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アメリカ極秘人体実験 | Apocalypse Now
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アメリカ極秘人体実験
2009/05/01 金 02:02
1931年、コーネリアス・ローズ博士はロックフェラー協会後援の医学調査の為、癌細胞を人間の対象に感染させる。
後に彼はユタ州メリーランド及びパナマに米国陸軍の細菌戦争施設を設立し続け、米国原子力委員会と命名される。
そこで彼は、米兵と民間病院の患者の一連の放射線被曝実験を始める。
1932年、タスキギー梅毒調査を始める。
梅毒と診断された200人の黒人男性は、病気の進行と兆候が続くのに病気について決して知らされず、処置は否定され、モルモットにされる。
全員死亡、しかし梅毒実験は彼らの家族には決して知らされなかった。
1935年、ペラグラ事件。
20年間で何百万人もがペラグラで死んだ後、米国公衆衛生総局は病気を食い止める為、米国の公衆衞生局は最終的に行動する。
政府機関の指導官は、ペラグラがナイアシン欠乏によって引き起こされる事を少なくとも20年間知っていたが、死の大部分が黒人たち貧困層の中で起こったので行動しなかったのを認める。
★ペラグラ…(Wikiより)ナイアシン欠乏症。
ナイアシンは必須アミノ酸の1つであるトリプトファンから体内で生合成されるので、トリプトファンが欠乏することでもナイアシンが欠乏し、結果ペラグラを発症する。
1940年、シカゴの400人の囚人が、新しい薬剤実験の為にマラリアに感染させられる。
1940年代、米政府は冷戦時代の放射線実験の一部であることを知らせることなく、12人の実験台にウラン及びプルトニウムを注射した。学者達は人々は末期症状となり恐らく10年も生きられないと主張したが、彼らの幾人かは長期に渡って生存し、プルトニウムは尿路感染及び痛みの伴う骨粗鬆症、或いは骨が痩せる原因となると報告された。
1942年、化学兵器戦争サービスは約4千人のマスタードガスの実験を始める。
実験は1945年まで続く。
1943年、日本の実物大の細菌戦プログラムに応じて、米国はフォートデトリックでMDの細菌兵器研究を始める。
1944年、 米海軍は、ガスマスクと衣の検査に、対象の人間を使用する。
彼らはそれぞれガス室に閉じ込められ、マスタードガスとルイサイトに曝された。
1945年、ペーパークリップ計画開始。
国務省、陸軍情報機関、CIAは、米政府の最高機密計画の仕事と引き換えにナチの科学者を募集して、免疫と秘密のアイデンティティを彼らに提供する。
http://www5f.biglobe.ne.jp/U+203Eterre/bluebird/paperclip.html
1945年、「プログラムF」は米国の原子力委員会(AEC)によって実行される。
これは原爆の生産の主化学部品のフッ化物の健康に対する影響の最も広汎な米国の調査である。
最も有毒な化学薬品の1つのフッ化物が中枢神経系に悪影響をおよぼす原因だと発見されるが、訴訟になれば原子爆弾の全規模生産を害するだろうという恐れの為に、情報の多くは国家安全保障の名にかけて押し潰される。
1946年、VA病院の患者は医学の実験の為にモルモットとして使用される。疑念を和らげて、医学の研究が国のベテランの病院の1つで働いたと報告するとき「実験」という言葉を「調査」か「観測」に変える為の選択を与える。
1947年、米国原子力委員会のE.E.カークパトリック大佐は、政府機関が静脈の投与量の放射性物質を、対象の人間に施し始めると述べる秘密文書を発行する。
1947年、CIAは使用の為の潜在的兵器として米情報部でLSDの研究を始める。
対象の人間は一般市民および軍隊両方が使用される。
1950年、国防総省は砂漠地帯で核兵器を起爆して、医学上の問題と死亡率の為に風下の居住者をモニターする計画を始める。
1950年、米都市が生物的攻撃にどれくらい影響されるかを決定する実験の為、SFの海軍の船から雲にバクテリアを噴霧。
監視装置は都市中伝染の範囲をテストする為に置かれる。多くの居住者は徴候肺炎のような病気になる。
1951年、国防総省は、病気を発生させるバクテリアとウィルスを使用して野外テストを開始。
テストは1969年まで続き、周囲の人々が曝された。
1953年、米軍はメリーランド、リースバーグ.VA、ウィニペグ、セントルイス、ミネアポリス、フォートウェーン、モノカシー流域の上で亜鉛硫化カドミニウムガスの雲を散布。
