7月に、母のもの忘れ対策にと思って、無印良品で見つけた買い物メモを買った。8月に帰省したときに持ち帰ったのだけど、渡せないで帰ってきた。理由は単純。父が母のために、買い物メモが不要になる生活の準備をしていたから。
あたしは、母がコープで同じものばかりを注文しているので(2週間も前に注文したものを覚えているはずはない)、コープを止めることにしたというところまでしか知らずに帰省した。今後は必要に応じて買い物をするのだろうと思って、「同じものを買ってきてしまう」対策にと、このメモ帳を準備したのだった。
父は、母が買いものをしないで済む方法を考えていた。病室から給食業者に電話して、昼・夜の食事をお弁当として毎日届けてもらう契約を進めていた。父が退院したら実際に契約を結ぶというてはずにしていた。「もう、か~さんには買いものは無理(物理的にはできても、同じものを買ってきて自信をなくすのがかわいそう、の意)だと思うから、お弁当を持ってきてもらうことにしたよ。今後は、朝ごはん用にパン、おやつ用に果物だけ買うようにするよ。散歩も必要だし二人で買いに行くよ」と、さらりと言ってのける父。
認知症になっても、なんとか今まで通りの作業ができるようなグッズを押し付ける娘と、今までの作業から解放させてあげようと考える父。あたしより頭が硬いはずのじ~さんのくせして、あっさりとパラダイムシフトをやってのけていた。完敗、でござる。
父の対応を見ていて学ぶことは多い。そして、その対応から父について学ぶこと、初めて知ることも多い。あたしは、父があれだけ柔軟で楽天的になれる人だとは思っていなかった。A型の生真面目で優しく面倒見のいいと~ちゃん、っていうイメージ。当初弟もあたしも、その真面目さゆえ、母の認知症や介護保険の申請を、父に受け入れてもらえるかどうかが心配だった。が、一番あっさりと受け入れたのは父で、「80にもなれば介護保険をお願いしても罰はあたらんだろう」と言う。「認知症のか~さんの発言に、どうやって対応したらいいのか知りたい」と言い始め、そのうち「(対応方法が)だんだんわかってきた気がする」と口にするようになった。
父の入院が長引いて1人になると不安になる母が、夜間自宅で1人になるのを怖がって涙声で父に電話して来た時に、その場で病室に泊まれるよう申請を出して、「泊まれる準備してタクシーで病院まで来なさい」とやってくれたのも父だ。以来、母は洗濯もののある日などは自宅で泊まるものの、病室にも泊まっている。なので夜あたしに電話がかかってくる回数が激減した。
そんな父を見ていると、不肖の娘のあたしは「じゃぁ、あたしはなにをすればいいんだろう?」と困っちゃう。とりあえずは、母の言動を「か~さん本体(=性格;笑)の問題」と、「か~さんの附属品(=病気)の問題」とを上手に切り分けられるようになりたいと思う。繰り返し同じことを聞いてくるのは附属品の問題で、本体を恨んでもなにも解決しない、本体は冗談も飛ばせば結構深い話もできるんだし。ってことで、附属品のせいで、母にいらだったりしないでいられるようになって、と~ちゃんに一矢報いたい(あれ?戦ってたっけ?)と思っている。
あ”~、それにしても、父には脱帽だ、自己嫌悪じゃ。
あたしは、母がコープで同じものばかりを注文しているので(2週間も前に注文したものを覚えているはずはない)、コープを止めることにしたというところまでしか知らずに帰省した。今後は必要に応じて買い物をするのだろうと思って、「同じものを買ってきてしまう」対策にと、このメモ帳を準備したのだった。
父は、母が買いものをしないで済む方法を考えていた。病室から給食業者に電話して、昼・夜の食事をお弁当として毎日届けてもらう契約を進めていた。父が退院したら実際に契約を結ぶというてはずにしていた。「もう、か~さんには買いものは無理(物理的にはできても、同じものを買ってきて自信をなくすのがかわいそう、の意)だと思うから、お弁当を持ってきてもらうことにしたよ。今後は、朝ごはん用にパン、おやつ用に果物だけ買うようにするよ。散歩も必要だし二人で買いに行くよ」と、さらりと言ってのける父。
