HMRSのヘタレ趣味ブログ

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隅田川炭鉱専用軌道 その1

2009年10月24日 06時44分43秒 | 廃線
先週、平機関区さんたちに廃線歩きに誘われましたが所要で行く事ができませんでした。
そのときの様子を平機関区さんのブログで拝見し、また、メールでも情報をいただき、行ってみたくなったので、金曜の午後時間ができましたので(ずる休みではありません。)行ってきました。



国道49号線、いわき中央インター入り口平方面へ500mほどの南側に隅田川炭鉱専用軌道の終点、好間炭鉱専用鉄道への積込ポケットがありました。写真が現在の状況、好間炭鉱専用鉄道の引込み線と隅田川炭鉱専用軌道が併設されていたようです。写真の建物の裏あたりには好間炭鉱専用鉄道の本線跡が今も残っています。



ここから南西方向へ向かって軌道が伸びていましたので、その南西方向を振り返ると、小さな土盛りの陰に軌道跡は確認できないものの、炭鉱があった場所である証、ズリ? らしきものが確認できました。



その脇にある道路を起点方向へ歩いてみるとなにやら構造物が、排水溝のようですがこのコンクリートの壁は道路脇の水路に沿ってしばらく続いています。炭鉱関連の施設なのか? 判りません。



その先水路が分岐し、その分岐した水路脇に沿って軌道があったようですが、藪に埋もれて確認することができません。



少し車にて移動し、昭和の香りがする市営住宅から裏側へ移動、水路脇の少し上がった山すそに軌道跡と思われる平場があります。平場は枯葉や土砂に埋もれ、ほとんどが山の傾斜と同様になっています。



ここから軌道は少し勾配がきつくなり、一段上の田んぼへと上っていきます。写真は田んぼへ上ったところ、田んぼの奥に軌道としては結構な勾配と思われる傾斜が確認できます。



田んぼの奥の山際、セイタカアワダチソウが生えているところが軌道跡です。



その反対側、軌道跡は藪にのまれ、辿る事ができません。



再び自動車で起点側へ移動、市道との交差部から終点方面へ、軌道跡は農道として現在も利用されています。写真の奥が起点側市道。



前の写真から少し終点側へ移動したところ、終点側から軌道と並行していた水路との交差部。
実は小さな橋台が残っているのでは?と期待していたのですが何もありませんでした。代わりに廃線後少し道路として使われていたのか枕木を渡していたようですね。よく見るとレールのようなものが写真に写っていますが、これは朽ち果てたトラックのあおりみたいなものです。枕木?もここで使用されたものかどうかは知るすべもありません。



市道から終点側、奥の藪の入り口が前の写真の場所です。そこから終点方面も藪がひどく辿る事ができませんでした。

次回へ続きます。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしい風景 (元住人)
2012-02-04 22:21:01
隅田川炭鉱を取り上げてくれてありがとうございます。

東京から鉱山研究の方がいらして、いろいろ記憶の限り案内いたしました。

車がないので行くことができませんが、賑やかだった、炭鉱の時代は貴重な思い出としてのこっています。

フラガールではないですが、あの当時のことを残せるものはないかと思っています。

有難う御座います。
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Re:懐かしい風景 (kasa-hmrs)
2012-02-06 21:26:53
元住人さま。コメントありがとうございます。
元住人さまの体験した賑やかさはなんとなく想像できるのですが、現地ではとても想像できないですね。
隅田川ではないですが、好間の橋梁をはじめ、常磐炭鉱の遺構群が経済産業省の近代化産業遺産に登録されましたが、”地域振興にお役立て下さい”くらいなのであまり期待できないし・・

本当になんとかならんものでしょうかねぇ。
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お心嬉しいです。 (元住人)
2012-02-08 04:32:01
返信有難う御座います。今現在住んでる方達によりますので好間元山炭鉱、隅田川炭鉱を経営していた祖父が亡くなって55年になります。ほとんどの人が知らない年代になり、祖父の行った功績も語られないまま終わるのかと思うと少し悔しい気もしますが、大っぴらに話すことでもないと、悔しい気も致します。私が孫の一人であることでさえ、先生方は気が付きませんでした。今になり祖父が残してくれた私に対する思いやりもすべてかき消され、今になって気づいた次第です。
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Re:元住人さま (kasa-hmrs)
2012-02-08 20:55:56
常磐炭田は戦後、近代の日本の復興、否、明治日本の近代化に貢献した産業であったと思います。あまりにも便利な世の中に皆先代の功績を気にも留めないというところでしょうか。
私の父は福島臨港鉄道の運転手でした。格は全然違いますが、江名鉄道での運転のエピソードなどを聞くと、その華やかりし時代に思いを馳せ、表現しがたい郷愁といいますか、表現できない感情を持つことがあります。できることならその時代を体験してみたい。そんなところでしょうか。
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