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珈琲ひらり

熱い珈琲、もしくは冷珈なんかを飲む片手間に読めるようなそんな文章をお楽しみください。

2007年06月29日 | 短編


 
 その女はこのクソ暑いのに、着物を着込んでいた。
 長い艶やかな髪で顔を隠して、柳の下に立っている。
 まるで心霊話のようじゃないか。
 私はその女をからかう事に決めた。
 時刻はまだ19時を回ったばかりだ。
 菫色の空は陰気な幽霊を人に見せるには不釣合いすぎる。そんな空の下で男と女とが出会うのなら、一夜限りの楽しみの幕開けに決まっている。
 着物の女を脱がしたい、というのは男ならば誰もが抱いている願望だろう。私はその女に声をかけた。
 どこかに行かないか? と。
 すると女は私に顔を向けた。
 酷い火傷と、首に走った深い傷が、それで私の真正面を向いた。
 そして女は私に薄っすらと笑うと、すぅーと消えた。
 以後数日、私の顔はひどく爛れた。



階段

2007年06月29日 | 短編


 私の部屋は階段のすぐ横にあります。
 引越しの日に数えてみたら26段、ありました。
 え? どうして階段なんて数えたのか? って。だって、その部屋は相場なら一ヶ月4万円代はする部屋なんですが、一ヶ月2万円なんです。しかも前にこの部屋に住んでいた大学生が帰郷するに当たって自分が使っていた一切の家具を置いて行ってくれたので、私は家具などを買う必要もありませんでしたし。
 だから嬉しくって。
 引っ越した日の夜はなかなか眠れませんでした。
 アパートの周りは田んぼなので、夜は怖いぐらいに静かでした。
 そんな静かな夜に、かん、という音がしたのです。
 夜に響いたのは、その、かん、という一音だけでした。
 私は不思議に思いましたが、きっと空き缶でも誰かが捨てたのだろう、とそう思いました。
 次の日、大学の一年生を対象とした一年間の講義計画の説明会も終わって、私は自分の部屋に帰ろうと家路に着きました。
 アパートの階段を上ろうと、階段の一段目を踏んだら、かん、と音がしたんです。
 私は確かに以前にどこかでその音を聴いたような気がして、よくよく考えてみればそれは昨夜、私が聞いた音でした。
 この日の夜でした。
 かん。かん。
 今度は、二つ。
 その次の夜でした。
 かん。かん。かん。
 その部屋に越してきて夜を迎える度に響く音が一音ずつ増えていきました。
 私は怖ろしくってしょうがありませんでした。
 今更ながらにして、この部屋の持ち主がどうして家具をいていったのか考えました。
 本当にこの部屋の以前の持ち主は、帰郷したのでしょうか?
 何故、この部屋は安いのでしょうか?
 七日目の夜、私はアパートに帰れませんでした。
 しかし、そのまま友人の部屋に泊まり続ける訳にも行きませんし、第一、通帳もカードも、部屋に置きっぱなしなので、お金が………。
 だから友人になったばかりのA君に頼んで、一緒にアパートに行ってもらったんです。
 そしたら、A君はアパートの階段を見た瞬間に腰を抜かして、真っ青な顔をしていたんです。
 そして彼は僕にこう言いました。
 階段から落ちて死んだ老婆が、僕を落ちて死んだ格好のまま、私の部屋から出て行け! と叫びながら睨んでいる、と―ーーー。

 

心霊サイト

2007年06月29日 | 短編



 最初はただ暇潰しのつもりでした。
 私は大学生ですが、C新聞社の奨学生支援プログラムで、新聞配達員として朝刊と夕刊の配達をしています。
 つい先ほどまでは明日のゼミで発表するためのレジュメとスライドをMACで作成していて、それが思った以上に時間がかかってしまい、もう朝刊配達のバイトまで1時間ちょっとの時間になってしまったんです。
 だから今から寝たってしょうがありませんから、このまま起きていようと思ったんです。幸い、明日は二講義目が空いているので、その時間にクーラーの効いている図書館に行って、そこで寝ていれば良いかと思って。
 最初は、だったらもう一回チェックをしようかな? と思ったのですが、でもさすがにその作業にも飽きていましたし、だから、だらだらとネットでも見て、それで時間を潰そうと。
 お気に入りのサイトや、そのサイトからリンクの貼ってあるサイトへと行って、そうやって私は順調に時間を潰していました。ああ、でもこの表現って、ちょっと間が抜けていますね。ええ。自分でも何をやってるんだろう? って思いました。ひょっとして寝てた方が良かったかもしれないとかと思いました。
 だけどもう寝る事も本当にできない時間になってしまっていて、それでまだ少しバイトの時間までには早いけど、作業場に行って、そこで配達所の上司や同僚が来るのを待ってようかな、ってそう思ったんです。
 はい。そう思ったんです。後からすごく後悔したんです。そう思った瞬間にそうしておけば良かったって。やるべき事をやるべき時にやってれば、悪い運って、縁が繋がらない、って知ってますか? これ、私の経験による持論なんですけど。
 とはいえ、やるべき事をやって、それで良い縁に恵まれた時や、悪い縁がそれをやった事で私の目の前を通過して行った時に、ああ、やっておいて良かった、と思う事は稀で、大抵は、悪い縁に繋がって痛い目を見て、わかっていたのにな、としょげ返る事の方が多いですけど………。
 それで、ええ、この時もそうだったんです。
 たった3分前の事です。
 パソコンを切ろうと思って、マウスを動かそうとして、だけどその時にふと思い出してしまったんです。ゼミで噂になっていたサイトの事を。
 そこはバスガイドをやっている方が開いているサイトで、各地の観光名所を綺麗な写真とわかりやすい説明で紹介している事が売りなHPなんですが、裏サイトと言いますか、そこのHPのリンクに貼ってある、その人のもうひとつのHPには旅館や民宿などの裏、そういう旅行業界の方しか知らない心霊情報などを紹介してあるHPでして、ええ、そこはすごく怖いって聞いていたんですが、でも、それだけじゃないんです。
 そこのどれかの記事を読むと、その記事に出てくる女の子の幽霊が読んでいるその場に出てくるって、そういう事で有名なんです。
 テレビや映画などの心霊物は、撮る前はもちろん、撮った後も、役者やスタッフだけではなく、完成した作品もお払いを受けるそうなんですが、そうしないと災いとかが起こるって、そう言われてて、実際に起こっているのをアンビリーバボーなんかでもやってたけど、ええ、とにかくそういう事で、でも、これってサイトですよね? お払いなんか受けていませんよね? だから、そういう事があるって………
 私が大学で知り合った子に聞いたお話ですが、そのHPを読んで、心霊現象にあった子が、精神病院に入院したとか、しないとか………
 昼間、キャンバスでベンチに座ってその話を聞いた時すら薄ら寒く感じたのですが、
 だけど、ふいに思ってしまったのです。そのサイトを見てみようかな? って。
 怖い物見たさ、と言うか、多分その時には、いえ、その話を聞いた時に既に私は引かれていたのかもしれません。
 そうでなければ、100以上ある紹介文の中からそれを引き当てる偶然なんて起こる訳がありませんから。
 その当たりがディスプレイに表示された瞬間にわかりました。
 私の部屋にはクーラーなんか無くて、扇風機だけで、パソコンを置いている机の横の窓も全開にしてあるのですが、全然暑くて、夜なのにじっとりと焼け付くような不快な粘性を持つ空気が私の身体に絡みついていたのに、
 それが、
 それが、
 その当たりを引いた瞬間に、いっきにニッキ水のような冷気を帯びたのです。すぅーっと肌に当てた刃物を引くような、そんな空気の焼ける痛さだけを残して空気が冷たくなっていって、私の背筋を怖気が走り、
 私は、私の後ろに誰かが居る気配を感じました。
 不味い。私はそう思いました。
 パソコンのコードを一気に抜いてしまおうか? 私は焦りながらそう思ったんです。心臓は口から飛び出しそうでした。誰かが私の後ろに居て、その誰かがそっと私の後ろから私の顔を覗き込んできて、私はパソコンを切ろうとするけど、もう私は動けなくって、私は私が馬鹿げた好奇心で覗いてしまった心霊話を表示しているパソコンを前に、くすくすと笑う女の子を背にして、固まっています。
 空気はもう寒いぐらいに冷たくって、
 それはニッキ水のような冷たさで、
 部屋の恐怖の密度は上がっていって、
 私は―――――

前世とか、現世とか

2007年05月14日 | 短編



 絶望的に気分が落ち込んだ。
 日雇いの仕事場と寝床にしているネットカフェとの往復の日々。
 一日で喋る言葉は「はい」と「すみません」だけ。後はもう、何も喋らない。喋る相手もいないし、そもそも喋る機会が無い。
 身体は悲鳴をあげていた。
 当然だ。ネットカフェの椅子の上じゃぐっすりと眠れない。窮屈で、肋骨が痛くって、周りの雑音が眠らせてくれない。
 一番の原因は見えない明日。
 絶望的な気分だった。
 自己責任とか言われるけど、生れ落ちた先の親が悪かったのは、自己責任?
 謂れの無い事で虐められて、学校に行けなくなったのは自己責任?
 環境が悪かった、それで逃げる事を責められる事がきつかった。
 全てに絶望。絶望。絶望しかない日々。
 ただ気まぐれに昔、学校の教室でたまたま聞いたクラスメイトのハンドルネームを検索してみた。
 出てきたHP。
 そこに載っていた日記。
 大学院で好きな事をして、笑っているという内容を綴った日々。
 全然違う、環境。
 ただ、生れ落ちた先の親が違っていただけで、天国と地獄。
 前世でボクはどんな罪を犯して、こんな現世を送っているんだろう?
 絶望的な気分になって、だからボクは、手首を切った。
 ただ、ボクの死骸を見つけてくれた人に、ボクの悔しさをわかってもらえるように、彼女のHPを表示して・・・・。


