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けぶろぐ

これをきっかけに普段自分が日常生活について何を考えているのか発見できればよいな~

断食

2007-10-29 | トルコ
ラマザンの季節が来た。せっかくトルコにいるのだから、私も断食(オルチュ)に挑戦してみようかと。

まあ、私としてはどちらかというとっていうか99%は夏の間に増えた体重を減らすダイエット目的なんだが。そして私が日本でやってたダイエットは、食事抜きなので、そんなにつらくないかな、と。

ホストマザーのアヌルがやるというので、私も最後の4日間だけやることに。

1日目
お昼ごはんを抜くのは、簡単だが、水分も取れないというのはつらかった。ひたすら仕事に没頭。

2日
日中、昨日よりも空腹感が出てくる。でも、仕事は無事終了。帰る途中に、夜ご飯あとに食べる甘いものでも買って帰ろうと、店先を覘いていたら、今まで食べたことのないものがあり、それを買おうか迷っていたら、お店の人が試食させてくれて、うーん、おいしい、と買ってから気づいた。私、オルチュ中だったんだ。。。

3日目
朝からおなかが空いている。会社まで坂を登るのだが、なんだかくらくら。

4日目
今日はホストファミリーが変わる日。新しいホストのヌルはオルチュやってないみたいで、お昼に会ったのに私がご飯食べないから彼女も食べなかった。ほんと、すみません。

そんなわけで無事終了。一ヶ月のラマザンの間にだんだんオルチュの時間が早まるので、普通に会社から家についたらご飯の時間だったので、まだ楽だったな。
といっても、別に体重が減ったわけでもなく、実は夜ご飯を豪華に食べるため、体重が増える人が多いそうな。

ラマザン

2007-10-24 | トルコ
今年のラマザンは9/13-10/11。
ラマザン期間中は日の出から日の入りまでご飯はもちろんのこと、水分、タバコもとらない。お酒も慎むのだそう。

よって、夜ご飯はとても重要になり、ラマザン用のピデが売られ、夕方は、パン屋さん大混雑(写真)。熱々が食べれてとてもおいしい!また、この時期の夜ご飯は、イフタルと呼ばれる。ロカンタに行けば、コースでサラダ、スープ、メイン、パン、デザートという感じ。

一度、断食中の友達と出かける機会があり、もう、夜ご飯待てない、という感じで、まだ時間まで30分以上あるのに、レストランに入って席について待った。(でも、ほかの人も同じように待っていた。。。)そこにはテレビがあり、時間までコーランの解説(?)みたいなのがあり、で、その時間が来るとみんな一斉に食べ始めた!

ちなみにその時期に、ホストファーザーの両親の家に行き、近くのレストランでイフタルを食べたのだが、近所の人たちもたくさんいて、ラクのみまくりの会となった。なんだ、お酒飲むじゃん。

でも、宗教の話は難しい。無宗教の私は別に人類の起源とか考えないけど、彼らは、人間はアッラーが造ったって。すべてはアッラーに支配されている、って。うーん、そうっすか。。。

カッパドキア

2007-10-23 | トルコ
今まで行ったところと離れているのではじめは予定に入れてなかったのだが、やっぱりトルコにいるからには行っておきたいと思い、カッパドキアに行くことに。チャナッカレからイスタンブールに戻ったのだが、そのまま夜出発というまたまた強行日程。三日続けてのバス寝はつらいぜ。まあ、22時出発だったから、まだ寝れたけど。

ギョレメに泊まることにして、一日目は周辺ツアーに参加した。(最悪なことにカメラもって行くの忘れた!)

