戦争に負け 樺太 豊原市(からふと とよはらし)から
8月18日に 北海道の伯父宅に(父の兄 渡島管内 木古内町)
引揚げることになった
父が国鉄に勤めていたので 荷物は6個送れるという
衣類 教科書など 重いものは
荷造りして送る
長姉が気に入っていた オーバーをリックに入れようとしたが
母は止めさせて 行李に入れた
リックには着替えと 食べ物(大豆の炒ったの)
いざというときに貯めてあったもち米
畑で取れたばかりのエンドウ豆を入れて ついたお餅を
手分けして入れた
大人たちは緊迫感でいっぱいだったが
12歳の私 10歳の妹は 空襲の心配もなくなり
大好きな伯父の家に行けると 嬉しくて
余所行きの半袖のワンピースを出し
(戦争中は長袖にモンペかズボン 半袖 スカートはダメ)
色紙の 紙ぼっちゃん を持とうとして たしなめられた
引揚げ後 荷物は1個も届かず
その年の冬は 一張羅の夏服のままだった
痩せて小さかった
食料難で 毎日雑炊 すいとん などを
盛り切り (おかわりはなし)
お餅はお正月だけのご馳走だった
大豆の炒った非常食 お腹が空いて食べると下痢をした
引揚げ後は もっと食べるものがなかった
お昼の食事は 美味しく全部いただいた
白米のご飯 残すのは勿体ない
毎年 何度も同じようなことを投稿しているが
戦争は今も続いている 私の戦後も続いている