黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

元同僚とのおしゃべり会食は

2019年08月21日 | つぶやき

二月に一度の

 

元同僚とのおしゃべり会食の日った

 

 

私が当番になって3度目

 

 

確認の連絡をすると 「ハイわかりました」と返事が返ってくる

 

年上の私には聞きづらいのか

 

前の当番のAさんに 

 

二人から度々問い合わせの電話が来たそうである

 

 

「場所は何処だった?」 

 

「何日だった?」 「何時に集まるんだった?」

 

 

「風邪引いたから行けない」 

 

 

又すぐに電話 「無理しても行くから」

 

 多い時には一日に10回も

 

 

 

独り暮らしのHさんは 

 

 

体も頭も診てもらっても

 

どこも悪くないと言われたと自慢し

 

自信たっぷりである

 

娘さんと暮らしてるEさんは 

 

首から下は悪いところはないという

 

どう見ても二人は認知症のようであり

 

忘れる度合いががだんだんひどくなっているのだが

 

 

手立てはしていないし 

 

Hさんの場合連絡先を知らない

 

Eさんが来なかったので4人だったが

 

毎回同じ話の繰り返し

 

 おまけに耳が遠いので

 

大声でのおしゃべり会だった

 

救いは明るいこと

 

 

 中でもHさんが一番明るい

 

安い1000円の鮨ランチ 

べんとう コーヒー付きで 2時間おしゃべり

気にはなったが楽しかった


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二人で一人前に届かない

2019年08月20日 | つぶやき

夫は

 

右目を失明してからも

 

虫眼鏡を使いかすかに見える左目で

 

録画をしたり

 

コマーシャルの消去の操作をしている

 

今朝

ブルーレイからテレビを入れたら音がでなくなったという

 

テレビ直接だと音が出ている 

 

原因がわからないので

 

電話でのサポートを頼むことにしたが・・・・

 

パソコン以外は機械に弱い私

 

録画もしたことがないし

 

操作もほとんど知らないが

 

夫に代わって電話する

 

サポートのお兄さんらしき人は 

 

優しく繰り返して

 

リモコン操作を教えてくれる

 

右といわれたのに左に間違ったり

 

何度も戸惑ったが

本体のスイッチを切り

 

 再度入れ直したら音が出るようになった

 

機械が誤作動したのが原因だったそうである

 

二人合わせて一人前に届かないこともあり

 

お互いに助け合い 

(最近は私が助ける方が多い)

 

皆さんの力を借りて暮らしている

 

 

久しぶりに夫はデイケアへ

 

私は詩吟の稽古と午後は鍼治療

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詩吟の全国大会が迫ってきた

2019年08月19日 | 詩吟

9月1日の詩吟の全国大会が迫ってきた

 

昨日は実行委員の最終打ち合わせ

 

会員が高齢化して減少し

 

ほぼ全員が手伝わなければならない

 

80代半ば過ぎた私も 

 

来賓受付と 救護の二つの係りがある

 

救護されるかもしれない体調なのに

 

見た目が元気そうなのか容赦なく役が与えられた

 

出番は二つ 

「涼州詞」は10名 「蝉丸」は6名の合連吟

 

大会が終わるまで 緊張の日々は続く

 

今日は休息日

山姥返上に美容院へ

午後は

昼寝


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8月18日は引揚げ記念日&孫の誕生日

2019年08月18日 | 戦争

8月18日は私にとって特別な日である

 

 

昭和20年の8月18日は敗戦後

 

 

樺太(サハリン)の豊原市(ユジノサハリンスク)から

 

 

引揚げた日であり引揚げ記念日と名付けている

 

あの時

乗る予定だった小笠原丸に乗船していたら

 

今の私はいなかったし

 

孫もこの世に存在しなかった

 

生かされている幸せを深く思う

  

孫は31歳になった

 

孫たちの子供その子孫にも

 

戦争のない時代が続くように願っている

 

