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古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

「東」字をアヅマと訓むことと枕詞「鶏が鳴く」について

2021年06月13日 | 古事記・日本書紀・万葉集
「東」字をアヅマと訓むことと枕詞「鶏が鳴く」について
 ヤマトコトバでは、「東」字をヒムカシ(ヒガシ)と訓むばかりでなくアヅマと訓む。枕詞「鶏が鳴く」を冠することも多い(注1)

  足柄あしがらの坂を過ぎてみまかれる人を見て作る歌一首
 …… 今だにも 国にまかりて 父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 鶏が鳴く あづまの国の〔鳥鳴 東國能〕 かしこきや 神のさかに ……(万1800)
  追ひて防人の別れを悲しぶる心を痛みて作る歌一首〈并せて短歌〉
 …… きこす 四方よもの国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男あづまをのこは〔登利我奈久 安豆麻乎能故波〕 出で向ひ かへりみせずて 勇みたる たけ軍卒いくさと ……(万4331)
 鶏が鳴く 東を指して〔等里我奈久 安豆麻乎佐之天〕 ふさへしに 行かむと思へど よしさねなし(万4131)
 鶏が鳴く 東男あづまをとこの〔等里我奈久 安豆麻乎等故能〕 妻別れ 悲しくありけむ 年の長み(万4333)
  勝鹿かづしかまの娘子をとめを詠む歌一首〈并せて短歌〉
 鶏が鳴く 東の国に〔鶏鳴 吾妻乃國尓〕 いにしへに ありけることと 今までに 絶えず言ひる 勝鹿の 真間の手児名てこなが ……(万1807)
 息の緒に ふ君は 鶏が鳴く 東方あづまの坂を〔鶏鳴 東方重坂乎〕 今日けふか越ゆらむ(万3194)
  高市皇子尊たけちのみこのみこときの殯宮あらきのみやの時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首〈并せて短歌〉
 …… 天の下 治め給ひ〈一に云はく、はらひ給ひて〉 す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の〔鶏之鳴 吾妻乃國之〕 軍士いくさを し給ひて ……(万199)
  筑波岳つくはのをかに登りて、丹比たぢひの人国人ひとくにの作る歌一首〈并せて短歌〉
 鶏が鳴く 東の国に〔鷄之鳴 東國尓〕 高山は さはにあれども ……(万382)
  陸奥国みちのくのくによりくがねいだせる詔書をく歌一首〈并せて短歌〉
 …… 鶏が鳴く 東の国の〔鶏鳴 東國乃〕 陸奥みちのくの 小田をだなる山に がねありと 申し給へれ ……(万4094)
 天皇すめろきの 御代みよ栄えむと 東なる〔阿頭麻奈流〕 陸奥山みちのくやまに がね花咲く(万4097)
   天平感宝元年五月十二日に、越中国こしのみちのなかのくにかみの館にして大伴宿禰家持作る。
 東道あづまぢの〔安豆麻治乃〕 手児てご呼坂よびさか 越えがねて 山にかむも 宿りはなしに(万3442)
 東路あづまぢの〔安都麻道乃〕 手児の呼坂 越えてなば あれは恋ひむな のちは逢ひぬとも(万3477)
  東人あづまひとの〔東人之〕 荷前のさきはこの にも いもは心に 乗りにけるかも 〈禅師〉(万100)
  藤原宇合大夫ふぢはらのうまかひのまへつきみの遷任してみやこのぼりし時に、常陸ひたちの娘子をとめに贈る歌一首
 庭に立つ あさ手刈てかし 布さらす 東女あづまをみなを〔東女乎〕 忘れ給ふな(万521)(注2)

 以上は、万葉集にアヅマと訓むとされるものである。古事記では、「東」という表記でヒムカシと訓むものとアヅマと訓むものとが交用されており、景行記ではどちらに訓んだらいいのか定めきれない例もある。景行天皇代のヤマトタケルの逸話においてアヅマという言い方が生まれたことになっている。

