応神記には吉野の国主の歌として知られる歌が二首ある。大雀命の佩刀を褒めた記47番歌謡は、今日までの解釈では明快ではない。つづく記48番歌謡のほうは、お酒の歌として多くの関心を集めている。ここでは記47番歌のみを題材とする。はじめに、原文と現行の一般的な訓みを示す。
又吉野之国主等、瞻大雀命之所佩御刀歌曰、
本牟多能比能美古意富佐邪岐意富佐邪岐波加勢流多知母登都流芸須恵布由布由紀能須加良賀志多紀能佐夜佐夜
又、吉野の国主等、大雀命の佩ける御刀を瞻て歌ひて曰く、
品陀の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる大刀 本つるぎ 末ふゆ 冬木の 素幹が下木の さやさや(記47)(応神記)
大和朝廷の都からすれば辺境の吉野の人が、大雀命(後の仁徳天皇)の佩刀のさまを見て歌っている。大刀を佩く姿の、本の方を腰にぶら下げ、末の方が振れている様子を歌ったものとされ、そこから「ふゆ」の音が導かれ、冬の葉の落ちた木の下枝のところがさやさやと鳴っていると解されている。だが、冬に落葉した木の枝がさやさやとしているというのは不審である。「さやさや」の意味には音を表す語とする説と、明瞭さを表す語とする説、ならびに、その両方を掛けているとする説がある。
「布由紀能須加良賀志多紀能」については、契沖・厚顔抄に、フユキノ/スカラガシタキノと切って、「冬木の すからが下木の」とする説と、本居宣長・古事記伝に、フユキノス/カラガシタキノと切って、「冬木如す 枯が下樹の」とする説が唱えられていた。現代では、「冬木の すからが下木の」説が優勢である。スカラについて、武田1956.は「直幹」とし、「冬木のまっすぐな幹の下木」と捉え、土橋1972.は「素幹」を「葉の落ちてしまった冬木」と捉え、山口2005.は「スカ(直)+ラ(接尾語)」とし、「真っ直ぐに伸びている常緑の木の」と捉えている。他にもいくつか説がある。
この歌は、大雀命の佩刀姿を褒めた歌であると多く認められている。ただ、諸説は、このような表現をとっている理由について思い及んでいない。大雀命の姿を個別具体的に褒めるための形容であると了解されなければ、この部分の解釈は正解に至っていないということになろう。
「布由紀」が「冬木」であることは諸説に一致している。歌の最後は「さやさや」で終っている。「さやさや」という語が擬音語か擬態語かにわかには判断できない。それよりも、いま歌っているのは大刀のさまである。大刀の話なのだから、「鞘」からも導かれていることに違いあるまい。無文字時代の言葉である。音声によってのみ成立している言葉に、「大刀」と「さやさや」との関係を求めるなら、刀身を収納する「鞘」のことを破却しては理解できまい。聞いた瞬間に消えていくのが、声の文化の言語活動である。
吉野の国主等が興味を示したのは、柄の部分と鞘の部分とがつながり、一体をなしつつ、その鞘のなかに金属鋭器を収納した点であろう。和名抄に、「剣鞘 郭璞方言注に云はく、鞞〈音は卑〉は剣の鞘なりといふ。唐韻に云はく、鞘〈私妙反、佐夜〉は刀室なりといふ。」、新撰字鏡に、「鞞 毗移反、上は刀、上は鞞刀と曰ふ、下は琫刀室と曰ふなり、又削物は之れを鞞と謂ふ、太知佐也、又加佐利」とある。刀の納まる部屋のことをいうと説明されている。記47歌謡の「さやさや」は、度会延佳・鼇頭古事記(国書データベースhttps://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100181864/123?ln=ja(Retrieved March 25, 2023))、内山真龍・古事記謡歌註(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176534/127(Retrieved March 25, 2023))には「鞘鞘」と解されている。
ここで「さやさや」と言葉が重ねられている。大刀の鞘のことを言いたいだけならば、重ねている理由は決められない。「さやさや」という言葉には、擬音語なり擬態語なりの「さやさや」という言葉に「鞘鞘」を掛けて歌われていると考えられる。では、「さやさや」という言葉はどこから生まれてきたのだろうか。関連する語として、「さや」、「さやぐ」系統と、「さやに」、「さやかに」系統の二系統の言葉が考えられている。
「さや」、また、その動詞形と思われる「さやぐ」という言葉の使用例に、次のようなものがある。
阿那佐夜憩 竹葉の声なり。(古語拾遺)
佐韋河よ 雲立ち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす(記20)
葦辺なる 荻の葉さやぎ 秋風の 吹き来るなへに 雁鳴き渡る(万2134)
小竹が葉の さやく霜夜に 七重かる 衣に益せる 子ろが肌はも(万4431)
小竹の葉は み山もさやに 乱げども 吾は妹思ふ 別れ来ぬれば(万133)
豊葦原の千秋長五百秋の水穂の国は、いたくさやぎてありなり。(記上)
「さやぐ」の主語に「~の葉」と明記されることが多い。記上の例も、アシの葉の擦れる音と理解される。記47歌謡が仮に「……木の葉の さやさや」とあれば、「さやさや」は擬音語「さや」の畳語であり、強調した形と決められよう。ただし、吉野の国主等の歌謡は、「……木の さやさや」である。落葉していると考えたほうが自然な「冬木」が「さや」と音が立てていると表現するのはどういうことか。このことは、「さや」が鞘であるとの洒落を言っていることの確証にもつながる。ハイという返事は肯定でも、ハイハイという返答は意にそぐわない内心を露呈した言葉遣いである。「……木」がそのまま「さやさや」と音を出しているのではなく、曰くありげな物言いをしているということである。
一方、副詞の、「さやに」、「さやかに」は、明瞭さ、分明さ、顕著さを表す。次のような例がある。
小竹の葉は み山もさやに 乱げども 吾は妹思ふ 別れ来ぬれば(万133)
水底の 玉さへ清に 見つべくも 照る月夜かも 夜の深けぬれば(万1082)
…… 筑波嶺を さやに照らして いふかりし ……(万1753)
吾が背子が 挿頭の萩に 置く露を 清に見よと 月は照るらし(万2225)
新墾の 今作る路 清にも 聞きてけるかも 妹が上のことを(万2855)
はっきりと目立つような対象を「さやに」、「さやかに」見聞きしている。背景は隠れて〈地〉となり、対象がクローズアップされ〈図〉となっている。ところが、吉野の国主等の歌謡は、「冬木のすからが下木の さやさや」である。「本剣 末ふゆ」が「冬木のすからが下木」に掛かっているように考えて、「大刀」の装飾がすばらしくてよく目立つという意味に解せないことはないが、迂遠な物言いである。「大刀」には「鞘」が付きものであるからそれを言っているとしたほうが直截でわかりやすい。「さやに」、「さやかに」見えるかというと、よくは見えないから、「さやさや」とくり返して内実を物語ろうとした言葉遣いにもなっていると考える。