 

樺太引揚げの記 1

 

樺太引揚げの記 2

 

樺太に咲いていた花

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来るくる台風の大雨強風は何もなかった

2019年08月17日 | つぶやき

お盆を直撃の台風10号が北海道にも来る

 

温帯低気圧になっても勢力は強いままとの予想で

 

昨夜は緊張していた

 

マンション住まいは被害の心配がないが

 

ベランダのものを片付け

 

懐中電灯を枕もとに置いて休む

 

夜中に外を眺めたが風もなく雨も小降り

 

雨は降ったらしいが

 

朝目覚めた時はやんでいた

 

無風状態で蒸し暑い

 

道東の方は被害があったようだが

 

こちらではなかった模様

 

 

 

子供のドングリ

 

8月5日 CoCoDeの庭で


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もったいない 粗末にしない 目がつぶれる

2019年08月16日 | つぶやき

仏壇にお供えした御飯をおろしたら

 

 

干からびていた

 

 

もったいないと思ったが捨ててしまった

 

 

子供の頃

 

 

御飯(お米)を粗末にしてはいけません

 

 

粗末にしたら目がつぶれますよと言い聞かされて育った

 

学校ではお弁当の前に手を合わせ

 

 

「箸とらば 天地御代の御恵み 君と親との恩を味わえ」

 

 

と唱え感謝をして食べた

 

敗戦後の食べ物のない時代は

 

 

ご飯の顔を見たことがなかったが

 

 

すべてにもったいないと思う心があった

 

 

固くなった御飯は水でうるかしお粥にしたり

 

 

干し飯にして炒っておやつにしたりした

 

飽食の現代

 

 

余った食べ物は捨てられ 

 

もったいないは死語のようになった

 

 

その一方

 

日本の食料の自給率は37%であり

 

 

飢餓の国が溢れている

 

 

粗末にしたのを後ろめたい気持ち

 

もったいないの気持ち

 

 

年代によって考え方が違うのが明白

 

私の年代(80代)

 

食べ物がちゃぶ台からこぼれた時

 

現在はしないが 拾って食べた

 

 

 

 

 

10歳若い70代から下は

 

こぼれたものは汚いから捨てる

 

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敗戦の日&お盆の中日

2019年08月15日 | つぶやき

終戦とは言いたくない 敗戦の日

昭和20年(1945年)の8月15日

正午からの

 

重大ニュースをきくようにといわれていた

 

 

我が家の近くの防空壕の中で

 

天皇のお言葉を聴いた

 

 

ラジオの雑音だらけの放送は理解できなかったが

 

 

大人の人が戦争に負けたんだ

 

日本人は皆殺しにされるんだと話していた

 

これからどうなるか不安だった

 

その後の引揚げ

日本国中

ないない何もない惨めな生活が続いた

 

戦争は恐ろしい

 

 

 

お盆の中日でもあった

 

姪夫婦が来楽しいおしゃべりの時を過ごす

 

作る気力はなく

 

 

ご馳走は向かいのスーパーの既製品

 

 

それでも美味しそうに食べ

 

残りはお持ち帰りしてもらう

 

 

遅れて詩吟の稽古へ

 

お盆なので

 

無理しないで来れる人だけ来てくださいと

 

伝えてあったのに行ってみたら

 

女性全員が出席だった

 

台風の影響で風が強く不気味な空

 

 

夕方雲が飛ばされ

 

旭岳がピンクに染まっていた

 


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敗戦前日の樺太(サハリン) 豊原のこと & お盆

2019年08月14日 | 戦争

昭和20年8月9日にソビエトが参戦して

 

樺太に住む者の緊張感が高まった

 

12歳だった私も 

 

空襲警報になると急いで防空壕に飛び込んだり

 

ソビエト兵が攻めて来るのではないか

 

不安な気持ちでいっぱいだった

 

15歳以上の男子を除く婦女子の疎開がはじまり

 

