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犬のむさしと小次郎

ゆったりと時が流れていきます。毎日の生活で感じたことを少しずつ。

コンサートのお土産

2007年07月01日 | 旅行
コンサートのお土産にまたまた買ってしまいました。

会場の外の特設テントでグッズ販売しています。多くの人がいろいろと買い上げています。
私は、コンサートパンフレットとストラップセットといつでもシウォンくんストラップの3点です。人形は迷って買いました。

帰りはやっぱり羽田からスターフライヤーで北九州空港へ一飛びです。
羽田発23:30分 
空席はなくて満席でした。この時間にこんなに多くの人が移動しているなんてちょっとびっくり体験でした。
搭乗手続きは23:10からバスターミナルからバスにのって羽田空港の中をグルグル。暗いのでどこを走っているかわかりません。
5分ぐらい乗っていたでしょうか?階段を登って飛行機に乗り込みました。
疲れはピークで眠くて眠くて仕方がありません。
座席に座り、ひざかけを借りて......。お友達は離陸を知らないといいます。
私はウツラウツラで過した、一時間半でした。

コンサート その2

2007年06月30日 | 旅行


コンサート始まりです。今年は紙製のスクリーンを突き破るようにして、ステージに登場です。全25曲とトークあっという間の3時間でした。

"出待ち"をしました。2時間待ちました。
24時近くになり、待っていた人も半分ぐらいになりました。
あーあ、反対側の出口からだったそうです。(疲れたぁ)
重い足取りでホテルまで戻ります。
明日の朝は6時起床。早く眠らないとあと3時間しかありません。

朝ご飯を食べて、"入り待ち"です。また2時間まちました。
11時ちかく「わぁー」と声がします。
シウォン君が来たら「シウォンさん」と声かけしようと話していたのに、いざ目の前にしたら声がでません。

ファイナルステージの始まりです。
私たちの席は、アリーナの一番後ろです。この席から
チューブの前田さんと春畑さんの姿が見えます。

シウォン君は昨日とは、違った衣装です。
「えっ2回も見たの?」と思っているでしょう。そうなんです。
2回目なので途中、シウォン君が「僕の歌で何が好きですかぁ?」
昨日は曲名を言っていたのですが、今日は会場のみんなが「全部」と答えて彼のコメント横取りしました。(ちょっと困ってましたよ)
ステージが終わって最後、韓国語で
「サランヘヨ」となんども言って終わりました。(もう最後なんだぁ)

コンサート

2007年06月29日 | 旅行
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どんぐりさんのソースです。画像をクリックしてみてね。

6月23.24日でさいたまスーパーアリーナへRyu Siwon 2007 Liveコンサートへ行ってきました。北九州空港発09:50羽田行き 10:00になって「鳥を吸い込んでしまいましたので、出発が遅れます。今しばらくお待ちください」
羽田の待ち合わせの時間にまに会いません。(友達と二人で自力でたどり着かないといけなくなりました)

上空から風景がきれいに見えます。
瀬戸内海の島々・明石大橋・大阪ドーム・頭を雲の上にだした富士山・あっという間の一時間半。
羽田に着いてから、預けた荷物の引き取り場所を探します。
友達と私の荷物が床の上に置いてました。

モノレールで浜松町へ京浜東北線でさいたま新都心駅へ
順調に進んでいってます。12:00に羽田着 さいたま新都心着13:40 ホテル着14:00
先に着いた友達が、「遅い・遅い」と電話したりメールをくれているのですが
私たちは気がつきません。
のんびり団子買って「お昼、これにしよう」
コンサートは18:00からなので時間はあります。入り待ちも15:00位とのことでしたので、余裕です。
ホテルにつくと「今日はシウォン君は、早く会場に入ったので入り待ちは終わったよぉ」

コンサートグッズ買いに行こうとアリーナへ。
欲しかったTシャツ・エコバックは完売の張り紙が。
グッズを買うのにまた長い列です。

開場するまで階段で座っていたら「ズームインです。月曜日放送するんですがコメントをお願いします。」「どちらからこられましたかぁ?」「えっ、皆さん福岡からですか?」「暑いけどバテテませんか?」
持っていた横断幕をひろげコメントしました。
月曜日のズームインで放送はなかったようでした。

博多帯結び

2007年04月17日 | 旅行
2月に国立博物館に行った時の画像です。
大宰府天満宮から国立博物館に向かう途中の歩道に、博多帯の変わり結びが展示されていました。
見とれて写真は1枚しかありませんが.......。(Jtrimでぼかしてみました)

結婚する前に、母が用意してくれた着物もずっーと箪笥の中です。
昭和50年代は、卒業式に母親が着物を着て、黒絵羽おりを着ている人がたくさんいました。いつしか礼服の人が多くなりました。

博多織の歴史です。

およそ760年前、貿易港として賑わっていた博多より、
宋(当時の中国)へ旅をする人々の中の二人、博多で承天時を
開山した禅僧「聖一国師」と、博多商人「満田弥三右衛門」は
宋で織物や朱焼、箔焼、そうめん、じゃこう丸などさまざまな製法を
習得し、帰国後人々に伝えましたが織物の技術だけを家伝とし、
これを「広東織」と名付け、さらに独自の技術を加えながら
代々伝えていきました。
これが後に広まった「博多織」の由来です。
(西村織物㈱のHPから)