 あづまあはみな(景行記)
 東方ひむかしのかた十二道とをあまりふたつのみち(景行記)
 ……ちぎり定めて、ひむかしの国にいでまして、悉く山河の荒ぶる神とまつろはぬ人ひとどもとをこと和平やはす。(景行記)
 ……還り上り幸しし時に、足柄あしがらの坂本に到りて、御粮みかりてむ処に、其の坂の神、白き鹿りて、来立ちき。爾くして、即ち其ののこせるひるの片端を以て、待ち打ちしかば、其の目にあたりて、乃ち打ち殺しき。故、其の坂に登り立ちて、三たび歎きて、のりたまひて云はく、「阿豆麻波夜あづまはや」〈阿より下の五字、音を以ふ。〉といふ。故、其の国を号づけて阿豆麻あづまと謂ふ。(景行記)(注3)
 是を以て其の老人をきなを誉め、即ち東国造あづまのくにのみやつこを給ふ。(景行記)

 「東」字を方角の east に用いてヒムカシと訓むことは、ニシ(西)の対として当然視されている。他方、アヅマと訓むことの理由は定かではなく、いわゆる「国訓」であると考えられている(注4)。その由縁は、都から東方に当たる現在の関東平野のことをアヅマの地と言っていたことに発祥し、以降、アヅマの地とされるところが、東海道、東山道にまで広げて認識されるようになったからであろうと考えられている(注5)。もちろん、今日の北海道のことを蝦夷えみしなどと呼んでいた時、そのエミシという語に「北」字をあてて訓ませることは行われておらず、アヅマ(東)ばかり特殊な用字法がとられていることになる。
 説文に、「東 動くなり。木に从ふ。官溥の説に、日、木の中に在るに从ふ。凡そ東の属は皆東に从ふ」とある。また、「杳 冥きなり。日、木の下に在るに从ふ」、「杲 明きなり。日の木の上に在るに从ふ」とある。そして、「叒 日、初め東方の湯谷より出で、登れる榑桑は叒の木なり。象形。凡そ叒の属皆叒に从ふ。」とある(注6)。これらをまとめると、日は最初、木の下にあって冥いが、やがて榑桑(扶桑)という桑の木をよじ登って行き、終いには木の上まで出て明るくなると捉えている。杳→東→杲というように日が木を登っていく。この解説については、金石文にある原初的な字の成り立ちとは異なるから説文の説明は誤りであろうとされているが、今、それは問題とならない。上代のヤマトの人に権威ある字書で伝えられ、そういうものとして受け取られたであろうことこそ着目すべきだからである。彼らは漢字の初学者であった。
 日が登る木は、榑桑という桑の木であると想定されている。ということは、日は木に登るために爪先立って登ろうとしているということになる。なぜなら、ヤマトコトバの言語体系へシフトしてもクハ(桑)なのだからクハダツ(企)ということだときちんと悟ることができるからである。クハダツとは、かかとをあげて背伸びをして遠くを望み見ることである。下肢の形状を観察すると、脛に対して足のかかとから爪先までの部分は直角に近い角度でついている。それは、農具のくはに同じ関係で、その鍬の刃にしている面を鍬平くはひら、足のかかとから爪先までの部分は鍬腹くははら、また単にクハと言った。
 すなわち、「東」という字は「日」が桑の木に取りつこうとしているところだから、かかとをあげて爪先立っている様子のはずである。そして、完全に明るくなった「杲」にはまだ至っていない時間帯に焦点が当たる言葉でなければならない。鶏鳴時である。ニワトリの足を見ると、蹴爪まであって爪先立って歩いているように見える。クハダツものとしてニワトリは格好の対象である。ニワトリの足を見るにつけ、足で立っているというよりも爪で立っているように見える。足が爪化しているように思われた。ア(足)+ツマ(爪、ツメの古形)なのである。

