当時の真田家の勢力圏はどこだったかというと、長野県の上田市から群馬県沼田市の間、現在の国道144号145号沿いです。そこで今日は上田からスタートして沼田に向かうルートを取りました。

今日の第一関門は上田城。上田駅から700mくらいしか離れてないのでウォーミングアップにもなりゃしませんでしたが。上田の町は真田丸一色で、あちこちに赤い幟が立っています。
当時の上田城は関ヶ原の合戦後に破壊されており、現在の上田城を建てたのは仙石忠政なんですが、真田とは知名度が違いすぎてスルーされまくってるのがちょっと気の毒に思えます。センゴクで逆転・・・は無理か。

上田城跡といっても、市内にある城跡の常でほぼ公園になっており、お城っぽさを感じるのはこの櫓くらいでした。奥に行けば他の櫓なんかもあるようでしたが、時間も無いので次に行くことにします。

次に訪れたのは砥石城。劇中では第二次上田合戦における信幸・信繁兄弟の対峙シーンがあった城ですが、武田信玄が村上義清に敗れた「砥石崩れ」の舞台としても有名です。

登山口にこんな石碑が。実際なかなか厳しい山道らしく、SPDシューズで登っていい場所ではないようです。

ちょっとだけ登ると、砦っぽいものが出て来ました。ショボくみえますが、山の中にこれがあると攻城兵器も持ってこれないし結構防御力高いのかも。これ以上は道がさらに険しくなりそうなのでやめておくことにしました。

そこからは上田の町が一望できました。こうして戦況が把握しやすいのが山城の利点ですね。
次に向かうのは真田本城。こんなネーミングでありながら真田氏の本拠地であったかどうか不明らしいのですが、付近の山城群を束ねる指揮所だったといわれているようです。

この真田本城、先ほどの砥石城に比べると山が低く、頂上近くまで舗装道路が続いており、登山的な要素は全く無し。自転車用シューズでも問題なく見学できます。

真田本城の南側はこんな緩斜面で、城単体での防御力は低そうです。右端に見える馬の背のような山が砥石城で、あちらとの連携がキモだったのでしょう。
これで長野県側のお城はおしまい。次は群馬県に向かいます。

国道144号を走り県境の山に入るとポツポツ紅葉が見られました。ただカラマツが多いらしくほとんどが黄色系です。


県境の鳥居峠に到着。特に景色がいいわけでもないのでさっさと次に行くことにします。

吾妻側沿いを下っていくと、所々いい感じの光景がありました。鉄橋に電車が通ると絵になるかと思ったのですが、そう都合よく来てはくれませんね。

お昼は群馬大津駅の近くにある村上家釜めしへ。釜飯専門というわけではなく、地元人と思しき人達は普通の定食を頼んでいましたが、せっかくなので釜飯を注文。味はなかなかよかったのですが、出てくるまで少し時間がかかったのが難点でしょうか・・・

お店を出てさらに東に走ると、吾妻渓谷に差し掛かります。

ここは紅葉の名所ですが、八ツ場ダムの工事が進んでおり、下に見える道はことごとく通行止めになっていました。

この正面辺りがダムの堰堤になる場所。鉄橋の辺り、いい感じの渓谷なのでダムに沈むのはもったいないですね。
下に行く道を探してみようかとも思いましたが、今日は真田丸のお城優先で、ここで時間をあまり使いたくない。未練はありましたが、次の目標である岩櫃城に向かうことにします。

JR郷原駅から、岩櫃山がよく見えました。岩櫃城があったのは山の東側、この写真で言うと右のほうです。

郷原駅前にあった案内板がなかなか親切で解りやすかったです。なるほど、群馬原町駅の手前で北へのわき道にそれて、山の北東の登山口にいけば城跡が近いようです。

正直ナメていたのですが、登山口に向かう道がなかなか厳しいヒルクライムコースでした。傾斜10%くらいは当たり前に出てきます。

登山口に到着し、ここからは歩きになります。登るかどうか少し悩んだのですが、さほど厳しい道では無さそうだったので登ってみることに。

・・・とおもってたら、結構急な道が出て来ました。

結局難所といえる場所は無く、登山口から15分ほどで本丸跡に到着。SPDシューズでも問題なく登れましたが、SPD-SLだとちょっと辛いかも。

本丸跡といっても大して広くはなく、この写真に写ってる範囲がほぼすべて。当時の真田家が動かせる兵力はさほど多くなかったでしょうけど、こんなもので足りたのでしょうか?
この岩櫃城、『真田丸』だとそれほどクローズアップされませんが、池波正太郎の『真田太平記』では真田昌幸の本拠地として扱われ、悪巧みのほとんどはこの城で行われています。なので、多少無理してでも見ておきたい城でした。
さて、ここから沼田までは30kmほどですが、そろそろ日没が心配になって来ました。途中にあるロックハート城を完全スルーして先を急ぎます。

そしてやってきた沼田城址公園。ところがこちら、城の遺構的なものが何も残っていないただの公園でした。上田城も似たようなものですが、あちらは櫓などで城跡っぽさを演出しているのに対し、こちらは何も無し。
『真田丸』で追い風が吹いているのに観光客っぽい人がほとんどいなかったのも納得です。これじゃ人はこないでしょ。
というわけでさっさと次にいきましょう。そろそろ暗くなってきた。

本日最後のスポット、名胡桃城。すっかり夜になってしまいました。
この城はもともと沼田城の支城にすぎませんが、豊臣秀吉による沼田裁定(沼田城を北条、名胡桃城を真田の領地と定めた)、そしてその後1年もたたぬうちに北条がこの城を攻め落とし、秀吉による北条征伐を招いたことで著名になりました。
北条はなぜそんな秀吉の顔に泥を塗るような真似をしたのか?いろいろ説はあるのですが、『真田丸』では秀吉をナメていた北条氏政が、名胡桃城から沼田の様子が筒抜けになってしまうのを嫌って積極的に奪う命令を下しています。では実際にどうか見てみましょう。

おっと、暗くて城までは解らないけど、確かに沼田の市街地は丸見えです。こりゃ軍事行動起こせば筒抜けでしょうね。そりゃ氏政さんキレますわ。
今年はトランプ大統領の誕生が決まるわ、イギリスがEU離脱を決めるわ、波乱含みの年です。ひょっとしたら今年は豊臣にも逆転勝利の眼があるかもしれません。残り話数も少ないですが、目指すは唯一つ家康の首。おのおの、ぬかりなく視聴することといたしましょう。


*記事を書いたのは米大統領選後ですが、記事の日付は走った日にあわせて11月6日にしています