万葉集のなかでツルギタチの語があるのは次の22例である。ツルギ用字には、「釼」(13例)、「剱」(1例)、「𠝏」(3例)、「劔」(2例)、また、仮名書きで、「都流伎」(2例)、「都流藝」(1例)がある。万葉集中に枕詞とされている「剣大刀」が掛かる語としては、《a》「身に添(副)ふ」(万194・217・2637・3485)、《b》「磨ぐ」(万3326・4467)、《c》「斎ふ」(万3227)、《d》「名」(万616・2499・2984)、「己」(万1741)がある。剣や大刀は、身に添えて佩くもの、砥石を使って磨いでおくもの、大切にして斎うものであり、また、刀の刃に通じるものだからナ(名、己)にかかるとされている。以下、ツルギタチ、コマツルギ、ツルギノイケ、タチ、ヤキタチについて、その部分を原文で記して整理する。
《a》群
…… 嬬の命の たたなづく 柔膚すらを 釼刀 身に副へ寐ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ ……(万194)
…… しきたへの 手枕纏きて 釼刀 身に副へ寐けむ ……(万217)
𠝏大刀 身に取り副ふと 夢に見つ 何如なる怪そも 君に逢はせむ(万604)
釼刀 身に佩き副ふる 大夫や 恋とふものを 忍びかねてむ(万2635)
うち鼻ひ 鼻をそひつる 釼刀 身に副ふ妹し 思ひけらしも(万2637)
都流伎多知 身に副ふ妹を とり見がね 哭をそ泣きつる 手児にあらなくに(万3485)
《b》群
…… 釼刀 磨ぎし心を 天雲に 思ひはぶらし ……(万3326)
都流藝多知 いよよ磨ぐべし 古ゆ 清けく負ひて 来にしその名そ(万4467)
《c》群
…… 釼刀 斎ひ祭れる 神にし座せば(万3227)
《d》群
𠝏大刀 名の惜しけくも 吾は無し 君に逢はずて 年の経ぬれば(万616)
吾妹子に 恋ひし渡れば 釼刀 名の惜しけくも 思ひかねつも(万2499)
釼大刀 名の惜しけくも 吾は無し このころの間の 恋の繁きに(万2984)
常世辺に 住むべきものを 釼刀 己が心から おそや是の君(万1741)
そのほか、紀には、「風の声如くに大虚に呼ふもの有りて曰はく、「劒刀太子王や」といふ。」(履中紀五年九月)という、枕詞かと推量される言葉が載っている。
枕詞とされない実体を伴った例には、以下のものがある。
《e》群
釼刀 諸刃の利きに 足踏みて 死なば死ぬとも 君に依りなむ(万2498)
釼刀 諸刃の上に ゆき触れて 死にかも死なむ 恋ひつつ有らずは(万2636)
《f》群
釼 鞘ゆ納野に 葛引く吾妹 真袖もち 着せてむとかも 夏草苅るも(万1272)
…… 釼刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 如何にか吾が為む 往辺知らずて(万3240)
《g》群
…… 大夫の 心振り起こし 劔刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて ……(万478)
…… 大夫の 男子さびすと 都流伎多智 腰に取り佩き 猟弓を 手握り持ちて ……(万804)
…… 梓弓 手に取り持ちて 剱大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り ……(万4094)
…… 大夫や 空しくあるべき 梓弓 末振り起こし 投矢もち 千尋射渡し 劔刀 腰に取り佩き ……(万4164)
《h》群
虎に乗り 古屋を越えて 青淵に 鮫龍とり来む 釼刃もが(3833)
他に実体としてのツルギの例がある。
《コマツルギ》群
…… 狛釼 和蹔が原の 行宮に ……(万199)
高麗釼 わが心から 外のみに 見つつや君を 恋ひ渡りなむ(万2983)
また、地名の例がある。
《ツルギノイケ》群
御佩を 釼池の 蓮葉に ……(万3289)
刃物としてのタチには以下の例がある。万4413番歌のマクラタシは枕刀、上代東国方言である。
《タチ》群
…… 大御身に 大刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし ……(万199)
絶ゆと云はば わびしみせむと 焼大刀の へつかふことは 幸くや吾が君(万641)
焼刀の 稜打ち放ち 大夫の 禱く豊御酒に 吾酔ひにけり(万989)
…… 焼大刀の 手柄押しねり 白檀弓 靫取り負ひて ……(万1809)
…… 懸佩の 小釼取り佩き ……(万1809)
