“大いなるひとつ”は、自分の素晴らしさを ただ知るだけでなく 体験し味わうために、自身を無数のいのちのかけらに分けて、この三次元世界に送り込みました。
世の中には、人の数だけ異なる視点があり、そのすべてが“大いなるひとつ”から分けだされたパーツ、神のひとかけら。
・・・・っていうのは、これまでも幾度か書いてきたけれど、いろいろな方々の文章から 腑に落ちるところ・しっくりくるところを取り入れさせていただいて、私なりの表現で再構築した、私色の世界観・宇宙観。
新しい観念や概念を取り入れるとき、最初はいつでも“仮説”という扱いです。
その仮説と常に照らし合わせながら さまざまな体験を重ねてゆく中で、仮説への信頼が高まり 内容がどんどん密になって 定着することもあれば、「?」がちらっと挟み込まれて いったん脇に置かれ、そのままお別れとなることもあり、新たな見方を付け加えて 復活することもあり。
そうやって日々変化してゆく視点から見える景色の断片を、ときおりこうしてブログに書かせてもらったりしているわけですが。
つねづね肝に銘じているのは、自分にとっては紛れもない「正解」であるものも、他の人から見れば、前述の「人の数だけ異なる視点」のひとつに過ぎないって言うこと。
共感・賛同・反対・拒絶、その他さまざまな受け取り方があって当然、そして そのどれにも正誤はないのだと。
さらに、自分自身つねに変化し続ける以上、その意見だって 終始一貫などということなく つねに変化し続けるのであり、以前書いたものを読み返したとき「うわ~、なにこの未熟な見方
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そして、そこまでわかってなお、この貴秋という視点は、自分にとっての「正解」も、外から見れば単なるヒントや偏見に過ぎないことを知りつつ、それでも この広い世界に観察データがひとつでも多く提供されるのは悪いことじゃあるまい、と思っているのです。
一時期 ブログのカテゴリーに「氣づき」なんてワードを入れていたこともあったのですが、自分にはどれほどすごい氣づきでも 他の人から見れば 無数の視点のひとつでしかないと自覚した時点で、あまりおおげさな言い回しはやめようと「ふと思うこと」という表現に変えて、これまでずっと使ってきました。
が、最近「ふと思った」というより もう少し強い口調で 文章を綴りたくなっている自分がいることに氣がついて。
で、新しいカテゴリー「貴秋の視点、あるいは偏見」を設けました。
このカテゴリー名がくっついているときは、「普段より断定的な文章で 好き放題書かせていただきますが、それはあくまで個人的な一意見に過ぎず、また、その日記のアップされた時点(ブログは投稿日時がはっきり表示されるのでありがたいです)での見方考え方でしかないと自覚した上でのことです」と但し書きがついているものと思っていただければ幸いです。
正直、「ふと思うこと」カテゴリーの日記にしたって、偏見であり その時点での見方であることに変りはないのですから、このふたつのカテゴリーの使い分けができるものかどうかも心もとないのですが (^^ゞ
まあ、とにかくやってみることにしましょう☆
やってみないとわからないことも いっぱいあるんだものね
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そして すごく自分を解っているって ところを常々感心してました
自分を内側からも外側からも見れて
それを他者に上手く伝えられる表現力
確かに
今 の自分の感じること 腑に落ちることは
今 なのよね
未来の自分が今の自分をどう見るか
そんなことより
今 いまを綴る
今の積み重ねが未来
感じたこと 腑に落ちたことのシェア
これからも楽しみにしてる♪
よろしくね
自分を見つめる・知ろうとすることは 子どもの頃から好きなんだけど、ひとりでは見えない部分を まわりの人たちが補ってくれる♪
うっかりすると 思い上がりやうぬぼれの方にいっちゃったりするから 油断できないんだけど、安堵や自信につながるのも確か♪
シェアと思っていただけるのが なによりうれしいの♪
胸のうちほこほこの貴秋です