こちらも復刻シリーズで、2002年6月にエコパで行なわれた、イングランド対ブラジルのレビューです。ブログ登録日は当時の日程にあわせています。(2010.6.4)
事実上の決勝戦とも謳われるイングランド対ブラジルの戦いが静岡スタジアムにて実現した。ワールドカップでの対決は1970年以来32年ぶりとのこと。死のF組を勝ち抜いてきたイングランド、韓国ラウンドで圧倒的な攻撃力を見せ付けてきたブラジル。しかし待てよ……人気の2チームであるものの、誰が彼らを優勝候補と予想していただろうか。
それはさて置き、話は前後するが“特別”取材班が乗り込んだ東京からの新幹線はまたもや大変なサポーター列車となった。しかもイギリス人の多いこと。隣に座った40代とみられるイギリス人(ロンドン在住、マンチェスターのサポ)は、この試合のために急遽来日。なんと試合の2日前に日本行きを決意したとのこと。この試合のみ観戦して、すぐに帰国するそうだ。物腰は紳士だが、ビールがぶ飲み、行動は軽く、さすが母国だと敬意を払っておこう。結局新幹線で会ったのは次から次へと現れるイングランド人ばかりであった。
では、ここで「母国」の奥深さの一端を紹介してみよう。ワールドカップ中すべてのイングランドの試合会場の近くで運営されていた「フットボール・サポーター大使館」という活動がある。これは英国で組織されている「サポーター協会」が出張してきているもので、「Free Lions」という豪華カラー16pの無料冊子をイングランドの代表戦ごとに作成配布することを中心に、サポーターへの情報提供と観戦の手助けを行っている。中心メンバーのKevin Miles 氏(ニューカッスルのサポ)は、ワールドカップの準備のために何度も極秘裏に来日。そんな努力もあって、Free Lions は無事に日本でも印刷刊行されたのだ。この日は新幹線の玄関口は掛川の仮設大使館で配布さていた。彼らの特徴のひとつは、独立組織であるということで、それゆえ彼ら自身にもチケットの割り当てはない。女性スタッフの Rachel(リーズのサポ、教え子に"I hate ManU"の歌を教えたわという先生)はチケットを入手できたのか気に掛かる。
一方、ブラジルのサポーターはというと、掛川駅から乗り換えた東海道線に山ほどのカナリア色のユニフォーム。どこから湧いてきたのかブラジル人の集団である。しかも鳴り物つきで大騒ぎ。浜松を中心に静岡もブラジル人が多い土地柄ゆえ、旅行者、在住者ともにセレソンの姿を待ちわびる。顔立ちから日系人と思われるブラジル・サポーターが多いのも印象的である。
「世紀の一戦」は快晴の静岡スタジアムで、15:30にキックオフ。多少カラッとした風が感じられるものの、30度に達しようという気温がどうプレイに影響をおよぼすか注目だ。“特別”取材班の座席はブラジル・サイドのゴール真裏の前から5列目。しかし全体的にはイングランド・サポーターおよび「日系ベッカム(またの名を「なんちゃってベッカム」)」の中に、何グループかに分かれたブラジル人が位置する様子。なお目が届く範囲では、ゴール裏といえども傍若無人のサポーターはおらず互いに調和した観戦模様。
さて、試合が動いたのは前半23分、イングランドのへスキーから前線に放り込まれたロングパスにオーウェンが反応。ブラジルDFが一旦は追いつくもクリアしきれず、ボールはオーウェンへ、そのまま独走。ドリブルからキーパーの動きを2度3度と確認してシュート。脳裏に刻まれた前回大会のアルゼンチン戦での伝説のゴールを彷彿とさせるスピードに乗った見事なゴールである。イングランド先制。イングランド・サポ、大歓声。ブラジル・サポ、沈黙。
しかし、試合内容は全体的に低調となった。暑さのためか期待されたベッカム対ロベカルのサイド対決も自重しあう形。そんななかでの前半の終了間際、中盤のこぼれ球がイングランド右サイドへ。ベッカムとブラジルDF2人が競り合う。華麗にジャンプしてタックルをよけるベッカム。ブラジル陣内深くではあるものの、いやなボールの取られ方だ。「体で止めないと」と思わず大声が出る。そしてボールはロナウジーニョへ。爆発的なドリブル開始。フェイントを2度3度と入れ、リバウドのゴールを生み出す。結局、後半早々にロナウジーニョはフリーキックをねじ込み(運もあったが)、彼自身が退場になりながらもブラジルは2-1のスコアで逃げ切る。10人になった後のブラジルは完璧だった。マイボールをしっかりキープし、疲れもあったイングランドに手も足も出させない時間をつくったのは勝利へのひとつの理想の完成である。
ベスト4へ、というイングランドと日本の合同の夢は、数え切れないほど多くのベッカム・ヘアを残して終わった。太陽が西の空に沈もうとしている。スタジアムにはブラジリアンの歓喜のリズムと、暖かいイングランド・サポーターの声は、いつまでも途絶えることがなかった。