劔の後 玉纏田居に 何時までか 妹を相見ず 家恋ひ居らむ(万2245)
他国に 結婚に行きて 大刀が緒も 未だ解かねば さ夜そ明けにける(万2906)
家にして 恋ひつつあらずは 汝が佩ける 多知になりても 斎ひてしかも(万4347)
夜伎多知乎 砺波の関に 明日よりは 守部遣り添へ 君を留めむ(万4085)
麻久良多之 腰に取り佩き ま愛しき 背ろがめき来む 月の知らなく(万4413)
大夫と 思へるものを 多知佩きて かにはの田居に 芹そ摘みける(万4456)
朝夕に 哭のみし泣けば 夜伎多知能 利心も我は 思ひかねつも(万4479)
ツルギタチの《a》群の「身に副ふ」とのつながりは、《タチ》群には見られない。《b》群の「磨ぐ」とのつながりは、《タチ》群には見られない。ただし、「磨ぐ」と同根の言葉とされる「利し」は《e》群の万2498番歌、《タチ》群の万4479番歌に見られる。《c》群の「斎ひ祭る」は、《タチ》群には見られない。《d》群の「名」、「汝」とのつながりは、《コマツルギ》群に見られ、《タチ》群の方では、万4347番歌に「汝が取り佩き」から続いているものの、前置きであるから関係がないといえる。《e》群の「諸刃」はツルギに限る特徴であり、《タチ》群には見られない。《f》群の「鞘」は、タチ全般にあっておかしくないはずであるが、《タチ》群には見られない。ただし、万2245番歌の「劔の後」は鞘のことかともいわれる。《g》群の「取り佩く」とのつながりは、《タチ》群にも見られる。
以上から、タチのなかでのツルギに特徴的な言葉遣いは、身に副い、ナが重要要素で、諸刃であり、鞘が目立ち、磨ぐべきもので、斎い祭るものであるらしい。そして、特別に取り佩くものではないといえる。ツルギ(ツルキ)の語源について、「吊る+佩き」とする旧説があったが、音転に無理があるとされている。語義自体にもそぐわないものがあるといえる(注1)。
今日、枕詞と呼ばれる概念が、上代の人たちにどのようにあったか謎である。例えば、古墳に当たる上代語はツカ、ミサザキなどとあげられる。だが、枕詞に当たる上代語が何であったか不明である。落語の小噺の洒落を後から説明するのは不調法とされるから、そのレベルのことなのかもしれない。

刀二本で剣一本(直刀、奈良時代、8世紀、物打から切先、東京国立博物館研究情報アーカイブズ(http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0096105)を上代語の「ツルギ(剣)」と「タチ(大刀)」との関係を示すために加工、改変した)
剣の特徴は両刃(諸刃)にある。和名抄に解説されている。
刀 四声字苑に云はく、剣に似て一つ刃なるを刀〈都窂反、太刀は太知、小刀は賀太奈〉と曰ふといふ。
長刀 唐令に、銀装の長刀と云ひ、又、細刀と云ふ。〈之路加禰都久利乃奈加太知、細刀は保曽太知〉
短刀 兼名苑に云はく、刺刀〈能太知〉は短刀なりといふ。
剣 四声字苑に云はく、刀に似て両刃なるを剣〈挙欠反、今案ふるに僧家の持てるは是なり〉と曰ふといふ。
属鏤 広雅に云はく、属鏤〈力朱反、文選に豆流岐と読む〉は剣なりといふ。
刀と剣を一刃、両刃と対にして記されている。片刃の対語は真刃である。剣は、刀身の両方に刃がついている。刀身が「身」である。どちらから見ても、身は刃を着けている。したがって、「身に副ふ」や、「名(己)」という表現がくっついてくる。人間が「身に副ふ」から枕詞にかかっているとだけ考えるのでは、言葉としてのおもしろ味に欠ける。つまり、そのことをもって枕詞として表す必要がない。刀(片刃)の場合、身を背とすれば置いた時に刃をこぼつことはないが、剣は諸刃だから背をもたず、剥き出しはふさわしくない。必ず鞘に納める必要がある。斎い祭るべきなのは、剣の霊性、神聖性ではなく、ツルギが真刃だからである。マナとは真魚、今もまな板とよばれるマナである。適当につくろった食餌ではなく、おいしく贅沢な食事である。まず考えられるのは神さまへのお供え用に作られ飾られ、後でおろしてきて皆で食する饗の御馳走である。したがって、「斎ひ祭る」とつながりがある。御馳走のことはマウケともいう。座を設けるのである。材料を前もって各地から取り寄せ、下拵えをして入念に準備して豊明節会の宴席で供される。設けるからマウケであり、あらかじめ準備して設定しておく次の天皇のことを「儲君」という。履中紀のようにツルギタチは「太子王」を導くと考えられて然るべきなのである(注2)。