西宮1979.は、「本剣 末ふゆ」について、「本が剣で末が増えている、の意で、東晋年号の太和四年(三六九)百済王貢上の七枝刀(石上神宮神宝)をさす。」(191頁)とする。「さやさや」だから分岐した鞘に当たる剣を持ち出して納得しようとしている。しかし、「さやさや」とあるばかりで、「さやさやさやさやさやさやさや」(「さや」×7)とはない。鞘は刀身を包むものである。刀背、すなわち、刀の峰のことは棟ともいう。屋根の一番高い所も棟といい、その両サイドは鬼瓦などの飾り瓦で包み込まれている。剣の場合、峰は真ん中を一直線に貫いており、諸刃の剣になっている。触れるだけで切れる刃のある両サイドを覆うものが鞘である。刃が二つあるから、鞘は「さやさや」ということで語義に忠実ということになる。
歌われているのは大雀命の佩刀姿である。オホサザキとは、大きなサザキ、偉大なるサザキという言い分であろう。サザキはミソサザイのことである。新撰字鏡に、「鷯 聊音、鷦 加也久支、又佐々支」、和名抄に、「鷦鷯 文選鷦鷯賦に云はく、鷦鷯〈焦遼の二音、佐々岐〉は小鳥なり、蒿萊の間に生れ、藩籬の下に長ずといふ。」とある。狩谷棭斎・箋注倭名類聚抄・巻七の鷦鷯の項に、「陳蔵器に曰く、林藪の間に在りて窠を為り、窠は小嚢の如しといふ。埤雅に云はく、其の喙の尖利なること錐の如し、茅秀を取りて巣を為り、巣は至精にして密なり、麻を以て之れを紩ふこと韈を刺すが如し、然るが故に又一名、韈雀といふ。」(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1209888/33(Retrieved March 25, 2023)、訓み下した)とある。巣を造るのが巧みなタクミドリという鳥がいて、それは鷦鷯と記すサザキ、今のミソサザイのことであるとする。
林2011.に、ミソサザイの「巣の特徴:岩の陰など薄暗い場所にコケで球形(壺形)の巣を作る。外側に小枝、枯れ葉などを張りつける場合もある。産座には特に何も敷かない。大きさ:外径約13×11㎝、高さ約15㎝、出入り口の広さ約3×3㎝、深さ(奥行き)約7㎝。」(124頁)とある。ミソサザイはとても小さな鳥でありながら、とても上手に巣を作る。外敵に襲われないように、川の瀬の飛び石の陰のような立ち入れないところに巧みに拵えている。足場、櫓でも仮設しなければ作れないものを、それすら立てられそうもない場所に作っている。高所作業もする宮大工のことを「木工」(雄略紀十三年九月)といっており、ミソサザイのことをタクミドリと呼ぶのはふさわしい。

ミソサザイの巣(大阪市立自然史博物館展示品、小海途銀次郎氏収集、フィールドでは苔が生きていて緑色をしている)
コケ類が枯れて骨格だけになった巣が、「冬木の巣」である。なぜ「巣」の話をしているかと言えば、歌い手が、「吉野之国主」、すなわち、ヨシノノクニ(吉野国)のスという人だからである。そして、ミソサザイは吉野のような山中で5~8月に営巣する。冬、巣は捨て置かれている。外側の殻だけになり、空の状態である。空っぽであるが形をとどめ、表面を覆う苔も枯れて茶色くなっている。そのため次の「加良賀志多紀能」へ続く。空っぽの殻の下木とは、巣の骨格であった下木ばかりが残るさまを表している。それを剣の鞘と見立てて、「さやさや」と続いている。
筆者はすでに、紀41・記74歌謡「枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り 掻き弾くや 由良の門の 門中の海石に ふれ立つ なづの木の さやさや」について、船の継櫓の下方部分が膨らみをもって伸びているところを刀の鞘に見立てていると指摘し注1た。記47歌謡の場合、刀の鞘が袋のように膨らんで捨て置かれ、「から」の状態になっているミソサザイの巣の形とは、すなわち、毛皮を用いた尻鞘に相当するものである。。けば立った様子が、ミソサザイの巣の名残りによく似ている。つまり、「須加良賀志多紀能」とは、「巣からが下木の」と訓むことができる。
白川1995.に、「「から」は外皮・外殻を意味するもの、草木の幹茎など、ものの根幹をなすもの、血縁や身分についてそのものに固有の本質をなすものなどをいう。みな同源の系列語である。このような基本語には、それぞれ語義の対応する漢字が選択される。人には「からだ」という。……〔名義抄〕に「權・柄・柯・幹カラ」とみえる。「から」は空なるもの、枯れたるもの、茎の形のものなどを意味する語。それに対応するものとして殻・幹・茎・柄の四字をあげておく。」(258頁)とある。和名抄には、「枝條 玉篇に云はく、枝柯〈支歌の二音、衣太〉は木の列なりといふ。纂要に云はく、大枝を幹〈音は翰、加良〉と曰ひ、細枝を條〈音は迢、訓は枝と同じ〉と曰ふといふ。唐韻に云はく、葼〈音は聡、之毛止〉は木の細枝なりといふ。」、「器皿部第十二〈四声字苑に云はく、皿は武永反、器の惣名なり。柄の音は筆病反、器物の茎柯なり、衣、一に賀良と云ふ。〉」とある。木の幹のことと器物の取っ手のことをともに「から」と言っている。新撰字鏡に、「槿 堇同、居隠反、櫬木、槿は李花に似て朝生れ夕に殯す。食す可き者也。保己、又、保己乃加良、又、祢夫利」とあり、矛の、手で握るところを矛の柄と呼んでいる。
すなわち、「巣からが下木」とは、太刀の柄の下の木の部分の意をも表している。「から」という言葉には、族(やから、うがら)という字を当てる血のつながる一族の意や、山柄、川柄というように素性、品格を表す意もある。「巣から」とは巣の状態、品質について言っている。素性、品格のことは、すじともいう。一筋に続くものの謂いと考えられ、幹という字で表わす「から」、道具の柄のことをいう「から」と通じている。記47歌謡は、大雀命の佩いている一筋の大刀を褒めているものでもある。
ここまで、「本つるぎ 末ふゆ」という句の後続する言葉について見てきた。そして、「さやさや」が大刀の鞘と掛けた言葉であることがわかった。その鞘は毛皮を使った尻鞘である。すなわち、「本つるぎ 末ふゆ」の対句表現はともに名詞で、「本剣 末ふゆ」、手元の方は「剣」、末の方は「ふゆ」になっていると言っている。そんな「ふゆ」という言葉が上代にあったことは知られていないが、筆者はあったと考える。