 →Closed

声を聴いて。

2007年05月11日 | 短編


「それでは霧原さん、お願いします」
「はい」
 大学生専用の安アパートの玄関前。所在無さげに立っていた私は、私を呼んだ刑事さんと入れ替わって部屋に入る。
 まだ部屋の中には血の匂いが残っていた。
 鼻腔にそれが薄い膜を成して張り付いたような気がして、私は、その臭いに悪酔いしたような嘔吐感を覚えた。
 殺人現場ではいつもそうだ。
 早く帰りたい。
 心からそう思う。
 だけど、私はそう思う感情を懸命に頭から追い出すように心がける。
 それがノイズになってしまっては、覚悟してこの部屋に入ったのに、本末転倒になってしまうから。
 そして、
 私が、
 聴くのは、
 この部屋の住人、殺された被害者の声なのだから。
 私は耳を澄まして、脳裡に思い浮かべたスイッチを、押した。
 

 

『メール』

2006年10月25日 | 短編
『メール』

 最悪だ。そりゃあ確かに今朝見た星占いの射手座のAB型は運勢最悪だったけどさ。
「はい、若見さん、ご苦労様。これ、携帯ね。これからは気をつけるのよ」
 自称私立聖霊女子高校一優しく美しい女教師中井希恵は乱れた髪を指で梳かしながらへとへとに疲れているあたしに真新しい携帯電話を手渡した。
「は~い」
 あたしは「失礼します」、という言葉と共に科学準備室のドアを閉めると、そのドア…正しくはそのドアの向こうでアルコールランプを使った自作のコーヒーメーカーでコーヒーを煎れている彼女に向かってあっかべーをした。
 そのあたしの耳朶を「ぷぅ」、とかわいらしく笑い声が叩いた。そちらを見ると、小学校の時からの幼馴染が口に手をあてて笑っていた。あたしは慌ててあっかべーをやめる。
「お勤めご苦労様です、若ちゃん」
「うっちゃん、待っててくれたの?」
「そうよ。感謝してよ、いい友人に」
「もちろんっスよ。うっちゃん」
 あたしはうっちゃん…北村詩子に満面の笑みを浮かべて頷いた。と、そこで背に悪寒が走った。やばい。どうやら極上のプリティースマイルを浮かべ過ぎたらしい。
「若ちゃん、かわいいぃー」
 発情したわんこみたいにうっちゃんがあたしに後ろから抱き付いてきて、
 と、いつもの様にそのまま腰を振ってくると思いきや途端にうっちゃんがあたしから離れる。いつもならこっちがいくらやめてぇ! と、言っても余計に面白がって離れないのに。ん?
「うぎゃ。若ちゃん、汗臭ぁ―い&埃臭ぁーい。きゃぁー。きゃぁー」
「ひっどぉーぃ。希恵ちゃんにこき使われて心身ともにお疲れの友人に向かって言うセリフ? あー、もう体が痛い。こりゃあ、明日筋肉痛決定だよ。それに付け加えて今の言葉。あ~ぁ、もう最悪。そこまで最悪か、今日の射手座?」
「悪い。悪い。そう膨れっ面しなさんなって。だけどまあ、今日の射手座そこまで運勢悪くないんじゃないの? だって見つかったのが希恵ちゃんだったんだもん。エラ星人だったら即行で職員室に保護者呼び出しだよ?」
 あたしは頬を膨らませていた空気を尖らせた口から吐き出した。確かに彼女の言う通りだ。校則で禁じられている携帯を見つかったのが希恵ちゃんだったから科学準備室の掃除と実験機材の整理で終わらせてもらえたのだ。他の教師だったら保護者である姉を呼び出されて大目玉をもらったところである。まあ、姉には怒られはしかっただろうが。そう、姉には………。
「でもまあ、若ちゃんの自業自得。学校では携帯はバイブに設定しとくのが常識だもん」
「しょうがないよぉー。携帯初心者だもん。アナログのあたしには一生縁がないと思ってたんだから。高校入学のお祝いってお姉ちゃんがくれなかったら、絶対自分から持たなかったよ」
「で、メールは誰からだったの? あ、ひょっとして彼氏からかしら?」
 あたしのメールアドレスを知ってる友達は全員授業中だったわけで、彼氏発言はそこから来るわけだ。あたしは苦笑い。
「違うって。メアド教えるような彼氏殿などいないもん。お姉ちゃんよ。お姉ちゃん。っとに、あの人はこうやって悪戯してあたしを困らせるのが趣味な人だからね」
「ほんと仲いいんだー」
 うっちゃんは笑い出した。あたしはそんな彼女を半目で見据えながら苦笑い。あのね、実際そんな愉快じゃないんだよ。被害者の立場からすれば。
 あたしたちは校門を出てすぐのバス停に辿り着いた。ちょうどタイミングよくそこにバスが来る。うっちゃんはバス通学であたしは徒歩通学(高校入学と同時に近くのマンションに引っ越した)なので、彼女とはここでお別れ。あたしたちは手を振って別れた。
 バスの後ろで手を振る彼女の姿が見えなくなると、あたしはくすっと笑って肩をすくめた。そして歩きながら背負っていた鞄を片手に抱え込んで、ファスナーを開ける。
「ったく、お姉ちゃんもほんと暇人なんだから」
 お姉ちゃんは新人の看護士さんで、今日はお休みだ。だから当然9時58分などという時間にでも悪戯メールを送ってこられるわけで。あたしは少しでも早くお姉ちゃんに文句を言ってやりたくって携帯を開き、電源を入れた。と、そこであたしの眼は点になった。メールがものすごい勢いで入っている。あ、また受信した。
 あたしはとりあえずメールを開いてみる。
 ものすごく後悔した。
「なによ、これは~」
 携帯の画面いっぱいに『助けて』の文字。気味が悪いにも程がある。あたしの全身に怖気が走って鳥肌が立った。そうこうしているうちにまたメールが入る。あたしは気持ち悪くって携帯の電源を切った。夕暮れ時の世界はものすごく透明で、まるで何もかもが吸い込まれてしまいそうで寂しくなってしょうがなかった。極めつけは半年前に潰れた遊園地の観覧車がまるで夕暮れ時の薄闇にそびえる墓標のようにも見えた。それでなんだかもうたまらなくなって、あたしはダッシュで家に帰った。
「お帰り。なによ、里子。そんなに息せき切って。まさか学校から走って帰ってきたとか? そんなにお姉ちゃんが恋しかったか。ん?」
「違うよ、お姉ちゃん。そんな冗談言ってる場合じゃないって!」
「冗談って………。あのねー。まあ、いいや。で、何があった? ストーキングでもされた?」
「これ見て、これ」
「あん? 彼氏殿からのラブラブメールを彼氏のいないお姉さまに見せるって?」
 いひひひっと笑っていたお姉ちゃんはあたしの携帯に来たメールを見て、眉根を寄せた。
「なによ、これは? 悪戯にも程があるわ」
 と、お姉ちゃんはそう言うと、受信したメールをすべて消去した。電源も切ってしまう。そしてちょっと怖い顔をして、あたしを見た。
「いい、里子。メアドは明日、私がショップに行って変えてきてあげるから、これは預かっておくよ」
 強い調子の声。有無を言わせない口調。あたしはそれに違和感を覚えた。お姉ちゃんはものすごく悪戯っ子だけど、心根は優しく強い人だ。そしてお姉ちゃんのあたしへの態度は、私が、ではなく、里子が、の人だ。自分で出来る事は自分でやらせて、それをやる過程で困難な事に行き詰まった時に初めて手を貸してくれる人。だから違和感を覚えた。それに口調だっていつもはもっと余裕のある感じでこんな感情的な口調じゃない。それとも事が事なだけに、って? 
 ………あたしの考えすぎ?
「あ、ううん。いいよ、お姉ちゃん。それぐらいあたしがやれるし。明日はお姉ちゃん日勤でしょう。帰りだって遅くなるしだし。だからあたしが自分でやってくるから。ごめん」
 お姉ちゃんは顔をしかめたままあたしを見ていたが、どこか抑揚の無い声で「ちゃんとやってくるんだよ」、と言って、携帯に何かを打ち込んであたしに携帯を手渡した。あたしは面倒臭がってちゃんと説明書を読んでいなかったのでやり方は知らないのだがおそらくはメールの着信拒否の設定を打ち込んでいたんだと思う。
「あ、うん。わかった」
 あたしが頷くと、お姉ちゃんはまるで憑き物でも落ちたように優しい表情をして「ごはん、ちょうどできたから、食べましょう」、と、キッチンの方へ行ってしまった。
 夕飯を済ませると、あたしは自分の部屋に引っ込んだ。
「お姉ちゃん、やっぱりなんか様子がおかしかったな」
何だかもの凄く胸が痛い。苦しい。
「うー、わかんないよ。メールは気持ち悪いし、お姉ちゃんは変だし。今日の射手座そこまで運が悪いか」
 あたしは両手で頭を掻いて、ベッドに転がった。天井に貼ったGacto様のポスターをじっと見る。かっこいい~。
 いつの間にか夢を見ていた。
 そこは誰もいない夕暮れ時の遊園地。
 ものすごい寂しい光景。
 ただアトラクションだけが動いていた。
 と、あたしはそこに小さな女の子の後ろ姿を見た。その娘の後ろ姿はとても寂しそうに見えた。まるでその寂しさがあたしの中に流れ込んできたみたいに胸が苦しくなった。ものすごく寂しくって哀しくって。心が張り裂けそうだった。
「あれ、この感じ………」
そしてあたしはこの感じに覚えがあった。この心がどうにかなってしまいそうな哀しい胸の痛みに。………。
「待ってぇ!」
 あたしは彼女を追いかけた。だけどこういう夢の常なのか。あたしの体はものすごく重い。まるで水の中を掻き歩いているように前に進めない。
 そしてあたしは夕暮れの光に半分溶け込んだような観覧車の下に辿り着いた。ゴンドラにあの娘と、そしてあたしと同じ年ぐらいの女の子とが手を繋いで乗るところだ。
 ゴンドラの窓から見えた彼女達の横顔はのっぺらぼうだった。
「うぐぅ………」
 その光景を見たあたしの心臓が早鐘のように脈打ちだした。汗がじっとりと全身を流れる。胸が…ううん、心が引き千切られているように痛い。
 夕暮れ観覧車。
 ゴンドラが上に向かって動いて行く。
 あたしはそれに助けを求めるように手を伸ばす。
 ………どうして? 誰に?


