三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【米DGP過去最悪32.9%減。4−6月期経済状況】

2020-07-31 05:51:52 | 日記

図は先日紹介した大手ハウスメーカー系の「住団連」発出の資料から。
これは1−3月期までの日本のGDPと民間住宅投資の指標データですが、
この4−6月期のGDPの落ち込みは、たぶん記録的なレベルが予想されている。
緊急事態宣言があって、経済に徹底的な冷水が浴びせられた現実が
この8月初旬に一気に発表されていくことになるのでしょう。
それが「底」を形成して、それからかなりの角度で回復するという一般的予測。
「緊急事態宣言」以降の状況の中で、底の数字がどういうインパクトをもたらすか?

一方7月も終盤になって、徐々に各企業単位の数値が発表されてきている。
象徴的な企業指標として、東京ディズニーランド運営のオリエンタルランド
〜30日発表4~6月期連結決算、売上高前年同期比94・9%減の61億円、
最終利益が248億円の赤字(前年同期は229億円の黒字)だった。
東京ディズニーランドと東京ディズニーシーは新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、
2月29日から約4か月間、臨時休園していた。(読売報道)〜
まぁこれだけ巨額の赤字でもビクともしない企業というのもすごいけれど、
共同電では、仏ルノー、過去最悪の赤字 1~6月期、新型コロナでとのニュース。
〜 【ロンドン共同】フランス自動車大手ルノーが30日発表した
2020年1~6月期決算は、純損益が72億9200万ユーロ(約9千億円)の赤字。
ルノーによると1~6月期が赤字となるのは09年以来11年ぶりで、過去最悪。〜
ということで、世界の基幹産業である自動車産業も危機的な数字が予測される。
日本政府の用意している10兆円の「経済対策予備費」は大手企業の万一の事態に
資本注入するための原資の確保とささやかれている。
たしかにそういう用途ですと公表することはリスク管理としてあり得ない。
一時期、日産の経営権を中国が狙っているなどというニュースが流れたけれど
企業というのは資本主義社会の基盤的な「資産」だと思う。
雇用を生み出し、経済の実質をほぼ担っている存在。
深刻な経営数字毀損に対応することは、各国政府にとって最大防衛ライン。
これから8月にかけて日本のGDPの4-6月期発表がどの程度になるのか、
身構えているというのがいまの空気感といえる。

景気というのは、「気」という文字を使うことから、
人心のありようを映し出すモノでもある。
V字回復を願いつつ、しかしいま再度の「感染拡大」が襲ってきているなか、
もう少し長期的に影響が強まっていく可能性も高い。
一方でいまの「感染拡大」状況では、無症状・軽症の若年層感染が多い。
重症者の発生は比較的に抑えられているのも現実とされている。
行きつ戻りつ、踊り場のような局面が続くようにも思われます。いずれにせよ、要注目。
・・・とここまで書いていたら、日経の速報メールで以下の発表。
速報:米GDP、コロナで過去最悪の32.9%減 4〜6月期年率。・・・う〜む。

【GoToと「住む」 進化する人生充足環境】

2020-07-30 06:01:07 | 日記


きのう書いたテーマは、ちょっと「あぶない」テーマだったかも(笑)。
国の「住宅政策」というものには、社会ニーズの変化を反映させるべきだ、
ということですが、縦割り行政機構では得てして狭い視点から、
人間のシアワセと建物のシアワセとの優先順位があべこべになる。
どうも、国交省的「論議」の枠組みでは「人間優先的」とは言えないと思う次第。
現代人の「よき暮らし方」と「住宅政策」には若干ズレがある。