ツルギという言葉の語源を問う試みとしては、いまだに「吊る+キ(ギ)」とする説が有力とされている。武井2005.は、ツルキのキをカムロキ、スメロキ、ヒモロキのような、霊威あるもの、神聖なものを指す語尾、タチを「手+チ」として、チはイカヅチ、ノツチ、カグツチ、ミツチ、ヲロチのような、霊威あるもの、神聖なものを表す語尾と捉えている。そして、タチとツルギとは同一のものを表す場合があるから、霊威の位取りとして格別なものをツルギとしていたとする説を説いている。
語源を探ることは容易ではなく、反証の可能性を有することでもない。とはいえ、タチをタ(手)+チ(霊)と捉え、ハンドパワーを語にしているとは信じがたい。タチ(大刀)を「断ち」の意と解する従来からの説に違和感はない。長く続いているものを途中で断ち切ること全般を表す語が、動詞のタツ(断・絶・裁)である。和名抄・征戦具に「大刀」が記されるのに、実戦で敵兵の身体を切断するのに使われることが少ないとして「大刀」と「断ち」とは無関係であると考えるのには無理がある。斬首に使われたのは「大刀」であったろう(注3)。和名抄の解説において霊性のことなど一切触れられていない。形状ばかりを説明している。言葉の認識に霊性を示さないのは、そのような考えがなかったからであろう。結果的に現代人が霊性を感じるように思っているだけではないか。
和名抄にあげた最後の項目、「属鏤」が興味深い。属鏤は、呉王夫差が伍子胥に死ぬように与えたとされる名剣の名である。史記・呉太伯世家に、「子胥に属鏤之劔を賜ふ」とあり、春秋左氏伝・哀公十一年にも記事が載る。文選には、張衡の呉都賦に「属鏤を扶き揄く」とある。その「属鏤」は、「ショクルのツルギ」と文選読みされている(注4)。しかし、数ある名剣のなかで和名抄はわざわざ取り上げたのだろうか。それにはそれなりの理由、すなわち、属鏤という字面から、ツルキと訓ずべき意を読み取ったからであると思われる。属は旧字に屬、尾+蜀、牝牡相連なることを示す。説文に、「属 連なるなり、尾に从ひ蜀声」、また、「鏤 剛鉄なり、以て刻み鏤る可し。金に从ひ婁声。夏書に曰く、梁州、鏤を貢ぐといふ。一に曰く、鏤釜なりといふ」とあって、はがねのことを指す。したがって、属鏤は固有名詞のはずであったが、刃が刀身のまわりを連なっている剣の様子をよく捉えた字面になっているのである。少なくとも源順はそう認めたから和名抄に載せていると思われる。すなわち、連なるのツルと、牙のキの意、それがツルキである。
左:剣(さきたま稲荷山古墳出土金象嵌銘鉄剣復元品、「工芸文化研究所」(http://kougei-bunka.org/restore.html)様)、右:チェーンソー(「リョービ株式会社(https://www.ryobi-group.co.jp/)」様、2018年に京セラ株式会社へ事業譲渡)
牙は仮名書きの例がなく、キ音の甲乙は未詳とされている。岩波古語辞典では「ki」(357頁) と甲類扱いしてあるものの、時代別国語大辞典、白川1995.では甲乙不明とする。ただし、白川氏は「「きさ[象]」の「き」はあるいは「牙」の意であろう」(268頁)と言い、また、「「きさ」とは象牙の文理をいう語であったかも知れない。」、「「牙」が「木」と同根ならば[キは]乙類である。」(同頁)、「牙と芽との関係は、牙と芽すとの関係に同じ。両者類想の語である。」(266頁)としている。しかし、仮に植物にキザシがあったとしても、木にならずに「葦牙」のように草になるかもしれず、また、木の特徴を木目文様のみに還元することも難しい。
名義抄に、「牙 魚加反、キバ、キザス、ヲヒテタリ、アカラカナリ、キ、在下、禾ゲ」とある。関連しそうな語句について古文献や古辞書に使用されている漢字を示す。
キザシ 兆・牙・芽・萌・剋
キザム(キサム) 刻・銘・尅・劃・剋・刊・鏤・彫・黥
キサグ 刮
キサゲ 鐫
キル 切・断・斬・伐・割・剔・截・鋋・戮・誅・翦・鑽・燧
キリ 錐
キダ 段・分・常
キダキダ 寸
ヱル 雕・琱・鐫・剜・刻・鏤
ウカツ(ウガツ) 穿・鑽・貫・穴・掘・鑿
ケヅル 削・刮・梳・劂・剔・剽・剥・斬・銛・省・刻
クジル 抉・挑・剜・掘・鑽・削
コズ 抉・掘
このうち、キサグ、キル、キダ、キダキダについては仮名書きがあり、キは甲類である。名詞形のキサゲ、キリも同じである。枕詞タマキハルのキは甲類で、「霊尅」(万897)、「玉切」(万678)と書かれ、「年切」(万2398)という語から、キハルは刻の意かとされている。
