神海(シンカイ)‐ハルノウミナナキソナキソ…arena8order 慧會隴

私腹ノート。黒革の…It's wonderland!!!

Twitter…@arena8order 他

3. 捕虜‐Prisoner of war, POW

2014-05-05 20:03:08 | 日記
#ккк #XXXXX #ww123 #Nisga #terrorist #yl #ill #terrorism #国際テロ #兵器 #電波


第二次世界大戦後[編集]

日本国憲法第9条は自衛権を放棄していないという政府見解はあったものの、人道に関する国際条約(いわゆるジュネーヴ4条約)の国内法制については、有事法制研究においても所管省庁が明確でない法令(第3分類)とされており、自衛隊法第76条の規定により防衛出動を命ぜられた自衛隊による捕虜の取扱い等を具体的に定める法制は未制定であった。

この変則的な状態を解消するため、2004年(平成16年)に行われた一連の事態対処関連法制の整備に際して、国際人道法の的確な実施のための法制として、「武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律」(平成16年6月18日法律第117号)(以下「捕虜取扱い法」という。)が制定された。

捕虜取扱い法は、その第1条で「この法律は、武力攻撃事態における捕虜等の拘束、抑留その他の取扱いに関し必要な事項を定めることにより、武力攻撃を排除するために必要な自衛隊の行動が円滑かつ効果的に実施されるようにするとともに、武力攻撃事態において捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(以下「第三条約」という。)その他の捕虜等の取扱いに係る国際人道法の的確な実施を確保することを目的とする。」と謳っている。

その主な内容は、捕虜等の人道的な待遇の確保、捕虜等の生命、身体健康及び名誉に対する侵害又は危難から常に保護すること、その他捕虜等の取扱いに係る国の責務を定めた「総則」、捕虜等の拘束、抑留資格の確認等に関する手続、権限等を規定した「拘束及び抑留資格認定の手続」、「捕虜収容所における抑留及び待遇」、捕虜等の抑留資格認定及び抑留中の懲戒処分に対する不服申立ての審理手続等を規定する「審査請求」、捕虜等の送還等について規定する「抑留の終了」、及び捕虜等の拘束及び抑留業務の目的達成に必要な範囲での自衛官による武器の使用の規定、捕虜等が逃走した場合の再拘束の権限並びにそのために必要な調査等に関する規定を設けた「補則」等からなっている。

また捕虜取扱い法の附則により自衛隊法が改正され、捕虜取扱い法の規定による捕虜等の抑留及び送還その他の事務を行う自衛隊の機関として、(武力攻撃事態に際して)臨時に捕虜収容所を設置することができるようになった(自衛隊法第24条第4項、第29条の2第1項)。

この捕虜収容所の所長は、第三条約の規定を踏まえ幹部自衛官が任じられる(第三条約第39条第1項、自衛隊法第29条の2第2項)。


捕虜に関する作品[編集]

映画[編集]

『大いなる幻影』、ジャン・ルノワール監督、フランス映画、1937年

『第十七捕虜収容所』、ビリー・ワイルダー監督、アメリカ映画、1953年、原題:Stalag 17

『戦場にかける橋』、デヴィッド・リーン監督、イギリス映画、1957年、第二次世界大戦中の日本軍の俘虜収容所が舞台

『大脱走』、ジョン・スタージェス監督、アメリカ映画、1963年、第二次世界大戦中のドイツ軍捕虜収容所が舞台で、その収容所から脱走する英国、米国士官たちが主役

『キング・ラット』、ブライアン・フォーブス監督、イギリス映画、1965年

『マッケンジー脱出作戦』、ラモント・ジョンソン監督、アメリカ映画、1970年、第二次世界大戦中のスコットランドの捕虜収容所から脱走を図る、ドイツ軍捕虜を事実に基づき描いた作品

『勝利への脱出』、ジョン・ヒューストン監督、アメリカ映画、1981年

『南十字星』、丸山誠治、ピーター・マックスウェル監督、日本・オーストラリア合作映画、1982年

『戦場のメリークリスマス』、大島渚監督、日本映画、1983年

『バルトの楽園』、日本映画、2006年、第一次世界大戦中の徳島県にあったドイツ軍捕虜の板東俘虜収容所が舞台


文学[編集]

大岡昇平『俘虜記』


脚注[編集]

注釈[編集]

^ 捕虜の定義は、1907年のハーグ陸戦条約附属規則では第1条~第3条、1929年の俘虜の待遇に関する条約では第1条、1949年のジュネーヴ第3条約では第4条にある。

^ 例:ハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約)では、prisonniers de guerre(フランス語)の訳語に「俘虜」を用いている。

^ マーワルディーによると、多神教徒から来る財として戦利品であるファイ(fay‘)とガニーマ(ghan ma)について述べている。ファイはウマイヤ朝カリフ、ウマル2世によってムスリム全体のために保有される征服地の土地として分配不可能な不動産を指し、ガニーマは分配可能な動産を指す。マーワルディーは、うち、ガニーマの種類として、戦争捕虜、敵方の婦女子の捕虜、不動産および動産の4つを上げている。


参照[編集]

^ 1949年のジュネーヴ第3条約 第4条A(1)

^ マーワルディー『統治の諸規則』(2006)pp.312-

^ 『イスラム世界』27・28号, 社団法人日本イスラム協会, 1287.3. p.43-66.