よき暮らし方を考えるとき、その大きな領域として「移動の自由」がある。
それが制約された現在の状況で、その価値の重みを深く思い知らされる。
毀損してはじめてその「大きな価値」に気付くということか。
人類史で考えると、現生人類がかくも全世界に拡散を成功させたのは、
人間のシアワセが、必ずしも定住とその環境づくりに限定できるのではなく、
移動して世界を「見て、刺激され、啓発される」ということが、
かなり大きな「進化要因」ではなかったのかということに、気付かされる。
きのうのテーマとからんで言えば、移動の自由の拡大で「住」の「複数化」が
今後大きなファクターになっていくのではと直感させられています。
当然ですが住宅というのは、その土地に根付いて存在する。
人間はその住宅の中で、社会から隔絶された「自由な世界」を構築できる。
そこでは個人なり家族なりの「好適」な環境が自由に追求される。
住宅雑誌・メディアの基本的な探究テーマであろうと思います。
ただし、一方で人間の体の寸法は「立って半畳・寝て一畳」と
基本要件ではほぼ共有化できることも事実。
その意味で、「共有できる快適性」の普遍化というものも可能。
ホテルのような存在は、アメニティの共通言語化で可能になっている。
それをもう一歩進めると、セカンドハウス的な環境の構築も、
「移動の自由」の拡大深化によって、大きく可能性が膨らむ。
新型コロナ禍以前、世界的にLCによる移動の活発化が顕著になって、
国内移動についてもそのコストは劇的に下がり続けている。
その移動路線では、首都圏と各地域という路線のコスト減が大きい。
住が複数化したとき、どちらをメイン、サブと考えるかは両方とも考えられる。
移動の自由と居住の快適化という、従来思考では相反しそうなテーマが
究極的に「止揚」される環境が整ってきたように思える。

新型コロナ禍からいま、テレワークの進展という現実がある。
大都市中枢に集中することでの仕事上のメリットが逆にデメリットしてきた。
仕事の環境の自由度が高まってきて、どこにいてもある程度可能になってきた。
完全に自由というわけではないけれど、個性的ライフスタイルとの調和を図ることが
かなり両立可能になってきたといえる。
暮らしのテイストまで充足できる家と、社会的活動を担保する「拠点」住環境という
複数箇所に「住む」選択肢もかなり具体的になってきたのではないか。
人類ライフスタイル経験として特異的な「船乗り」の人生充足に近いものが、
かなり普遍性をもって実現されてくる可能性があると思うのです。
まぁ湊々に○○あり、という少し悩ましい問題もありますが(笑)。

このような生き方の選択肢の大きな広がり・進化について、
いわゆる「世帯」と「住宅数」という国交省的な数値基準では掬いきれない。
現代人の人生投資では新たな「アメニティ」に注目する必要がある。
そんな思いが、非常に強くなってきております。


【社会の価値感変容を直視しない住宅政策の危機】

2020-07-29 06:18:16 | 日記

きのうは久しぶりに東北フォーラムのWEBセミナーで情報交換。
テーマが「既存住宅流通における住宅履歴情報の大切さ」ということ。
やむを得ない事由から接触交流制約が長引いてきているので
久しぶりに交わされている情報のコトバひとつひとつがむしろ新鮮な疑問を
感じさせてくれるモノでした。
テーマ論議とはまったく別に、国交省的な情報発信データで
日本は新築マーケット中心で先進国一般に対し既存流通が格段に「遅れている」。
だから、その「流通を促進」させることで現状の新築偏重のマーケット構造から
長期的な業界構造を樹立させる、という「強迫観念」的な受け止め方で語られる。
国交省は固くこのように信じていることが、遠い過去のことのように聞こえていた。

新型コロナ禍で、情報の分断化が進んでいるけれど、
ひるがえって、じっくりと「再検討」するのには良い機会だとも思えています。
わたし的に、上述のようなこれまでの「業界常識」から距離が取れたことで
逆に新鮮な「疑問」がふつふつと湧き上がってきていたのであります。
新型コロナ禍が暴き出した世界構造、国連などは第2次世界大戦の戦勝国が
未来永劫その位置に留まり続けるのに好都合なように機能してきたこと。
端的な例として、そのひとつの組織WHOが「背乗り簒奪の五大国」中国によって
好き放題に組織を換骨奪胎されて来ている実態が誰に目にも明らかになった。
これまでの世界観「常識」が本当にそうであるのか、疑問を持たねばならない。
先述の新築と既存流通への考え方もまた、一度精査すべきではないか。
また「すでに日本の住宅総数は総世帯数を超えている」という「刷り込み」も
それを久しぶりに声で聞いてみて、大きな違和感を感じてしまっていた。
総世帯数:住宅数について、日本では単身世帯が非常に増えてきているので、
必ずしも世帯数が住宅の必要数を表す指標とはカンタンには言えないだろう。
いわゆる「世帯」とはかけ離れる「単身生活者」がさまざまな社会趨勢から
非常な勢いで若年層〜高齢層まで加速度的に増えている実態がある。
今後考えなければならないのは、この「世帯概念」がどうなっていくかが
実は最優先で論議されなければならないのではないか、と疑問を持った。
原因分析を行わないで結果としての数量把握だけで政策対応するのは、愚策。
いま進行の高齢化社会では、2地点居住などの需要も生み出す可能性も高い。
世帯数とひとくくりで、いわば「標準的家族形態」を想定するのは危険だと思う。
いまやひとつの世帯だけれど、北海道に本宅があり子どもは関西にいて
東京にも行動拠点がある、すなわち数軒の「住宅」利用という「平均値」感覚も必要。
伝統的な「世帯数」指標だけによるマクロ政策立案行為それ自体が
どうも現実と相当の乖離を産んでいるのではないだろうか。