我が家は父を除いた母子7人が

 

18日に北海道の伯父宅へ疎開することが決まった

 

農作業ばかりの女学校は

 

子守でサボることが多くなっていたし

 

お米が少しの雑炊はすぐお腹が空き

 

非常食の炒った大豆を食べると

 

すぐ下痢をする

 

暑い夏だった 

 

 お盆の記憶はない

 

1937年に建てられた旧樺太庁博物館

2012年に訪れた時も当時の建物 展示物が残され

博物館になっていた

池は新しく造られ 狛犬は護国神社に合ったものが

玄関わきに鎮座していた

 

 

今朝

 

施設に入っている88歳の姉から電話がきた

 

弟とお寺にお参りに行ってくる

 

涼しくなったら会おうね

 

 

実家は処分し父母も永代供養したので

 

私はお寺には行かないで

 

心の中で祈るだけ

 

娘が来たが静かなお盆

 

昔話を沢山した

 


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お盆の今日は病院受診の付添いとお寺参り

2019年08月13日 | たより

お盆に入っても病院は平常通り

夫に付き添っで日赤病院へ

 

ベレー帽を斜にかぶった背の高い

 

かっこいい男性がドアを開けてくれる

 

車椅子に乗った夫を介助して2階の眼科へ

 

色々検査の後の診察では視力は同じ

 

右目の出血は止まっているが

 

神経がダメになっているのでといわれるが

 

あきらめの境地であるような気配

 

 

次回は1ヶ月後の予約

 

帰りも玄関前では先程の男性がドアを開け

車椅子の片付けもしてくださる

ボランティアらしいとはじめて気がついた

かっこいいボランティアさんのお世話で爽やかな気持ちになった

 

有難うございました 

 

 

お昼ご飯を頂いたすぐに 

お坊さんがお経をあげにいらした 

 

例年通り三分くらいと短い

 

 

4時ころお寺の納骨堂へお参りに行く 

 

元気なら歩ける距離だが

 

タクシーで一区間

 

本家のお墓は仙台だが

 

夫の両親の分骨してもらってる 

 

お参りの後

お供え物はお持ち帰りくださいとの張り紙があり 

 

お花だけ置き もち帰ってきた

 

 

風が冷たく秋の気配である

 

 

最高気温25℃

 

 

お腹の調子がいまいち

 

冷える感じなので

 

 

お腹と腰にカイロをペタリ

 

 

 

最近写真は写してないので今日も悪戯

 

 狸のつもり

 

札幌では住宅地にクマの出没が多いそうだ


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山の見えない山の日に思う 死んだ後のこと

2019年08月12日 | つぶやき

暑さが和らいだがどんより 

 

午前中に鍼に行ってきた

 

原因不明の痛い痛いは鍼やお灸でどうにか我慢しているが

 

低気圧の来る前が特につらい

 

お昼を食べた後たっぷりお昼寝をしたら少し楽になった

 

 

連休だが今日が山の日と勘違いしていた

 

最近ずっと山の姿が見られない 

 

 

山の見えない山の日だった

 

 

見ているだけで心が洗われすっきりするのだが・・・

 

死んだらヒマラヤかマッターホルンに散骨してほしいと

 

思ったことがあるが

 

 

実現できそうもなくあきらめた

 

室生寺に納骨してほしいと思っていたが

 

遠い理由で反対され

 

 

市の共同埋葬もいやといわれ

 

近くのお寺の納骨堂に入り

 

 

永代供養をしてもらうことで意見がまとまった

 

 

旅立つときの着物も出来上がるはずだが

 

 

エンディングノートは中途半端で進んでいない

 

 

すぐ実現しないだろうと たかをくくっている

 

 

 

ナガルコットのホテルからの ヒマラヤの山々

2004年

 

 

送ってもらう時は 詩吟ではなく

 

ステファン・ハウザーのチェロ

 

アルビノーニ の アダージョ

 

 


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