「若ちゃん、大丈夫?」
「え?」
 あたしはうっちゃんの開口一番のその言葉に愕然となった。
「えっと、…………大丈夫、って?」
「え、だからさ、その、目の下の隈とか………。ごめんね。上手く化粧でごまかしてると思うけど、女の子が見ればわかるよ。なんか、あった?」
 心配そうなうっちゃんにあたしは作り笑いを浮かべた。
「あ、うん、大丈夫。ちと、ゲームにはまちゃってっさ。すずめがちゅんちゅん鳴くまでやってたの♪」
 あたしはめいっぱい愛想笑いしながら明るく言ったつもりだったんだけど、うっちゃんはなんだか余計に眉根を寄せてしかめっ面していた。
「あのさ、若ちゃん。若ちゃんはあんな事があったばっかなんだから、だからなんかあるならさ………」
「え、やだなー、うっちゃん。なによ、そんな深刻な表情して。それに何よ、あんな事って?」
「え? あ、うん、だからさ…、あ、ちょっと待って」
 言いにくそうだったうっちゃんはまるでそれ幸いと言わんばかりにたった今メールが着信した携帯を開き、メールを読んでいる。そして、メールを読み終わって、携帯をしまうと、あたしに向き直ってにこりと笑った。それはとても純粋で無邪気な笑顔。まるで幼い子どもみたいな。彼女のその笑みにあたしはゾクリと寒気がした。この肌が怖気立つような感覚は昨日、墓標みたいな夕暮れ時の観覧車を見た時と似ていた。
 彼女は間違いなく人が変わっていた。
「ねえ、若ちゃん。今日の古文の宿題やってきた? 今日って26日じゃん? 出席番号と重なってるのよね。だからさ、やってきたならお願い」
 うっちゃんはかわいらしく両手を合わせてお願いのポーズをしている。さっきまでのシリアスな感じは微塵も無い。そう、微塵も。思えば最前までの彼女も様子が変だったのだ。彼女はさっきまでの会話を忘れている。肌に鳥肌が立ち、背中を冷たい汗が流れて行く。
「あ、あの、うっちゃん。さっきまでの話は? あんな事って…?」
「え? さっきまでの話? さっきまでって今あたしここに…。それにあんな事って?」
 小首を傾げる彼女。揺れた前髪の向こうにある彼女の双眸は本気で不思議そうにあたしを見ている。本気で会話が噛みあってない。
 あたしは自分の瞳孔が開くのも、知らず知らずのうちに喘いだ事も今気付いた。
 変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。
 お姉ちゃんも、うっちゃんも変だ。あたしは助けを求めるように教室の周りを見回した。そこには同じ制服を着て、同じような表情をしてあたしを見ているクラスメイト達がいた。まるで一つの感情を皆が共有しているかのように同じ表情をした皆が。…………。
「若ちゃん、どうしたの? 顔色が真っ青だよ? それにそのメイク。上手に目の下の隈をごまかしてるけど女の子が見ればわかるよ。なんか、あった? って、若ちゃん? 若ちゃん、どうしたの?」
 あたしは愕然として、両手で震える己が身をぎゅっと抱きしめた。だけどそれであたしの震えが止まる訳が無い。教室にいる皆が同じ顔であたしを不思議そうに見ている。
 …………。
あたしは、
 たまらなくなって、教室を飛び出した。


 気がつくとあたしは学校のそばにある公園に来ていた。公園の真ん中にある小山形の滑り台の下には小さなトンネルがあって、あたしはその中で膝を抱えて、立てた膝に顔を埋めて泣いていた。
 何だろう? 何がどうなってるんだろう? お姉ちゃんも皆も変だ。一体何がどうなってこうなってるんだろう?
「決まってる。メールだ。あのメールが来てからだよ」 
 そう、あのメールが来てからだ。あのメールを見た瞬間から何かが決定的に変わってしまった気がする。まるで世界のチャンネルが変わってしまったかのような――――。
 だけど原因がわかっても、あたしは携帯の電源を点けられずにいた。何だかこのメールについて行動を起こす事がとても怖い。だけど怖くって怖くってしょうがないけど、その恐怖の色一色に塗り染められた心のほんの片隅であたしはこのメールに立ち向かわなければいけないんだという事を無意識に悟っていた。
「そうだよね。すごくすごく怖いけど、本当のお姉ちゃんとうっちゃんに会いたいもんね」
 あたしはぼろぼろと泣きながら携帯に電源を入れた。携帯はあれからまた膨大な量のメールを受信していた。あたしはそれを吐きそうになりながら呼び出した。
 メールは『助けて』がやはりエンドレスで入ってるだけだった。だけどこのメールに対してあたしができる事はそれだけじゃない。あたしがやれる事がもう一つある。そう、送信者のメアドもわかっているのだ。だからあたしから相手にメールを送る事もできる。
 あたしは、『あなたは誰? 助けてってどういう意味?』、と、メールを送った。そして次の瞬間にメールが返ってきた。そう、送信した次の瞬間にだ。どんなメールの達人でもそんな事ができる訳が無い。ただそれだけで圧倒されながらもあたしはそのメールを怖気と共に開いた。そこには――――

 遊園地。夕暮れ観覧車。独りぼっち。助けて。あたしは、

 そしてあたしはそこまで読んだ時、携帯を横から伸ばされた手で奪い取られてしまった。
「お、お姉ちゃん…」
 あたしはお姉ちゃんに引っ張り出された。悪戯して怒られるのが嫌で、それで隠れていたようなあたしをやはりその悪戯した子どもを隠れ場所から引っ張り出した親かのような顔でお姉ちゃんは見つめていた。
「あの、お姉ちゃん、あたし…は………」
 胸元をぎゅっと握り締めて言葉を言い募ろうとしたあたしはだけどその言葉を失った。上目遣いに見上げたお姉ちゃんの顔にはとても優しい笑みが浮かんでいた。その優しい笑みにあたしはどろりと得体の知れない何かに飲み込まれるような感覚に襲われたのだ。
 口を開けたままのあたしにお姉ちゃんはその笑みを深くした。
「里子。二人でショッピングにでも行きましょうか。ほら、それでついでに雑誌に載ってた喫茶店に行きましょうよ。里子が食べたがっていたジャンボクリームパフェ、私が奢ってあげる」
 そう言って伸ばされたお姉ちゃんの手。その手を掴めばあたしが今感じてるすべてがまるで見た悪夢の内容は忘れているのに、その心地悪さだけは覚えてるようなこの感じも次の瞬間には綺麗に消えてることをあたしは無意識に悟っていた。だから手がその誘惑にお姉ちゃんの伸ばされた手に伸びていく。