 おとせず かむこまもが 葛飾かづしかの 真間まま継橋つぎはし やまずかよはむ(万3387、東歌)
 つくよみ かどに出で立ち うらして 行く時さへや いもに逢はざらむ(万3006)
 宮人みやひとの ゆひすず 落ちにきと 宮人とよむ 里人さとびともゆめ(記81)
 大和やまとの おしの広瀬を 渡らむと よひづくり 腰作こしづくらふも(紀106)
鶏が鳴く(Yasuto Pukeko様「にわとりの鳴き声、コケコッコーの連発」YouTube、https://www.youtube.com/watch?v=8TX-fMIU9fg&t=27sをトリミング)
 ここに至って上代の人たちの思考がありありと浮かび上がる。「鶏が鳴く」のは日が木を登り始めている時間帯であり、字形に「東」であり、鶏が背伸びをしているように爪先立ってアツマ状態になって鳴いているのだから、アヅマというヤマトコトバを漢字で記すのに「東」という字を使うのは理に適っていると了解されたのである。枕詞とそれが掛かる被枕詞のヤマトコトバ、それを書き記す漢字とが互いに共鳴する関係ができあがっている。
 今日、枕詞はもはや語義がわからなくなってしまったものとして置き去りにされている。そして、ヤマトコトバを記す漢字については、漢字のほうからどう訓むかという視点で「正訓」「借訓」「国訓」といった分類のもと解釈されている。しかし、上代のヤマトコトバを理解する際、理解の仕方が方向として誤っている。ヤマトコトバは無文字において確かな言葉(音)として成り立っていて隆盛を極めていた。だからこそ枕詞のような、歌謡を使用の場とする独立した修飾語句が生まれているのである。あまりにも膨らみのある言葉を作り上げていたわけだが、それを享受するだけの言語感覚を当時の人たちはともに持っていた。だから通用している。今日の人が枕詞の意味がよくわからないということは、上代語としてのヤマトコトバを理解できていないということである。
 当時の人たちは言葉に対して謙虚であった。言葉が先にあって、その言葉をどうにか理解しようとして地名譚は生まれ、記紀に多数記されている。言葉をいかに文字に書き表すかは後の問題として持ち上がり、字書を引きまくって適当な文字を選んで当てている。その際にも、さまざまな譚を交えて選択されていると考えられる。ものの考え方として言葉(音)を再解釈することがたて続けに行われ、その際には文字に記すことも絡んで検討されたのである。なぜ言葉を再解釈、再確認する必要があるのか。文字を持たない文化では、言葉は宙を飛ぶ音にほかならず、どこにも辞書はないのだから、その言葉が正しく使われていることを使う度に確かめなければならないからである。漢字をどう訓んだかではなく、ヤマトコトバをどう記したか、それだけが飛鳥時代当時の言語の様相を知る立脚点となる。「言語事実を持つ以前に一般的観念について語ることは、牛の前に犂をつける如き転倒である。」(ソシュール)という言説は、飛鳥時代において、ヤマトコトバ以前に漢語について語ることにも当てはまる。
 以上、アヅマというヤマトコトバに「東」という字を当てて記した上代の人の知恵について述べた。

