前の記事の続きになりますが、虫相手にもうひとつ面白い発見がありました。
初夏の庭仕事の大敵といえば、蚊。
立ち止まっての作業のときなど たちまちうゎ~んと取り囲まれるので、除虫菊100%の蚊取り線香を腰からぶら下げてしのいでいましたが、線香が残りわずかになってしまい 困っていたときのこと。
最近庭の木々や草花がとりわけ親しい友のように思えて 朝な夕ないそいそと庭に降り立つのですが、あるときふと氣づいたのです、氣分が高揚しているときは まったくガードなしでも なぜかほとんど蚊に刺されないことに。
反対に じりじり焼けつくような日ざしやうまくいかない作業にいら立つと、たちまち耳元におなじみのプ~ンという羽音が聞こえ、ボコボコに刺されます (^◇^;)
貴秋が異種間コミュニケーションに興味を持つようになったきっかけは、前記事に書いた J ・ アレン ・ ブーン著 「動物はすべてを知っている」 ですが、その後 愛読ブログ 「世にも奇妙なフツーの話」 でも こんな話やこんな話を読んで いっそう関心が高まりました。
で この氣分と蚊の関係に氣づいたとき思い出したのが、アシュタールの 「蚊については エネルギーフィールドに入ってこられないようにするといい」 という言葉。
こちらが和やかでわくわくしているときと いらついているときでは、当然発する波動も違うはず。
氣が荒れているときほどよく蚊に刺されるということは、蚊の波動は人のネガティブな感情の波動と近いのかもしれない。
こちらが浮き浮きわくわくでエネルギーが高まっているときは シンクロしないから寄ってもこない。。。。というか、もしかすると こちらがわくわくの波動に見合った蚊のいないパラレルワールドに移行したということなのかも☆
まあそのへんの詳しいことはわかりませんが、とにかく日に何度も出入りのある庭で こちらの氣分次第で刺され方が大きく違うのは毎回同じ、幸せ氣分のときは 蚊取り線香をぶら下げているときよりよっぽど刺されません。
また、庭に限らず 夜分外を歩いているときなどもやはり同じようです。
では、たまたま氣分がよくないときに 庭に出る必要が生じたらどうするか。
ここで登場するのが 「ホ ・ オポノポノ」 です。
イハレアカラ ・ ヒューレン博士の本で知った 「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」 の4語による潜在意識の記憶のクリーニング (消去) 、以前から受け入れ肯定しているのに なぜかいくら試しても手応えが感じられず 保留になっていましたが、こちらの記事に書いたようないきさつで復活して以来、「これはいい」 と なにかにつけて唱えるように。
目に見えてはっきりした変化が現れたわけでもないのですが、以前手応えがないと感じたのと同様に 今回はなんとなく効果が上がっていると感じるのです。
で 件の4語を小声の早口で唱えながら出てゆくと。。。。
ホ ・ オポノポノでガードしてる感が強いときは 対立意識や敵意がまだ色濃いのでしょう、やはり蚊が寄ってきますが、唱えることで氣持ちが落ち着くと 素足にサンダル履きでもまったく大丈夫♪
蚊が怒りやいら立ちなどのネガ波動に同調するらしいことへの確信が強まると同時に、ホ ・ オポノポノも 身を守ろうなどの余計な意図なしに無心で唱えたほうがいいらしいことがわかってきました。
もしかすると、蚊は 人間の負の感情が形になったものなのかもしれないなぁ。
だとすると、蚊のいる世界といない世界の行き来は こちらの意識のありようのバロメーターとなってくれているのかもしれませんね。
いや~、庭での時間がますます楽しみになってきたわ
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