5月1日(日)~2日(月)
以前のブログで書いた父の青春を辿る旅をやっと実行できました。
両親とも外出を億劫がり、また衰えが目立つ年齢になりましたが、
今回は何とか楽しんでくれたようです。
父は昭和19年に鹿児島の第七高等学校造士館に入学、その後空襲で学校が焼けたりした中、3年後に卒業しています。今回、同窓会名簿を見せてくれましたが、同級生には俳優の故天本英世氏や作家の故飯干晃一氏、その他有名企業の役員等のお名前がありました。
そんな中、一地方公務員として過ごした父も、やはり学生時代を過ごした土地への想いが強いことを今回いくつかの場面で見ることができました。
朝、7:30に直方の実家に両親を迎えに行き出発、嫁と娘も同行です。
鞍手ICから高速に乗り、鹿児島北ICまで。途中SA,PAに寄りつつ、さほど混んでいない高速の旅は快適でした。
12時過ぎに鹿児島北ICを出て、最初の目的地は第七高等学校造士館のあった鶴丸城跡。今は黎明館という資料館が建っています。
駐車場に車を入れ、向かいますが、父の脚が速くなっていました。
ただ、当時の校舎の面影などはまるでなく、残るのはいくつかの碑と

お堀にかかる橋とそれにつながる石段。
それでも、それを眺めつついろいろな想い出を語っていました。
お堀に沿って私学校跡から薩摩義士の碑へ向かうと、地元ボランティアの観光ガイドの方に声を掛けていただきました。
父が七高出身であることを伝えると大変驚かれ、またそこで父が想い出話を披瀝することに。
まぁ、父にとっても楽しい時間だったようです。
その後、黎明館の中に少しだけ展示してある七高の歴史にも、じっと見入っていました。
2時間半ほどを過ごした後、仙巌園へ。
ここで昼食。歯も弱くなり、食も細くなってきた父でしたが、鰻丼を注文し完食。これにはちょっと驚きました。母は鹿児島の郷土料理が並ぶ磯定食。私と嫁は鶏飯。

若い娘は揚げ物で。

仙巌園内の潮香亭、黄砂に煙るのが残念でしたが、窓越しの桜島の景色もよかったです。

食後に仙巌園を散策。ただ、鶴丸城跡と仙巌園、2箇所でそれなりに歩いたので両親も疲れた様子。そこからは宿に向かうことにしました。
宿は毎度の霧島、旅行人山荘。到着は18:00前。
部屋で少しゆっくりして、18:45からは予約しておいた貸切露天風呂。
両親はバリアフリーの鹿の湯。
嫁と娘はひのきの湯へ。
鹿の湯は硫黄泉で、特に温泉など久しぶりの父もゆっくり温まったようです。
その後、ビールを飲みつつ夕食。二人ともほぼ完食していました。

部屋に戻ると疲れが出たのか、父は早めに就寝。
私もビールと焼酎がまわり、いつの間にか寝ていました。
嫁と娘は夜、大浴場を堪能したようです。
翌朝、私は早く目覚め朝ラン。終了後、新聞をもらって部屋に戻ると皆起きていました。
私と嫁、娘はそれぞれ大浴場で朝風呂。その後マッサージ機(無料!)で15分揉み解してもらいました。
8時からの朝食、両親もしっかり食べて、9時半過ぎにホテルを出ました。
ホテルの前には石造りの郵便ポスト。3度目ですが初めてじっくり見ました。
今日は霧島神宮から。残念ながら本殿は修復工事中でしたが、しっかり参拝。
ここで昨日から母が事あるごとに言っていた、かるかん饅頭を蒸気屋で発見。
しっかり買い込んでいました。
ここからどこに向かおうかと悩みましたが、早めに帰宅した方が疲れも少ないだろうと小林ICを目指すことにしました。
途中、新燃岳を遠くから眺め、
えびの高原で足湯、
途中のきれいな池、
生駒高原のポピーなどを楽しんで、小林ICから高速へ。
遅い昼食はえびのSAで摂って、SAを梯子しつつ帰るつもりでした。
ところが、北熊本SAを出て順調に走っていたところ、しばらくすると久留米~筑紫野間事故渋滞10kの掲示が。
しばらく行くと太宰府ICまでの所要時間2時間と。
これを見て、即久留米で高速を下りることを決定。
冷水峠経由で直方まで帰ってきました。早く到着する予定が結局20時ごろに。
でもいい旅行でした。両親が楽しんでくれたことが何よりです。
以前のブログで書いた父の青春を辿る旅をやっと実行できました。
両親とも外出を億劫がり、また衰えが目立つ年齢になりましたが、
今回は何とか楽しんでくれたようです。
父は昭和19年に鹿児島の第七高等学校造士館に入学、その後空襲で学校が焼けたりした中、3年後に卒業しています。今回、同窓会名簿を見せてくれましたが、同級生には俳優の故天本英世氏や作家の故飯干晃一氏、その他有名企業の役員等のお名前がありました。
そんな中、一地方公務員として過ごした父も、やはり学生時代を過ごした土地への想いが強いことを今回いくつかの場面で見ることができました。
朝、7:30に直方の実家に両親を迎えに行き出発、嫁と娘も同行です。
鞍手ICから高速に乗り、鹿児島北ICまで。途中SA,PAに寄りつつ、さほど混んでいない高速の旅は快適でした。
12時過ぎに鹿児島北ICを出て、最初の目的地は第七高等学校造士館のあった鶴丸城跡。今は黎明館という資料館が建っています。
駐車場に車を入れ、向かいますが、父の脚が速くなっていました。
ただ、当時の校舎の面影などはまるでなく、残るのはいくつかの碑と


