三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【札幌円山「原生林」と相模原「里山林」】

2020-06-26 04:40:10 | 日記


昨日、ブログをアップしたら、いつもチェックしてくれるSさんからコメント。
「札幌市の円山原生林は文字通り原生林ですが、この林は
下草を刈り適当に間引いて樹間を明るくした人工林ですね。
有用樹種を選択的に植林した「木の畑」ではありませんが、
人が落ち葉を集め、間伐することで極相にならないように維持される、
いわゆる里山を再生保存したものと思います。」
という的確なご指摘をいただきました。
上の写真が「円山原生林」で下がきのう紹介した「相模原中央緑地」。
この違いを即座に言い当てるのは、なかなか鋭い。

里山林は、人里から近接していて、
長い年月、ひとびとの薪などを供給するバイオマス資源地域。
多くの場合、「入会地」という権利形態が取られて
江戸期までの社会では「ムラ社会」の公共利用地域として
独特の管理形態で維持されてきた存在だと思います。
人間社会との関係性が非常に深く、その管理が長い年月継続されている。
それに対して上の写真の北海道札幌中心部で保護された「円山原生林」。
こちらは、まさに人間の管理が及ばなかった自然であり、
その価値感を深く認識した明治開拓期のアメリカ北東部の開拓技官たちが
明治の開拓使に建言して原始のままに保存させた存在。
もちろん円山原生林も現在では人間の散策路などが整理されて
遊歩木道などもしつらえられているので、
完全な原生林ではなく、いわば最低限の社会適合をさせた自然林。
写真で見るように、上の円山では真ん中に「カツラ」の自然木が
自然のままのすさまじい変異が樹木に対し与えている様が見て取れる。
一方の相模原では、適度に木々は資源管理されて「間引き」されたり、
下草もきれいに整えられている様子がわかる。

わたし的には、このどちらもが「貴重」だと思われる。
たしかに原始のままの樹相を垣間見せてくれる円山原生林の価値は
まことに北海道らしく誇らしいと思える。
このような明治以来の人々の思いをしっかりと後世に残したいと強く思う。
一方で、下の写真、ほんのいっとき訪問させていただいた
関東の樹林が見せてくれる「歴史的経緯」にも深くうたれる。
そこには日本社会が育んできた「公共心」というものが見えると思う。
日本人の基本的生存形態だったムラ社会の「掟」というものが
持っていた人倫観の大きな価値感がまざまざと迫ってくるのだ。
たぶん列島社会で農耕生産形態が永く存続してくる中で
自然発生的にひとびとが涵養してきた「倫理観」の中心に
このような「里山林」の存在があって、公共心を普遍化させてきたのだ。
いわば草の根的な公共心の発露であり、存続形態であると。
今日「日本人の民度」が話題に供されるけれど、その根源かとも思える。

そうした中身までは知らないまでも、日々こうした森とふれあうことで
地域の子どもたちには、伝わっていくなにかがあると信じたい。


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