記上に、「𧏛貝比売きさぎ集めて」とある。𧏛は字書に見えない字であるが、和名抄に、「蚶 唐韻に云はく、蚶〈乎談反、弁色立成に岐佐と云ふ〉は蚌の属、状は蛤の如く円くて厚し、外に理の縦横に有り、即ち今の魽なりといふ。」とある。石に張り付いた大穴牟遅神をこそげ取るために派遣されたと考えられている。掻きこそぎ削る意味の「刮ぐ」のキは、記に「岐佐宜集而」とあって甲類である。音の洒落を利かせていると考えられるので、アカガイを表す蚶のキも甲類であろう。
和名抄には、「橒 唐韻に云はく、橒〈音雲。漢語抄に云はく、岐佐といふ。或説きて、岐佐は蚶の和名也、此れ木の文と蚶貝の文と相似れり。故、名を取るとととく。今案ふるに和名は義を取りて相近し。以て此の字を木の名と為。未だ詳らかならず。〉は木の文也といふ。」とある。また、「象 四声字苑に云はく、𤉢〈祥両反、上声の重、字は亦、象に作る、岐佐〉は獣の名、水牛に似て大き耳、長き鼻、眼細く、牙長き者なりといふ。」とある。同じキサに、象・木目・蚶貝の三者がある。象牙は文目が目立ち、アカガイの殻も縦横の文目が特徴的である。本邦に elephant が知られたわけではなく、象牙と歯の化石が知られていた。他に、毛羽立っていることがあるのも共通点である。したがって、キサのキはいずれも甲類と定められる。
象のキは、牙の意と捉えて間違いないであろう。鋭利な牙状のものによって刮ぎ、その文様が橒になっている。よって、牙のキも甲類であろう。同様に、牙状のもので「刻む」のキも甲類らしい。「刻む」のキザは、「階」のキザであり、細かく線を加え、「段」をつけること、また、入墨することをいう。「段」のキも甲類である。「寸」は、遊仙窟の訓にキザキザともある。「兆」についても、「牙+サシ」と解されており、キは甲類であろう。
新撰字鏡に、「鏤 力豆反、刻也。益也。蓋し金の知利波女」、名義抄に、「鏤 上漏、キザム、ヌル、ホリハム、チリバム、ヱル、ツルギ、又音楼、又趨?」とある。名詞としては、透かすように彫ることができるほど、先端が鋭利な金属製のものを指しているように思われる。したがって、属鏤は、たくさんの鋭利な牙が連なっているさま、剣の、かます切っ先の様子が復元されたことになる。カマスの口のようにたくさん歯(刃)が並んで連なりついていて、どこでも刃なのである。見た目、これほどこわいものはない。
以上、ツルギタチという語、ならびに、ツルキ(ギ)について見てきた。ツルキ(ギ)のキ(ギ)は甲類で、牙(キは甲類)が連なっている様をもってツルキ(ギ)という語は形成されていると考証した。どこでも刃なるものが剣の本性であるとの理解が、ツルキ(ギ)という語として人々の間に認められていた。言葉は共有されてはじめてコミュニケーションのツールとなる。無文字文化の人が言葉を知るには、その言葉について、なるほどと納得行くことが条件である。共通認識が言葉を支えている。はじめて double-edged sword を目にした人が、それは何だと問うたとき、これはツルキ(ギ)というものだ、牙がつるつるつるんで連なっているだろうと言った時、聞いた人がああ、そうか、と悟ることによって言葉は言葉として定まり、広がって行ったのだろう。
(注)
(注1)ツルギは、権力の象徴として玉・鏡とともにあげられるものであった。紀では「……、予め五百枝の賢木を抜じ取りて、九尋の船の舳に立てて、上枝には白銅鏡を掛け、中枝には十握剣を掛け、下枝には八尺瓊を掛けて、周芳の沙麼の浦に参迎ふ。」(仲哀紀八年正月)、「……五百枝の賢木を抜じ取りて、船の舳艫に立てて、上枝には八尺瓊を掛け、中枝には白銅鏡を掛け、下枝には十握剣を掛けて、穴門の引嶋に参迎へて献る。」(同)とあって、キラキラ反射させて見せていたに違いない。
(注2)直接的にヒツギノミコという音へかかる理由については、拙稿「十握剣(とつかのつるぎ)を逆(さかしま)に立てる事―その上下の向きについて―」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/4ec2c366378a86884cbf153798d13a3d参照。
(注3)「即ち子麻呂等と共に、出其不意く、剣を以て入鹿が頭肩を傷りつ。」(皇極紀四年六月)、「是に、二田塩、仍ち大刀を抜きて、其の宍を刺し挙げて、叱咤びて啼叫びて、始し斬りつ。」(孝徳紀大化五年三月)とあり、実際に斬るのにタチが使われている。
(注4)中村1983.、小林1967.参照。「鏤」一字ではヱルの意だからツルギとは訓めず、「属鏤」という熟語を以てツルギと訓むとしている。
(引用・参考文献)
