毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

私が平和、世界が平和

2013年03月03日 11時11分23秒 | ふと思うこと


きょうも ときおり遠くから ウグイスのケキョ、ケキョという艶やかな声が聞こえます。

楽しそうに聞こえるのは、そのたびにこちらが躍り上がりたいほどうれしくなるからでしょうか。

やはり三寒四温、きのう・きょうは風がぐっと冷たくなり、ウールのコートとセーターに逆戻り。

それでも みなぎる空氣はやっぱりもう春。

お日さまの光、空の青、膨らんだ木の芽が、外においでと誘い出すかのようです(^^)



ネットでいろいろな情報を見ていると、これはうなずけないな、自分は選ばないな、と思うものに出会うこともあります。

以前は、そういうものに猛然と反発していました。

いや、今でも名残りの回路が瞬間作動するから、「むむ」という違和感・不快感は覚えるな(笑)

ただ、それ以上わあわあ言うことはなく、間もなく「それはそれ」というところに落ち着きます。



「これは自分と正反対の考え方」と解釈していたとき、二つの意見を同列に置いていたんだと思います。

ほぼ同じような視点から眺めた上で 自分とはまったく相容れない考え方を選んでいるんだと。

でも、今は どんなことでも人の数だけ視点があると思っています。

それぞれが違う人間で、違う立場で、違う過去を背負っている以上、近い遠いはあっても、100%同じということはまずないんじゃないかと。

見ている場所が違えば、違ったものが見えるのは当たり前のこと。

だから、いっとき心がざわついても、じきに「この人にはそう見えるんだなぁ」で置いといていいんだと思えてきます。

先日の話ではないけれど、自分基準で「この人はこっち寄り」「この人はあっち側」と仕分けてぴりぴり神経をすり減らすエネルギーロスがなくなった分、ずっとラク



以前はそれだけ自分に見えたものに自信が持てなかったから、味方が多いほど強くなり、敵が多ければ否定されるように思い込んでいたんですね。

その見方・考え方が自分にとってしっくりくるかどうかより、周りの評価が多いか少ないかの方が大切だったんだと思う。



テレビも新聞も見ない私だけれど、最近の世の中に「対立意見は力で押し潰せ」的空氣が立ち込めているのは 折に触れて感じられます。

いや、自分の世界は自分が創っているという観点からすれば、それは間違いなく自分の価値観・世界観の投影。

かつての名残りがいまだ尾を引いているのかもしれないなぁ

と同時に、賛成反対ひっくるめて いろいろあるからいいんだ、「選ばないもの」もたくさんあるからこそ「選ぶ」ことができるんだ、という新たな価値観も 確実に根付いています。

「選ぶ」(「選ばない」)という行為において、自分がどういう者であり、何を大切にし どう生きたいかがはっきりし、それが自分を瞬間瞬間創っていくことにつながる。

決まった見方しか許されなかったら、自分を知ることも表現することもできないし、何よりも 自分でないものを通して本来の自分を知る、という魂本来の目的が果たされないことになっちゃう。



だから、いろいろな見方があっていい。

異なった意見を持つ人がいていい。

もし、自分とは違う意見を強引に押し付けられるようなことがあったら。。。そのときは、自分の心の隅々までくまなく照らして点検しましょう。

自分の中にこそ 強引な押し付けがまだ残っている証拠だから。



他ならぬ私が、ありのままの自分でOK、ありのままの相手でOK、と素直に思えるようになって初めて、(私の)世界は平和になるんだね



きょう3月3日は ひな祭り。

今年も わが家のささやかなおひなさまが、いちだんと春の雰囲氣を盛り上げてくれています。

その一角が いつにもまして和やかに見えるのは、今の私の心が平和だから。。。かな?



さて、菱餅にちなんだ可愛い三色蒸しパンでも作って お供えするとしましょうか♪