上:尻鞘(故実叢書 軍用記附図、国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771906/17(Retrieved March 25, 2023)をトリミングと加工)、中:毛皮の鞘(石山寺縁起巻2摸本、狩野晏川・山名義海摸、東京国立博物館研究情報アーカイブズhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0055242・男衾三郎絵詞、東京国立博物館研究情報アーカイブズhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0022413(Retrieved March 25, 2023)をトリミング)、下:山芋(スーパー市販品、細根はほとんど毟れている)
図を見ればよく似たものが思い浮かぶ。ヤマノイモ、自然薯である。掘り起こしたばかりで土にまみれて細い根がたくさん付いたままの状態に極めてよく似ている。旬は冬である。古語に「薢(ト・コ・ロはみな乙類)」という。蔓性植物でトコロヅラとも呼ばれる。
薢 崔禹食経に云はく、薢〈音は解、度古侶、俗に〓〔艹冠に宅〕の字を用ゐる。漢語抄に野老の二字を用ゐる。今案ふるに並びに未だ詳かならず〉、味は苦、少甘、毒無し、焼き蒸し粮に充つといふ。兼名苑注に云はく、黄薢は其の根、黄白くして味は苦き者なりといふ。(和名抄)
なづき田の 稲幹に 稲幹に 這ひ廻ろふ 冬薯蕷葛〔登許呂豆良〕(記34)
皇祖神の 神の宮人 冬薯蕷葛〔冬薯䕘葛〕 さねかつら 弥とこしくに 吾返り見む(万1133)
…… 懸け佩きの 小太刀取り佩き 冬薯蕷葛〔冬▲(蔚の寸の代わりに刄)蕷都良〕 尋め行きければ 親族どち ……(万1809)
和名抄にはまた、「薯蕷 本草に云はく、薯蕷は一名に山芋といふ〈夜万乃伊毛〉。兼名苑に藷藇〈音は暑預と同じなり〉と云ふ。」とあって、「芋」=サトイモと区別されている。出雲風土記・飯石郡条に、「萆薢・……・薯蕷・……」とあって、前者を「ところ」、後者を「やまついも」と訓まれている。異種であると考えられはするが、同じくヤマノイモ科の植物でよく似ている。現在、トコロと呼ばれる植物は、オニドコロ、ヒメドコロ、タチドコロがあり、ヤマノイモ同様、根の肥ったところを食べた。
木下2010.(403~407頁)は種の比定に厳しく、万1133番歌の「冬薯蕷葛〔冬薯䕘葛〕」の「冬」字に疑問を呈している。「そもそもヤマノイモの仲間は冬に落葉し蔓も枯れるから、冬季に認識すべき部位は地上になく、また冬に限って掘り採ることもしないから、まったく的外れであるのはいうまでもない。」(404頁)とし、本草経集注の読み間違いから生じたのではないかと指摘する。けれども、豪雪地帯を除けば、目印をつけておいて掘りに行くことは必ずや行われていたであろう。食べ物で、しかも、美味しいものに関して、採集者は労を惜しまず知恵を働かせたに違いない。枯れた蔓が干乾びて木にまとわりついていて零余子がぶら下がっていたなら、その根元のトコロ(所)には、トコロ(薢)があるということになる。。自然薯の旬は養分を十分に貯えた冬場である。
すなわち、記47歌謡に用いられている「ふゆ」という語は、「冬薯蕷葛」と記すように、わざわざ「冬」字を冠する「薢」のことを言っている。この歌謡は大雀命の佩いた剣の尻鞘を、彼が名に負っているサザキの巣のことと絡めて褒め歌ったものであった。
品陀の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる大刀 本剣 末ふゆ 冬木の 巣からが下木の さやさや(記47)
(大意)品陀(誉田)は日の御子、応神天皇だが、その御子の大雀命、その大雀が腰に佩いている大刀は、本のほうは剣に見えて末のほうは冬薯蕷(薢)、つまり、ヤマノイモのようだ。ヤマノイモは冬が旬の芋、その冬に見られるように苔が枯れて木ばかりになっているサザキ(ミソサザイ)の巣の殻のように、木の下の根っこの膨らんだところに似た、立派な鞘であることよ、まさしく鞘であることよ。
(注)
注1 契沖・厚顔抄に、「スカラハ俗ニ細ヤカナル人ヲモ、又木ノ立ノヒテ本ニ枝ナドノナキヲ、スカリトシタリト申セハ、冬木ノ葉ナト落テサ見ユルヲ、スカラト云ヘル歟、ソレヲ佩セタマヘル太刀ノ細ヤカニ粧ハレテ、ウルハシク見ユルニヨソヘテ云ヘル歟、志多紀ハ下木歟」(大阪府立図書館おおさかeコレクションhttp://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000005-00145212(Retrieved March 25, 2023)、読点を付した)とある。
注2 本居宣長・古事記伝に、「○布由紀能須は、冬木如なり、……さて此ノ冬木如は、たゝ枯と云言のうへにのみ係れる枕詞なり、……○加良賀志多紀能は、枯之下樹之なり、……俗語に云ハば、葉の落下地と云ことなり。……さて此ノ二句は、次の佐夜々々を云む料の序にて、樹葉の落チ散ラむとするほど、……木枯の風に動揺ぐ音の、さやさやと鳴る意につゞけたるなり、」(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041637/268(Retrieved March 25, 2023)、漢字の旧字体、一部繰り返し記号を改めた)とある。
橘守部・稜威言別には、「○布由紀能」須は、冬木如なり。……此は彼剣の、永刃のきらめく貌を、冬木の如しと譬え出たる詞なるをや。○加良賀志多紀能」は、幹之下樹之なり。幹とは、草木の本立を云こと既に出、こゝは葉の落尽て、たゞ其幹ばかり立てあるを云。……此句は、木葉の落尽たる後のこる楚の、霜氷に冴てきらめくよしに云るなり。」(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1069688/112(Retrieved March 25, 2023)、漢字の旧字体は改めた)とある。
注3 武田1956.に、「冬木のまっすぐな幹の下木の意で、さやか(明白)であるから、次の句を修飾する序とする。」(123頁)とある。
注4 土橋1972.に、「冬木の「幹」と「下木」とをいうのは、大雀命の「体」と「大刀」との関係の譬喩として、その必然性があるのであって、葉の落ちてしまった冬木の幹の下木が揺れているように、大雀命の大きな身体の腰の辺で大刀が揺れているというのである。」(212頁)とある。
注5 山口2005.は、「「冬木の直ら」が〈常緑の木で真っ直ぐ伸びているもの(=真っ直ぐに伸びている常緑の木)〉のような意味があれば、大刀の持ち主である大雀命を褒め称えたことになって、まさにこの文脈にふさわしい歌になるであろう。」(331頁)とする。
そして、「『古事記』の歌謡を解釈する場合には、歌の内部だけに目を注ぐのではなくて、その歌の現れる文脈的な必然性をも考慮すべきである」(332頁)と提言している。