新築と既築更新の住宅需要についても、
そもそも欧米の「個人主義」の長い伝統に対して、
日本は伝統的な社会価値感はそれとは相違する「ムラ社会」型であって、
そこに戦後以降急速に、個人主義的な「個人資産」型住宅価値が拡散された。
社会変容の中身の論議もなく、集中豪雨的に住宅が都市部で大量生産された。
欧米の強固な個人主義に基づく「長期優良住宅」概念が確立するまでには
日本はまだ長い経験値を必要としているように思えてならない。
日本社会の長期優良住宅は全国の有力農家住宅として厳然と存在し続けた。
それはムラ中心型社会形態に最適化された「長期優良住宅」だった。
健全な個人主義思想に基づく「よき住宅」概念はまだ日本では未成立。
従って「あるべき家族形態」も、まだはるか遠い霞のなかにある・・・。
むしろそう考えるべきではないかと、論議とは違うテーマが大きな渦になって
アタマを巡っておりました。う〜む、テーマを整理整頓しなければ・・・。

【出窓は寒冷地ニッポンの縁側ミニチュア?】

2020-07-28 05:58:10 | 日記



先般、出窓についてのわたし自身のノスタルジー空間記憶を書いたのですが、
そうしたところ、ブログ読者の方からコメントがあり、同時に
住宅関連の「専門家」2名の方からも反応が寄せられた。
専門家の1人は北海道内の住宅研究者であり、もう1人は東京の専門家。
どちらも古建築から現代建築まで幅広い知見をお持ちの方。
最初のブログ読者の方からコメントは以下のよう。
「どうも出窓は、縁側と雨戸を意匠としてレリック的に残したのかとも思います」
という直感的印象、ご意見をいただいたのですね。
<注)レリックとは、①遺物②残存種という意味。>
わたし自身はそのような印象は強く持ってはいなかったのですが、
しかし、そう言われてみると確かに2番目写真の出窓には、
日本建築の粋ともいえる「縁側」のミニチュア的な雰囲気が見て取れる。
見ているうちにそのご意見に、身体的に奥深く刺激されるモノがあった。
「そうか、出窓の意匠は縁側と景色の切り取りをワンセット化させたもの・・・」
という強い形態記憶がその根本にあるのではないかというもの。
まことに魅力的な推論で、深くとらわれてしまった次第。

明治の開拓期、防寒に優れた洋式建築の導入が一貫して追及されたけれど、
洋式建築での「出窓」はいわゆる「ボウ・ウインドウ」的なものであり、
1枚目の写真の明治帝迎賓施設「清華亭」の写真のようなタイプが主流。
札幌に残る同時期の洋式建築・時計台にも豊平館にも開拓使本庁舎にもない。
明治初期の開拓使建築では、この清華亭で唯一建築されている。
しかし、これはその後の「出窓」とはデザインの系統が異なっていると思われる。
床まで窓の下の壁面が届いており、床が「張り出している」というタイプ。
どちらかといえばバルコニーの室内版とでもいえるもの。
それに対して、その後の北海道で特徴的な「出窓」写真である2枚目では
かなり「出自の違い」が直感できるのです。窓は腰までくらいしか開口せず、
その窓の張り出し部分平面にはまるで「縁側の踏み板」状デザイン。
わが家でもこのようだったのですが、他家ではここに刀を納める例もあったという。
これは感覚的には、縁側を中空に浮かせることでレリック的に残したに近い。
そう考えると、寒冷地木造建築で「和」のデザインが独自に変容した、
という寒冷地ニッポンでの民族DNA的とも考えられるのです。
3枚目の写真は清華亭の和室外周の「縁」ですが、
このような和風住宅の縁側空間は、北海道の寒冷気候では採用できなかった。
しかしそういったデザインへの民族的ノスタルジーは根深くて止みがたく、
作り手の大工棟梁たちが、ガラスを嵌め込んだ窓に対して、
それを見立て上の「景色を切り取る縁〜出窓」という空間創造力を発揮し
いかにも、和の住空間を象徴するデザインとして形象化させたのでは・・・。
そして、寒冷地でのニッポン的「中間領域」継承を創意工夫した。

