毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「二」 が 「三」 になるとき ~ 物質世界での体験を存分に楽しむために

2023年02月18日 12時20分50秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前の記事で、「何かを分け出すために引いた線が消えて、分離したものが分け出す前の状態に戻るのが 統合」 と書きました。

「分離」 とは、物質世界における二項対立の性質があってこそできることなんですね。

これとこれ以外、こことここ以外、と 好みに照らしてどこかに線を引くから、選ぶ ・ 分け出すという行為が成立する。

その引いた線が消えるとき、知覚することはできませんが、私たちの意識は 一瞬であれ、言葉の及ばない領域に飛んでいます。

好みとは、言葉があって初めて持てるものですから。

だから、言葉を持たない幼い子どもは 選り好みができず、寄ってくる情報すべてを取り込んでしまい、のちのち苦の種になるような情報さえ自分のものにしてしまう。

そういうネガティブな観念は、いつもお伝えしているとおり そこから生じる感情やからだの感覚と向き合ってしっかり感じ切れば、薄れてやがて消えていきます。

それを何度も繰り返していると、それまでなら反応せずにおれなかったネガな情報や出来事に出くわしても、以前のような不快な感情が湧かなくなりますが、それは その情報や出来事を正誤 ・ 善し悪しなどと分ける線引きが もはや存在せず、ただ 起きていることそのもののエネルギーを感じるだけだから。

これが、意識の内での統合ということです。




知覚できる顕在意識オンリーで生きているときは、物事を 相反する二面のどちらかからしか見ることができませんが、そこに知覚できない潜在意識が加わると、その二面性を超えて 「判断解釈抜きでただ見つめる」 新たな視点が備わります。

いや、正しくは 以前から備わっているのに忘れていたものを思い出すだけですが。

宗教的にも三位一体などという言葉がありますが、それまで二つだった要素が三つになったとき、私たちはもっともバランスの取れた意識状態で、この形ある世界でのさまざまな体験をじっくり味わえるようになります。

三位一体の 「三」 は 魂 ・ 肉体 ・ 精神を表すそうですが、形ある世界に属する肉体と精神に 形なき領域に属する魂が加わることで、私たちは個の視点と俯瞰の視点を行き来しながら、人生をただ体験するばかりでなく、望み通りの人生を意図して創造することができる。

過去 ・ 現在 ・ 未来という三つの時制にしても、過去と未来は 頭の中だけの産物ですが、そこに現在、すなわち “いま ・ ここに確かに在る” という感覚が加わることで、私たちは 頭の中で答えの出ない問題に悩まされるだけでなく、源の領域にアクセスしていのちに根ざした答えを引き出すこともできる存在として、人生物語の体験者と作者の両面から 物質世界を思う存分楽しむことができるのです。




では、貴秋が最近よく持ち出す 「いまの一番」 はどうかというと、これは 好き嫌いの 「好き」 とは異なるものです。

好き嫌いの 「好き」 は 「嫌い」 あっての 「好き」 ですから、好きなものに手を伸ばせば伸ばすほど 嫌いなものもバッチリついてきますが、「いまの一番」 は 「あれではない これ」 のような比較対象抜きの 「好き」 一択で、この二つは 同じ 「好き」 という言葉で表せても、中身はまったくの別物。

線引きで分け出された 「好き」 は 「~だから好き」 のように条件つきだから、条件が変わればあっさり 「嫌い」 や 「興味なし」 に変わってしまうし、また 手にしているあいだも 失う恐れが絶えずついて回ります。

が 「いまの一番」 は、対象となる物や事のことではないんですね。

いまこの瞬間 もっとも氣分がいいときの感覚を味わわせてくれるのが、「いまの一番」 です。

だから、いましていることに それが感じられなくなったら、次に移るだけ。

持っているものやしていることは変わっても、一番いい氣分でいられることには変わりがない、それが 「いまの一番」 なのです。




せっかくやって来た体験世界ですから、「好き」 だけでなく 「嫌い」 も存分に味わったらいい、でも 「好き」 と 「嫌い」 の往復に疲れて抜け出したくなったら、これまで勘定に入れてこなかった 五感や言葉を超えた意識領域という第三の道があることを思い出すときです。

自分のものではない観念や価値観に捕われているあいだは、何が自分にとっての 「好き」 や 「一番」 なのかも、最も心地いい感覚がどのようなものかも知ることはできませんが、それらのバグを手放すことで 三つ目の道が開け、「二」 が 「三」 になって 意識が安定します。

二項対立の世界に 形なき源が加わった “三位一体” こそ、この物質世界をもっとも楽しめる意識のありようだと 貴秋は思っています。

















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