注6 例えば、山路1973.は、「「幹から直接出ている下木」とみて、下枝の意とする。……要するに、冬木立の下枝の意であろう。」(115頁)とする。また、西宮1979.は、「ふゆき」(増殖した木、繁茂した木)を導く。その木の「すから」(立派な幹)の「下樹」(大木の下に生える聖木)が、風にそよいでさやかな音を立てているよ、の意。」(191頁)とし、七支刀のことを言っているとしている。折口信夫・ほうとする話(祭の発生 その一)には、「ふゆきと言ふのは、冬木ではなく、寄生と言はれるやどり木の事であらう。」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1449488/1/297(Retrieved March 25, 2023))とある。
注7 今日の古事記研究の一派に、残されているテキストを個別具体的に検討するよりも、古事記全体を俯瞰したかのような抽象的な解釈を重んじるものがある。例えば、山村2016.に、記47歌謡、ならびに記74歌謡の「さやさや」について、「音と様子の重層的な表現は、広範囲までに行き渡る影響力を示す。従って、支配を象徴する「太刀」の「さやさや」は、「大雀」の支配力の広がりを意味する。」(5頁)とある。また、服部2018.に、「吉野国主等によって大雀の佩刀が「さやさや」であると歌われるのは、単に佩刀に霊威があり、神武記熊野での天神御子と重なるだけでなく、「熊野山之荒神」「山河荒神」といった『記』における地上の「自然」の領域に通じる霊威を佩刀が備えており、……地上の「自然」と接触し服属させることができる力を、大雀もまた備えていることを明かすものと考えることができる。」(222頁)とある。しかし、古事記は稗田阿礼の声を太安万侶が書き起こしたものである。基本的に声の文化の産物である。
オング1991.は、声の文化にもとづく思考と表現の特徴として、「状況依存的 situational であって、抽象的でない」(107頁)とする。「声の文化のなかでは、概念が、状況依存的で操作的な operational 準拠枠において〔概念が状況や操作を指し示すというしかたで〕用いられる傾向がある。こうした準拠枠は、人が生活している生活世界にまだ密着しているという意味で、抽象の度合はきわめて小さい。〔概念の状況依存的、操作的使用という〕この現象をあつかった文献はかなりの量にのぼる。」(107~108頁)。古事記も、概念の状況依存的、操作的使用という現象をあつかった文献である。古事記の文章は、「累加的 additive であり、従属的ではない」(83頁)、「累積的 aggregative であり、分析的ではない」(86頁)、「冗長ないし「多弁的 copious」」(88頁)といった性格を完璧に備えている。「爾」という言葉の乱発的多用は、それ以外の何物でもない。
注8 山口2005.参照。
注9 詳細は、西宮1971.参照。
注10 紀41・記74歌謡については、拙稿「枯野伝説について」で、楫つくめのきしむ音とトビの鳴く声とを掛けながら、船の継櫓の下方部分(櫓べら)を刀の鞘に見立てていることを示した。下の万葉集の例は、カヂカラという言葉が、今日いうところの継櫓の持ち手部分を指していると理解される。
たまきはる 命に向ひ 恋ひむゆは 君がみ船の 楫柄にもが(万1455)
この歌は、万1453歌の題詞、「天平五年癸酉の春閏三月、笠朝臣金村の入唐使に贈る歌一首、短歌并せたり」として採られている。「入唐使」は、「唐」へ赴く船に乗る。だから、カヂカラが話頭に浮かんでいる。「たまき」は環、手巻のことで、お揃いのそれを手に巻いて無事の帰還を願っている。そんなことより、あなたが手にする楫の柄になりたいものだ、それなら一緒にいられるのに、と歌っている。「たまき」は手に巻く装飾品、きれいな念珠玉であり、「楫柄」は手のほうが握り巻く実用品、審美性とは無関係なものである。
注11 伊勢貞丈・貞丈雑記・巻之十二に、「尻鞘〈又シンザヤトモ云〉ハ虎の皮、豹の皮、熊の皮、鹿の皮などにて袋を作て太刀の鞘に懸るを云也。太刀のさや雨露にあへハ湿気にて太刀さびる故、毛皮をかけて雨露をふせぐ為也。」(国書データベースhttps://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200020574/783?ln=ja(Retrieved March 25, 2023)、句読点を付した)とある。
注12 助詞ガは、情態言は受けず、名詞や動詞などの独立性のある成分を受けることが山口2005.に指摘されている。「君が目」(万3974)、「梅が枝」(万845)、「見せむが為に」(万4222)などのようにである。「巣からが下木」は、名詞「巣から」を受けている。
注13 拙稿「垂仁記の諺「地得ぬ玉作り」について」参照。
注14 この点は、「みたまのふゆ」という独特な上代語にも当てはまる。拙稿「「ミタマノフユ」について」参照。
(引用・参考文献)
オング1991. W・J・オング著、桜井直文・林正寛・糟谷啓介訳『声の文化と文字の文化』藤原書店、1991年。
木下2010. 木下武司『万葉植物文化誌』八坂書房、2010年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
武田1956. 武田祐吉『記紀歌謡全講』明治書院、昭和31年。
土橋1972. 土橋寛『古代歌謡全注釈 古事記編』角川書店、昭和47年。
西宮1971. 西宮一民「古事記私解─歌謡の部─」『皇学館大学論叢』第四巻第五号(通巻22号)、昭和46年。10月。
西宮1979. 西宮一民『新潮日本古典集成 古事記』新潮社、昭和54年。
服部2018. 服部剣仁矢「剣(つるぎ)─『古事記』応神記における大雀の佩刀をほめる吉野国主等の歌─」吉田修作編『ことばの呪力─古代語から古代文学を読む─』おうふう、2018年。
林2011. 林良博監修・小海途銀次郎著『決定版日本の野鳥巣と卵図鑑』世界文化社、2011年。
山口2005. 山口佳紀『古事記の表現と解釈』風間書房、2005年。
山路1973. 山路平四郎『記紀歌謡評釈』東京堂出版、昭和48年。
山村2016. 山村桃子「『古事記』における「日の御子」」『文学史研究』第56号、大阪市立大学国語国文学研究室文学史研究会、2016年3月。大阪市立大学学術機関リポジトリhttps://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_111E0000001-56-1(Retrieved March 25, 2023)