・ツアー内容(たぶん)
カッパドキア南部(ギョレメから遠いところ)
ピジョンバレー→デリンクユの地下都市→ウフララ渓谷→セリメ(スターウォーズで使われたらしい)

それにしても、見たこともない風景が広がっていた。まじ、ありえないね。トルコにきたら、一度は来るべき場所だと思う。やわらかい場所があると思えば、とんがった場所もあり。白もあり茶色もありピンクもあり。そして、洞窟や地下で人が住んでいたとか。(泊まったホテルの部屋も洞窟部屋だった。)

二日目は前日いかなかったギョレメ周辺を自力で回ることにする。朝からオトガルのインフォメーションにいってどんな感じにまわればいいか相談する。して、出発。ハイキングしたいので渓谷中心に予定を立てた。
ラブバレー→パシャバー(三本のキノコ岩で有名)→レッドバレー、ローズバレー→アクテペヒル(サンセット)

地図ももらって万全。ラブバレーに行きたいとネヴシェヒルへ向かう坂を歩く。渓谷っぽい看板を見つけたので、そこを曲がり、ちょっと草むらを歩く。いきなり二又だよ。看板ないし。より道が鮮明そうな左かな、と進む。景色すごいぜ。ここらへんは白い大地が広がっている。眼下に渓谷がみえ人が歩いている。あそこに行きたいのだが。どうやっていくのかしらん。そのまま進んで下にいきそうな感じの道を見つけたのでどんどん進む。って、うわ!こりゃ、もう無理だ!映画や夢で追いかけられて追い詰められたときにくるがけっぷちに出た!!!怖いよ~~。だれが道作ったんだか。仕方なく元に戻る。やっとこさ二又のところまで戻り、右に進む。結局今度も行き止まりになった。。。

もう~、二時間半ぐらいロスしたよ。しょうがないからあきらめてまた出発地点のオトガルに戻り別の方向から第二地点のパシャバーへ向かう。オトガルから7キロ。ここは普通の道路なのでまったく問題ない。とりあえず、歩いている人がいないので、何回か車に(乗りませんか、と)クラクション鳴らされたけど。さすがに車に一人しかいないと遠慮したけど、二人乗りのパン屋さんがきたので、乗せてもらった。そこで一キロぐらい稼いで(途中で別れた)パジャバーに到着した。っていうか、みんなおんなじような感じでキノコ岩がにょきにょきで、どれが有名なのだか。一応聞いて教えてもらったのに、腑に落ちなかったし。

次のローズバレー、レッドバレーに行きたいと思い、向かおうとしたところ、アンタリヤから観光しにきたという車に乗った二人組に出会い、一緒にいくことに。やっぱりトルコ人だ。特に調べもせずにきている。私が行きたいところに一緒に行く、ですって???渓谷に行くっていってるのに、っていうか、車だし、彼ら運動靴はいてないから、歩きたいとは言えず、ローズバレー、レッドバレーに行くまでの道にあった教会に寄ったあとはサンセット用のアクテペヒルに行って(夕日の時間ではなかった)ギョレメに戻り、カフェでまったりして、別れた。やってしまった。。。前の学習(観光は一人がいい)を生かせなかった。

ということでイスタンブールに戻る夜行バスまで少し時間があったので、インフォメーションの人に近くに見所はないかと聞いたら、地図には載ってないけど、オトガルから近いサンセットスポットを教えてくれて、そこで夕日を眺めた(写真)。ちと一人というのは寂しかったけど。とても綺麗なのとこれで旅も終わりかというのとたぶんいろんな感情がきて思わずしちまったさ。

というわけで、駆け足だったけど、9日間いい旅だった。

チャナッカレ→イスタンブール

2007-10-21 | トルコ
トロイ遺跡散策後、チャナッカレの港で映画「トロイ」で使用されたトロイの木馬があるというのでそこにいく。こっちのほうが古い感じに作られている。なんだかこっちのほうが現実味がある感じ。トロイ遺跡のはきれいすぎるのだ。まあ、実際のところはわからないけどね。

夜ご飯にチャナッカレ近郊のアイワルクで名物というアイワルクサンドを食べた。(イスタンブールにも普通にあることに戻ってから気づいた。)普通のホットサンドと変わらないと思ったので、何が違うか聞いてみたところ、パン生地にたくさんビタミンが入っているのだそう。ふうん。そして、お土産にチャナッカレ名物というペイニールヘルバスを買った。チーズのお菓子。これはお勧め!おいしい。

