「東京物語」(小津監督作品1953 松竹大船)
Tokyo Story (Yasujiro Ozu, 1954) Trailer
当時の予告編(英語字幕つき)
実ははじめて見た(BSのを録画して見た)。
淡々とした作品だが、淡々としたところにむしろ強いリアリティを感じる。
独立している中年の子供たちは生活に追われ、また彼らの生活のペースがあり、上京してきた老親(東山千榮子、笠智衆)を構う余裕がない。厄介に思っている。
こういうことはよくある
こういう話を見るなり、聞くなりすると必ずしたり顔で「これだから戦後の教育は~」とか「これだから核家族は~」と言い出す60ぐらいの中高年がいるが、(東京に住む二人の子供は昭和28年の段階で中年なので間違いなく戦後の教育を受けた世代ではないが)こういうことは戦前から、いや、大昔からあったのだろう。娘や息子に遠慮しながら生きる老人というのは昔からあった。そういえば「後期高齢者」問題に関して、日本財団の元トップの女性が「年取った人は医療を受けるのは遠慮すべきだ」とか「権利ばかり求めて何もしない老人のいかに多いことか」と言っていたなあ。「老人は若い世代の迷惑にならないことをせい」とまでも。ならばご自身(1931年生まれとのこと)も率先して年下の世代に遠慮して引退したらいいと思った。他人事のように老人イジメに加われる人はうらやましい。
話が逸れたが「今時の若いもんは~!」親爺の見本のようなのが、やはり子供に冷たくされている老父の旧友の老人・沼田(東野英治郎)。
そうじゃのう…… いまどきの若いもんの中にゃー 平気で親を殺す奴もおるもんじゃから それに比べりゃ なんぼうかましなほうか」というセリフが印象的。
唯一優しくしてくれるのが戦死した次男の妻(原節子)。
彼女は亡き夫の面影を夫の両親に見ているのだ。
東京には居づらいので熱海に行ったりあちこちたらい回しのようになり、結局尾道に帰ることに。しかし老母が体調を壊し途中の大阪で三男(大坂志郎)のところで少し休むことにするが、ここでもやはり厄介そうにされる。ただ彼はどうやら独身のようで上の二人ほどには生活に追われていないのやら、「しゃあないなあ、ま、親孝行親孝行、墓にフトンは着せられず」という様なことを言う。
結局尾道に帰ってすぐに老母は死ぬのである。(しかし「68歳」で「えらい年寄り」と言われてるのだから、この時代の人の寿命は短い。)
三男は母の死に間に合わなかった。
「墓にフトンは着せられず」と何度も言う。
葬儀の後の食卓。
老父が席を外した際の会話がなんともリアルだ。
志げ(長女/杉村春子)・・・「でも何だわねえ-
そう言っちゃ悪いけど どっちかって言えば お父さん先のほうがよかったわねえ」
幸一(長男/山村聰)・・・「ウム」
志げ・・・「これで京子でもお嫁に行ったら お父さん一人じゃやっかいよ」
幸一・・・「ウーム まァねえ」
志げ・・・「お母さんだったら東京へ来てもらったって どうにだってなるけど
ねえ京子 お母さんの夏帯あったわね? ネズミのさ-
露芝の……」
京子(未婚の次女/香川京子)・・・「ええ」
志げ・・・「あれあたし 形見にほしいの
いい? 兄さん」
幸一・・・「ああ いいだろ」
志げ・・・「それからね-
こまかいかすりの上布 あれまだある?」
京子・・・「あります」
志げ・・・「あれも欲しいの しまってあるとこ わかってる?」
京子・・・「ええ」
志げ・・・「出しといてよ」
京子・・・「ええ」
無意識のうちに老親に冷たく当る中年女を杉浦春子が好演している。その憎憎しさは特筆物。しかしいわゆる「大映ドラマ」とかに見られるようなわざとらしい演技ではなく、淡々と自然に意地悪をするのがよけいにリアルで怖い。「ああそういう人はいるなあ」と思わされる。いや「自分もこういうところがあるなあ」と身につまされる。大げさな「ありえない」演出ではないからこそそれが際立つ。
こういう「母親が死んだ哀しみ」よりも「何をもらおうか」という話になるということも現実にはありがちなことだろう。
若い次女は墓にフトン着せる気もない兄と姉の態度に憤慨している。おそらく現在の女性であれば姉が涙の乾かぬうちに「父が先に死ねばよかったのに」と言い出した時点で怒り出すのだろうが、この時代なので姉に何も言わず耐えていたのだ。
その感情を義姉(原節子)にぶちまけるシーンがある。
しかし原節子は「大人になるとそうなってくるんだ、仕方ないのだ」と言い聞かせる。親子の情愛とかが幻想でしかない事実を淡々と言い聞かせるわけだが、若い次女には酷であったろう。
いずれ彼女もあの姉のようになるのかもしれないし、そしてあの姉と兄もいずれ老親と同じ立場になるのである(祖父母が来たことで子供部屋を二人の寝床に貸さねばならないのを不満に思い、ずっとふくれている長男の息子の態度にその予感がひしひしと。そうなるまでに中年になるのを待つ必要もないかも)
この次女と原節子のシーンで既に涙腺が緩んでいたのだが、そのあとの原節子と笠智衆のシーンは泣けた。
そのシーン
(こりゃ一体何語だという字幕つき。多分スペイン語)
これでもかこれでもかと泣かせる映画・ドラマがあるが、この映画は淡々と泣かせる。そして重い映画だった。
Tokyo Story (Yasujiro Ozu, 1954) Trailer
