今から7年ぐらい前になるのかな・・・彗星探索家で臨死体験者の木内鶴彦さんの講演を 立て続けに4回ほど聞く機会があったのですが、その中で 奇妙なことに氣がつきました。
話の内容によって たやすく記憶されるものと 何度聞いても記憶に残らないものとがあるのです。
理数系に弱い私のこと、天文学 ・ 科学分野の話が頭に入りにくいのは不思議ではありませんが、木内さんが臨死体験を超えて ほとんど死亡体験といっていいような状況で 時空を超えて見たさまざまな世界の、歴史的 ・ 宇宙的な話題などについても、とても面白いのに どうしても記憶にとどめられない。
その一方で、里山の循環だとか 未来の経済のあり方、木内さん的アセンション論などは、人に伝えられるぐらいしっかり残っているのです。
まあ 関心のあるものほど身が入るから、留まり方に差があるのは 当たり前といえば当たり前なんですが、ただ その抜けっぷりが半端ないというか。
学生時代 テストのたびに一夜漬けで鍛えた短期集中記憶には 今でもそこそこ自信があるのに(笑)、このとき覚えられなかった話題については、今度こそ覚えてやるぞとすごく意識し 集中して聞いていたにも関わらず、あとになってみると その部分の記憶にぼかしがかかったようになっていて、単に忘れたというより むしろ意図的に見せまいとでもしているかのようなのです。
いったいなんなんだ、これは。。。。とずっと不思議だったのですが、あるとき不意にひらめきました。
記憶に残らない情報は、私の人生やお役目には関わりがなく (少なくとも今現在は) 不要だから残らないのだ。
だから それは抜けるに任せて、もっと自分に必要なことや意味のあることに集中しなさい、ということらしい と。
自分が思いもよらないほうへと導いたり 遠ざけたりしてくれる力の存在については、前から感じていましたが、こんな形での働きかけは このとき初めて知りました。
また、集中を妨げないためばかりでなく、繰り返し接するものに いつも新鮮な氣持ちで出会えるように、という配慮から 記憶を薄れさせる場合もあるようです。
心友に教わった 「エンジェルナンバー」、お氣に入りの占いと並んで よく自分の氣持ちを確かめる手がかりにさせてもらいますが、これも 同じ数字の項目を何度読んでも 内容がほとんど頭に残らない。
CMだって 10回も繰り返せばたいがい覚えるだろうに、と おかしいやらあきれるやらなのですが、確かに 毎度おなじみの数字に、ああまたそれ?もうよ~く知ってるし・・・と退屈に感じるのと、おお、こんな意味が! と毎回感動できるのとでは、信頼度が大きく違います。
また同じ文言、と思い込むと、ていねいにその意味を読み取ろうとする意欲が落ちてしまいますから。
そのつもりで読むと、同じ文でも その時々のシチュエーションによって違う意味合いを帯び、いい手がかりをいただけるメッセージです。
記憶に限らず、顕在意識が氣づかないところで、潜在意識がいろいろと配慮し 取捨選択して 私たちを守り導いてくれるというのは、頻繁にあることのようです。
だから、自分が意図したのと別のところで あれ? とか あらまあ、とかいうことが よく起こる。
以前は 起こっていることすら氣づいていなかったけれど (^^ゞ
「人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと」
これは、写真家 ・ 星野道夫さんの友人で、著書にもたびたび登場する シリア・ハンターさんの言葉。
初めてこの言葉に出会ったときには よくわからなかったけれど、今は(私なりの解釈なのだろうけれど)大きくうなずけます。
意識できる範囲で立てる計画は 氷山の一角に過ぎない、もっと大きな私 ・ もっと大きな意思があり、それに沿って 人生は動いていくんだなって。
そう頭ではわかっていても、自分の思い通りに事を運びたいと執着してしまうことも まだまだあるのだけれど、あとから見ると、大きな意思に運ばれた先というのは、自分の小さな計画より はるかにスケールの大きい視野から選ばれた最善の場だと 思い知らされるんですね。
何度もそんな体験を重ねて、前よりジタバタせずにお任せできるようになったかも☆
1ヶ月、いや 1週間先のことさえまったくわからない今の暮らし、不安でないといえばうそになるけど、愛着も深いのです。