そのあとは夜までひまひま。ここでも1時出発。つらー。港では釣り人がたくさんいたので、ぼーっと眺めた。小学生ぐらいの子供ががんがん釣っててびっくり。また、そこで夫婦に話しかけられた。今23時ぐらいなのだが、釣り好きだから毎日来てるんだそう。そんなこんなでバスの時間になり、乗り込む。バスごとフェリーに乗ってダータネルス海峡(もしくはマルマラ海か?)を渡りイスタンブールに戻った。

朝到着し、夜までひまひま。
二日お風呂に入ってないので、身体洗いたいと思い、この際イスタンブールの有名なチェンベリタシュ・ハマムに行くことにする。今までハマムに行ってもあかすりは頼んでなかったのだが、今回はかなり疲れているし、かなり自分自身汚いと思い頼むことに。

っていうか、え。高すぎ!36YTL(4000円ぐらい)この旅行で一番高いよ。宿泊代よりも!

そんなわけで、タオルを巻いて中に入ると数人いた。室内は大理石でドーム型の屋根からやさしく光が差し込むのは幻想的な感じできれいだった。お湯かぶっておいて、と言っておばさんは出て行った。そうか、身体をあたためたほうが垢がとれるもんね。というわけで、ひたすらお湯をかぶるのだが、一向におばさんが来る気配がない。もーふやけちゃうよ。かなり待たされておばさんが戻ってきてやっと洗ってもらう。すごい垢だね~と、見せてくれる。そりゃそうさ。歩き回って汗かいているのに二日お風呂入ってないんだもの。ちょっとはトルコ語できるから、いい感じでやってくれないかな~と少し期待したのだが、まじ、もう終わり?って感じで五分あったかしら?っていうぐらいすぐ終わってしまった。もうちょっと強くごしごししてほしかったし。

終わって着替えて、まじ、チップめちゃくちゃ待ってるっぽい感じだったから、チップ渡してハマムを後にした。満足してないのにまずかったかしら。まあ、終わってから、パンツと櫛セットをくれたから、ま、いっか。

トロイ(チャナッカレ)

2007-10-20 | トルコ
ベルガマからイズミルのオトガルについて、そこで、トロイ遺跡の起点となるチャナッカレ行きの夜行バスを待った。まじ、夜中1時出発とかつらいんですけど。トルコの(長距離の)バスでは、出発後、車掌さんが、席(チケット)確認して、お水(コーラやチャイもある)配って、お菓子配って、ってサービスがとてもよい。でも、夜中発でやってると、本当に寝れるのは一時間半後とかになるので、つらいのだ。そうじゃなくても椅子で寝るのは快適でないのに。(まあ、もらわないで寝ちゃえばいいんだけど。)

チャナッカレに、あいているレストランとかないぐらい早朝に着いた。そしてなかなか寒い。そうだよな、北上しているのだもの。やっと七時になったのでオトガルに行ってみる。今開店したばかりっぽいお店に行ってチャナッカレ名物というボンバを食べる。トロイ遺跡はそんなに大きくなさそうだから、朝はダータネルス海峡(チャナッカレ海峡)を渡って向こう岸にあるお城にでも行きましょう。ちなみに戦没者慰霊のためか山を削って斜面になんかかいてあるのが見えた。わたしゃ、環境に悪いとか思ってしまうのだが。

ということで、キリトバヒール城塞をぐるっとめぐったのだが、あいてない模様。すぐ、チャナッカレに戻る。海きれいだったなー。フェリーを降りるときに向かいに座っていたカップルがリンゴをくれた。して、朝ごはん一緒に食べましょう、と。時間もあることだし、一緒に朝ごはんを食べた。スープ。え。それだけ?私は少し前にボンバ食べたからいいけど。まあ、トルコ人はパン(テーブルにおいてあり無料。)をスープに浸して食べるのでいいのか。

