昭和22年8月22日 引揚げ船 小笠原丸 第二新興丸 泰東丸の三隻が
留萌沖でソビエトの潜水艦に攻撃され 沈没 大破し 1700名以上が亡くなった
その少し前 私たち家族が乗った 白龍丸は 留萌沖を通っていた
甲板上にいたので 緊迫した様子がひしひしと感じられた
船長 乗組員の緊迫した声が耳に残っている
船はエンジンを止め 長い間波間を漂った
船酔いでフラフラになりながら 何もわからないまま 早く危険が去ってほしいと祈っていた
戦争が終わったのに 何故?という気持ちでいっぱいだった。
三船の遭難を知ったのは ずっと後のことである
真岡の海が見える熊笹峠
ソビエト軍と戦った跡が残っている
ソ連軍は1945年8月20日真岡に上陸、真岡占領後豊原を目指して進軍し
日本軍との間に8月20日から23日にかけて熊笹峠を舞台に激しい戦闘が繰り広げられた
日本軍のトーチカの残骸 悲しい悲惨なことは ここにもあった
ソ連軍の戦勝記念碑