※本稿は、2019年10月稿において、「ふゆ」の語義を見極められていなかった点につき大幅に改稿したものである。
又吉野之国主等、瞻大雀命之所佩御刀歌曰、
本牟多能比能美古意富佐邪岐意富佐邪岐波加勢流多知母登都流芸須恵布由布由紀能須加良賀志多紀能佐夜佐夜
又、吉野の国主等、大雀命の佩ける御刀を瞻て歌ひて曰く、
品陀の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる大刀 本つるぎ 末ふゆ 冬木の 素幹が下木の さやさや(記47)(応神記)
大和朝廷の都からすれば辺境の吉野の人が、大雀命(後の仁徳天皇)の佩刀のさまを見て歌っている。大刀を佩く姿の、本の方を腰にぶら下げ、末の方が振れている様子を歌ったものとされ、そこから「ふゆ」の音が導かれ、冬の葉の落ちた木の下枝のところがさやさやと鳴っていると解されている。だが、冬に落葉した木の枝がさやさやとしているというのは不審である。「さやさや」の意味には音を表す語とする説と、明瞭さを表す語とする説、ならびに、その両方を掛けているとする説がある。
「布由紀能須加良賀志多紀能」については、契沖・厚顔抄に、フユキノ/スカラガシタキノと切って、「冬木の すからが下木の」とする説と、本居宣長・古事記伝に、フユキノス/カラガシタキノと切って、「冬木如す 枯が下樹の」とする説が唱えられていた。現代では、「冬木の すからが下木の」説が優勢である。スカラについて、武田1956.は「直幹」とし、「冬木のまっすぐな幹の下木」と捉え、土橋1972.は「素幹」を「葉の落ちてしまった冬木」と捉え、山口2005.は「スカ(直)+ラ(接尾語)」とし、「真っ直ぐに伸びている常緑の木の」と捉えている。他にもいくつか説がある。
この歌は、大雀命の佩刀姿を褒めた歌であると多く認められている。ただ、諸説は、このような表現をとっている理由について思い及んでいない。大雀命の姿を個別具体的に褒めるための形容であると了解されなければ、この部分の解釈は正解に至っていないということになろう。
「布由紀」が「冬木」であることは諸説に一致している。歌の最後は「さやさや」で終っている。「さやさや」という語が擬音語か擬態語かにわかには判断できない。それよりも、いま歌っているのは大刀のさまである。大刀の話なのだから、「鞘」からも導かれていることに違いあるまい。無文字時代の言葉である。音声によってのみ成立している言葉に、「大刀」と「さやさや」との関係を求めるなら、刀身を収納する「鞘」のことを破却しては理解できまい。聞いた瞬間に消えていくのが、声の文化の言語活動である。
吉野の国主等が興味を示したのは、柄の部分と鞘の部分とがつながり、一体をなしつつ、その鞘のなかに金属鋭器を収納した点であろう。和名抄に、「剣鞘 郭璞方言注に云はく、鞞〈音は卑〉は剣の鞘なりといふ。唐韻に云はく、鞘〈私妙反、佐夜〉は刀室なりといふ。」、新撰字鏡に、「鞞 毗移反、上は刀、上は鞞刀と曰ふ、下は琫刀室と曰ふなり、又削物は之れを鞞と謂ふ、太知佐也、又加佐利」とある。刀の納まる部屋のことをいうと説明されている。記47歌謡の「さやさや」は、度会延佳・鼇頭古事記(国書データベースhttps://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100181864/123?ln=ja(Retrieved March 25, 2023))、内山真龍・古事記謡歌註(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176534/127(Retrieved March 25, 2023))には「鞘鞘」と解されている。
ここで「さやさや」と言葉が重ねられている。大刀の鞘のことを言いたいだけならば、重ねている理由は決められない。「さやさや」という言葉には、擬音語なり擬態語なりの「さやさや」という言葉に「鞘鞘」を掛けて歌われていると考えられる。では、「さやさや」という言葉はどこから生まれてきたのだろうか。関連する語として、「さや」、「さやぐ」系統と、「さやに」、「さやかに」系統の二系統の言葉が考えられている。
「さや」、また、その動詞形と思われる「さやぐ」という言葉の使用例に、次のようなものがある。
阿那佐夜憩 竹葉の声なり。(古語拾遺)
佐韋河よ 雲立ち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす(記20)
葦辺なる 荻の葉さやぎ 秋風の 吹き来るなへに 雁鳴き渡る(万2134)
小竹が葉の さやく霜夜に 七重かる 衣に益せる 子ろが肌はも(万4431)
小竹の葉は み山もさやに 乱げども 吾は妹思ふ 別れ来ぬれば(万133)
豊葦原の千秋長五百秋の水穂の国は、いたくさやぎてありなり。(記上)
「さやぐ」の主語に「~の葉」と明記されることが多い。記上の例も、アシの葉の擦れる音と理解される。記47歌謡が仮に「……木の葉の さやさや」とあれば、「さやさや」は擬音語「さや」の畳語であり、強調した形と決められよう。ただし、吉野の国主等の歌謡は、「……木の さやさや」である。落葉していると考えたほうが自然な「冬木」が「さや」と音が立てていると表現するのはどういうことか。このことは、「さや」が鞘であるとの洒落を言っていることの確証にもつながる。ハイという返事は肯定でも、ハイハイという返答は意にそぐわない内心を露呈した言葉遣いである。「……木」がそのまま「さやさや」と音を出しているのではなく、曰くありげな物言いをしているということである。
一方、副詞の、「さやに」、「さやかに」は、明瞭さ、分明さ、顕著さを表す。次のような例がある。
小竹の葉は み山もさやに 乱げども 吾は妹思ふ 別れ来ぬれば(万133)
水底の 玉さへ清に 見つべくも 照る月夜かも 夜の深けぬれば(万1082)
…… 筑波嶺を さやに照らして いふかりし ……(万1753)
吾が背子が 挿頭の萩に 置く露を 清に見よと 月は照るらし(万2225)
新墾の 今作る路 清にも 聞きてけるかも 妹が上のことを(万2855)
はっきりと目立つような対象を「さやに」、「さやかに」見聞きしている。背景は隠れて〈地〉となり、対象がクローズアップされ〈図〉となっている。ところが、吉野の国主等の歌謡は、「冬木のすからが下木の さやさや」である。「本剣 末ふゆ」が「冬木のすからが下木」に掛かっているように考えて、「大刀」の装飾がすばらしくてよく目立つという意味に解せないことはないが、迂遠な物言いである。「大刀」には「鞘」が付きものであるからそれを言っているとしたほうが直截でわかりやすい。「さやに」、「さやかに」見えるかというと、よくは見えないから、「さやさや」とくり返して内実を物語ろうとした言葉遣いにもなっていると考える。