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
小林1967. 小林芳規『平安鎌倉時代における漢籍訓読の国語史的研究』東京大学出版会、1967年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
武井2005. 武井睦雄「「ツルギ」と「タチ」─古代刀剣名義考─」『築島裕博士傘寿記念国語学論集』汲古書院、平成17年。
中村1983. 中村宗彦『九条本文選古訓集』風間書房、1983年。
※本稿は、「剣太刀について 其の一」・「同 其の二」(2013年1月)を2017年8月に加筆、訂正し、さらに2024年5月に整理してルビ形式にしたものである。
《a》群
…… 嬬の命の たたなづく 柔膚すらを 釼刀 身に副へ寐ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ ……(万194)
…… しきたへの 手枕纏きて 釼刀 身に副へ寐けむ ……(万217)
𠝏大刀 身に取り副ふと 夢に見つ 何如なる怪そも 君に逢はせむ(万604)
釼刀 身に佩き副ふる 大夫や 恋とふものを 忍びかねてむ(万2635)
うち鼻ひ 鼻をそひつる 釼刀 身に副ふ妹し 思ひけらしも(万2637)
都流伎多知 身に副ふ妹を とり見がね 哭をそ泣きつる 手児にあらなくに(万3485)
《b》群
…… 釼刀 磨ぎし心を 天雲に 思ひはぶらし ……(万3326)
都流藝多知 いよよ磨ぐべし 古ゆ 清けく負ひて 来にしその名そ(万4467)
《c》群
…… 釼刀 斎ひ祭れる 神にし座せば(万3227)
《d》群
𠝏大刀 名の惜しけくも 吾は無し 君に逢はずて 年の経ぬれば(万616)
吾妹子に 恋ひし渡れば 釼刀 名の惜しけくも 思ひかねつも(万2499)
釼大刀 名の惜しけくも 吾は無し このころの間の 恋の繁きに(万2984)
常世辺に 住むべきものを 釼刀 己が心から おそや是の君(万1741)
そのほか、紀には、「風の声如くに大虚に呼ふもの有りて曰はく、「劒刀太子王や」といふ。」(履中紀五年九月)という、枕詞かと推量される言葉が載っている。
枕詞とされない実体を伴った例には、以下のものがある。
《e》群
釼刀 諸刃の利きに 足踏みて 死なば死ぬとも 君に依りなむ(万2498)
釼刀 諸刃の上に ゆき触れて 死にかも死なむ 恋ひつつ有らずは(万2636)
《f》群
釼 鞘ゆ納野に 葛引く吾妹 真袖もち 着せてむとかも 夏草苅るも(万1272)
…… 釼刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 如何にか吾が為む 往辺知らずて(万3240)
《g》群
…… 大夫の 心振り起こし 劔刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて ……(万478)
…… 大夫の 男子さびすと 都流伎多智 腰に取り佩き 猟弓を 手握り持ちて ……(万804)
…… 梓弓 手に取り持ちて 剱大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り ……(万4094)
…… 大夫や 空しくあるべき 梓弓 末振り起こし 投矢もち 千尋射渡し 劔刀 腰に取り佩き ……(万4164)
《h》群
虎に乗り 古屋を越えて 青淵に 鮫龍とり来む 釼刃もが(3833)
他に実体としてのツルギの例がある。
《コマツルギ》群
…… 狛釼 和蹔が原の 行宮に ……(万199)
高麗釼 わが心から 外のみに 見つつや君を 恋ひ渡りなむ(万2983)
また、地名の例がある。
《ツルギノイケ》群
御佩を 釼池の 蓮葉に ……(万3289)
刃物としてのタチには以下の例がある。万4413番歌のマクラタシは枕刀、上代東国方言である。
《タチ》群
…… 大御身に 大刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし ……(万199)
絶ゆと云はば わびしみせむと 焼大刀の へつかふことは 幸くや吾が君(万641)
焼刀の 稜打ち放ち 大夫の 禱く豊御酒に 吾酔ひにけり(万989)
…… 焼大刀の 手柄押しねり 白檀弓 靫取り負ひて ……(万1809)
…… 懸佩の 小釼取り佩き ……(万1809)
劔の後 玉纏田居に 何時までか 妹を相見ず 家恋ひ居らむ(万2245)