というわけで、二人と別れ、トロイ遺跡に。とりあえず、入ったらすぐ、トロイの木馬があった。(写真)なんだか、すごく新しい。で、遺跡を回る。ここはちゃんと道順を記した看板が立っているので、その通りに進む。同じ土地に9つの異なる時代の遺跡が積み重なっていて、ここはいつの、とか書いてあるんだけど、さっぱり。わたしゃ、みんな同じに見えるさ。

ここはとても古いところだが、でも、すごく小さいながらも劇場っぽいのがちゃんとあって、やっぱり昔っから娯楽で劇場は必須だったのだな、そしていつの時代も同じような形(円形)とであることを知った。

そんなこんなで、帰りは一時間に一本のバスに乗ろうと停留所に行ったら、今日は16時のバスはないとのこと。はい??まあ、時間あるからいいけど。そんなこんなで、今度はトロイ遺跡の守衛さんのオフィスでコーヒーをご馳走になって一時間後のバスで帰路に着いた。

アクスレピオン(ベルガマ)

2007-10-19 | トルコ
アクロポリスの次はまた街に戻ってオトガルから2キロのアクスレピオン。せっかく山を降りたのにまた別の山に登る感じ。疲れた~。地図でみてメインじゃないっぽいほうの近道を選ぶ。って途中で地元の子供(二人)が話しかけてきて、一緒に行こうって。

門みたいなところにいっても閉まってて、でも、すぐ横の金網が開いててそこから忍び込んだ。したら、守衛さんがきて、たぶん子供が、一緒に回るんだ、みたいなことを言って、とりあえず、私はチケットを買った。やはり、地元の子供だからチケットいらないのか、そのまま三人で回ることに。

すぐ、神殿と劇場が見えた。ああ、すばらしい。小さいけど。と思ったら、子供らが、写真とってって。まあ、いいけど、って、私のカメラのメモリは1Gで余裕と思っていたが、3ヶ月半の電気ない生活で写真あまり撮らないほうなのにいっぱいになり、1枚だけっていってるのに、次々と要求してきた。

私は遺跡中心で、自分はどうでもいいほうなので、一緒に撮ろうって言われたときに、神殿の柱が全部入るように撮ってもらったら、人がすごく小さくなって、したら、気に入らなかった模様。。。(それほど柱が大きかった。どうやって立てたのか!)

この遺跡もそれなりに見所があるみたいだけど、で、私はどちらかというと、ガイドブック観ながら、遺跡を回りたかったのだが、子供に振り回された感じ。彼らもそれなりに知ってたけど。まあ、メインの石柱と劇場がみれたからいいけど。。。やっぱり一人がいいや、と思った。

帰りは別の門番の人に話しかけられてオフィスでネスカフェをごちそうになり、帰路についた。

アクロポリス(ベルガマ)

2007-10-18 | トルコ
イズミルで一泊して早朝ベルガマに向かう。ここでは二つの遺跡があるのだ。ちなみにベルガマはトルコ人に聞いてもあんまり知らないみたい。

まず、市街(っていっても小さな町)のオトガルから五キロのアクロポリスへ。ってバスからかなり山の上に小さく遺跡っぽいのが見えた。ぎょえーと思いつつ、もちろん歩く。普通歩かないのか、歩道なんてない。もちろん歩いている人もいない。ツアーのバスにがんがん抜かれる。したら、後ろから警察の車が来て私の横で止まった。え。なんかまずいかしら?と思ったら、乗りなさい、と。そういえば少し前に救急車が上っていったっけ。ラッキー!
(私)景色いいですね。
(警察官)そうだね。
あら、以上?
そうだった、彼らは現場に急行しているんだっけ。職務中だった。

そんなわけで、山頂に到着し、(事件(?)はたいしたことなかったっぽい。)チケット買っても買わなくてもわかんないような受付を通り、中に入る。え、かの有名な神殿とか劇場とか見えないんですけど。。。

少し歩くと、下のほうに神殿が見えた。これがかの有名なトラヤヌス神殿かーーー。柱が大きい。例に違わず柱の彫刻は美しい。
神殿からは眼下に劇場が見えた。いやはや、劇場はすごかった。かなりの急勾配。高いところが苦手な人は無理だろうな。一番下まで降りたが、また劇場の階段を上る気にはならず、別な方面からゆっくり戻った。

