットを
もらったけいこさん、その参加予定者数の多さに、まずは、仰天。
そして、一階で、八戸のおいしい日本酒を頂いていると、
まあ、おなじみの方々が、会場に入ってきて、けいこさんなんかにも
挨拶してくれるわけ~、
けいこさんも、一生懸命、お会いした方々に、ご挨拶したわ~。


続く




岩谷宏のロック論 38  AND I LOVE HER

2008-03-12 17:35:39 | 岩谷宏 ロック
AND I LOVE HER

by John Lennon & Paul McCartney



ぼくは
彼女にくびったけでありまして
それだけで
ぼくの三百六十五日は
満ち足りるのです


会えばきっときみも彼女を好きになるでしょう
そういうタイプの女のコなのです
彼女は


やさしくて,かわいくて,
とりつくろうことをしない女のコ――。


今日も暗い空にはお星さまがチカチカ。
そしてぼくは彼女を愛しており,
ぼくの一生は,
これだけで満ち足りるのです。
皆さん。


―『ビートルズ詩集』23ページ



岩谷宏のロック論 37 STRAWBERRY FIELDS FOREVER

2008-03-08 08:31:59 | 岩谷宏 ロック
STRAWBERRY FIELDS FOREVER

by John Lennon & Paul McCartney



きみを連れてゆきたい
ぼくはいちご畑へ行くんだ
なにごとも現実ではなく
あくせくすることはなにもない
濃いあまい香りで
気を失いそうないちご畑


目をとじてごらん楽になるから
ひらいたって見えるのは誤解ばかり
もう人のゆうことなんか
気にしなくっていいんだ
なにも 気にしなくていい
受験とか 就職とか
この世でなにものかになろうという望みなんか
ぼくはもう捨ててしまった
そして 愛するきみよ
きみもいっしょに捨ててほしい


ぼくはきみを
いちご畑につれて行きたいんだ


人間って、木みたいなもんで
つまり それは 高いか低いかで
きみと同じ木はどこにもないんだよ
だからなにもムリして 人と
調子をあわせようとしなくてもいい


なにごとも現実ではないし
あくせく考えることはなにもない


永遠のいちごばたけ
それはもしかして
ぼく自身のことだろうか
それともぼくは
夢をみてるんだろうか
はっきり言おうとおもって
はっきりしたことなど一度もなく
もうろうとして
とらえようがない―


でも
だから
ここは もう たしかに
あたりいちめんの
いちご畑か


もどれないよ もう


―『ビートルズ詩集』74~77ページ(英詩
部分も含みます)

(「連れて」と「つれて」、「畑」と
「ばたけ」と、すべて原詩のままです。 高柳)


岩谷宏のロック論 36 HELP!

2008-03-05 09:08:55 | 岩谷宏 ロック
HELP!

by John Lennon & Paul McCartney



ぼくはくだらない映画に出て
はじめっからシラけた演技をして
そしてきみだけがたぶん
ぼくがほんとはなにを思っているか
知っていると信じたい
もしそうでなければぼくはあらためて
きみにむかって
HELP!
と叫ばなきゃならないよ
わかってほしい
ぼくはもう若くない
もう 子供みたいに
自分自身で完結してはいない
いつか なぜか
なにかによって 裂かれ
いま大きな切面がひりひりと
うずきつづける苦痛
なぜかわからないが もう
きみがそばにいてくれないと もう
たえられない。
わかってほしい。


―『ビートルズ詩集』29ページ




岩谷宏のロック論 35 CARRY THAT WEIGHT

2008-03-04 09:07:18 | 岩谷宏 ロック
CARRY THAT WEIGHT

by John Lennon & Paul McCartney



さあ
ビートルズをきいたからといって
きみの気持が軽くなるわけではないんだよ。
きみは きみ という 重荷を 負う
とゆうことにはいぜんかわりないのだよ。


ぼくら(ビートルズ)は けっして
きみのための安眠まくらじゃないのだ。
ぼくらはただ,きみに,
ありふれたラブレターを送ったにすぎないんだぜ。
もちろん,すごくまじめな。
きみはぼくらを愛し,そして憎む。


きみは きみという 重荷を 負いつづける。
ぼくらはもう疲れた。
おまつりは終った。
おまつりは終るために始まるのだ。
じゃあ,さよなら。
始まったものは終るのだ。このへんで。
ぼくたちはきみを愛してる。
だから
なにもできない。


元気でな。


―『ビートルズ詩集』113ページより




岩谷宏のロック論 34  LET IT BE

2008-03-02 09:34:49 | 岩谷宏 ロック
LET IT BE

by John Lennon & Paul McCartney



なやみごとが重なって
どうしようもないとき
ぼくはいつも
このコトバを胸の中でつぶやく
Let it be
たしかにくるしみは
ひとりであがいたって
それはどうなるものでもなく
また世界中の数多くの
傷心の人々もいま
静かに
このコトバとともに耐えているにちがいない
Let it be
ぼくは信ずる
いつかはその日が来る
別れた人々がふたたび出会い
くるしみがやわらぎ
いまはかすかなものでしかない
この胸の中のともしびが
こうこうと光り輝く日が―
そしてそれは
いまいたずらになやみくるしんだって
なにかが促進されるというものではない
Let it be
音楽が鳴り
ぼくらは今日も感動する
それはまさにいまなお
ぼくらが信じていることの
証拠ではないか


『ビートルズ詩集』115ページ



 

岩谷宏のロック論 33  THE LONG AND WINDING ROAD

2008-02-28 08:28:52 | 岩谷宏 ロック
THE LONG AND WINDING ROAD

by John Lennon & Paul McCartney




この二十年間
ぼくはひとりぼっちで
いろんなことをして生きてきた
いろんなことを考えて生きてきた
いまおもえば
ぼくの過去の人生は
はるかな くねくねとした長い道


それは長い道
「きみ」という人に
到りつくための
無益とも思える
長い道だったよ


でも
生涯で出会った
たったひとりの
かげがえのないきみよ
ぼくはまだ
その道の上にいまも
ひとりで
立ちすくんでいるんだよ
朝になったら
きみの家(うち)にむかって
歩きだそうとおもうのに
まわりはこころぼそい風雨の夜
くらい夜


はやく朝になれ
もう淋しさにはあきた
泣くのにもあきたよ!


この 気の遠くなるような長い
くねくねとした道の上に
ぼくはまだたちすくみ
ただひたすら
きみのことを想っている


『ビートルズ詩集』(旧訳)より、
117ページ

(この訳詩もまた、暗記するほど何度も
読み返した岩谷さんの訳詩のひとつです。 高柳)