他国に 結婚に行きて 大刀が緒も 未だ解かねば さ夜そ明けにける(万2906)
家にして 恋ひつつあらずは 汝が佩ける 多知になりても 斎ひてしかも(万4347)
夜伎多知乎 砺波の関に 明日よりは 守部遣り添へ 君を留めむ(万4085)
麻久良多之 腰に取り佩き ま愛しき 背ろがめき来む 月の知らなく(万4413)
大夫と 思へるものを 多知佩きて かにはの田居に 芹そ摘みける(万4456)
朝夕に 哭のみし泣けば 夜伎多知能 利心も我は 思ひかねつも(万4479)
ツルギタチの《a》群の「身に副ふ」とのつながりは、《タチ》群には見られない。《b》群の「磨ぐ」とのつながりは、《タチ》群には見られない。ただし、「磨ぐ」と同根の言葉とされる「利し」は《e》群の万2498番歌、《タチ》群の万4479番歌に見られる。《c》群の「斎ひ祭る」は、《タチ》群には見られない。《d》群の「名」、「汝」とのつながりは、《コマツルギ》群に見られ、《タチ》群の方では、万4347番歌に「汝が取り佩き」から続いているものの、前置きであるから関係がないといえる。《e》群の「諸刃」はツルギに限る特徴であり、《タチ》群には見られない。《f》群の「鞘」は、タチ全般にあっておかしくないはずであるが、《タチ》群には見られない。ただし、万2245番歌の「劔の後」は鞘のことかともいわれる。《g》群の「取り佩く」とのつながりは、《タチ》群にも見られる。
以上から、タチのなかでのツルギに特徴的な言葉遣いは、身に副い、ナが重要要素で、諸刃であり、鞘が目立ち、磨ぐべきもので、斎い祭るものであるらしい。そして、特別に取り佩くものではないといえる。ツルギ(ツルキ)の語源について、「吊る+佩き」とする旧説があったが、音転に無理があるとされている。語義自体にもそぐわないものがあるといえる(注1)。
今日、枕詞と呼ばれる概念が、上代の人たちにどのようにあったか謎である。例えば、古墳に当たる上代語はツカ、ミサザキなどとあげられる。だが、枕詞に当たる上代語が何であったか不明である。落語の小噺の洒落を後から説明するのは不調法とされるから、そのレベルのことなのかもしれない。


剣の特徴は両刃(諸刃)にある。和名抄に解説されている。
刀 四声字苑に云はく、剣に似て一つ刃なるを刀〈都窂反、太刀は太知、小刀は賀太奈〉と曰ふといふ。
長刀 唐令に、銀装の長刀と云ひ、又、細刀と云ふ。〈之路加禰都久利乃奈加太知、細刀は保曽太知〉
短刀 兼名苑に云はく、刺刀〈能太知〉は短刀なりといふ。
剣 四声字苑に云はく、刀に似て両刃なるを剣〈挙欠反、今案ふるに僧家の持てるは是なり〉と曰ふといふ。
属鏤 広雅に云はく、属鏤〈力朱反、文選に豆流岐と読む〉は剣なりといふ。
刀と剣を一刃、両刃と対にして記されている。片刃の対語は真刃である。剣は、刀身の両方に刃がついている。刀身が「身」である。どちらから見ても、身は刃を着けている。したがって、「身に副ふ」や、「名(己)」という表現がくっついてくる。人間が「身に副ふ」から枕詞にかかっているとだけ考えるのでは、言葉としてのおもしろ味に欠ける。つまり、そのことをもって枕詞として表す必要がない。刀(片刃)の場合、身を背とすれば置いた時に刃をこぼつことはないが、剣は諸刃だから背をもたず、剥き出しはふさわしくない。必ず鞘に納める必要がある。斎い祭るべきなのは、剣の霊性、神聖性ではなく、ツルギが真刃だからである。マナとは真魚、今もまな板とよばれるマナである。適当につくろった食餌ではなく、おいしく贅沢な食事である。まず考えられるのは神さまへのお供え用に作られ飾られ、後でおろしてきて皆で食する饗の御馳走である。したがって、「斎ひ祭る」とつながりがある。御馳走のことはマウケともいう。座を設けるのである。材料を前もって各地から取り寄せ、下拵えをして入念に準備して豊明節会の宴席で供される。設けるからマウケであり、あらかじめ準備して設定しておく次の天皇のことを「儲君」という。履中紀のようにツルギタチは「太子王」を導くと考えられて然るべきなのである(注2)。
ツルギという言葉の語源を問う試みとしては、いまだに「吊る+キ(ギ)」とする説が有力とされている。武井2005.は、ツルキのキをカムロキ、スメロキ、ヒモロキのような、霊威あるもの、神聖なものを指す語尾、タチを「手+チ」として、チはイカヅチ、ノツチ、カグツチ、ミツチ、ヲロチのような、霊威あるもの、神聖なものを表す語尾と捉えている。そして、タチとツルギとは同一のものを表す場合があるから、霊威の位取りとして格別なものをツルギとしていたとする説を説いている。