この遺跡は山の頂上にあるだけあって、ほんと、景色はよい。神殿から市街地が一望できる。ちなみに、神殿の反対側の斜面からはダムが見えた。っていうか何でこんなに山の上??生活しにくいと思うんだけど。昔の人は全然下に下りなかったのかな~。まあ、敵は攻めにくいだろうけど。

ということで、ここは山の上にあるだけあって、帰りはらくちんに坂を駆け下りた。乗せてくれる人はいなかったけど。

イズミル

2007-10-15 | トルコ
エフェス遺跡散策後、ベルガマの起点となるイズミルへ電車で移動。ちなみにセルチュク駅のプラットホームで見慣れないもの(※写真)をみたのだが、踏み切りの上げ下げが手動だった!乗った列車はコンパートメントタイプ。のせいか、普通の電車より少し運賃が高かった。でも普通に自由席だけど。そしてまあ、おんなじ部屋になった人たちと楽しくおしゃべり。。そしてかつイズミルの中心駅に着くと思ったら、別な駅についてそこで中心駅までシャトルバスで移動。変なの。

相変わらず安い宿を探すので、ガイドブックに安宿街と書かれている通りを歩く。って、たくさん宿はあるのだが、もう、夜で、みんなかなり怪しく見え、少し怖くなる。ひとつ、ロビーに女の子がいるホテルがあったので、そこにした。部屋にベッドしかないので、みんなロビーに集まって話したりテレビ観たりしている。女の子はロビー階というわけで、おもいっきり部屋の中見えちゃうんですけど、って感じ。そして、ロビーの話し声、テレビの音は部屋に聞こえまくり。ロビー横にある受付にシャワー(もちろん共同)を浴びるために鍵をもらうのだが、みんなに聞こえるっちゅうねん。ちょっとはずかしいんですけど。荷物最小限だから、寝巻きなんて持ってきてないから、シャワー浴びてもロビーに戻るためにもう一度ジーンズ履かなければならず、気持ち悪かった。

まあ、その分本当に安かったからいいんだけど。ベッドも清潔だったし。

けど、イズミルはいい街らしい(イスタンブールやアンカラに住んでるトルコ人がイズミルってすばらしい町だといっていた。)のだが、いいところを散策できなくて失敗した。

エフェス(セルチュク)

2007-10-14 | トルコ
パムッカレ散策後、パムッカレの起点となるデニズリからエフェス遺跡の起点となるセルチュクへ電車で移動。内装はワインレッドで統一されていて、レトロな感じでよかった。セルチュクの駅前にも古い石柱があってなんだか、期待できそう。
夜はここの有名料理というチョップシシというトルコ版焼き鳥を食した。まあ、お肉は羊だが。

セルチュクで一泊して次の日にエフェス遺跡へ。セルチュクの街から3キロ。もちろん徒歩。途中タクシーがうるさかったが、ちゃんと表示があるので簡単にたどり着けた。

中に入る。また、案外人がいない。そして、通りを歩いていくと左側に大劇場が見えた。うおー、かなり大きい模様。残念ながら途中までしか入る(登る)ことができなかったが。して、大劇場の前の通りを歩いて突き当たりの右に図書館(※写真)!美しい!(本物ではないらしくちょっと残念。)

(反対側の入り口のほうがメジャーなのか)向こうから人ががんがんきた。ツアーばかり。ということで、いくつかのグループの説明を便乗して聞いたりした。

ほかにも、もうひとつ小さい劇場があったり、ニケのレリーフがあったり、楽しめた。それにしても柱や門の一つ一つのレリーフが精巧だ。でも、モノが残っていないアゴラは、どこのことをいっているのかよくわからなかった。