彼らの意図は、どれくらい効率的に化学兵器を分散することができたかを見定めることだ。
1953年、NYとSFの数万人もの人々が空気伝染する病原菌セラチア・マルセッセンスとバチルス glogigiiに曝される実験が統合陸海軍-CIAで行われる。
1953年、CIAはMKウルトラ計画を始める。
これはマインドコントロール及び行動修正に使用される生物学的因子および試験薬剤の11年の研究計画である。
6つのサブプロジェクトは、人間を無意識なエージェントとしてテストする事も含んだ。
1953年、36もの一連の醜悪な実験がカナダ、ウィニペグの市民に実施された。
米政府は実験が無害である事を請け負い、また防衛上必須だとしてウィニペグの知事を騙した。
これらCIAが計画した実験の実際の目的は、どれだけ多くの割合の住民に、化学物質が誘発する癌を引き起こさせる事ができるのかを調査する為だった。
1955年、CIAは、人間の住民を生物学的エージェントに感染させるその能力をテストする実験で、タンパ湾で陸軍の生物戦争兵器のバクテリアを散布する。
1955年、エージェントを無能力にする化学物質として潜在的使用を研究して、化学部隊はLSD研究を続ける。
1958年までテストは続き、1千人以上のアメリカ人が加わる。
1956年、米軍はサバナ.GAとエイボンパーク.FLで黄色熱に感染している蚊を放つ。
公衆衛生職員に装う軍隊エージェントは、犠牲をテストする。
1958年、LSDは知能に対する影響に関して、軍隊の化学戦研究所で95人のボランティアでテストされる。
1960年、The Army Assistant Chief-of-Staff for Intelligence(ACSI)は、ヨーロッパ及び極東でのLSD実地テストを認可する。
ヨーロッパの人口の試験はTHIRD CHANCE計画というコード名である;アジアの人口の試験はDERBY HAT計画というコード名である。
1965年、CIAプロジェクトと国防総省はプロジェクトMKサーチ(精神改変剤の使用を通じて人間挙動を操作する能力を開発するプログラム)を始める。
1965年、フィラデルフィアのホルムズブルグ州刑務所の囚人はダイオキシン(ベトナムで使用される枯葉剤の毒性の強い化学薬品成分)にかけられる。
彼らは、癌(枯れ葉剤が疑惑の発癌物質だったことを示す)の開発の為にその後研究される。
1966年、CIAは人間と動物へのある特定の薬物の毒物学的な効果をテストする為にMKOFTEN計画のプログラムを開始。
1966年、米陸軍はNY市の地下鉄の中で枯草菌異形ニジェールをばら撒く。
軍隊の科学者が換気格子でバクテリアで満たされた電球を落とした時、100万人以上の民間人がいた。
1967年、CIAと国防総省は、生物化学兵器を維持し、備蓄して、テストする為に、MKウルトラの後継としてMKナオミ計画をつくる。
1968年、CIAはワシントンD.C.でFDAの給水に化学薬品を注入することによって飲料水を汚染、中毒の可能性を実験。
1969年、国防総省のロバート・MacMahan博士は、5~10年以内に、自然の免疫が存在しない合成生物学的因子を開発するよう議会に1千万㌦を要求する。
1970年、合成生物学的薬品の資金提供は、H.R.15090の下で得られる。
プロジェクトは、CIAの管理中で、フォートデトリック(軍の最高機密の生物兵器機能)で、特別業務部によって遂行される。
分子生物学技術がエイズのような新型レトロウィルスを生産するのに用いられると推測される。
1970年、米国は選択的に、遺伝子の違いとDNAにおける変化の為に影響されやすい特定の人種集団を目標とし、除去するように設計されている「対特定人種兵器」の開発を(軍のReview、1970年11月)激化させる。
1975年、細菌戦争の研究の為のフォートデトリックのセンターのウィルス区画は、フレデリック癌研究開発センターと名前を変更し、国民癌研究所(NCI)の管理下に置かれる。
発癌性ウィルスを開発する為に、ここで特別なウィルス癌プログラムが米海軍によって始められる。
それは後にHTLV(人間のT細胞の白血病ウィルス)と名づけられる。
1977年、健康および科学研究の上院聴聞会は239の居住区域が1949~1969年の間の生物学的因子に汚染されたことを確認する。
区域の一部はSF、ワシントンDC、キーウエスト、パナマ市、ミネアポリス、セントルイスを含んでいた。
1978年、CDCによって行なわれる実験肝炎のワクチン接種の試験はNY、LA、SFで始まる。