語源を探ることは容易ではなく、反証の可能性を有することでもない。とはいえ、タチをタ(手)+チ(霊)と捉え、ハンドパワーを語にしているとは信じがたい。タチ(大刀)を「断ち」の意と解する従来からの説に違和感はない。長く続いているものを途中で断ち切ること全般を表す語が、動詞のタツ(断・絶・裁)である。和名抄・征戦具に「大刀」が記されるのに、実戦で敵兵の身体を切断するのに使われることが少ないとして「大刀」と「断ち」とは無関係であると考えるのには無理がある。斬首に使われたのは「大刀」であったろう(注3)。和名抄の解説において霊性のことなど一切触れられていない。形状ばかりを説明している。言葉の認識に霊性を示さないのは、そのような考えがなかったからであろう。結果的に現代人が霊性を感じるように思っているだけではないか。
和名抄にあげた最後の項目、「属鏤」が興味深い。属鏤は、呉王夫差が伍子胥に死ぬように与えたとされる名剣の名である。史記・呉太伯世家に、「子胥に属鏤之劔を賜ふ」とあり、春秋左氏伝・哀公十一年にも記事が載る。文選には、張衡の呉都賦に「属鏤を扶き揄く」とある。その「属鏤」は、「ショクルのツルギ」と文選読みされている(注4)。しかし、数ある名剣のなかで和名抄はわざわざ取り上げたのだろうか。それにはそれなりの理由、すなわち、属鏤という字面から、ツルキと訓ずべき意を読み取ったからであると思われる。属は旧字に屬、尾+蜀、牝牡相連なることを示す。説文に、「属 連なるなり、尾に从ひ蜀声」、また、「鏤 剛鉄なり、以て刻み鏤る可し。金に从ひ婁声。夏書に曰く、梁州、鏤を貢ぐといふ。一に曰く、鏤釜なりといふ」とあって、はがねのことを指す。したがって、属鏤は固有名詞のはずであったが、刃が刀身のまわりを連なっている剣の様子をよく捉えた字面になっているのである。少なくとも源順はそう認めたから和名抄に載せていると思われる。すなわち、連なるのツルと、牙のキの意、それがツルキである。


牙は仮名書きの例がなく、キ音の甲乙は未詳とされている。岩波古語辞典では「ki」(357頁) と甲類扱いしてあるものの、時代別国語大辞典、白川1995.では甲乙不明とする。ただし、白川氏は「「きさ[象]」の「き」はあるいは「牙」の意であろう」(268頁)と言い、また、「「きさ」とは象牙の文理をいう語であったかも知れない。」、「「牙」が「木」と同根ならば[キは]乙類である。」(同頁)、「牙と芽との関係は、牙と芽すとの関係に同じ。両者類想の語である。」(266頁)としている。しかし、仮に植物にキザシがあったとしても、木にならずに「葦牙」のように草になるかもしれず、また、木の特徴を木目文様のみに還元することも難しい。
名義抄に、「牙 魚加反、キバ、キザス、ヲヒテタリ、アカラカナリ、キ、在下、禾ゲ」とある。関連しそうな語句について古文献や古辞書に使用されている漢字を示す。
キザシ 兆・牙・芽・萌・剋
キザム(キサム) 刻・銘・尅・劃・剋・刊・鏤・彫・黥
キサグ 刮
キサゲ 鐫
キル 切・断・斬・伐・割・剔・截・鋋・戮・誅・翦・鑽・燧
キリ 錐
キダ 段・分・常
キダキダ 寸
ヱル 雕・琱・鐫・剜・刻・鏤
ウカツ(ウガツ) 穿・鑽・貫・穴・掘・鑿
ケヅル 削・刮・梳・劂・剔・剽・剥・斬・銛・省・刻
クジル 抉・挑・剜・掘・鑽・削
コズ 抉・掘
このうち、キサグ、キル、キダ、キダキダについては仮名書きがあり、キは甲類である。名詞形のキサゲ、キリも同じである。枕詞タマキハルのキは甲類で、「霊尅」(万897)、「玉切」(万678)と書かれ、「年切」(万2398)という語から、キハルは刻の意かとされている。
記上に、「𧏛貝比売きさぎ集めて」とある。𧏛は字書に見えない字であるが、和名抄に、「蚶 唐韻に云はく、蚶〈乎談反、弁色立成に岐佐と云ふ〉は蚌の属、状は蛤の如く円くて厚し、外に理の縦横に有り、即ち今の魽なりといふ。」とある。石に張り付いた大穴牟遅神をこそげ取るために派遣されたと考えられている。掻きこそぎ削る意味の「刮ぐ」のキは、記に「岐佐宜集而」とあって甲類である。音の洒落を利かせていると考えられるので、アカガイを表す蚶のキも甲類であろう。