お堀にかかる橋とそれにつながる石段。
それでも、それを眺めつついろいろな想い出を語っていました。
お堀に沿って私学校跡から薩摩義士の碑へ向かうと、地元ボランティアの観光ガイドの方に声を掛けていただきました。
父が七高出身であることを伝えると大変驚かれ、またそこで父が想い出話を披瀝することに。
まぁ、父にとっても楽しい時間だったようです。
その後、黎明館の中に少しだけ展示してある七高の歴史にも、じっと見入っていました。
2時間半ほどを過ごした後、仙巌園へ。
ここで昼食。歯も弱くなり、食も細くなってきた父でしたが、鰻丼を注文し完食。これにはちょっと驚きました。母は鹿児島の郷土料理が並ぶ磯定食。私と嫁は鶏飯。


若い娘は揚げ物で。

仙巌園内の潮香亭、黄砂に煙るのが残念でしたが、窓越しの桜島の景色もよかったです。

食後に仙巌園を散策。ただ、鶴丸城跡と仙巌園、2箇所でそれなりに歩いたので両親も疲れた様子。そこからは宿に向かうことにしました。
宿は毎度の霧島、旅行人山荘。到着は18:00前。
部屋で少しゆっくりして、18:45からは予約しておいた貸切露天風呂。
両親はバリアフリーの鹿の湯。

嫁と娘はひのきの湯へ。
鹿の湯は硫黄泉で、特に温泉など久しぶりの父もゆっくり温まったようです。
その後、ビールを飲みつつ夕食。二人ともほぼ完食していました。

部屋に戻ると疲れが出たのか、父は早めに就寝。
私もビールと焼酎がまわり、いつの間にか寝ていました。
嫁と娘は夜、大浴場を堪能したようです。
翌朝、私は早く目覚め朝ラン。終了後、新聞をもらって部屋に戻ると皆起きていました。
私と嫁、娘はそれぞれ大浴場で朝風呂。その後マッサージ機(無料!)で15分揉み解してもらいました。
8時からの朝食、両親もしっかり食べて、9時半過ぎにホテルを出ました。
ホテルの前には石造りの郵便ポスト。3度目ですが初めてじっくり見ました。
今日は霧島神宮から。残念ながら本殿は修復工事中でしたが、しっかり参拝。
ここで昨日から母が事あるごとに言っていた、かるかん饅頭を蒸気屋で発見。
しっかり買い込んでいました。
ここからどこに向かおうかと悩みましたが、早めに帰宅した方が疲れも少ないだろうと小林ICを目指すことにしました。
途中、新燃岳を遠くから眺め、

えびの高原で足湯、
途中のきれいな池、

生駒高原のポピーなどを楽しんで、小林ICから高速へ。
遅い昼食はえびのSAで摂って、SAを梯子しつつ帰るつもりでした。
ところが、北熊本SAを出て順調に走っていたところ、しばらくすると久留米~筑紫野間事故渋滞10kの掲示が。
しばらく行くと太宰府ICまでの所要時間2時間と。
これを見て、即久留米で高速を下りることを決定。
冷水峠経由で直方まで帰ってきました。早く到着する予定が結局20時ごろに。
でもいい旅行でした。両親が楽しんでくれたことが何よりです。
前回の防府、お母さんとご一緒でしたね。
幸せなことに私も、嫁の方も両親健在です。
ただ、私がこちらに転勤になり、会う機会が減ったことでいろいろと考えることが多くなりました。帰って会えるときはその時間を大切にしたいと思っています。
嫁にもその時間をもたせることができればと。
そのためにも日常を大切に、ですね。
できるときが限られてきたので、できる限りと思っていますが・・・
そのためにも楽しみつつ、しっかり生活していかねば(笑)。