西宮1979.は、「本剣 末ふゆ」について、「本が剣で末が増えている、の意で、東晋年号の太和四年(三六九)百済王貢上の七枝刀(石上神宮神宝)をさす。」(191頁)とする。「さやさや」だから分岐した鞘に当たる剣を持ち出して納得しようとしている。しかし、「さやさや」とあるばかりで、「さやさやさやさやさやさやさや」(「さや」×7)とはない。鞘は刀身を包むものである。刀背、すなわち、刀の峰のことは棟ともいう。屋根の一番高い所も棟といい、その両サイドは鬼瓦などの飾り瓦で包み込まれている。剣の場合、峰は真ん中を一直線に貫いており、諸刃の剣になっている。触れるだけで切れる刃のある両サイドを覆うものが鞘である。刃が二つあるから、鞘は「さやさや」ということで語義に忠実ということになる。
歌われているのは大雀命の佩刀姿である。オホサザキとは、大きなサザキ、偉大なるサザキという言い分であろう。サザキはミソサザイのことである。新撰字鏡に、「鷯 聊音、鷦 加也久支、又佐々支」、和名抄に、「鷦鷯 文選鷦鷯賦に云はく、鷦鷯〈焦遼の二音、佐々岐〉は小鳥なり、蒿萊の間に生れ、藩籬の下に長ずといふ。」とある。狩谷棭斎・箋注倭名類聚抄・巻七の鷦鷯の項に、「陳蔵器に曰く、林藪の間に在りて窠を為り、窠は小嚢の如しといふ。埤雅に云はく、其の喙の尖利なること錐の如し、茅秀を取りて巣を為り、巣は至精にして密なり、麻を以て之れを紩ふこと韈を刺すが如し、然るが故に又一名、韈雀といふ。」(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1209888/33(Retrieved March 25, 2023)、訓み下した)とある。巣を造るのが巧みなタクミドリという鳥がいて、それは鷦鷯と記すサザキ、今のミソサザイのことであるとする。
林2011.に、ミソサザイの「巣の特徴:岩の陰など薄暗い場所にコケで球形(壺形)の巣を作る。外側に小枝、枯れ葉などを張りつける場合もある。産座には特に何も敷かない。大きさ:外径約13×11㎝、高さ約15㎝、出入り口の広さ約3×3㎝、深さ(奥行き)約7㎝。」(124頁)とある。ミソサザイはとても小さな鳥でありながら、とても上手に巣を作る。外敵に襲われないように、川の瀬の飛び石の陰のような立ち入れないところに巧みに拵えている。足場、櫓でも仮設しなければ作れないものを、それすら立てられそうもない場所に作っている。高所作業もする宮大工のことを「木工」(雄略紀十三年九月)といっており、ミソサザイのことをタクミドリと呼ぶのはふさわしい。

ミソサザイの巣(大阪市立自然史博物館展示品、小海途銀次郎氏収集、フィールドでは苔が生きていて緑色をしている)
コケ類が枯れて骨格だけになった巣が、「冬木の巣」である。なぜ「巣」の話をしているかと言えば、歌い手が、「吉野之国主」、すなわち、ヨシノノクニ(吉野国)のスという人だからである。そして、ミソサザイは吉野のような山中で5~8月に営巣する。冬、巣は捨て置かれている。外側の殻だけになり、空の状態である。空っぽであるが形をとどめ、表面を覆う苔も枯れて茶色くなっている。そのため次の「加良賀志多紀能」へ続く。空っぽの殻の下木とは、巣の骨格であった下木ばかりが残るさまを表している。それを剣の鞘と見立てて、「さやさや」と続いている。
筆者はすでに、紀41・記74歌謡「枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り 掻き弾くや 由良の門の 門中の海石に ふれ立つ なづの木の さやさや」について、船の継櫓の下方部分が膨らみをもって伸びているところを刀の鞘に見立てていると指摘し注1た。記47歌謡の場合、刀の鞘が袋のように膨らんで捨て置かれ、「から」の状態になっているミソサザイの巣の形とは、すなわち、毛皮を用いた尻鞘に相当するものである。。けば立った様子が、ミソサザイの巣の名残りによく似ている。つまり、「須加良賀志多紀能」とは、「巣からが下木の」と訓むことができる。
白川1995.に、「「から」は外皮・外殻を意味するもの、草木の幹茎など、ものの根幹をなすもの、血縁や身分についてそのものに固有の本質をなすものなどをいう。みな同源の系列語である。このような基本語には、それぞれ語義の対応する漢字が選択される。人には「からだ」という。……〔名義抄〕に「權・柄・柯・幹カラ」とみえる。「から」は空なるもの、枯れたるもの、茎の形のものなどを意味する語。それに対応するものとして殻・幹・茎・柄の四字をあげておく。」(258頁)とある。和名抄には、「枝條 玉篇に云はく、枝柯〈支歌の二音、衣太〉は木の列なりといふ。纂要に云はく、大枝を幹〈音は翰、加良〉と曰ひ、細枝を條〈音は迢、訓は枝と同じ〉と曰ふといふ。唐韻に云はく、葼〈音は聡、之毛止〉は木の細枝なりといふ。」、「器皿部第十二〈四声字苑に云はく、皿は武永反、器の惣名なり。柄の音は筆病反、器物の茎柯なり、衣、一に賀良と云ふ。〉」とある。木の幹のことと器物の取っ手のことをともに「から」と言っている。新撰字鏡に、「槿 堇同、居隠反、櫬木、槿は李花に似て朝生れ夕に殯す。食す可き者也。保己、又、保己乃加良、又、祢夫利」とあり、矛の、手で握るところを矛の柄と呼んでいる。
すなわち、「巣からが下木」とは、太刀の柄の下の木の部分の意をも表している。「から」という言葉には、族(やから、うがら)という字を当てる血のつながる一族の意や、山柄、川柄というように素性、品格を表す意もある。「巣から」とは巣の状態、品質について言っている。素性、品格のことは、すじともいう。一筋に続くものの謂いと考えられ、幹という字で表わす「から」、道具の柄のことをいう「から」と通じている。記47歌謡は、大雀命の佩いている一筋の大刀を褒めているものでもある。
ここまで、「本つるぎ 末ふゆ」という句の後続する言葉について見てきた。そして、「さやさや」が大刀の鞘と掛けた言葉であることがわかった。その鞘は毛皮を使った尻鞘である。すなわち、「本つるぎ 末ふゆ」の対句表現はともに名詞で、「本剣 末ふゆ」、手元の方は「剣」、末の方は「ふゆ」になっていると言っている。そんな「ふゆ」という言葉が上代にあったことは知られていないが、筆者はあったと考える。

