チャボの気持ち♪

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父の死

2018年04月18日 17時49分58秒 | 日々の出来事
先月の3月27日に、実家の父が急死しました。

先月の18日にブログの書き込みをした2日後に、去年の6月から入退院をしていた救急病院から療養型の病院に転院しました。
もう入院していても、これ以上の処置ができないための転院になりました。
 
救急病院から療養型病院に転院の際にも、救急病院側の担当医から「いつ病状が急転するかわからない状態ですので、ご家族の方は覚悟なさってください」と言われました。

担当医からは、腫瘍マーカーが高くなっている(最期の方は食欲に波がありほとんど食べることができなかった状態、低栄養状態)
あとは、心房細動・慢性心不全の影響で足のむくみや少しの動きでも息が上がってしまう状態。
認知症も少し出ていましたが、私たち家族のことは最期まで覚えてくれていました。

私たちが父と最後に話しできたのが、3月24日に転院先の病院にお見舞いに行ったときでした。
私は、ベッドに横たわっている父の傍によって「父さん、食事は少しでも食べることができた?気分はどう?」など声を掛けました。
その時の父は「もうそんなにも食べられないよ」と言ってたと思いました。
父の表情(目元)を見たら、気のせいかうっすらと涙目のように見えました。
 
もう自力では起き上がることができない父でしたが、その時はまだ意識は普通にあったので、まさかその3日後に急変するなんて思いもしませんでした。

また来るからね~、と病室を後にしたのが、意識があった父の最後の姿でした。

亡くなった日(3月27日)の午後に姉から電話があり、父さんの容体が急変したので病院に行きますとのことで、私も仕事が休みだった旦那と一緒に病院に急ぎました。

病院に到着したのが夕方5時過ぎでしたが、その時はすでに酸素マスク付けられて意識はありませんでした。
血圧も下がる一方で、血圧をあげる薬を最大限投入しましたが・・・
家族の呼びかけにも目を覚まさず、17時43分に天に召されました。

父は、亡くなった当日のオムツ交換の時に便に血が混じっていたとのことでした。
看護師さんの話では、急変した時も看護師さんの呼びかけには反応していたみたいです。
多分ですが、そのあとに吐血したそうです。

吐血・下血をしたので、ガンが再発していたのは間違いないと感じました。

ガンを3回も患って、心臓にも爆弾を抱えて、あんなに食いしん坊だったのに、食べることもできなってしまいました。

先に亡くなっている母の介護時も体調が思わしくなかったのに私たちには何も言わずに父が全部担ってくれてました。

自分のことよりも、私たち家族のことを気にかけてくれていた最愛の父。
お散歩が大好きで、そのお散歩先で見つけた草花を植木鉢に植えて大切に育て花を咲かせてくれてました。
今も実家のベランダや室内には、父が大切に育ててくれた鉢植えがあります。
それらの鉢植えは、父と同居していた兄が枯らさずに手入れしてくれればと思っています。

親孝行出来なったことだけは悔やんでますが、火葬場での棺のお別れ時の穏やかな寝顔を見て、改めて父さんの娘で良かったよ・・・、と頭を撫でてお別れしました。

棺には父が愛用していた帽子2個と洋服(シャツとジーンズ)を兄が選んで入れてくれてました。
今思うと、これで靴(スニーカー)も一緒に入れてくれていれば、まさにお散歩時のコーディネートだったのにね?としみじみ思いました。

これからは天国の母や親兄弟達とと再会して、今までの苦しみから解放されることを願うばかりです。

そしてこれからも、お空からずっと私たち家族のことを母と共に見守っていてください。

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