当時の予告編(英語字幕つき)
実ははじめて見た(BSのを録画して見た)。
淡々とした作品だが、淡々としたところにむしろ強いリアリティを感じる。
独立している中年の子供たちは生活に追われ、また彼らの生活のペースがあり、上京してきた老親(東山千榮子、笠智衆)を構う余裕がない。厄介に思っている。
こういうことはよくある
こういう話を見るなり、聞くなりすると必ずしたり顔で「これだから戦後の教育は~」とか「これだから核家族は~」と言い出す60ぐらいの中高年がいるが、(東京に住む二人の子供は昭和28年の段階で中年なので間違いなく戦後の教育を受けた世代ではないが)こういうことは戦前から、いや、大昔からあったのだろう。娘や息子に遠慮しながら生きる老人というのは昔からあった。そういえば「後期高齢者」問題に関して、日本財団の元トップの女性が「年取った人は医療を受けるのは遠慮すべきだ」とか「権利ばかり求めて何もしない老人のいかに多いことか」と言っていたなあ。「老人は若い世代の迷惑にならないことをせい」とまでも。ならばご自身(1931年生まれとのこと)も率先して年下の世代に遠慮して引退したらいいと思った。他人事のように老人イジメに加われる人はうらやましい。
話が逸れたが「今時の若いもんは~!」親爺の見本のようなのが、やはり子供に冷たくされている老父の旧友の老人・沼田(東野英治郎)。
そうじゃのう…… いまどきの若いもんの中にゃー 平気で親を殺す奴もおるもんじゃから それに比べりゃ なんぼうかましなほうか」というセリフが印象的。
唯一優しくしてくれるのが戦死した次男の妻(原節子)。
彼女は亡き夫の面影を夫の両親に見ているのだ。
東京には居づらいので熱海に行ったりあちこちたらい回しのようになり、結局尾道に帰ることに。しかし老母が体調を壊し途中の大阪で三男(大坂志郎)のところで少し休むことにするが、ここでもやはり厄介そうにされる。ただ彼はどうやら独身のようで上の二人ほどには生活に追われていないのやら、「しゃあないなあ、ま、親孝行親孝行、墓にフトンは着せられず」という様なことを言う。
結局尾道に帰ってすぐに老母は死ぬのである。(しかし「68歳」で「えらい年寄り」と言われてるのだから、この時代の人の寿命は短い。)
三男は母の死に間に合わなかった。
「墓にフトンは着せられず」と何度も言う。
葬儀の後の食卓。
老父が席を外した際の会話がなんともリアルだ。
志げ(長女/杉村春子)・・・「でも何だわねえ-
そう言っちゃ悪いけど どっちかって言えば お父さん先のほうがよかったわねえ」
幸一(長男/山村聰)・・・「ウム」
志げ・・・「これで京子でもお嫁に行ったら お父さん一人じゃやっかいよ」
幸一・・・「ウーム まァねえ」
志げ・・・「お母さんだったら東京へ来てもらったって どうにだってなるけど
ねえ京子 お母さんの夏帯あったわね? ネズミのさ-
露芝の……」
京子(未婚の次女/香川京子)・・・「ええ」
志げ・・・「あれあたし 形見にほしいの
いい? 兄さん」
幸一・・・「ああ いいだろ」
志げ・・・「それからね-
こまかいかすりの上布 あれまだある?」
京子・・・「あります」
志げ・・・「あれも欲しいの しまってあるとこ わかってる?」
京子・・・「ええ」
志げ・・・「出しといてよ」
京子・・・「ええ」
無意識のうちに老親に冷たく当る中年女を杉浦春子が好演している。その憎憎しさは特筆物。しかしいわゆる「大映ドラマ」とかに見られるようなわざとらしい演技ではなく、淡々と自然に意地悪をするのがよけいにリアルで怖い。「ああそういう人はいるなあ」と思わされる。いや「自分もこういうところがあるなあ」と身につまされる。大げさな「ありえない」演出ではないからこそそれが際立つ。
こういう「母親が死んだ哀しみ」よりも「何をもらおうか」という話になるということも現実にはありがちなことだろう。
若い次女は墓にフトン着せる気もない兄と姉の態度に憤慨している。おそらく現在の女性であれば姉が涙の乾かぬうちに「父が先に死ねばよかったのに」と言い出した時点で怒り出すのだろうが、この時代なので姉に何も言わず耐えていたのだ。
その感情を義姉(原節子)にぶちまけるシーンがある。
しかし原節子は「大人になるとそうなってくるんだ、仕方ないのだ」と言い聞かせる。親子の情愛とかが幻想でしかない事実を淡々と言い聞かせるわけだが、若い次女には酷であったろう。
いずれ彼女もあの姉のようになるのかもしれないし、そしてあの姉と兄もいずれ老親と同じ立場になるのである(祖父母が来たことで子供部屋を二人の寝床に貸さねばならないのを不満に思い、ずっとふくれている長男の息子の態度にその予感がひしひしと。そうなるまでに中年になるのを待つ必要もないかも)
この次女と原節子のシーンで既に涙腺が緩んでいたのだが、そのあとの原節子と笠智衆のシーンは泣けた。
そのシーン
(こりゃ一体何語だという字幕つき。多分スペイン語)
これでもかこれでもかと泣かせる映画・ドラマがあるが、この映画は淡々と泣かせる。そして重い映画だった。
まあしかし何でもありますなあ、
ユーチューブ。
私の好きなナツメロは
だいぶん消されたけど・・
しかし当時の予告編はいいですねー(笑)。