日々典々 介護記録とその後の出来事

40代独身長男。脳梗塞で車椅子・認痴症になった父親を病院介護し在宅へ。しかし再入院。その記録とその後…そして未来へ。

自動運転システムに足踏みする日本社会に疑問 

2017-11-05 11:16:36 | 新しい日々
日本人は、新しい技術に対し妙に拒絶反応を示すところがある

現在社会は車に依存して社会が成り立っている。
しかし日々いたる所で事故が起こっており、その数は未だ年間数万件。
多くの尊い人命も犠牲になっており、深刻な社会問題は依然として続いている。

ところが、自動運転システムでの事故のことになると、妙にクローズアップされる。
どんな革新的な技術でも事故は起き防ぎきれるものではない。
完全なシステムを最初から構築するなど不可能なこと。
それなのに、“完全”を求める“求め過ぎる”日本人が多すぎる。
しかしそこを堪えて乗り越えた何年か後、年間数万件の事故が、
十分の一以下に減らせることが出来るのなら、
官民挙げて予算・時間・人員、英知をつぎ込んで早急に社会実現するべきだと思う。
結果その方が人々の幸福に繋がるからだ。
利便性も増し低コスト化になる為、経済的コストもペイできる。
そしてその技術を海外に輸出すれば、双方ウインウインであり、人類への貢献に寄与する結果となる。

これが“想像力”であり、“創造性”でもあると私は思う。
しかし、ここが欠けているのが“日本人”なのである。
人が運転して事故を起こしても大して気にもしないのに、コンピューター制御での事故には
「事故が起こったらどうする!」「誰が責任をとるんだ!」的な、
“毎度おなじみ”の役人体質的論調で語られる。

もう、この手の『もしも・どうする・だれの責任』なんてのはヤメにしてほしい。
そうでないと何も先に進まない。

想い出してほしい。
もしかしたら、ライト兄弟より先に日本人が飛行機を作り飛ばしていたかもしれないことを。
これは二宮忠八が、周囲の理解が得られず実現できなかったことなのだが、
この手の話は、他にもたくさん有り、なんとも残念な気持ちである。

これをまた日本人は繰り返そうとしている。はやく眼を覚ませよ。
私は、メーカーではなく、ユーザー(メディア・役人・市民団体?)が、
技術革新を阻害している様に思えて仕方がないのだ。いや実際そうだと思っている。
せっかく先端技術を持っているのだから頑張って欲しい。
がんばれニッポン。もっとリテラシーを磨こうぜ、ニッポン人! カズP

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