ADS調査課題の為、明確に無差別な同性愛者を広告募集。
1981年、エイズの最初の症例はNY、LA、SFで同性愛の男性で確認される。
そして、エイズがB型肝炎ワクチンによってもたらされるかもしれないと推測される。
1985年、サイエンスジャーナルによると、HTLVとヴィスナ(致命的な羊のウィルス)は非常に類似している。
そして、緊密な分類学で進化の関係を示す。
1986年、米国科学アカデミーの報告によると、HIVとヴィスナは非常に類似して、HTLVとほぼ同一の小さい部分を除いて全ての構造要素を、共有する。
これは自然な免疫が存在しない新型レトロウィルスを作り出す為にHTLVとヴィスナが繋がるかも知れない推測をもたらす。
1986年、議会へのレポートは米国の政府の生物学的因子の現在の生成が下記のものを含んでいる事を明らかにする:遺伝子操作されたウィルス、自然発生する毒素および免疫学の特性を変え、全ての既存のワクチンによって処置を防ぐ為に因子は遺伝子工学によって変えられる。
1987年、国防総省は、生物学的因子の研究開発を禁止する条約にもかかわらず国内127の研究施設と大学で管理し続ける事を認める。
1990年、LAの1500人以上の6ヵ月の黒人とヒスパニックの赤ん坊は、米国の為に決して認可されなかった実験用麻疹ワクチンを投与される。
CDCは後に、彼らの子供たちに注射されているワクチンが実験的だった事を親は決して知らなかったと認める。
1994年、ヒューストン.TXのMDアンダーソン癌センターのガース・ニコルソン博士は、「遺伝子追跡」と呼ばれている技術で、湾岸戦争帰還兵が変異マイコプラズマ・インコグニタスに感染している事を発見する。
そして、一般的な微生物が生物兵器として製造される。
ずっと人造であることを示すHIV蛋白質のコートの40%が分子構造に組み込まれる。
1994年、米軍の航空機がゲル状の物質を太平洋沿岸の町オークビルに投下。
住人全てがインフルエンザ又は肺炎の様な症状で寝込んだ。
幾人かは入院し、病状は数ヶ月も継続した。
ペットや庭の動物達も死んだ。
ゲルの材質は実験的な細菌戦用バクテリアとして160を超える軍の研究論文で引き合いに出されている蛍光菌の修正版を含む、人の血液細胞や厄介なバクテリアを発見した、多くの公的及び私的研究機関により検証された。
1994年、ジョン.D.ロックフェラー上院議員は、少なくとも50年間国防総省が人体実験と危険物質への意図的な露出に何十万人もの軍人を使用しているのを明らかにするレポートを出す。
湾岸戦争で使用された薬剤にはマスタードと神経ガス、電離放射線、精神化学薬品、幻覚剤を含んでいた。
1995年、米国政府は、生物兵器戦争研究に関するデータと引き換えに給料と訴追免責を、人間の医学の実験を行った日本人の戦争犯罪人と科学者に提供した事を認める。
1995年、ガース・ニコルソン博士は、湾岸戦争で使用された生物学的因子がヒューストン.TXとボカラトン.FLで製造され、囚人でテストされ使用した証拠を暴露する。
1996年、国防総省は、湾岸戦争の兵士が化学兵器に曝された事を認める。
1996年までに、レオナード・ホロウィッツ博士はAIDS及びマールブルグ-エボラ複合体は共に米国の細菌戦研究機関が考案した、人の手による怪物であることを彼の著作である「出現ウィルス」で確認した。
1996年、国防総省は湾岸戦争の兵士達は化学兵器に曝されていた事を認めた。…以下(ry
(追記) あら、ちゃんと翻訳してるサイトがあったぢゃんorz
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/human_experiments.html
▼放射能・細菌・化学兵器の人体実験
http://www9.plala.or.jp/rescue/10.html
▼人口抑制の歴史
1763~1929年 http://blog.chemblog.oops.jp/?eid=339171
1930~1931年 http://blog.chemblog.oops.jp/?eid=341819
1931~1939年 http://blog.chemblog.oops.jp/?eid=342550
1940~1944年 http://blog.chemblog.oops.jp/?eid=343790
1945~1949年 http://blog.chemblog.oops.jp/?eid=345527
1950~1960年 http://blog.chemblog.oops.jp/?eid=346201