和名抄には、「橒 唐韻に云はく、橒〈音雲。漢語抄に云はく、岐佐といふ。或説きて、岐佐は蚶の和名也、此れ木の文と蚶貝の文と相似れり。故、名を取るとととく。今案ふるに和名は義を取りて相近し。以て此の字を木の名と為。未だ詳らかならず。〉は木の文也といふ。」とある。また、「象 四声字苑に云はく、𤉢〈祥両反、上声の重、字は亦、象に作る、岐佐〉は獣の名、水牛に似て大き耳、長き鼻、眼細く、牙長き者なりといふ。」とある。同じキサに、象・木目・蚶貝の三者がある。象牙は文目が目立ち、アカガイの殻も縦横の文目が特徴的である。本邦に elephant が知られたわけではなく、象牙と歯の化石が知られていた。他に、毛羽立っていることがあるのも共通点である。したがって、キサのキはいずれも甲類と定められる。
象のキは、牙の意と捉えて間違いないであろう。鋭利な牙状のものによって刮ぎ、その文様が橒になっている。よって、牙のキも甲類であろう。同様に、牙状のもので「刻む」のキも甲類らしい。「刻む」のキザは、「階」のキザであり、細かく線を加え、「段」をつけること、また、入墨することをいう。「段」のキも甲類である。「寸」は、遊仙窟の訓にキザキザともある。「兆」についても、「牙+サシ」と解されており、キは甲類であろう。
新撰字鏡に、「鏤 力豆反、刻也。益也。蓋し金の知利波女」、名義抄に、「鏤 上漏、キザム、ヌル、ホリハム、チリバム、ヱル、ツルギ、又音楼、又趨?」とある。名詞としては、透かすように彫ることができるほど、先端が鋭利な金属製のものを指しているように思われる。したがって、属鏤は、たくさんの鋭利な牙が連なっているさま、剣の、かます切っ先の様子が復元されたことになる。カマスの口のようにたくさん歯(刃)が並んで連なりついていて、どこでも刃なのである。見た目、これほどこわいものはない。
以上、ツルギタチという語、ならびに、ツルキ(ギ)について見てきた。ツルキ(ギ)のキ(ギ)は甲類で、牙(キは甲類)が連なっている様をもってツルキ(ギ)という語は形成されていると考証した。どこでも刃なるものが剣の本性であるとの理解が、ツルキ(ギ)という語として人々の間に認められていた。言葉は共有されてはじめてコミュニケーションのツールとなる。無文字文化の人が言葉を知るには、その言葉について、なるほどと納得行くことが条件である。共通認識が言葉を支えている。はじめて double-edged sword を目にした人が、それは何だと問うたとき、これはツルキ(ギ)というものだ、牙がつるつるつるんで連なっているだろうと言った時、聞いた人がああ、そうか、と悟ることによって言葉は言葉として定まり、広がって行ったのだろう。
(注)
(注1)ツルギは、権力の象徴として玉・鏡とともにあげられるものであった。紀では「……、予め五百枝の賢木を抜じ取りて、九尋の船の舳に立てて、上枝には白銅鏡を掛け、中枝には十握剣を掛け、下枝には八尺瓊を掛けて、周芳の沙麼の浦に参迎ふ。」(仲哀紀八年正月)、「……五百枝の賢木を抜じ取りて、船の舳艫に立てて、上枝には八尺瓊を掛け、中枝には白銅鏡を掛け、下枝には十握剣を掛けて、穴門の引嶋に参迎へて献る。」(同)とあって、キラキラ反射させて見せていたに違いない。
(注2)直接的にヒツギノミコという音へかかる理由については、拙稿「十握剣(とつかのつるぎ)を逆(さかしま)に立てる事―その上下の向きについて―」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/4ec2c366378a86884cbf153798d13a3d参照。
(注3)「即ち子麻呂等と共に、出其不意く、剣を以て入鹿が頭肩を傷りつ。」(皇極紀四年六月)、「是に、二田塩、仍ち大刀を抜きて、其の宍を刺し挙げて、叱咤びて啼叫びて、始し斬りつ。」(孝徳紀大化五年三月)とあり、実際に斬るのにタチが使われている。
(注4)中村1983.、小林1967.参照。「鏤」一字ではヱルの意だからツルギとは訓めず、「属鏤」という熟語を以てツルギと訓むとしている。
(引用・参考文献)
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
小林1967. 小林芳規『平安鎌倉時代における漢籍訓読の国語史的研究』東京大学出版会、1967年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
武井2005. 武井睦雄「「ツルギ」と「タチ」─古代刀剣名義考─」『築島裕博士傘寿記念国語学論集』汲古書院、平成17年。
中村1983. 中村宗彦『九条本文選古訓集』風間書房、1983年。
※本稿は、「剣太刀について 其の一」・「同 其の二」(2013年1月)を2017年8月に加筆、訂正し、さらに2024年5月に整理してルビ形式にしたものである。