アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

上杉謙信のこと

2023-10-07 06:00:00 | つれづれ

歴史モノが大好きな小生、NHKの歴史探偵は毎週録画しながら楽しんでいる。というのも、お気に入りの渡邊佐和子アナが出ていることもあるんだが・・・

 

 10月4日の放送では、上杉謙信を取り上げていた。上杉謙信の名前を知らない方はいないだろうが、ライバル武田信玄と比べ、大河等でもイマイチ影が薄い。

 そんな中でコンパクトながらよくまとまっていた印象だ。手取川の戦いで織田軍を一蹴した上杉謙信だが、その件はドラマなどではあまり取り上げられないが、ここでは取り上げていた。

 

 ただ、上杉謙信の(後から見ての)限界は、兵農分離をしなかったことであった。有名な川中島の戦いでも、双方決着がつかなかったが、そこに要因のひとつがある。

 このことは長期に渡る戦いや長距離の遠征には不利で、領土欲の淡泊さもそこにポイントがあったのかも・・・と。

 

 さて、そんな上杉謙信の経済的な基盤となったもので、佐渡の金銀開発や上布の販売といったものが取り上げられていたが・・・

 石見銀山から精錬法が伝わり、佐渡での銀も飛躍的に増えたことなどが紹介されていた。その中で、当時の日本の銀の産出量が世界の1/3になっていたことを紹介していた。

 

 このことは、この時代の歴史にお詳しい方には常識で、この状態が江戸時代まで続き、世界に大量に輸出されていた。

 ここで多くの読者に問いたい・・・江戸時代の銀の輸出量は、世界史で習ったメキシコの銀を上回っていた。にも関わらず、鎖国してたの? と。

 

 そう、日本からの輸出入は朝鮮・中国・オランダに限定されていたが、そこを経由して世界とつながっていた。

 つまり当時の日本人には鎖国しているという意識はなかったのだ。と小生もゼミで教わった。とすると開国という言葉は極めて不自然で、鎖国してないのに開国? と。くわしくはこちらで・・・

 

 話を戻そう。歴史にタラレバはタブーだが、上杉謙信は武田信玄とともに、戦国最強と謳われた一人だ。

 「上杉謙信に天下を取るチャンスはなかったのか」と番組でも取り上げていた。武田信玄同様に、上杉謙信も急死した、このことが・・・と紹介していた。

 

 戦国武将の多くの死因が不詳な中、古くから上杉謙信だけは、ほぼ間違いなく脳卒中だろうと言われていた

 様々な文献から高血圧が類推されていて、塩分過多だったことも判明している様子。最近は別の死因も取りざたされているようだが・・・

 

 いずれにしろ、もう少し健康管理に気を付けていれば・・・と。これもタラレバだが、結局のところ「ケンシン(健診)」が足りなかったのかと。って・・・それだけが言いたかったのか(汗)

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