セルチュクの街にはほかにもアルテミス神殿があったり(柱が一本残っているだけ)、イーサ・ベイ・ジャーミィや城塞があったり、とエフェス遺跡のあとにもいくつかまわった。途中の畑の人にどっさり果物をもらったりして(うれしいけど、荷物が重いよ~。というわけで、泊まっていたホテルへプレゼントしたが。)セルチュクをあとにした。

パムッカレ(デニズリ)

2007-10-13 | トルコ
デニズリで電車を降り、オトガル(バスターミナル)からミニバスでパムッカレへ向かう。パムッカレへのバスががんがんあると思ったら、オトガル自体大きいけどパムッカレ行き乗り場はたった一つで聞かなきゃわからないほど。ってかつパムッカレで降りたのは私だけなんですけど。そんなに観光客行かないのかな。

入場門らしきところに行っても人がいなくて、逆に不安になる。今日は休業日だったり?などと考えながら、そこをうろちょろしていたら、門の前で話していた人がそのまま通してくれた!

中に入ってもかの有名な白い大地は見えない。し、人も少ない。マジ、これあってんの?と思いながら、でも、そういえば、ここには遺跡「ヒエラポリス」もあったっけ、と。そう、遺跡がごろごろしているのだ。それにしても、放置状態。やっと少し立派な「門」が見えて、たて看板も出てきて、ちょっといい感じ。っていうか、斜め左上に見える、劇場ってすごいじゃん!いわゆる典型的なローマ劇場なのだが、っていうか、あそこまで登るのかしら。。。。
と思ったら、右前方に石灰棚が見え、そっちからどんどん人がくるのがわかった。(入り口は二つあり、私は辺鄙なほうから入ったらしい。)

いやはや、劇場はすごかった。そういえば、ローマに行ったときにコロッセウムに行ったけど、(ほとんど覚えてないけど、)それとはまた違った怖さが。人が舞台で話しているのだが、すごい声が通る。いい設計だ。

ということで、円形劇場で一休みしたあとは、メインの石灰棚へ。靴を脱いで、白い大地へ足を踏み出す。ってつるつるとしていると思ったら、そうでもない。石があるのだ。足裏が痛いよ。お水はほとんどない。まあ、それは、予想していたけど。晴天で白がまぶしい。どんどん下っていくと、だんだん石も少なくなって歩きやすくなった。そして、下のほうには水をためたところがあった。水が棚に落ちる真っ白い白い滝。私も足をつけてみる。小さいころ学校で石灰の中に足を入れたみたい!いや、そうだった、ここは石灰棚というんだった。。。身体に悪くないのかしら??

劇場も石灰棚すごかったけど、パムッカレがこんなに見晴らしのいいところだとは思わなかった。ガイドブックにはいわゆる石灰棚の写真しか載ってないけど、実は眼下に緑色の大地を見張らせる場所にあることを知ったというのが収穫。(って思ったのに、その写真を撮るのを忘れた。)

トルコ西側周遊プラン

2007-10-10 | トルコ
そんなわけで、三ヶ月半の海辺の生活も無事終了し、しばし休暇。

とりあえず、トルコにいる間に有名所に行っておこうと。

以下のようなプランを立てた。(もちろん一人旅)
イスタンブール-パムッカレ(デニズリ)-エフェス(セルチュク)-ベルガマ(イズミル)-トロイ(チャナッカレ)-イスタンブール
朝到着して夜
イスタンブール-カッパドキア(ギョレメ1泊)-イスタンブール
※()は起点となる町

まあ、トルコの西側だけ、エーゲ海中心だけど。

相変わらずの強行日程で、移動移動の旅で8夜のうち3夜だけ、ホテル泊。それ以外は電車かバスで寝る生活。

まず、イスタンブールからパムッカレの起点となる街のデニズリへ。
電車があるらしい。パムッカレエクスプレス(Pamukkale Ekspresi)。やったー。電車大好き。そして、電車はバスより安いのだ。その分時間がかかるのだが。夕方17:35にイスタンブールのハイダルパシャ駅を出発して朝8:30に終点のデニズリに着くらしい。

