昔のネガが出てきました。
沼尻鉄道の廃線跡を車で踏査したときの記録です。
私が初めて購入した車ですので昭和58年ごろの撮影と考えられます。
母成グリーンラインから中野沢温泉へ、当時ここへ保管されていたDC12を見てから(後ほど紹介)沼尻駅へ、そこから廃線跡を下って行きました。
沼尻駅舎は今も残っていますね。この時代からそれほど変わっていないようです。
写真はすべてモノクロ。ジリ貧であった私にはカラー写真は贅沢品でした。父が暗室を持っていたので、白黒の現像とプリントは自力でやりましたので、白黒だとそれほどお金がかかりませんでした。
県道を超えてしばらく行くと橋がありました。(うる覚えです。写真の順番で書いているのでもしかすると間違っているかも知れません。)
これはガーダー橋だったような? 写真の写りが悪くて判読不能です。
この橋から沼尻駅方面を見たところ。民家の間を通っているんですね。
この先はまさに緑のトンネルを通るような感じでした。そしてここにも橋があります。
コンクリート橋です。こういった小さい橋が結構あったんですね。
最近は廃線ウォーキング等が行われているようで、この圃場整備までの区間もきれいに手入れがされているようですね。
緑のトンネルを抜けるとカヤの原っぱを通っていました。
映っている車が私の最初の車。SUSUKI Jimny SJ-30FM です。当時この車で野山を駆け回っていました。
ここにもコンクリートの橋があります。
その先には距離標? のようなものが残っていました。現在はなくなっているんでしょうね。
いよいよカヤは濃くなっていき・・
廃線跡は圃場整備された農地に変わっていました。
ここから川桁駅へ移動。 次回。
沼尻鉄道の廃線跡を車で踏査したときの記録です。
私が初めて購入した車ですので昭和58年ごろの撮影と考えられます。
母成グリーンラインから中野沢温泉へ、当時ここへ保管されていたDC12を見てから(後ほど紹介)沼尻駅へ、そこから廃線跡を下って行きました。
沼尻駅舎は今も残っていますね。この時代からそれほど変わっていないようです。
写真はすべてモノクロ。ジリ貧であった私にはカラー写真は贅沢品でした。父が暗室を持っていたので、白黒の現像とプリントは自力でやりましたので、白黒だとそれほどお金がかかりませんでした。
県道を超えてしばらく行くと橋がありました。(うる覚えです。写真の順番で書いているのでもしかすると間違っているかも知れません。)
これはガーダー橋だったような? 写真の写りが悪くて判読不能です。
この橋から沼尻駅方面を見たところ。民家の間を通っているんですね。
この先はまさに緑のトンネルを通るような感じでした。そしてここにも橋があります。
コンクリート橋です。こういった小さい橋が結構あったんですね。
最近は廃線ウォーキング等が行われているようで、この圃場整備までの区間もきれいに手入れがされているようですね。
緑のトンネルを抜けるとカヤの原っぱを通っていました。
映っている車が私の最初の車。SUSUKI Jimny SJ-30FM です。当時この車で野山を駆け回っていました。
ここにもコンクリートの橋があります。
その先には距離標? のようなものが残っていました。現在はなくなっているんでしょうね。
いよいよカヤは濃くなっていき・・
廃線跡は圃場整備された農地に変わっていました。
ここから川桁駅へ移動。 次回。
それはさておき、これは貴重な記録ですね。
橋梁などは、廃止後かなりの年数を経過しているにも拘わらず、意外と残っていたのですね。
そういえば先日、旧会津下館駅そばの旧長瀬産業組合の建物の2階に展示されている、沼尻鉄道の資料を見学してきました。
カラーの8ミリも放映されていて、DC12の走行音などを聞くことができたり、9ミリナローの精巧なレイアウトも展示されていて、どれも一見の価値がありますので、機会があればぜひご覧になってみてください。
可倒式でした。爽快ですが涙ポロポロで走っていました。
この年は沼尻鉄道廃線から15年ほど。浅い年代だと見向きもされないものなのかもしれません。
現在はサインなどが整備されたりで、廃線ツアーに参加するのもよいかもしれませんね。
資料館も非常に気になります。時間があったら
(時間は作るもの!)行ってみたいとおもいます。DC12にも会ってこないと。