事実上の決勝戦とも謳われるイングランド対ブラジルの戦いが静岡スタジアムにて実現した。ワールドカップでの対決は1970年以来32年ぶりとのこと。死のF組を勝ち抜いてきたイングランド、韓国ラウンドで圧倒的な攻撃力を見せ付けてきたブラジル。しかし待てよ……人気の2チームであるものの、誰が彼らを優勝候補と予想していただろうか。
それはさて置き、話は前後するが“特別”取材班が乗り込んだ東京からの新幹線はまたもや大変なサポーター列車となった。しかもイギリス人の多いこと。隣に座った40代とみられるイギリス人(ロンドン在住、マンチェスターのサポ)は、この試合のために急遽来日。なんと試合の2日前に日本行きを決意したとのこと。この試合のみ観戦して、すぐに帰国するそうだ。物腰は紳士だが、ビールがぶ飲み、行動は軽く、さすが母国だと敬意を払っておこう。結局新幹線で会ったのは次から次へと現れるイングランド人ばかりであった。
では、ここで「母国」の奥深さの一端を紹介してみよう。ワールドカップ中すべてのイングランドの試合会場の近くで運営されていた「フットボール・サポーター大使館」という活動がある。これは英国で組織されている「サポーター協会」が出張してきているもので、「Free Lions」という豪華カラー16pの無料冊子をイングランドの代表戦ごとに作成配布することを中心に、サポーターへの情報提供と観戦の手助けを行っている。中心メンバーのKevin Miles 氏(ニューカッスルのサポ)は、ワールドカップの準備のために何度も極秘裏に来日。そんな努力もあって、Free Lions は無事に日本でも印刷刊行されたのだ。この日は新幹線の玄関口は掛川の仮設大使館で配布さていた。彼らの特徴のひとつは、独立組織であるということで、それゆえ彼ら自身にもチケットの割り当てはない。女性スタッフの Rachel(リーズのサポ、教え子に"I hate ManU"の歌を教えたわという先生)はチケットを入手できたのか気に掛かる。
一方、ブラジルのサポーターはというと、掛川駅から乗り換えた東海道線に山ほどのカナリア色のユニフォーム。どこから湧いてきたのかブラジル人の集団である。しかも鳴り物つきで大騒ぎ。浜松を中心に静岡もブラジル人が多い土地柄ゆえ、旅行者、在住者ともにセレソンの姿を待ちわびる。顔立ちから日系人と思われるブラジル・サポーターが多いのも印象的である。
両雄準備万端(クリックで大きな画像が見られます) |
「世紀の一戦」は快晴の静岡スタジアムで、15:30にキックオフ。多少カラッとした風が感じられるものの、30度に達しようという気温がどうプレイに影響をおよぼすか注目だ。“特別”取材班の座席はブラジル・サイドのゴール真裏の前から5列目。しかし全体的にはイングランド・サポーターおよび「日系ベッカム(またの名を「なんちゃってベッカム」)」の中に、何グループかに分かれたブラジル人が位置する様子。なお目が届く範囲では、ゴール裏といえども傍若無人のサポーターはおらず互いに調和した観戦模様。
さて、試合が動いたのは前半23分、イングランドのへスキーから前線に放り込まれたロングパスにオーウェンが反応。ブラジルDFが一旦は追いつくもクリアしきれず、ボールはオーウェンへ、そのまま独走。ドリブルからキーパーの動きを2度3度と確認してシュート。脳裏に刻まれた前回大会のアルゼンチン戦での伝説のゴールを彷彿とさせるスピードに乗った見事なゴールである。イングランド先制。イングランド・サポ、大歓声。ブラジル・サポ、沈黙。
しかし、試合内容は全体的に低調となった。暑さのためか期待されたベッカム対ロベカルのサイド対決も自重しあう形。そんななかでの前半の終了間際、中盤のこぼれ球がイングランド右サイドへ。ベッカムとブラジルDF2人が競り合う。華麗にジャンプしてタックルをよけるベッカム。ブラジル陣内深くではあるものの、いやなボールの取られ方だ。「体で止めないと」と思わず大声が出る。そしてボールはロナウジーニョへ。爆発的なドリブル開始。フェイントを2度3度と入れ、リバウドのゴールを生み出す。結局、後半早々にロナウジーニョはフリーキックをねじ込み(運もあったが)、彼自身が退場になりながらもブラジルは2-1のスコアで逃げ切る。10人になった後のブラジルは完璧だった。マイボールをしっかりキープし、疲れもあったイングランドに手も足も出させない時間をつくったのは勝利へのひとつの理想の完成である。
ベスト4へ、というイングランドと日本の合同の夢は、数え切れないほど多くのベッカム・ヘアを残して終わった。太陽が西の空に沈もうとしている。スタジアムにはブラジリアンの歓喜のリズムと、暖かいイングランド・サポーターの声は、いつまでも途絶えることがなかった。
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