夜行電車なんて日本でも乗ったことないよ。でも、私はお金ないから寝台ではなくただの席だけど。でも、電車一車両に3列なんて、なんて贅沢なんだ。前後もゆったりだし。バスより断然快適!もちろん食堂車もあった。たぶん「世界の車窓から」(だったか)で放映されたりしてるんだろうな~。

乗ってしばらくしたら、夜ご飯の時間。私はもちろん、席でご飯。後ろは家族らしい。お母さんが、今からご飯作るから、とか言ってる。はい?ここで?え、席で作るの??ちろっとみたら、本当にトマト切ってて、家族分のお皿にのせてた。(さすがに火はつかってなかったけど。)

そして、その後はひたすら、寝るしかない。夜中なのだが、案外乗り降りが激しかった。で、予定時間よりも1.5時間ぐらい遅れて終点のデニズリに到着した。。。。バスの予約とかしてなくてよかった。。。

※写真は朝方の車内。

海ガメ

2007-10-03 | トルコ
トルコの地中海側にはウミガメ産卵しに来るということで、いくつもの保護のためのプロジェクトがある。そのひとつに参加した。

6、7月は産卵時期、8、9月は孵化時期ということで、オフもあるのだが、毎日10km-15km歩いて、(夜中に)産卵した巣の位置を調べたり、卵から孵った子亀をチェックしたり。
海ガメがくるところだから、きれいな海辺を想像していたのだが、海からのごみがたくさんあった。アラビア文字とかもあったから、そっち方面からもくるみたい。まじ、冷蔵庫とか、パソコンとか、色々実用品もあった。本格的な夏になるとたくさんビーチボールとかビーチベッドとかが打ち上げられて、使ったり。
一度は捨てられていた網にひっかかって巣から出れなかった死んだ子ガメがいたり。。。。
ごみは海から来てしまうからどうしようもないけど、どうすればいいのか考えさせられた。
海自体は汚くはないけど、きれいで透明度抜群!というわけでもなかった。ちなみに地中海はほかの海と比べて塩分度が高いらしい。

そこは自然保護区に指定されているので、周りには何にもない。見渡す限り海と森。
一応台所とトイレシャワーがある建物があるのだが、電気はなくて、もちろんテント生活。自炊生活。色々な地方からの学生がきていたので、同じトルコ料理でもやり方が違って興味深かった。

クリーム塗って気をつけていたつもりだが、鏡を全然見てなくてすごく久しぶりに町に出たときにトイレで鏡をみたら、自分が真っ黒ですごくびっくりした。中学時代ソフトボール部で真っ黒になった以来だわ。この歳でやばいね。

朝の六時から浜辺に出て3,4時間ぐらい調査の後、遅めの朝ごはんでその後、特に作業はないので、海に出かけたり(海で泳ぐなんて何年ぶりだ!ここではたぶん今まで人生で行ったよりもたくさん海で泳いだよ。)。。森を散歩したり、トルコ人はゲーム好きだねー。特に男。トランプとか一日中やってた。私もトルコのゲームを覚えたよ、タウラ(tavla)とかオーケイ(okey)とか。

街は暑いのだが、そこは海に近いので、風があって別にクーラーないけど、それなりに快適。
そういえば、このテント生活では、水のせいか、食料のせいか、この私が一度体調を崩し、病院にいく羽目に。
そこで、お尻に注射された!まじ、人生で初めての体験!仲間(男)にパンツ見られたし。でも、トルコではお尻に注射は普通みたい。
朝ごはんにエキメッキ(日本のフランスパンのようなもの)を1本食べるなどすごい量のご飯の生活をしていたら、確実に太ったねー。怖くて体重計乗ってないけど。

でも、海ガメの赤ちゃんはまじ、かわいかったな。

イスタンブール_アジア側_日本人

2007-04-24 | トルコ
日本人にはほとんど会わない。

私は新市街のタクシムに平日毎日通っているのだが、タクシムのイスティクラール通りはおしゃれなところで、一日中すごい人なのだが、たまに見るぐらい。
たぶん、やっぱり、観光といったら、歴史的建造物のある旧市街なんだろうな。

