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風旅ブログⅡ

「風旅ブログ」にようこそ!

あっという間の2022年・まとめ。

2022-12-30 | 鉄馬風旅

毎年恒例の年末オドメーターチェック

旗艦ブラッキー号(シャドウファントム)は

33976km

って事は、今年の総走行距離数は

1583km

今年も最低走行距離を更新。

昨年は2229km

一昨年は2814km

毎年1万キロ以上もコンスタントに駆ってた時期もあったんやけどなぁ・・・。

もう、うんと昔の事になってしまったわい。

最近は年々減って行く一方やな。

 

結局ブラッキー号でのキャンプツーリングはお花見キャンプと平湯の避暑キャンプの二回だけだったし、

というのも、ハイエースを導入してからはママとのキャンプは箱車で行くようになっちゃったからなぁ。

箱車キャンプは6回も行ってるんだけど・・・。

100㎞以上走ったツーリングも6回だけだったしなぁ。

 

来年こそはコロナも落ち着いてロングツーリングに出たいものだ・・・。

って、去年も書いてた気がするなぁ・・・。

 

通勤バイクのジャイ子(ジャイロX)は

10100km

今年の総走行距離は

946km

こちら昨年は840㎞

一昨年は891㎞

なのでコンスタントに走ってる。ってかこっちは距離が伸びてる。

50㏄バイクで100㎞多く走るってのは結構頑張ったのかな?

市内移動だったらジャイ子で充分なんだよな。

 

もう一台のエンジン付きはユキちゃん

走行距離・・・

??km

此奴は距離が伸びるような状況にならない事を期待したい。

 

それでは皆様、よいお歳を!!

 


ホンダ・Vツインマグナ250

2022-12-28 | 愛車偏歴

 

一目惚れしちゃった相手はコレ。

ホンダ・Vツインマグナ

 

1993年の第30回東京モーターサイクルショーに V25 MAGNAって名前で参考出品され、

1994年の6月25日に殆ど参考出品の形のまま発売された。

前後のアルミホイールはかなりインパクトがあった。

特にリアのディッシュホイールたるや強烈な個性を見せつけていた。

ローアンドロングな車体はクラスでずば抜けていたし、跳ね上げのショートマフラーはドラッグレーサーを思わせる雰囲気を漂わせていた。

 

地元では最初のマグナオーナーになった。

 

コイツはちょっと悪っぽい見た目に反して、とっても乗り易いバイクだった。

定評のあるVT系エンジンのクランクをあえて重くして中低速のトルクを厚くしてあった。

高速の伸びは犠牲になるけど、低速からトルクフル(250㏄にしては)だった。

コーナーを攻めるってバイクじゃ無かった。

そこそこのスピードでいつまでも延々と流すって乗り方が向いていた。

 

そんなバイクだったから使い方も変化した。

ひたすら遠くを目指して走るようになった。

 

例えば上の写真は余部埼灯台(兵庫県美方郡香美町香住区余部

我家からだと最短距離でも400km以上ある。

高速道路は使わないのでオール下道で9時間の距離だ。

当時は3連休なんてとれなかったから2連休で行くしか無い。

仕事が終わってからひたすら夜の国道を駆って、眠くなったら少し野宿で仮眠。

また延々と駆って目的地へ向かうって走り方。

走ってる事がただただ楽しかった。

無人駅やバス停のベンチで野宿しながら旅した。

 

何か不満があったって訳では無い。

調子が悪くなったりって事は無い。

飽きたって事でも無い。

それでも別れは訪れる。

とってもお気に入りだった此奴ともそんな別れは訪れた。

 

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ホンダ・GB250クラブマン

2022-12-23 | 愛車偏歴

16歳で免許を取得してから、AX・XLと原付二種の125㏄バイクを長く乗り継いで来ましたが、オフロードバイクでの林道走行を自粛(XL125Sの頁参照)するのに伴ってロードバイクへ乗り換える事にしました。

偶然行きつけのお店に出ていた中古のGB250クラブマンを即決で購入。

初めて普通二輪を駆る事になりました。

 

前オーナーによって交換されていたマフラーはほぼ直管でうるさいったらありませんでしたが、そのままマフラー交換する事無く詰物をいろいろ弄って調整しながら乗りました。

 

当時はレーサーレプリカ全盛で、レーシングスーツに身を包んだライダーがフルカウルのバイクをバンクさせて膝を擦ってコーナーを抜ける技を競っているような時代でもありました。