(注)
(注1)枕詞「鶏が鳴く」について、アヅマへのかかり方が問われることがある。第一説に、東国訛りが中央の人には理解できずに鳥のさえずりのように聞こえたから、第二説に、鶏が鳴くぞ、さあ起きよ、我が妻よ、という意味から、第三説に、鶏が鳴くと東国から夜が明けてくるから、第四説に、鶏の鳴き声は東天紅と聞えるから、といった考えが提示されている。第一説は鳥類一般の話になり、万葉集の表記にトリは仮名書き以外では「鶏」と記されている。当たるとするなら東国訛りがコケコッコーと聞こえたということになろう。第二説はヤマトタケルの故事を転用した説である。第三説はアヅマという語をアプリオリに設定していて、言葉を導く機能として働いているとは思われない。第四説のトウテンコウと聞えることとアヅマとのつながりは、「東」をアヅマと訓むことを前提としていて解釈になっていない。筆者は、後述するように、第五説、ア(足)+ツマ(爪)説をとるが、今日目にする飼育種のニワトリでは、鳴く際に背伸びをするものもいればしないものもいる。品種差か個体差か未詳である。祖先のセキショクヤケイに探るべきことかもしれないが、いずれ説の域を出ないことである。
(注2)万葉集中に、「東」字をヒムカシと訓むとされる例は、万48・184・186・310・3886番歌、アサコチに使われる例は、万2125番歌(「朝東」)・2717番歌(「朝東風」)、アユノカゼに使われる例は、万4017番歌(「東風」)に見られる。
(注3)訓みについては拙稿「ヤマトタケルの「あづまはや」について」参照。
(注4)西宮1999.は、「東」の「国訓」であるアヅマの意味を二十巻本和名抄の「辺鄙あづまづ」に求め、アヅマという言葉の成立を新しいものと捉えて大化改新時期にアヅマの総称表記に「東」と決まったのではないかとする。万葉集の「東歌あづまうた」は「東の辺鄙の国の歌」という意味であるとしている。西郷1995.は、都の東に存する辺境の地、フロンティアを意味する語で、その対偶項にサツマ(薩摩)があるのではないかと想像している。筆者は、アヅマという語の語源について考える立場になく、飛鳥時代当時、当該語がどのように感じられていたか、語感をのみ追究している。王朝語ではなく上代語に、アヅマという語が東方辺鄙性を含意しているとは感じられず、枕詞「鶏が鳴く」にもそのような意図は見えない。
(注5)わきまえておかなくてはならないのは、「東」字にアヅマなる新手の「国訓」を設けたわけではない点である。漢土から見て方角的に九州は east、「東」に当たるが、九州はアヅマではなく、関東平野、ないしは、畿内より東の東海道、東山道をアヅマとしていた。アヅマという語が先にあり、「東」という字は後から付いてきている。
(注6)淮南子には、「日出于暘谷、浴于咸池、拂于扶桑、是謂晨明。登于扶桑、爰始将行、是謂朏明。」(天文訓)、「暘谷榑桑在東方。」(墬形訓)、「朝発榑桑、日入落棠。」(覧冥訓)などとある。

(引用・参考文献)
荒井1994. 荒井秀規「「東国」とアヅマ─ヤマトから見た「東国」─」関和彦編『古代王権と交流2─古代東国の民衆と社会─』名著出版、1994年。
西郷1995. 西郷信綱『古代の声〈増補版〉─うた・踊り・市・ことば・神話─』朝日新聞社、1995年。
高橋1991. 高橋富雄『古代蝦夷を考える』吉川弘文館、1991年。
永田2009. 永田一「古代の「アヅマ」と「エミシ」についての一試論」『法政史学』第71巻、2009年3月。法政大学学術機関リポジトリhttps://doi.org/10.15002/00011573
西宮1999. 西宮一民「漢字「トウ」の国訓アヅマの成立」『皇学館大学文学部紀要』第三十八輯、平成11年12月。

(English Summary)
The kanji 東 represents Aduma as a region name in Japan, in addition to representing the direction of east in ancient Japanese, Yamato kotoba. The meaning of Aduma is not found in Chinese, and is regarded as a special reading in Japanese. And the makura kotoba "Chickens crow(鶏が鳴く)" was the standard poetic epithet used to refer to Aduma. The reason for them is unknown. This paper is a tentative plan to solve those questions. Chickens have bird spurs, and the toenails are thought to be called “a(toe)+ tuma(nail or claw)” in Yamato kotoba, and when they crow, it looks like they are standing on tiptoes. It was thought that the kanji 東 showed a figure on the way that the sun(日) climbed the tree(木), 杳→東→杲, as written in an old dictionary from China. At that time chickens crow.

※2021年6月稿を2025年3月にルビ形式にした。

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