私が住んでいるアジア側にはほんといるのかな~?
でも、ルームメイトのバハールがアジア側のウスキュダルで働いていて、そこはボスポラス海峡を通る地下鉄(日本の建設会社も参画している)を建設しているところだから、いるよって。
ってこれは私がちゃんと理解していれば、の話だが。何せ私はまだまだ赤ちゃんトルコ語なんで。
まあ、岸壁にその会社名が書かれたコンテナがあったりするから、たぶんいるのだろう。

ということで、もう、歩けば、じろじろ見られて、チン(中国人)?ジャポン(日本人)?とか言ってるし、目をひっぱって、真似したり(目が細いということ)。。。
ジャポンはまだいいけど、チンって連呼されてもね~。
まあ、すぐ覚えてくれるのでいいけど、でも、日本人の印象を悪くしないように、行動には気をつけなきゃ、と思ってしまう。
あー、服もここで捨ててもいいようなどうでもいいようなものばかり持ってきたんだが、失敗した。トルコ人はおしゃれだと思う。男の人は微妙だが。
でも、ほんと、男の人は歳がわからん。歳に見えても若いと知ったので、一回、35歳ぐらいに見えるけど、若くして30歳と言ったら、26歳で、まじかよ、って感じ。ひげがいけないんだって。
で、自分の歳をいうとのけぞられる。

って、昨日はお天気がよくて、家の近くのカフェでバハールとまったりしていた。
したら、アーユージャパニーズ?って、おー!日本人の女の子だった!びっくりー!家の近くで日本人に会うなんて!
それも、彼女はここに住んでいる同じ大学の友達(トルコ人)に会うためにここらへんにきただけで、うちらがカフェでそれもお外でまったりしてなきゃ、絶対に会わなかったよ~。

ちなみに、思ったより英語が通じないし、思ったより、日本語を話せる人がいる(今までで二人会った)。そう、別に学校で英語は習わないみたい。今の子供は知らないけど。
でも、日本だったら英語が氾濫してるから、知らないうちに簡単な単語ぐらいは誰でも知ってそうだが、(自分が知ってるからそう思うだけか?)、ボーイフレンドも通じないのにはびっくりした。

トルコ_祝日_4月23日

2007-04-24 | トルコ
今日(4/23)は独立記念日であり子供の日

あちこちで国旗がはためいている。
トルコのテレビには右上または左上に国旗やアタテュルクのアイコン(?)が表示してある。
お昼ごろには大統領と(たぶん一般の)子供が一緒に演説(?)してて、びっくりした。

トルコのテレビというと、CM長い!10分近い気がする。もう、お風呂入れちゃうよ~って感じ。
ニュースの時間帯には、あと何分何秒ってカウントダウン表示されるし。

でも、CMまでの間隔は日本より長いかも。日本は一時間に4、5回だと思うが、もっと少ないような。

休みっていうと、学校では夏休みしかないようだ。二ヶ月。
ほかは祭日があれば休みになるけど、日本の春休みとか冬休みにあたるのはないそうだ。
日本は三学期制だといったら、そっちのほうがいい、って言ってた。

で、週末は塾に通ったりするから、ほんと学生はあんまりお休みはないみたい。
なぜ塾が週末かというと、学校終わった後だと、交通渋滞で時間が取れないからとかいって、イスタンブールらしい。

イスタンブール_生活_マンション

2007-04-24 | トルコ
一軒家はほとんど見ない。あっても、海沿いでちょー立派。マンションに住むのが普通みたい。
ということで、それで、不思議なのが、ベランダは部屋に改造OKということ。(だめなところもある。)

写真はうちの前のマンションなのだが、左側の2,3,4階はベランダが部屋に改造されている。私としては、外観がでこぼこで美しくないと思うのだが。。。。

ルームメイトのシベルは今秋結婚するのだが、イスタンブールに家(もちろんマンション)を買った。イスタンブールで家を持つ、これはかなりすごいことらしい。
なぜならば、イスタンブールはとても高いから。