『助けてぇ………』あたしの脳裏にあのメールの文章が浮かび上がった。

「ダメぇー」
 あたしはぽろぽろ泣いていた。幼い子どもみたいに泣きじゃくりながらその場で地団駄踏んで、髪の毛振り乱しながら顔を振って、「ダメ、ダメ、ダメ」って泣き叫んでいた。
 お姉ちゃんはそんなあたしに優しく笑いながら握られない手を差し伸ばしている。あたしはそんなお姉ちゃんの横を泣きながらすり抜けた。
 あたしは公園を飛び出した。そしてその瞬間、もうそこは夕暮れ時の遊園地だった。さっきまで午前中の公園だったのに。
 それは異常だった。
 そこも異常だった。
 全てが異常だった。
 夕暮れ時の橙色の光の中でメリーゴーランドが、コーヒーカップが、ジェットコースターが、色んなアトラクションが誰もいないのに動いていた。
 そう、あの見た夢と同じ。
 あたしは取り憑かれたように走って観覧車に行った。
 夕暮れ観覧車。
 タイミングを図ったかのようにちょうど下りてきたゴンドラ。自動的に開く扉。
 あたしは乗った。
 そこには12歳の女の子がいた。
 彼女の前にあたしは座る。
 そして彼女の顔を見る。泣いている彼女の顔を。
 12歳のあたしの顔を。
 ゴンドラに座った瞬間、あたしはすべてを思い出してしまった。
 観覧車はゆっくりと回りだす。
 あたしは遠くなっていく地上を、小さくなっていく街並みを眺めた。夕暮れ観覧車から。
 あたしは唐突にここに来る事で思い出していた。あたしが誰で、彼女が誰で、あのお姉ちゃんが誰で、そしてこの夕暮れ観覧車があたしにとって何なのかを。
 この夕暮れ観覧車はあたしにとっては揺りかご。とても心地よい揺りかご。絶対に出たくない揺りかご。だからこの観覧車がある遊園地はこの世界では潰れた事にされているんだ。この世界で万が一にもあたしがここに来る事がないように。
 目の前のあたしがあたしを見ていた。唇を動かす。
『お願い。忘れないで。あたしを独りにしないで。助けてぇ………』
「ごめんね」
 あたしは向かいの席に座るあたしの隣に座ると、彼女をぎゅっと抱きしめた。力いっぱいに。いつも大好きだったお姉ちゃんがしてくれたように。
「ごめんね。弱虫で。もう絶対にあなたを独りにしないから。だからここから出よ」
 彼女はあたしの顔を見るだけで何も言わなかったけど、ぎゅっとあたしの体を抱きしめる彼女の手に力が込められた。そしてすぅーっと彼女はあたしの中に溶け込んで行く。
 あたしの乗ったゴンドラが真下に来る。そして観覧車がゆっくりと止まった。開いた扉からあたしは降りようとした。
「里子、あんた、何してるの?」
 そこにはお姉ちゃんがいた。ゴンドラの中に入ってきた。彼女はものすごい怖い顔をしていた。その目にはあたしへのはっきりとした敵意があった。憎悪も。嫌悪も。だけどあたしはもう負けない。ずっとこの中で泣いていたもう一人のあたしの悲しみを思い出したから。そして今あたしの目の前にいる彼女の事も。自分がどうするべきなのかも。
「降りるの」
「ダメよ。させない」
「もういいの。あたしは、あたしは全部思い出してしまったから」
「それでもダメ。あんた、泣いてるじゃない。思い出した事が哀しいんでしょう。苦しいんでしょう。だからこの世界があるんじゃない。だからそいつはここに閉じ込められていたんじゃない。だからお姉ちゃんがいるんじゃない。さあ、もう一度すべてを忘れてここで暮らしましょう。私が…お姉ちゃんがいるんだからここには。ここは私が…あたし達が望んでいた世界じゃない!」
 ヒステリックに泣き叫ぶ彼女。夕暮れの世界に彼女の涙が落ちる。再び止まっていたすべてのアトラクションが動き出す。扉がゆっくりと閉まりだす。
「ダメぇー」
 あたしはその中で頭を振って泣き叫んだ。そして目の前のお姉ちゃんの姿をしたもう一人のあたしを抱きしめた。
「ダメ。お姉ちゃんはもういないの。お姉ちゃんは死んじゃったの。それはすごく哀しいけど、怖いけど、だけどダメ。もうやめようよ。もう充分に哀しんだ。だから前に歩き出そうよ。誰よりもお姉ちゃんがそれを願ってくれてるのをあたしたちは知ってるじゃない。お姉ちゃん、いつも言ってた。逃げたい時は逃げればいいって。逃げたいだけ逃げて、泣きたいだけ泣いて、立ち止まりたいだけ立ち止まればいいって。そしたらまた前に歩いていけるからって。どんな時もあたしは絶対に独りじゃないから安心しないさい。大丈夫だよって。だからそう言ってくれていたお姉ちゃんのためにも前に行こうよ」
 ここはあたしがあたしの中に作った世界。この夕暮れ時の観覧車の中で両親が離婚した日にあたしとお姉ちゃんは約束したんだ。お姉ちゃんが看護学校を卒業して看護士になって、あたしが高校生になったら、一緒に暮らそうって。だけどお姉ちゃんはそれからすぐに事故で死んでしまった。だから悲しみに暮れたあたしは自分の中に果たせられなかった約束の世界を作ったんだ。その世界の中でこの夕暮れ観覧車は言うなればこの世界の子宮だった。その中にあったのは次の可能性とか未来とかを見るあたし。彼女はこの世界の中では邪魔者だったから、ここに幽閉されていたんだ。そしてお姉ちゃんの姿をしていたのはこの世界の支配者。過去に、お姉ちゃんとの約束に囚われたあたし。マスターの彼女があたし(理性)をこの世界に住まわせていた。そう、すべてがあたしの弱い心が生み出したこと。ううん、あたしは過去に囚われたあたしを責めてるんじゃない。過去は大事。人は過去があるから、過去を大事に抱くことで未来を見られるんだから。お姉ちゃんが死んでしまった現実を見なかった事があたしの心の弱さ。ただ過去だけを見ていたあたし。だけどあたしはもう――――
「もう、大丈夫だよ。あなたももう一人のあたしも、皆でこの観覧車を降りましょう。そして戻ろう。あたし達がいる場所に。お姉ちゃんが言ってた。あたしは独りじゃないって。うん、お姉ちゃんはあたしの中にいるでしょう」
 12歳の本当のあたしは観覧車を降りた。そして下から見上げる。夕暮れ観覧車を。


「………ん。わか…み………さと…こちゃん。………若見里子ちゃん」
 あたしは眼を覚ました。体中が気だるく重い。力があまり入らなかった。ぼやけていた感覚が徐々にはっきりしてきて、鼻腔を嫌いな病院の臭いがくすぐった。
 真っ白の天井。
「里子。里子。お母さんよ? お母さんよ」
「よかった。よかった」
真っ白な天井をバックにお父さんとお母さんが泣きながらあたしの顔を覗き込んでいた。

 病院の屋上から望める夕暮れ観覧車を見る度に私は思い出す。あの眠り続けた日に見た世界を。そして私が書いた読まれることの無い姉への手紙を。
 姉さん、私は生きています。


 お姉ちゃんへ。
 お姉ちゃん、お元気ですか? きっと、お姉ちゃんのことだから天国でたくさんお友達を作って楽しくやっていると思います。
 あたしは元気です。今は元気に学校に行ってます。
 家にはお父さんが帰ってきました。
 お姉ちゃんがいないから、家族が完全に戻ったわけじゃないけど、それでもあの観覧車で約束した未来よりも本当はあたしもお姉ちゃんも願っていた夢に近づきました。
 お姉ちゃん、お父さんもお母さんもがんばってます。だからあたしもがんばります。お姉ちゃんの分まで。
 追伸 あたしは看護士さんになります。

                                  【end】

ゴーストライター

2006年10月22日 | 短編

 6月3日

 梅雨時に相応しいじめじめとした日だった。
 神楽坂先生は明るい人だったから、こういう雨の日が彼女の葬式になった事が残念だ。
 きっと神楽坂先生も嘆いている事だろう。
 それとも天国で彼女が敬愛していた先生方と今頃は小説話に花を咲かせているのだろうか?
 


 6月5日

 今日、神楽坂先生のアシスタントだった三井さんが来た。
 彼女が書いた小説を持ってきたのだ。
 しかしとてもじゃないが売り物にはならない。
 それをはっきりと述べた。
 彼女はこれからどうするのだろうか?


 6月18日

 どうしようもなく我慢できなかった。
 三井さんはまた小説を持ってきた。
 しかしその小説は明らかに神楽坂先生の物であった。
 本当に彼女にはがっかりだ。


 6月21日
 
 編集長に呼び出された。
 俺が出張している間に彼女は編集長に小説を見せたのだ。
 事もあろうに編集長は彼女の小説を雑誌に載せるらしい。
 小説を馬鹿にしている。
 神楽坂先生の読者だって、怒るはずだ。
 本当に………どうかしている。


 7月3日

 編集会議で三井さんの小説の連載化が決まった。
 ふざけている。


 7月6日

 編集長の命令で俺が彼女の担当となった。
 会社を辞めてやろうか、と思ったが、しかし結婚を控えている身だ。できるわけがない。


 7月13日
 
 彼女に小説を貰いに行った。
 信じられなかった。
 神楽坂先生の遺産を受け継いだ彼女は、神楽坂先生のように振舞っていた。
 最初こそはおぞましくもあり、怖くもあった。
 しかし彼女が煎れてくれたお茶は確かに神楽坂先生の煎れてくれたお茶だった。
 何を考えいる、俺………。