仲間達とマスツーリングするようになっても、仲間のバイクからは見劣りするような性能のGB250クラブマンでしたが、実際に走らせてみると扱いやすく吹けの良いDOHCシングルエンジンは頑張らなくても速いバイクで、カッコだけのレーサーレプリカをコーナーでカモにできるほどでした。

絶対的パワーはありませんでしたが、トルクの出方が素直で高回転までストレス無く回ってくれるエンジンと、軽量スリムな車体、深いバンク角で当時は乗鞍スカイラインなんかを気持ち良く流したものでした。

 

写真は乗鞍スカイラインの平湯峠ゲート付近のパーキング。

この辺りがホームグランドでした。

今はマイカー規制で乗鞍スカイラインをバイクで走行する事は叶いませんが、ほんとに気持ちのいいルートでした。

 

やめておけば良いものを、カフェレーサーっぽく少しづつ改造して格好良くはなった?ものの

結局はちょっと前傾のキツイ乗り難いバイクになっていってしまいました。

 

この頃からは走る事よりも旅を楽しむ事に少しづつ気持ちの比重が変化してきて

楽にクルーズできるバイクを求める気持ちが大きくなってきていました。

 

そんな時(1993年)にモーターショーで参考出品されていたバイクに一目惚れ。

発売の予定も無いうちからバイクショップに予約する程の熱の入れ込みでした。

暫くして現実に発売が決まり乗り換え決定

 

このバイクとはお別れする事になりました。

 

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いつか風が見ていた

2022-12-21 | 閑話余談

物語の中に重要なファクターとしてバイクやライダーが登場する小説をバイク小説とカテゴリーしてそんな物語ばかり探し出して読んでいる。

そんなバイク小説の中でもお気に入りの一冊がこのいつか風が見ていただ。

1985年に第一刷が発売されている。

中には「いつか風が見ていた」「エリの伝説」「レース・クイーン」「ラストラン」の4編が収録されている。

1982年に発売された振り返れば地平線の続編的な作品群になるようだ。

その後、1987年発売の南の風にモーニンを加えて

勝手に佐々木譲三部作として何度か読み返している。

現在これらは全て廃刊になってしまっているようだ。

 

2009年に発売されたポプラ文庫のラストラン

いつか風が見ていたの4編に「遠い風の音」を加えた5編で収録されている。

 

最近では警察小説で有名になってしまってバイク小説は書いて無いようなのが残念だ。

 

このブログを書いているうちに読み逃しに気付いた。

鉄騎兵、跳んだは佐々木譲氏の初期の作品だ。

題名をしっかり記憶しているし、とっくに読んだと思っていたけど本棚に無い。

楽天ブックスに激安な古本があったのでさっそくポチった。

読後レポはいずれまた。

 


ヤマハ・AX125

2022-12-18 | 愛車偏歴

ボク等が通っていた高校は125㏄までのバイク通学が許されていた。

16歳になって免許が取れるようになると速攻で免許を取得。

先輩のお古のバイクを安価で譲ってもらって通学に使っていた。

ヤマハAX125

2ストの2気筒バイクだった。

当時の小排気量車はまだ2ストが優勢で、ホンダ以外はヤマハもスズキもカワサキも2スト勢で最高出力を競っていた。

カタログ上で他社に負けないように馬力を絞り出す設計だった。

低回転ではスカスカで回転を落とすとカブってしまうし、4千回転を超えた辺りから急に加速一気にレッドまで回るピーキーなエンジンだった。

オイルも燃やして走る2ストなので、加速した後ろは白煙で真っ白になった。

 

前後ドラムブレーキは頼りにならなかったし、2ストなのでエンジンブレーキも期待できなかった。

さらに固定式のステップはバンクですぐに接地してしまい怖い思いもしょっちゅうだった。

それでもバイトで稼いだ分はほとんどガソリン代に注ぎ込むくらいに走り回っていた。

今思えば価格相応に程度の悪い車体だったようで、維持に難儀もした。

 

初冬のある朝、通学途中に空地から出て車道を横断しようとしたクルマの側面に突っ込んでライダーは胸椎損傷の大怪我をして暫く半身不随、バイクは廃車になった。

怪我は3ヶ月で回復したけれど、さすがにその後暫くバイクには乗れない雰囲気になってしまった。

 

廃車になった車体は解体して幾つものパーツは永らく手元に保管していたのだけれども、

今、探してみてもその多くは見つからなくなってしまった。

このサイドカバーとピストンは数少ない記念品だ。

 

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