こうしたひとつの可能性が浮かんできて、それについて、
いろいろ意見交換を始めている次第です。まだプロセスではあるのですが、
もしそのような経緯で出窓が独自進化したものであれば、
北海道住宅はいきなりニッポンを放棄して無国籍化したのではなく、
その過程で、出窓というもので和のデザインを
変容させて取り込ませようとした痕跡といえるのではないか。
本州地区の専門家からも、同時代に本州地区建築での「出窓」は
その存在をほとんど記憶していないという意見もいただきました。
ただ、戦後の一時期の住宅面積規制時に出窓は面積参入されないことで
ブーム化し、メーカーは全国市場に大量出荷した経緯もあったとされる。
出窓の出自について、ひとつの大きな可能性が膨らんできた次第。
ちょっと北海道住宅建築探偵団(笑)を緊急出動させたいと思い始めております。

【新型コロナ禍影響調査・住宅業界アンケート】

2020-07-27 08:07:58 | 日記



先日一般社団法人「エコハウス研究会」さんから会員企業向けに
アンケートが実施されていました。
この会は建築家・丸谷博男さんが中心的存在で、「そらどまの家」を提唱する
太陽光利用系の研究団体。会員企業はどちらかといえば温暖地域企業が多数派。

で、7月17日発出で会員企業向けに新型コロナの事業への影響調査を実施。
そのアンケート結果が1週間後の7月24日に発表されていました。
拡散許諾を得たので、ご紹介します。
<アンケート前文〜新型コロナウイルス感染拡大防止のため、2020年4月7日に
緊急事態宣言が発令され、5月25日解除されました。
現在、再び検査数の増加と共に感染者が増え始めています。
会員のみなさんの現在状況を把握させていただくために、
緊急のアンケートを実施させていただきます。
どうぞ、積極的にご意見いただければと思います。>
という要旨で、質問内容とその回答は上に図表として提示しました。
回答者属性では回答総数53人に対し工務店は17人32%、設計事務所29人55%。
その他7人13%、という分布になります。
アンケート結果からの「傾向」を見てみると
●受注状況、仕事状況では
「変化はない」という答が多いと言えるでしょう。
そしてむしろ緊急事態宣言解除後、受注が増える傾向が見て取れています。
これは先に発表した「大手ハウスメーカー」の傾向とも相似する。
●仕事の視点の変化では、
「変わった」という回答が58%と、主流を占めています。
この質問に対しての回答で、建築現場との距離に比例して
その他86%、設計事務所59%、工務店47%となっている点が興味深い。
ミクロの工事現場では世間の状況とはやや距離感があり、
いちばん世間そのものの心理状況と接している「その他」企業側が
視点が「変わっている」と答える傾向にある。
●将来受注について
これは押し並べて一様に不安を感じているのが趨勢。
このことには各業態的な相違は大きく見られない。
コロナ禍という目に見えない災禍なので、不安が先行するのはやむを得ない。
しかし、住宅業界というのは作り出すものが時間のかかるモノであり、
世間状況が即座に反映するという業種ではなく、現に製造工程のなかにあるモノも
多数抱えて進行管理させているビジネスなので近視的な「影響」は
出にくい業種ではあるように思われます。 しかし、より長期的な設問、
●在宅ワーク対応、コロナ対応を聞く設問では、
どちらも72%、75%とかなりの高率で「必要」と考えている状況。
それが実際的にはどのような「要素技術」であるのかについては
「必要」と感じつつ、「わからない」というのがそれぞれ4割強の回答。
これもコロナ禍の趨勢、可視化がまだプロセスにあるので、
明確化できないというのが正直なところなのでしょう。
たぶん、在宅ワークの方がより具体的で、それぞれの家族で
共働きの場合では個室を2つ以上作るとか、
その個室の配置計画、トイレの複数化など主に「プラン」側での対応が
ユーザーから迫られているのが実情ではないかと推察できました。

住宅業界の対応策は今後、換気の可視化、データの詳細把握提示など、
幅広く対応が求められることになると思われますが、
いま現在の認識状況を垣間見ることが出来た次第です。

<取材協力:一般社団法人エコハウス研究会
東京都国立市富士見台2-12-32 tel 080-5643-0005  http://ecohouse.ac/>