上:尻鞘(故実叢書 軍用記附図、国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771906/17(Retrieved March 25, 2023)をトリミングと加工)、中:毛皮の鞘(石山寺縁起巻2摸本、狩野晏川・山名義海摸、東京国立博物館研究情報アーカイブズhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0055242・男衾三郎絵詞、東京国立博物館研究情報アーカイブズhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0022413(Retrieved March 25, 2023)をトリミング)、下:山芋(スーパー市販品、細根はほとんど毟れている)
図を見ればよく似たものが思い浮かぶ。ヤマノイモ、自然薯である。掘り起こしたばかりで土にまみれて細い根がたくさん付いたままの状態に極めてよく似ている。旬は冬である。古語に「薢(ト・コ・ロはみな乙類)」という。蔓性植物でトコロヅラとも呼ばれる。
薢 崔禹食経に云はく、薢〈音は解、度古侶、俗に〓〔艹冠に宅〕の字を用ゐる。漢語抄に野老の二字を用ゐる。今案ふるに並びに未だ詳かならず〉、味は苦、少甘、毒無し、焼き蒸し粮に充つといふ。兼名苑注に云はく、黄薢は其の根、黄白くして味は苦き者なりといふ。(和名抄)
なづき田の 稲幹に 稲幹に 這ひ廻ろふ 冬薯蕷葛〔登許呂豆良〕(記34)
皇祖神の 神の宮人 冬薯蕷葛〔冬薯䕘葛〕 さねかつら 弥とこしくに 吾返り見む(万1133)
…… 懸け佩きの 小太刀取り佩き 冬薯蕷葛〔冬▲(蔚の寸の代わりに刄)蕷都良〕 尋め行きければ 親族どち ……(万1809)
和名抄にはまた、「薯蕷 本草に云はく、薯蕷は一名に山芋といふ〈夜万乃伊毛〉。兼名苑に藷藇〈音は暑預と同じなり〉と云ふ。」とあって、「芋」=サトイモと区別されている。出雲風土記・飯石郡条に、「萆薢・……・薯蕷・……」とあって、前者を「ところ」、後者を「やまついも」と訓まれている。異種であると考えられはするが、同じくヤマノイモ科の植物でよく似ている。現在、トコロと呼ばれる植物は、オニドコロ、ヒメドコロ、タチドコロがあり、ヤマノイモ同様、根の肥ったところを食べた。
木下2010.(403~407頁)は種の比定に厳しく、万1133番歌の「冬薯蕷葛〔冬薯䕘葛〕」の「冬」字に疑問を呈している。「そもそもヤマノイモの仲間は冬に落葉し蔓も枯れるから、冬季に認識すべき部位は地上になく、また冬に限って掘り採ることもしないから、まったく的外れであるのはいうまでもない。」(404頁)とし、本草経集注の読み間違いから生じたのではないかと指摘する。けれども、豪雪地帯を除けば、目印をつけておいて掘りに行くことは必ずや行われていたであろう。食べ物で、しかも、美味しいものに関して、採集者は労を惜しまず知恵を働かせたに違いない。枯れた蔓が干乾びて木にまとわりついていて零余子がぶら下がっていたなら、その根元のトコロ(所)には、トコロ(薢)があるということになる。。自然薯の旬は養分を十分に貯えた冬場である。
すなわち、記47歌謡に用いられている「ふゆ」という語は、「冬薯蕷葛」と記すように、わざわざ「冬」字を冠する「薢」のことを言っている。この歌謡は大雀命の佩いた剣の尻鞘を、彼が名に負っているサザキの巣のことと絡めて褒め歌ったものであった。
品陀の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる大刀 本剣 末ふゆ 冬木の 巣からが下木の さやさや(記47)
(大意)品陀(誉田)は日の御子、応神天皇だが、その御子の大雀命、その大雀が腰に佩いている大刀は、本のほうは剣に見えて末のほうは冬薯蕷(薢)、つまり、ヤマノイモのようだ。ヤマノイモは冬が旬の芋、その冬に見られるように苔が枯れて木ばかりになっているサザキ(ミソサザイ)の巣の殻のように、木の下の根っこの膨らんだところに似た、立派な鞘であることよ、まさしく鞘であることよ。
(注)
注1 契沖・厚顔抄に、「スカラハ俗ニ細ヤカナル人ヲモ、又木ノ立ノヒテ本ニ枝ナドノナキヲ、スカリトシタリト申セハ、冬木ノ葉ナト落テサ見ユルヲ、スカラト云ヘル歟、ソレヲ佩セタマヘル太刀ノ細ヤカニ粧ハレテ、ウルハシク見ユルニヨソヘテ云ヘル歟、志多紀ハ下木歟」(大阪府立図書館おおさかeコレクションhttp://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000005-00145212(Retrieved March 25, 2023)、読点を付した)とある。
注2 本居宣長・古事記伝に、「○布由紀能須は、冬木如なり、……さて此ノ冬木如は、たゝ枯と云言のうへにのみ係れる枕詞なり、……○加良賀志多紀能は、枯之下樹之なり、……俗語に云ハば、葉の落下地と云ことなり。……さて此ノ二句は、次の佐夜々々を云む料の序にて、樹葉の落チ散ラむとするほど、……木枯の風に動揺ぐ音の、さやさやと鳴る意につゞけたるなり、」(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041637/268(Retrieved March 25, 2023)、漢字の旧字体、一部繰り返し記号を改めた)とある。
橘守部・稜威言別には、「○布由紀能」須は、冬木如なり。……此は彼剣の、永刃のきらめく貌を、冬木の如しと譬え出たる詞なるをや。○加良賀志多紀能」は、幹之下樹之なり。幹とは、草木の本立を云こと既に出、こゝは葉の落尽て、たゞ其幹ばかり立てあるを云。……此句は、木葉の落尽たる後のこる楚の、霜氷に冴てきらめくよしに云るなり。」(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1069688/112(Retrieved March 25, 2023)、漢字の旧字体は改めた)とある。
注3 武田1956.に、「冬木のまっすぐな幹の下木の意で、さやか(明白)であるから、次の句を修飾する序とする。」(123頁)とある。
注4 土橋1972.に、「冬木の「幹」と「下木」とをいうのは、大雀命の「体」と「大刀」との関係の譬喩として、その必然性があるのであって、葉の落ちてしまった冬木の幹の下木が揺れているように、大雀命の大きな身体の腰の辺で大刀が揺れているというのである。」(212頁)とある。
注5 山口2005.は、「「冬木の直ら」が〈常緑の木で真っ直ぐ伸びているもの(=真っ直ぐに伸びている常緑の木)〉のような意味があれば、大刀の持ち主である大雀命を褒め称えたことになって、まさにこの文脈にふさわしい歌になるであろう。」(331頁)とする。
そして、「『古事記』の歌謡を解釈する場合には、歌の内部だけに目を注ぐのではなくて、その歌の現れる文脈的な必然性をも考慮すべきである」(332頁)と提言している。