 7月15日

 神楽坂先生の前の担当だった人を訪ねた。
 彼は出版社を辞めて、鹿児島へと引っ越していた。
 彼は最初は彼女の事を俺に話すのを嫌がった。
 しかし三井さんの事を話すと、彼は重かった口を開いた。
 彼が俺に語ってくれた事は怖かった。
 彼は最初は三井さんの事を愛していたと言う。
 男女の仲だったそうだ。
 その時の写真も見せてくれた。
 彼女は綺麗だった。ふっくらとした女性らしいしなやかな肢体を持った美人だった。
 彼女は大学院を出て直ぐ、神楽坂先生のアシスタントとなったらしい。
 今の神楽坂先生のスタイルが出来上がったのもその頃で、彼女の作品はほとんど三井さんとの共同執筆であったそうなのだ。
 三井さんに欠けていたのは文章力だけだった。
 他のは小説家として申し分なかった。
 二人で作家、神楽坂香華だった。
 だからこそ神楽坂先生は三井さんが自分から離れるのを嫌がり、彼女から彼を寝取ったのだと言う。
 彼は神楽坂先生のそういう感情を嫌ったが、しかし彼女の女に勝てなかった。
 そして彼と三井さんは別れさせられた。
 それは神楽坂先生の作家としての執念なのだろう。
 書く事に妄執した彼女の執念なのだ。
 ぞっとした。
 俺はその日、眠る事はできなかった。


 7月17日

 社で色々と調べた。
 三井さんは彼と別れてからどんどんやせ細っていき、老けていった。
 驚く事に彼女はまだ32歳だった。
 しかし彼女の外見は40歳以上だ。
 怖ろしかった。
 気持ち悪かった。


 俺の神楽坂先生への印象はとてもたおやかな女性だった。
 上品で美しく、優しい年上の女性だったのだ。
 しかしその仮面の下にある彼女の顔は書く事に執着した鬼。
 そして彼女は三井さんの才能も若さも何もかも吸い上げていった………。
 明日、彼女にあの家から出る事を進めよう。



 7月18日

 そして俺は神楽坂邸に来た。
 嵐だった。
 三井さんが雨に濡れた俺に蟲惑的に微笑んだ。
 その笑みを見て俺は彼女は神楽坂先生なのだと悟った。
 彼女の茶室で俺はお茶を勧められた。
 俺は先生のところへ原稿を貰いに来るたびに飲ませてもらうこのお茶が大好きだった。
 だがもう。
「先生。彼女に彼女の身体を返してください」
 俺はそう言った。
 しかし先生は彼女の身体で俺に微笑むと、
 俺を押し倒し、キスをしてきた。
 無理やり舌を絡めてきた。
 それはねっとりと心に絡みつくようなそういうSEXだった。
 今まで感じた事のないもので、俺は彼女に何度もいかせられた。
 茶室の畳の上で、裸で転がる俺の傍らで、同じく裸で転がる彼女が泣いた。
「こういう事です。先生は死んでも尚、私にも神楽坂香華を求めるのです。私は、先生から逃れられない」
 彼女はそう言って、顔に両手をあてて泣いた。
 そして彼女の背後でうっとりと蟲惑的に微笑む先生の顔を俺は確かに見た。



 神楽坂香華のペンネームを三井景子は受け継ぎ、稀代の2代目女流作家として彼女は脚光を浴びるようになった。
 しかし東京から実家のある北海道に戻った俺が見るテレビや写真の中の彼女はいつもあの、蟲惑的な微笑を浮かべていた。


【了】



死神の戯言

2006年08月21日 | 短編

 壊してやろうと思った。/キミは壊れているからね。

 その心を犯してやろうと思った。僕で。/回りくどいな。要するにキミは彼女を求めていた。


 彼女はくれると言った。/そしてキミはだけど奪った。

 だけど彼女のあの微笑が好きだった。/それがキミが彼女と言う標的を選んだ理由。

 あの微笑を、一度は守ろうと思った。/だけどキミにはそれができない。だから屈折した。感情のベクトルが。

 彼女は無条件で僕を愛してくれると優しく笑みながら言ってくれた。/でもキミは、コンプレックスの塊だった。

 でも彼女は、優しく受け入れてくれた。/恨みも責めもしなかっただろうね。


 さあ。だからキミは、死んだ。
 良心の呵責に耐え切れない人間は殺しをすれば、自殺をするしかない、そんな結末を彼女はその無条件の愛情の代償として、キミに与えた。絶対的な矛盾。
 でもその絶対的な矛盾を彼女に抱かせ、彼女から君に手渡せたのは、
 キミのその、コンプレックス。
 彼女を殺したのが罪だったんじゃない。
 キミの罪はその、コンプレックス。
 彼女が愛してくれた自分を、キミはもっと信じるべきだった。
 そしたらキミは彼女の無条件の愛情を本当の意味で心から抱けた。
 あげられた、彼女に。/奪うのではなく………


 歪んだ感情は、
 時として本当に欲しかったモノを、壊す!





2006年07月11日 | 短編


 あなたが居る。

 あなたが居る。

 あなたが居る。

 あたしが殺したあなたが居る。

 だってしょうがなかったじゃない。あたしも彼が好きだったんだから。あたしもあの店の店長になりたかったんだから。

 あなたはあたしの目の上のたんこぶ。

 あたしがどれだけ努力しようがいつもしなやかにあなたはあたしを飛び越えて行く。

 あたしの目の前であたしが欲しかった物を持っていく。

 男も、

 仕事も、

 何もかも。

 あたしは苦労のしっぱなしで華が枯れていく。

 良い家に生まれたあなたはお嬢様で苦労知らず。苦労を知らないから枯れない華。

 あなたが憎かった。

 疎ましかった。

 邪魔だった。

 見たくなかった。

 だから殺した。

 あたしはあなたを崖から突き落として殺した。

 これであたしはあなたを見なくて済む。

 ああ、嬉しい。

 嬉しい。

 嬉しい。

 あなたを見なくて済む様になった事が嬉しい。

 だけどあなたはあたしの目の前に現れる。

 岩に顔から直撃した顔面のまま。

 血塗れの潰れた顔で、あなたはあたしの目の前に現れる。

 あなたから奪った店の開店の日も。

 あなたから奪った彼との結婚の日も。

 血塗れのあなたは、潰れた顔で、ずぶ濡れの格好で、恨めしそうにあたしを見ている。

 ほら、すぐそこにあなたが居る。

 天井にあなたは張り付いている。

 ベッドの下にあなたは居る。

 風呂の蓋を開けると、あなたが湯の中に沈んでいて、あたしを見上げている。

 点けていないテレビにあなたが映っている。

 硝子に映っている。

 あたしが殺したあなたが居る。

 あなたはどこにでも居る。

 あたしを潰れた顔で、血塗れの顔で見ている。

 いや。厭。イヤ。嫌ぁ。

 どうかあたしを許して。

 許して。

 あたしはもうあなたなんか見たくない。

 あたしの目の前から消えて。

 あたしは店長の座も、彼との結婚も駄目にした。

 あなたを見たくなくって、部屋に引きこもったから。

 それでもあなたは居る。

 ああ、そうだ。あたしは気付いた。

 この眼だ。

 この眼を取り除いてしまおう。

 あたしはスプーンをてにする。

 スプーンの先を目に突き刺す。

 ぷつん、という缶詰の桃にスプーンを突き刺したような触感。

 眼に激痛が走って、悲鳴にもならない空気の塊が涎と一緒に口から迸って、

 鼻水を零しながら、眼からもどくどくと涙と一緒に血が零れ出て、

 あたしはスプーンであたしの目を掬い取る。

 ぷつん、視神経とか血管とか、それがずるずると眼窩から引きずり出される感触がして、そうしてそれらが切れて、あたしの膝の前にそれはぽとん、と、ゼリーを零したように落ちて、

 あたしは顔に空いた空洞を押さえながら、笑い声を零した。

 闇が生まれた。

 闇が生まれた。

 ああ、闇が生まれた。

 闇があなたを塗り潰す。

 あたしは嬉々として、残りの眼球に血みどろのスプーンを突き刺して、今度は一気に時間をかけずに掬い取った。

 ずるずる・・・・ぷつん。



 そうして生まれた、闇。


 闇の中で・・・・・・・・


「いやぁーーーーー」



 真っ暗なはずの闇の中。

 その闇に浮かんだのは、岩で顔を潰したあなたの、血みどろの潰れた顔。

哀しい炎

2006年05月12日 | 短編



 部屋には何度も何度も何度も何度も何度も刃物があたしを突き刺す音だけが流れていた。
 刃物を刺された時は痛くって、身体が熱くなって。寒くなって。熱いと寒いは同時にあたしの身体を襲ってきて、
 流れ出た血は本当にぞっとするほどに冷たくって。
 あたしはあたしの上に乗って、何度も何度も本当に何度もあたしを突き刺す男を見据えて、こいつはよくもまー、飽きないなー、って思って。
 あたしの方は飽きちゃって、もう何にも見たくなくって瞼を閉じて、
 あ~ぁ。本当にあたしってば、何でこうなっちゃったんだろう?
 世は不景気で、バブルの時は銀行は頼んでもいないのに必死に融資を申し込んできて、それでバブルが弾けた途端に手の平を返して、お金を返済しろって煩くって、貸してくれなくって、それで金利が高いと知ってはいても、CMでチワワを使って宣伝しているあそこなら良心的だろうと思って借金をして、そしたらお決まりのパターン。借金を返すために借金。しかもチワワに借金を返すために借金をした闇金融は裏ではチワワと繋がっていて、骨の髄までしゃぶりつくすような最低な人間で、それもそのはずで、ヤクザが経営していた闇金融がグレーゾーンを利用するべくあーした会社になったからで、
 あたしの親はまったくそういうのを知らないで、借りてしまって、
 自殺に追い込まれた。
 そして一人残されたあたしは、自殺では保険金は下りなくって、それで親の借金を返すためにデリヘルやって、それで頭のイカレタ男にあたって、こうして殺された。
 あー、何であたしがこんな目に遭わなくっちゃいけないだろう?
 あたしが何か悪い事をした?
 あたし、何にも悪い事なんかしていないのに?
 小学校の時にいじめをやっていた女は裕福な家に生まれて、性格悪いくせに、虐めやってたくせに、私立の中学にいってそのままエスカレーターで大学に行って、ブランド物の服を着て、そこでもまた虐めをやってるし、
 そもそもあたしをこんな目に遭わせた闇金融の奴らだって今もひどい商売をして、たくさんの人たちを苦しめていて、
 他にもたくさん殺されちゃえばいい奴が本当に腐るほど居るのに、何であたしがこうならなきゃいけないのよ?
 ねえ、何でよ?
 あたしはずくずくにあたしの身体から零れ出た血に濡れるベッドでめった刺しにされて横たわるあたしの身体を見て、泣いた。
 幽霊でも涙が出るのか、って、ちょっと驚いて、
 そして涙は止まらなかった。