認知症になっても、なんとか今まで通りの作業ができるようなグッズを押し付ける娘と、今までの作業から解放させてあげようと考える父。あたしより頭が硬いはずのじ~さんのくせして、あっさりとパラダイムシフトをやってのけていた。完敗、でござる。
父の対応を見ていて学ぶことは多い。そして、その対応から父について学ぶこと、初めて知ることも多い。あたしは、父があれだけ柔軟で楽天的になれる人だとは思っていなかった。A型の生真面目で優しく面倒見のいいと~ちゃん、っていうイメージ。当初弟もあたしも、その真面目さゆえ、母の認知症や介護保険の申請を、父に受け入れてもらえるかどうかが心配だった。が、一番あっさりと受け入れたのは父で、「80にもなれば介護保険をお願いしても罰はあたらんだろう」と言う。「認知症のか~さんの発言に、どうやって対応したらいいのか知りたい」と言い始め、そのうち「(対応方法が)だんだんわかってきた気がする」と口にするようになった。
父の入院が長引いて1人になると不安になる母が、夜間自宅で1人になるのを怖がって涙声で父に電話して来た時に、その場で病室に泊まれるよう申請を出して、「泊まれる準備してタクシーで病院まで来なさい」とやってくれたのも父だ。以来、母は洗濯もののある日などは自宅で泊まるものの、病室にも泊まっている。なので夜あたしに電話がかかってくる回数が激減した。
そんな父を見ていると、不肖の娘のあたしは「じゃぁ、あたしはなにをすればいいんだろう?」と困っちゃう。とりあえずは、母の言動を「か~さん本体(=性格;笑)の問題」と、「か~さんの附属品(=病気)の問題」とを上手に切り分けられるようになりたいと思う。繰り返し同じことを聞いてくるのは附属品の問題で、本体を恨んでもなにも解決しない、本体は冗談も飛ばせば結構深い話もできるんだし。ってことで、附属品のせいで、母にいらだったりしないでいられるようになって、と~ちゃんに一矢報いたい(あれ?戦ってたっけ?)と思っている。
あ”~、それにしても、父には脱帽だ、自己嫌悪じゃ。
本当に必要に迫られると、頭ってやわらかくなるのかもしれませんね。痛みを伴わないパラダイムシフトなんて存在しないんだろうな、と思う今日この頃です。
kebaさんもがんばって!
とてもじゃないけど親の老後のことなんて考えられない、と実感してます。
知らず知らずに阿吽の呼吸があるのでしょうね。
お母様のことを一番知ってるのはお父様ですしね。
それは誰にも真似のできないことと思われます。
夫唱婦随といいますが、お父様が退院されて
お母様がそれを受け入れてくれますように。
歳をとると頑固になって柔軟性がなくなりそうですが
お父様の場合はその反対ですね。
亡母も亡くなるまでの晩年、非常に頭が鮮明になり
実に優しく温和なおばあさんでした。
私が母に対してもう少し親孝行できてたらと述懐すると
あの頃、俺達ができた最善のことだったと
主人がフォローしてくれました。
なのでkebaさんも大した親孝行娘ですよ。
父が自分の郷里の監査委員をやめたときに
東京に戻ってくれることを望んだのですが、
さすがに8年行政監査の仕事をすると、現地にたくさん知り合いができて
「こっちのほうがよい」と言われてしまい、
その時点であたしの「親の老後を見る」構想が崩壊してたのです。
なので、去年の父の入院に母の認知症診断以来
ず~っと「どうしたらいいんだろう」の模索状態でしたが、
だんだん道筋が見えつつあり、
こちらの気持ちも落ち着いてきました。
おっしゃるように、両親の間には子供にも分からない呼吸があるみたいです。
連れ添って50年たてば、お互いが自分の体の一部みたいなものなのかもしれないです。
なので、それを軸にして、今後のことを見守りつつできることをやっていきたいと思っています。
それにしても、ご主人、ナイスです!