注6 例えば、山路1973.は、「「幹から直接出ている下木」とみて、下枝の意とする。……要するに、冬木立の下枝の意であろう。」(115頁)とする。また、西宮1979.は、「ふゆき」(増殖した木、繁茂した木)を導く。その木の「すから」(立派な幹)の「下樹」(大木の下に生える聖木)が、風にそよいでさやかな音を立てているよ、の意。」(191頁)とし、七支刀のことを言っているとしている。折口信夫・ほうとする話(祭の発生 その一)には、「ふゆきと言ふのは、冬木ではなく、寄生と言はれるやどり木の事であらう。」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1449488/1/297(Retrieved March 25, 2023))とある。
注7 今日の古事記研究の一派に、残されているテキストを個別具体的に検討するよりも、古事記全体を俯瞰したかのような抽象的な解釈を重んじるものがある。例えば、山村2016.に、記47歌謡、ならびに記74歌謡の「さやさや」について、「音と様子の重層的な表現は、広範囲までに行き渡る影響力を示す。従って、支配を象徴する「太刀」の「さやさや」は、「大雀」の支配力の広がりを意味する。」(5頁)とある。また、服部2018.に、「吉野国主等によって大雀の佩刀が「さやさや」であると歌われるのは、単に佩刀に霊威があり、神武記熊野での天神御子と重なるだけでなく、「熊野山之荒神」「山河荒神」といった『記』における地上の「自然」の領域に通じる霊威を佩刀が備えており、……地上の「自然」と接触し服属させることができる力を、大雀もまた備えていることを明かすものと考えることができる。」(222頁)とある。しかし、古事記は稗田阿礼の声を太安万侶が書き起こしたものである。基本的に声の文化の産物である。
オング1991.は、声の文化にもとづく思考と表現の特徴として、「状況依存的 situational であって、抽象的でない」(107頁)とする。「声の文化のなかでは、概念が、状況依存的で操作的な operational 準拠枠において〔概念が状況や操作を指し示すというしかたで〕用いられる傾向がある。こうした準拠枠は、人が生活している生活世界にまだ密着しているという意味で、抽象の度合はきわめて小さい。〔概念の状況依存的、操作的使用という〕この現象をあつかった文献はかなりの量にのぼる。」(107~108頁)。古事記も、概念の状況依存的、操作的使用という現象をあつかった文献である。古事記の文章は、「累加的 additive であり、従属的ではない」(83頁)、「累積的 aggregative であり、分析的ではない」(86頁)、「冗長ないし「多弁的 copious」」(88頁)といった性格を完璧に備えている。「爾」という言葉の乱発的多用は、それ以外の何物でもない。
注8 山口2005.参照。
注9 詳細は、西宮1971.参照。
注10 紀41・記74歌謡については、拙稿「枯野伝説について」で、楫つくめのきしむ音とトビの鳴く声とを掛けながら、船の継櫓の下方部分(櫓べら)を刀の鞘に見立てていることを示した。下の万葉集の例は、カヂカラという言葉が、今日いうところの継櫓の持ち手部分を指していると理解される。
たまきはる 命に向ひ 恋ひむゆは 君がみ船の 楫柄にもが(万1455)
この歌は、万1453歌の題詞、「天平五年癸酉の春閏三月、笠朝臣金村の入唐使に贈る歌一首、短歌并せたり」として採られている。「入唐使」は、「唐」へ赴く船に乗る。だから、カヂカラが話頭に浮かんでいる。「たまき」は環、手巻のことで、お揃いのそれを手に巻いて無事の帰還を願っている。そんなことより、あなたが手にする楫の柄になりたいものだ、それなら一緒にいられるのに、と歌っている。「たまき」は手に巻く装飾品、きれいな念珠玉であり、「楫柄」は手のほうが握り巻く実用品、審美性とは無関係なものである。
注11 伊勢貞丈・貞丈雑記・巻之十二に、「尻鞘〈又シンザヤトモ云〉ハ虎の皮、豹の皮、熊の皮、鹿の皮などにて袋を作て太刀の鞘に懸るを云也。太刀のさや雨露にあへハ湿気にて太刀さびる故、毛皮をかけて雨露をふせぐ為也。」(国書データベースhttps://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200020574/783?ln=ja(Retrieved March 25, 2023)、句読点を付した)とある。
注12 助詞ガは、情態言は受けず、名詞や動詞などの独立性のある成分を受けることが山口2005.に指摘されている。「君が目」(万3974)、「梅が枝」(万845)、「見せむが為に」(万4222)などのようにである。「巣からが下木」は、名詞「巣から」を受けている。
注13 拙稿「垂仁記の諺「地得ぬ玉作り」について」参照。
注14 この点は、「みたまのふゆ」という独特な上代語にも当てはまる。拙稿「「ミタマノフユ」について」参照。
(引用・参考文献)
オング1991. W・J・オング著、桜井直文・林正寛・糟谷啓介訳『声の文化と文字の文化』藤原書店、1991年。
木下2010. 木下武司『万葉植物文化誌』八坂書房、2010年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
武田1956. 武田祐吉『記紀歌謡全講』明治書院、昭和31年。
土橋1972. 土橋寛『古代歌謡全注釈 古事記編』角川書店、昭和47年。
西宮1971. 西宮一民「古事記私解─歌謡の部─」『皇学館大学論叢』第四巻第五号(通巻22号)、昭和46年。10月。
西宮1979. 西宮一民『新潮日本古典集成 古事記』新潮社、昭和54年。
服部2018. 服部剣仁矢「剣(つるぎ)─『古事記』応神記における大雀の佩刀をほめる吉野国主等の歌─」吉田修作編『ことばの呪力─古代語から古代文学を読む─』おうふう、2018年。
林2011. 林良博監修・小海途銀次郎著『決定版日本の野鳥巣と卵図鑑』世界文化社、2011年。
山口2005. 山口佳紀『古事記の表現と解釈』風間書房、2005年。
山路1973. 山路平四郎『記紀歌謡評釈』東京堂出版、昭和48年。
山村2016. 山村桃子「『古事記』における「日の御子」」『文学史研究』第56号、大阪市立大学国語国文学研究室文学史研究会、2016年3月。大阪市立大学学術機関リポジトリhttps://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_111E0000001-56-1(Retrieved March 25, 2023)
※本稿は、2019年10月稿において、「ふゆ」の語義を見極められていなかった点につき大幅に改稿したものである。