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東京来てからずっと楽しみにしていたコンサートです。
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言葉ではとても説明しきれない、素晴らしい時間であった。
時間と空間、それらが音楽となっていた。
ジョンケージ氏と共に過ごしたときもあり、図形音楽のイメージが強かったのだが割と聴きやすいものだった。
ピアノ協奏曲第6番は今日が世界初演。
禅と副題が付けられたこの曲は、まさに空間をうまく利用されていた。
音の余韻というものはこんなに美しいのか。
ピアノの特殊奏法を多用されていたが、すべてに意味があり、すべてが音楽であった
弦を押さえ打点を出す奏法はよく聴くが、それの余韻に倍音を乗せて空間が振動しているかのよう。
コンチェルトながら、スタイルとしてはショパンなどの時代に感じた。
現在のように、オーケストラとソリストが一緒に奏でるというより、オーケストラ→ソリスト→オーケストラなど対話形式であった。
ちなみにピアノ譜はほぼ図形らしい。
交響詩ベルリンは言わずと知れた名曲。
プログラムノートによれば、この作品を機に雰囲気が変わったとか。
現代音楽としては聴きやすく、はまりやすいのではないか。
この曲は本当に言葉というものでは足りないほどの衝撃であった。
とりわけ途中部分に出てくる自由なモチーフをひたすら反復される箇所は、音楽のエネルギーというものをひしひしと感じさせられた。
各楽器が指揮者の指示により、出入り、音量を変え、重なりあうことでエネルギーというものは爆発寸前まで拡大される。
メシアンのトゥーランガリア交響曲を彷彿させる打楽器の使い方。
音圧、という言葉を耳にすることがあるがここまでの圧はメシアン以来だ。
どこかで音楽は宇宙である、と聞いた記憶がある。
まさに今日は一柳慧という宇宙が広がっていた。
徐々に飲み込まれるなんて生半可なものではなく、ビトゥイーン・スペース・アンド・タイムが始まった瞬間から世界は変わった。
見たことのない世界、聴いたことのない音楽。
自分達が普段やってることなんて、一柳慧の世界からすればほんの片隅の、小さな惑星でしかなかった。
現代音楽というものはやはりやめられない。
古典音楽があるからこその現代音楽であるが、新たに産み出されるものには素晴らしき生命力が宿っている。
とりわけ一柳慧という世界は一歩入ると中々出られないようだ。