 -----------


 都市伝説。
 某ラブホテルには闇金融の取立てで追い込まれて自暴自棄になった男に殺されたデリヘル嬢の幽霊が出るらしい。
 そしてその幽霊は、自分を見た者を焼いてこようとするそうだ。
 それは恨みの情念の炎なのだろう。


 --------


「あ、あの、本当ですか? 本当にあたしの借金、何とかなるんですか?」
 あたしは借金を背負っていました。
 痴呆症の親の介護のためのお金がどうしても必要だったんです。
 市には生活保護の申請を出しても無駄でした。
 だから………頼るところはそこしかなくって、
 それでそこの戸を開ける時にはきっとあたしはもう捨て鉢になっていたんだと思います。
 あたしは女なんだから、大金を稼ぐ方法は、いくらでもあるんだって………。
 世間は不思議。
 漫画や小説、ドラマなんかでは世界は優しさに満ちているような事が言われますが、この日本というシステムは、弱者は切り捨て。
 当たり前な事をしていない人は切り捨てられて、
 でも当たり前な事ができないから苦しくって助けを求めて泣いているのに。
 ならこんな世界、燃えて消えてしまえばいいのに。どんなモノも焼き尽くすけど、でもそれは氷のように冷たい炎で。
 そんな事を思いながら日々を投げやりに過ごしていたあたしはとある弁護士の人と出逢い、その人があたしに法律で助けてくれる、と言ってきたんです。その時ばかりは神様と仲直りをしたい、本気でそう思いました。
 でも、何故かその話し合いの場はその人の事務所ではなく、ホテルで、そしてその部屋に入った途端にあたしはベッドの上に押し倒されて、無理やりキスされて、舌を入れられて、ブランド物のネクタイを外しながらあたしを見るその人の目は、あたしを到底人間とは思ってはいなくって、
 それでその時にあたしは、


 ああ。もう本当にどうでもいいや。


 って、そう思えて。
 痴呆症だった親も亡くなって、
 あたしには借金があるだけで、
 裕福な家に生まれた馬鹿な子たちとは違って、夢も希望も、未来も無くって、
 だから本当に、ああ、もう、本当にどうでもいいや、って。


 だから自然にあたしの両手はその男の外しかけのネクタイに伸びて、あとは思いっきり・・・・

 その時だった、
 あたしの頬にとても冷たい水が落ちたのは。
 それは、
「涙?」
 泣いている女の顔があたしの頭の方からあたしを覗き込んでいた。
 その人は本当にとても哀しそうで、血と涙でずくずくに汚れた顔であたしを見ていて、
 それから、助けて、そう一言あたしに、言ったんです。
 彼女は。
 そしてその彼女は流れるようにあたしの上に乗っていた男に絡み付いて、その途端に男は表情をなくして、部屋から出て行って、あたしにはまるで事がわからなくって、
 それからあたしは慌てて部屋の内線からこのホテルの名前を聞いて、ようやっと思い出したんです。
 あの彼女の事を。
 あたしは彼女を知っていました。
 お店の娘が開いた愚痴りを目的にした飲み会で一度だけ会って、それでお互いの状況が似ていて、一緒にわんわんと泣いた子………。
 その彼女の名前は源氏名しか知らなくって、でも殺されたホテルの名前と部屋番号は聴いていて、そしてここはまさにそこで、
 だからあたしは、
 血の気が引いて、全身に鳥肌が立って、
 それから泣きました。
 哀しくって、
 哀しくって、
 哀しくって、
 泣いた。
 どうしようもないほどにそこで泣き続けました。


 あたしはその日限りでお店をやめました。
 借金は、あの男がちらりと口にした車椅子に乗った水島、という弁護士の人に事情を話して、助けてもらえました。
 そしてあたしはその人の紹介で小さいけど、でも従業員は家族のように仲の良い会社に就職して、
 それでそこで働き続けながら弁護士になるために働いています。
 そう。彼女は言ったんですもの、助けて、って。
 うん。だからあたしは、たくさんのあたしたちのような子を助けるためにも弁護士になるのだと、そう誓ったんです。


 →closed

 

『旧校舎のギター』

2006年05月05日 | 短編


『旧校舎のギター』


 あたしは藤宮杞沙。
 県立聖霊高校の生徒。
 服装はいたって真面目。スカート丈もソックスも校則通り。髪は黒髪で肩下。教師にも生徒にも受けが良くって、生徒会長と美術部の部長までもこなしていた。
 自分で言うのもなんだけど温厚で人当たりよく、世話好き。だけどそんなあたしにも困ったちゃんな部分ももちろんあった。探検好きで、不思議な物が大好きなのだ。
そんなあたしが旧校舎から聞こえてくるという不思議なギターの音色の事を聞いたら、それはもう完全にあたしがその真偽を調べんと旧校舎に行くのを止めるのは無理な話だった。
 よく幽霊は丑三つ時に出るって言うけど、この幽霊は時間がバラバラであったリする。
① 体育の授業でボールが旧校舎の敷地に入ってしまい、それを取りに行った生徒がギターの音を聞いた。
② 美術部の後輩は夕暮れ時に旧校舎の方から吹いてくる風に乗って開けっ放しの窓からギターの音が流れ込んできたって涙目で言っていた。
③ はたまた深夜まで翌日の資料作りやら、クラス広報を作って帰ろうと駐車場に向かった教師もギターの音色を旧校舎の方で聞いたという。
 ・・・etc
 実際に興味を持って調べてみれば、確かに昔にも旧校舎からギターの音が聴こえて来るという怪談話はあったそうだ。
 しかし実はそれは不思議な事に5年前にぱたりと止んでいた事もわかった。しかもよくよく調べてみればそのギターの音色が旧校舎から聴こえてくるという怪談が囁かれ始めたのは7年前であって、そしてそれより3年間ずっとその怪談は実しやかに生徒の間で言い伝えられていたのだが、先ほども述べた通りに今から5年前にそれはぱたりと止み、そして完全に忘れられた昨今になりその現象がまた見られるようになったのだ。

 それってなんか変じゃない?