^ マーワルディー『統治の諸規則』(2006)pp.324-325

^ ブハーリー『真正集』遠征の書、第61章2節。

^ アハメド(2000)pp.123-125

^ 『東京新聞』特報2004年11月1日付

^ 秦郁彦「南京事件」中公新書,p193


参考文献[編集]

ライラ・アハメド 『イスラームにおける女性とジェンダー―近代論争の歴史的根源』 林正雄・本合陽・森野和弥・岡真理・熊谷滋子訳、法政大学出版局〈叢書ウニベルシタス〉、2000年8月。ISBN 4588006703。

アル・マーワルディー 『統治の諸規則』 湯川武訳、慶應義塾大学出版会、2006年5月。ISBN 4766412389。


関連文献[編集]

日本人捕虜

会田雄次『アーロン収容所西欧ヒューマニズムの限界』中央公論社、1962年、ISBN 4-12-200046-7

ビルマのイギリス軍の管理する捕虜収容所における学徒兵の体験。

大岡昇平『俘虜記』新潮社、1967年、ISBN 4-10-106501-2

長谷川伸『日本捕虜志』中央公論社、1979年

1956年の第4回菊池寛賞を受賞した。

吹浦忠正 『捕虜の文明史』新潮社、1990年、ISBN 4-10-600387-2

秦郁彦『日本人捕虜』上下二巻、原書房、1998年、ISBN 4-562-03071-2

白村江の戦いからシベリア抑留まで取り扱った日本人捕虜に関するノンフィクション。

吉村昭『海軍乙事件』文藝春秋、1976年

連合艦隊参謀長福留繁中将が捕虜になった事件に関するノンフィクション 。

日本人捕虜の尋問

大庭定男『戦中ロンドン日本語学校』中央公論社、1988年、ISBN 4-12-100868-5

日本軍の暗号解読や日本人捕虜の尋問のためにイギリス軍が設けた日本語習得の学校について。

中田整一『トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所』講談社、2010年 のち文庫

カリフォルニア州にアメリカ軍が設けた尋問所「トレイシー」について。

山本武利『日本兵捕虜は何をしゃべったか』文藝春秋、2001年、ISBN 4-16-660214-4

米英軍の捕虜になった日本兵の尋問の記録

独ソ戦におけるソ連人の捕虜

ユルゲン・トールヴァルト『幻影ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語』松谷健二(訳)、フジ出版社、1978年

祖国をスターリンの圧制から解放しようと寝返ったソ連人捕虜の物語。

ドイツ人の捕虜

パウル・カレル他『捕虜誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』学習研究社、フジ出版社版の復刻、2001年

ハインツ・G・コンザリク『スターリングラートの医師捕虜収容所5110-47』畔上 司(訳)、フジ出版社、1984年

ドイツ人捕虜のあいだで伝説となったドイツ軍医を描いた小説。

ジェームズ・バクー『消えた百万人ドイツ人捕虜収容所 死のキャンプへの道』申橋 昭(訳)、光人社、1993年

人道主義的な扱いを期待して西側連合国の捕虜となったドイツ人の悲惨な運命について。

棟田博『日本人とドイツ人人間マツエと板東俘虜誌』光人社、1997年、改題復刻版、ISBN 4-7698-2173-5

第一次世界大戦の青島攻略戦で捕虜となったドイツ軍人に関するノンフィクション。

日本軍の捕虜となった英連邦諸国兵士

ジェームス・クラヴェル『キング・ラットチャンギー捕虜収容所』山手書房、1985年

日本軍のシンガポール・チャンギー連合軍捕虜収容所を題材にした小説

フランク・エバンス『Roll Call at Oeyama - P.O.W. Remembers 大江山の点呼 - 捕虜は思い出す』私家本、1985年、日本語訳は未出版

日本軍によって香港で捕虜となったウェールズ出身のイギリス軍兵士の自伝。

日本軍の捕虜となった米軍兵士

サミュエル・B・ムーディ『Reprieve from Hell』Pageant Press、1961年、日本語訳は未出版

鳴海町(現:名古屋市)にあった鳴海捕虜収容所(日本車輌製造での勤労に従事させていた)で、懲罰として53時間「気を付け」の姿勢を取らされた体験を持つ著者による回想記。この「53時間の『気を付け』」は、「最も長い時間同じ姿勢でいた記録」として『ギネス世界記録』に掲載された。


関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、捕虜に関連するカテゴリがあります。
鹵獲

シベリア抑留

ビルマでの降伏日本軍人の抑留

カウラ事件

フェザーストン事件

戦争犯罪

国際法

脱走

戦闘員

アブグレイブ刑務所における捕虜虐待

交換船

猿の惑星

ピエール・ブール

日本国俘虜情報局(Prisoner of War Information Bureau)

直江津捕虜収容所事件

外部リンク[編集]

陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約(ハーグ陸戦条約)

俘虜の待遇に関する千九百二十九年七月二十七日の条約- ジュネーヴ第三条約(1949年)の前身

捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(第三条約)(防衛省HP)

ジュネーヴ諸条約第一追加議定書(外務省HP)

武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律(防衛省HP) - 日本の法律

標題:二五九 俘虜情報局官制作成者:枢密院、1941年(昭和16年)作成、 アジア歴史資料センター収蔵資料

日本軍のPOWを扱った機関とその資料 内海愛子

カウラと日本の対話

俘虜取扱規則

東京裁判資料 ―俘虜情報局関係文書―編集・解説■内海愛子・永井均,ISBN978-4-906642-68-3,現代史料出版

現代史料出版

「http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=捕虜&oldid=51086311」から取得

カテゴリ:
捕虜

最新の画像もっと見る

コメントを投稿