![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/7f/3ba043ec54290598ae88386e7ad489b1.jpg)
81年ぶりということなのでもしやスザンヌ・ランランから優勝がないのか?と思ったら案の定だった…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/9f/f14f723d4a3ad1d031c4ad1e4f5ec61e.jpg)
スザンヌ・ランラン。
久しぶりにしっかりと決勝を見た。準決勝のシャラポワーモーレスモも良かったが、「女ランボー」などと呼ばれながら、メンタルが弱く、いきなり崩れだすモーレスモがちょっと気になり、応援したかった、というのもある。相手のエナン・アーデンは小柄(と言っても167センチですぞ。参っちゃうなあ)でモーレスモに比べれば華奢。表情もあまり変えない。信じがたいまでの粘り腰。第一セットをエナンが取ったので、このまま行くか、と思いきや、ちょっとの休憩が人を変えるのか、第二セットではいきなりモーレスモが良くなり、一方エナンはだんだん悪くなった。テニスとチェスとカーリングはよく比較されるが、神経戦も重要なのだなあ、と改めて思った。
そういえば元ナンバーワンのエフゲニー・カフェルニコフ(グランドスラムは全英以外で数回優勝。シドニー五輪金)という男は悠々自適の傍ら、ポーカーの大会に出ているらしい。彼はポーカーフェイスな上に非社交的で気難しく、毒舌家。しかし面白い男だった…!
カフェルニコフーウィキペディア
モーレスモの勝った後の表情は非常に良いものがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/a2/24be582e17616541a9d96c1325640669.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/da/f6115aae6e260813c025bc80a05df169.jpg)
おめでとうございます。
実はスザンヌ・ランランの時代には日本にも男子テニスのトップランカーがいた。女子では伊達公子の4位(1995年11月)が最高位だが、男子では1933年に佐藤次郎が3位になっている。しかしこの佐藤氏は絶頂期に船から投身自殺をしている。彼に関する本が文春文庫から出ていたけれど、今は絶版、中古ではあるようですが。
さらば麗しきウィンブルドン
その次がスザンヌ・ランランの同時期の選手清水善造の4位(1921年)この人は確か欽ちゃんファミリーの清水善三という人の親類か何かだったと思います。
松岡修造は最高位が46位だったようです。(松岡修造ーウィキペディア)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/9f/f14f723d4a3ad1d031c4ad1e4f5ec61e.jpg)
スザンヌ・ランラン。
久しぶりにしっかりと決勝を見た。準決勝のシャラポワーモーレスモも良かったが、「女ランボー」などと呼ばれながら、メンタルが弱く、いきなり崩れだすモーレスモがちょっと気になり、応援したかった、というのもある。相手のエナン・アーデンは小柄(と言っても167センチですぞ。参っちゃうなあ)でモーレスモに比べれば華奢。表情もあまり変えない。信じがたいまでの粘り腰。第一セットをエナンが取ったので、このまま行くか、と思いきや、ちょっとの休憩が人を変えるのか、第二セットではいきなりモーレスモが良くなり、一方エナンはだんだん悪くなった。テニスとチェスとカーリングはよく比較されるが、神経戦も重要なのだなあ、と改めて思った。
そういえば元ナンバーワンのエフゲニー・カフェルニコフ(グランドスラムは全英以外で数回優勝。シドニー五輪金)という男は悠々自適の傍ら、ポーカーの大会に出ているらしい。彼はポーカーフェイスな上に非社交的で気難しく、毒舌家。しかし面白い男だった…!
カフェルニコフーウィキペディア
モーレスモの勝った後の表情は非常に良いものがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/a2/24be582e17616541a9d96c1325640669.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/da/f6115aae6e260813c025bc80a05df169.jpg)
おめでとうございます。
実はスザンヌ・ランランの時代には日本にも男子テニスのトップランカーがいた。女子では伊達公子の4位(1995年11月)が最高位だが、男子では1933年に佐藤次郎が3位になっている。しかしこの佐藤氏は絶頂期に船から投身自殺をしている。彼に関する本が文春文庫から出ていたけれど、今は絶版、中古ではあるようですが。
さらば麗しきウィンブルドン
その次がスザンヌ・ランランの同時期の選手清水善造の4位(1921年)この人は確か欽ちゃんファミリーの清水善三という人の親類か何かだったと思います。
松岡修造は最高位が46位だったようです。(松岡修造ーウィキペディア)