 あたしはものすごく心をくすぐられた。
 『思ったが吉日』それがあたしの座右の銘。
 旧校舎の鍵は簡単に手に入った。
 部活の時間に美術室の鍵を取りに来たという名目で鍵の保管庫を開けた時にこっそりと美術室の鍵と旧校舎の鍵を手にとって、プレートだけを交換したのだ。
 実はあたしはもう既にちゃっかりと美術室の合鍵は作っていたのでそれで奪取成功だ。普通なら生徒が学校内の鍵の保管庫に勝手に触れる事は許されないけど、普段物分りの良い優等生などをやってるために教師に信用されているあたしはそういう事ができたりする。
「意外に悪女なんだよね、あたしゃ」
そうやって手に入れた鍵を旧校舎のドアの鍵穴に差し込んだ。そして回す。
「ん?」
 鍵が開いてない。鍵が違うという間抜けなオチはこのあたしには有りえない。ちゃんと鍵と鍵穴はフィットしている。
「って、鍵が開いてた?」
 あたしは頭を掻きながら肩をすくめた。ちょっと、鍵を持ち出して、勝手にいわくのある旧校舎に一人忍び込むという行為に高揚していたのだが、なんだかそれが冷めてしまった。
 それでもあたしは自分で閉めた鍵を開けると、旧校舎に入った。
 鼻腔をくすぐるかびと湿気、埃の臭い。
 歩くと軋む床板。
 舞い上がる埃。
 所々にある蜘蛛の巣。
 建物内にどもった空気は春でも不快な物だった。
 ちょっと、いや、だいぶ後悔。こういうのはさすがのあたしも苦手。
 これが夏場でなかった事に感謝感謝。
 埃で汚れた廊下側の教室の窓ガラスから見える教室の風景もまた切なさとか止まった時間と過ぎ行く時間という矛盾な時を感じさせた。絵描きとしての本能をくすぐられる風景だ。
 と、立ち止まって頭の中で絵の構図を描いていたあたしの耳朶にその時、ギターの音色が届いた。
 聞いた瞬間に鳥肌が立った。と、言っても怖くてじゃない。感動してだ。
 ものすごい綺麗で切ないなメロディー。
 溢れる優しさ。
 心の中に自然に流れ込んでくる音色に心地良さを感じて。
 あたしはこんな綺麗な音を出せる幽霊ならばぜひに会ってみたいと思った。何度も言うが怖くは無い。だってこんな綺麗な音を出せる人が悪い人…もとい、悪い幽霊なわけないもの。
 あたしはギターの音色が聞こえてくる方へと歩いていった。
 そして教室の後ろのドアに体を隠しながら、廊下側の窓ガラスから中を覗き込んで―
「あ―――っぁ」
「きゃぁ」
 あたしの驚いた声と女性の悲鳴。
 落ちたギターが奏でた音。
 あたしは動きの固いドアを苦労して開けた。
「なにやってるんですか、先生?」
「あははは。見つかっちゃったか。まあ、でもばれるとしたらそれは絶対に杞沙ちゃんだと思っていたわ」
「ったく。幽霊の正体は先生だったんですか。結構有名ですよ、旧校舎のギターの怪談」
 腰に両手を置いて呆れたように言ってやると、彼女は子どもっぽく舌を出して笑った。あたしはため息を吐く。そして先生の向かいの席の椅子を引っ張り出して、スカートから出したハンカチをその上に広げてから座った。
あたしの前に足を組んで座る彼女は、美術教師であり美術部の顧問でもある宮下真澄。
 実はあたしのこの自慢の黒のセミロングも彼女の綺麗な黒髪のロングストレートに憧れてであったリする。だからあたしはもう少し髪を伸ばす予定だ。
いつも通りににこにこと微笑む彼女にあたしはちょっとため息を吐いて肩をすくめると、髪を掻きあげながら小さく笑って訊いた。
「綺麗な曲ですね。感動しました。それってオリジナルですよね?」
 あたしがそう言うと彼女は嬉しそうに微笑んだ。だけどあたしには同時にその笑みがだからなんとも寂しげな切ない表情に見えた。
「ところで杞沙ちゃんは、どうやってここへ入ってきたの?」
 と、訊かれたあたしはスカートのポケットに突っ込んでいた鍵を取り出して彼女に見せた。
「普段、優等生やってる者の特権ですね、こーいうのは。まあ、どのみち鍵、開いてましたけどね」
 そしたら彼女はくすくすと楽しそうに笑い出した。そして子どものように悪戯っぽい表情を浮かべながらスーツの上着のポケットから古いリボンが結ばれた鍵を取り出した。
「同じだ」
 と、言った彼女にあたしは絶句した。確か彼女は・・・
「まさか、7年前にも今回のように『旧校舎のギター』の怪談が騒がれたって言いますけど、それも先生なんですか?」
 計算は合う。彼女は7年前までこの学校の生徒だったんだから。
 彼女はぽろんとギターを鳴らした。そして小首を傾げる。さらりと揺れた髪の下にある顔に浮かんだ表情はとても綺麗だった。そう、よく好きな男の子の事を語る皆が浮かべる表情だ。
「それは半分正解で半分ダウト」
 あたしは眉根を寄せる。
「どういう意味ですか?」
 彼女は子どもみたいにうふふふと笑って、
「私と彼なのよ。ここでギターを弾いていたのはね」
「彼?」
「ええ、彼」
 そして先生はあたしに7年前の事を話してくれた。

 7年前、当時高校1年生だった先生は『旧校舎のギター』の怪談を聞くと今回のあたしのように居ても立ってもいられなくなって、1年という立場にして美術部の副部長という職についていた彼女はその立場をフルに活用して持ち出した旧校舎の鍵で、夕方のそこへ忍び込んだそうだ。
 そしてあたしと同じようにギターの優しい音色に感動して、会ってみたいとここへ来た。
「彼ったらものすごく驚いた顔をしていたわ。幽霊の彼がよ? 普通逆よね。私、それがあまりにもおかしかったんで笑ってしまったわ」
口に手をあてながらもう片方の手を振ってそう笑う彼女に思わずあたしは苦笑い。
「私ね、実はその人の事を知っていたのよ。私の二つ上の姉と同級生の先輩だったの。彼は軽音部でね、学園祭とかも人気者だったわ」
 そして黙る。
 あたしは彼女が口を開くまでは黙っていた。
「だけど3年の冬休みに車に轢かれそうになった子どもを助けようとして、ね」
「………哀しい事ですね」
「ええ」
 そして彼女はギターを掲げた。
「このギターね、彼のなの。ここは彼の秘密の練習所で、ギターを隠していたの。家の部屋に置いておくと受験勉強しろって親に捨てられそうだったんですって」
くすりと笑った彼女の横顔にあたしは頬を赤らめた。
「それで?」
「うん、それでね、私たちは色んな事を話し合ったわ。彼は自分が怖くないのかって言ってたけど、私が本気でどうして? って言ったら笑ってもうそれは聞かなくなった。だから代わりに私が聞いたの。あなたはどうしてここにいるの? って」
 ぽろんとギターはかすかな音色を奏でた。
「音楽を届けたい人がいるんだって言ったわ。そしてそれは私の姉だった。私の姉は…そうね、杞沙ちゃんみたいな人よ。とても優しくって温かくって世話好きで。そんな姉に彼が想いを寄せることは納得できた。だけど彼はもうギターは奏でられないでしょう。それで想いだけがその曲を練習していた場所に残ってしまった・・・」
 あたしは夕暮れ時の優しい橙色の光が溢れる教室を見回した。このどんな照明のプロが手がける舞台よりも美しい光に飾られた舞台で彼はどれだけの曲を生み出し、奏でたのだろう? あたしはそれを素直に聴きたいと想った。そしてそれは絶対に先生も同じだったのだろうと思う。
「だから私は彼にギターを教えてと言ったの。私が卒業式の前日に行われる『送り出す会』に・・・彼が姉にその曲を贈るはずだった日までにその曲を弾けるようになるからって。代わりに私が姉に貴方の音楽を届けるからって」
 あたしのこの人への印象はいつもぽわぁーんとしていて、激天然っていうものであったりするのだが、その彼女がそう言いだすのもまた納得できた。彼女はそういう人で、だからあたしはこの先生に憧れたのだから。
「だけど、彼は首を横に振って、私の前から消えたわ」
 儚げな表情を見せてそう言った彼女に、あたしの小さな胸はぎゅっと締め付けられる。だけど彼女は次の瞬間、とても小生意気そうな悪戯好きの仔猫のような笑みを浮かべた。
「だから私は旧校舎を飛び出すと、生徒会室に乗り込んで、『送り出す会』での個人の出し物に登録すると、その証明書を持ってまたここに戻ってきて、置いてあったギターを抱えて目茶苦茶に弦を鳴らしてやったの。そしたら彼、両耳を押さえてやめてくれって血相を変えて現れたわ」
 あたしは肩をすくめる。
「それで私はそれから1ヶ月間を彼にギターを習ったの。手が小さすぎるとか、上手く弾こうとは思わずにただ音楽を好きでいればいいとか、リズムを心で感じろとか、ああ、あとはこのギターを恋人だと思えとか色々言われたわね」
「それで間に合ったんですか?」
「ええ、彼の愛あるスパルタのおかげで」
 そして彼女は目を閉じて数秒黙ると、とても懐かしそうに細めた両目で、周りを眺めた。彼女の瞳は確かに今そこにあるここを見てるのだろうけど、彼女が本当に見ているものは今この瞬間のここの風景でないことは明らかで・・・。
「先生、その彼からお姉さんへの曲を弾いてもらえませんか」
「ええ」
 そこから先は聞いてはいけないと思った。だからあたしは彼女にそう頼んだ。だけど彼女が奏でる曲を聴けば、瞼を閉じたあたしの脳裏にその光景が自然に思い浮かんでくる。


 橙色の光に包まれた教室。
 そこに彼女はギターを持って入ってくる。
 窓から差し込む光を背負いながら黄金色に輝く彼は彼女に優しく微笑む。
 頷く彼女。
 彼は「ギターを聴かせて」と言う。
 彼女はいつもの指定席に足を組んで座り、彼が作った曲を奏でる。
そして彼はその曲を最後まで聴くと、彼女に「ありがとう」と呟き・・・
 ・・・そして彼は窓から差し込む光の中に溶け込むように消えていった。
 ・・・そして彼に恋をしていた彼女は・・・・彼のギターで彼のために曲を奏で出した。


 曲が終わる。
 あたしはぱちぱちと手を叩いた。
 先生はおどけて優雅にお辞儀をする。
 顔を見合わせてあたしたちはくすくすと笑いあう。
「先生」
「ん?」
「あたしにもギター、教えてもらえませんか?」


 →closed




 あわわわわわ。
 もう、完全に「箱庭帰葬」はプリントアウトして投稿できる状態なのですが、角川学園小説大賞、って、やっぱり主人公が生徒じゃなきゃダメなのかな?
 舞台は学園だけど、主人公は教師。。。。
 や、でもダブルキャストで、第二部の主人公は女子高生だけど、
 んー。。。。。(-_-;
 生徒が主役じゃなきゃダメな賞に、生徒が主役じゃない(二部は主役だけど)物を送っても、賞が取れる訳が無いんだから、やっぱりスニーカー大賞に出した方が良いですよね。。。。
 ガガガ大賞も心が惹かれたけど、こちらは非難ごうごうらしいですね。(^ー^;
 MF文庫の賞も面白そうですが。^^
 でも来週中にはスニーカー大賞の方にたっぷりと念を注ぎ込んで、それで投稿してきましょう。そうしましょう。うん。

『ラグエルの嗚咽』

2006年04月24日 | 短編

『ラグエルの嗚咽』



 犬歯と呼ぶには鋭すぎる牙を剥き出しにして彼女があげた咆哮に冷たい夜気がすくみあがった。
 非常灯の薄暗い緑の光だけが光源の病院の廊下にたゆたう無機質な空気を満たしていくのは『ラグエル』という断罪の天使の名を持つ私の回転式装飾拳銃が吐き出した弾丸が彼女の体に穿った銃創から迸る腐った血の香りと、硝煙の香り。
 銃口から牙を剥くように立ち上る硝煙の向こうに私は哀れな母親を見る。
「邪魔を、邪魔をしないでぇッ」
 それへの答えはトリガー。
 吐き出された弾丸は床のタイルを人外の力で蹴って、私に草食動物に襲い掛かる肉食獣のように肉薄せんとした彼女の脇腹を無慈悲に穿った。
 腐った血の香りはこの狭い廊下ではもはや飽和状態だ。
 床の上に転がった彼女を中心に腐った血がどろりとした水溜りを広げていく。
 私は、両手をついて立ち上がろうとして、しかしがっくしとその場に崩れこんで、血と埃で固まった前髪の奥から血のように赤い目でこちらを上目遣いに見る彼女を見据えながら、彼女の額に銃口を静かに照準した。
「お、お願い、邪魔をしないで。シスター・アリア」
「それはダメね。私は神の名の下にあなたを殺すわ。灰は灰に。塵は塵に」
「あ、あの子には私が必要なの。私がいないとダメなの。まだ、7歳なの。だから・・・」
 哀れな母親は血のように赤い瞳から血の涙を流しながら、私の後ろにある病室の扉を見つめて懇願した。そこに彼女の娘がいるのだ。
 彼女は7歳になったばかりの幼い娘と二人暮しだった。しかしそれでも母娘協力して一生懸命に生きていたのだ。
 だが、彼女は病院の帰りに仕事の疲れで注意力散漫になっていたのと、吹雪のために視界が悪くなっていたのとで、運悪く道を横断中にスリップして突っ込んできた車に轢かれてしまった。そして死にたくないと泣いていた彼女を助けたのが、このローゼンタウンの影の支配者であるヨハン・アナベルト伯爵の部下であるサラス・リバティーであった。サラスが死にかけの彼女をヴァンパイアにしたのだ。善意というな名の悪意で。
「あなたのような母親を知ってるわ。幼い娘を残していく事を哀しむばかりに闇と契約して、だけどその母親は結局は闇の者になりきれずに、娘を殺して自分も死のうとした。そしてあなたもそうなのでしょう? 娘を殺すためにここへ来たのでしょう。だから私はここから先へあなたを行かせるわけにはいかない。だって彼女はまだ生きているのだから」
 私のその言葉に哀れな彼女は泣き出した。
「うぅうぅうぅぅうぅぅうぅ」
 下唇を噛み締めて彼女は押し殺した声で泣く。
 血と硝煙の香りを多分に含んだ空気を揺らすのは心の奥底からあげられる哀しい響きに塗れた娘を想う母の愛と悲しみ。
「心配しなくっていい。あなたの娘は聖マーチェンシン教会が責任を持って面倒を見るわ。だからもうあなたは安心して眠りなさい」
 私の言葉に彼女は上半身を起こして、包み紙の中で枯れてしまった花束のような泣き笑いの表情を浮かべて・・・
 ・・・その彼女の目が大きく見開かれた。
 何かとても信じられぬ物を見たように。
 そして彼女の唇が動いて・・・
 ・・・そして彼女の首が宙を舞って。
「・・・」
 どさりと転がって重く無機質な音を奏でたのは首の無い母親の体で、その肉塊を足下に転がし、手についた血を両目を細めてさも美味しそうに舐めているのは・・・娘であった。
 私は尼僧服のスカートを翻らせて後ろを振り返り、銃口をそこに立つ影に照準した。そして躊躇わずにトリガー。
 死神の死刑宣告かのような轟音と共に飛来した弾丸はしかし、その瞬間に影の周りに出現した5つの球体が発する高磁場によるエネルギー障壁によって弾き返される。
 そしてその影は床まで垂れる髪を弄いながら、まるで昨日の天気の話でもするかのように言った。
「そう、怒るなよ、シスター・アリア。私は哀れな母娘がいつまでも一緒にいられるようにと、娘もヴァンパイアにしてやっただけなんだから。そう、これは善意だろう」
「善意? ふざけないで。それは善意ではない。悪意よ、サラス」
「うふふ。本当にあなたは面白い。とてもクールな女かと思えばそうやってすぐに熱くなって。教会の殺し屋のくせに情も深くって。だからこそその我らを唯一人間が倒せる武器である『ラグエル』という名の回転式装飾拳銃を持つには力不足なのではなくって?」
「っるっさい」
 私は連続でトリガーを引いた。しかしそのどれもが無敵の防御の前に弾き返される。
 前髪の奥で細めた私の目と血が滲むほど噛み締めた下唇に彼女は笑った。
「シスター・アリア。あなたの敵は私ではないでしょう?」
 小首を傾げた彼女はさらりと揺れて顔にかかった前髪の奥で蛍光に光る両目を嗜虐的に細めた。
 その言葉の意味を察するよりも早く私の体は肉薄する者の敵意と殺気、悪意、そして純粋な食欲に反応して、防御の姿勢を取った。両手を体の前でクロスさせてガード。しかしそこに叩きつけられた衝撃に私は廊下側の窓ガラスを突き破って、白い雪がしんしんと降る夜中の世界に放り出された。
 白い雪の上に出来上がった赤い染みを見つめながら、私は立ち上がる。それとほぼ同時にガラスが砕け散って、枠だけとなった窓から、彼女が飛び出してくる。目を爛々と赤く輝かせて。
 私は彼女に銃口を照準して・・・
「くぅ」
 喉の奥で迸ったようなくぐもった声は襲いかかってきた彼女にしかしトリガーを引けなかった私の物だ。
 雪のように純白の尼僧服を傷口から迸る赤い血が染め抜いていく。それを視界の端に映しながら、ああ、これもまあ、いいか・・・などと思ってしまった私が見たのは、しかし私の肩に噛み付く彼女のとても嬉しそうな笑みだった。
そしてそれを見た私は小さく口だけで笑う。

             救いはいらない
         私は救われるべき者ではないから
             贖罪もいらない
          欲しいのは心が壊れそうな罰だけ
            ああ、だから私は背負う
              この悲しみ
                と
              新たな罪を

 私は、私の右肩に噛み付く彼女の後頭部を左手で鷲掴んで、引き剥がした。体に激痛が走るが構わずに、彼女を放り捨てる。
 彼女はまるで猫のように軽やかに空中でひらりと回転すると、四つん這いで着地した。
 しんしんと降る雪の中で私は彼女を見つめる。
「その子は母親よりも優秀よ。あの女は人間などは人であった時に散々食い散らかしてきた家畜と同じだと教えてやっても人としての理性が抜け切らずに、苦しんでいたが、その子は簡単にヴァンパイアの本能を受け入れた。あの病院にはもはや生きている人間は誰もいないのよ」
 胸糞悪いクズ女などの声はもはや意識がシャットアウトしていた。
 私はただ彼女だけを見つめている。とても嬉しそうに夜の闇を陵辱するような白を染める赤を迸らせる私の傷を眺めている彼女を。
「かわいそうに。迷子になってしまったんだね、あなたは。お母さんと」
 ぴくっと彼女が反応した。
「寂しいでしょう。哀しいでしょう。お母さんとはぐれて」
 彼女の口の周りを染める赤が、赤い眼から零れる涙と混じりあって、顎から滴り落ちていく。たとえヴァンパイアの吸血本能に心を犯されようと、それでも彼女の心はやはり彼女の物なのだ。
「今、私がお母さんの所へ連れて行ってあげるからね」
 私がそう言った瞬間、彼女は涙に濡れた顔にまるで花が咲いたような笑みを浮かべて・・・
 ・・・そして私はトリガー。
 夜のしじまを打ち壊した銃声はとても無機質で、悲しみに満ち溢れていた。
「あ~ぁ、殺しちゃった。ひどい事をするな、あなたは。この私がせっかく余命幾ばくも無い娘に溢れん命を与えてやったというのに。それでも本当に愛を説くシスターなのかい?」
 まだ銃声の余韻がたゆたうその闇に私は、継いで音色を奏でた。銃口を照準する音色。
「で、どうするつもりなの? 善意という名の悪意でたった今、哀れな幼い少女を撃ち殺したシスターとは名ばかりの教会の薄汚れた殺し屋さん」
「あなたを殺すわ」
「それができて、あなたに」
「できる、できないは問題じゃない。やらなきゃならないのよ。それが・・・」
 ・・・それがこの手で13年前に闇に染まりきれずにそしてまた私を殺すこともできなかった母親を救えなかった私の懺悔という名のエゴと業だから。
 そして私は唇の片端を酷薄に吊り上げて、トリガーを引いた。
「はん、だから無駄だと言って・・・」
 最初は勝ち誇った響きに塗れていた彼女の声が途中で、狼狽に塗れ、掠れて、消えた。
 そして私は一番最初に撃ち壊した宝珠が落ちる前に、複雑な動きでサラスの周りを飛びまわる他の4つの宝珠もすべて撃ち壊した。そう、絶対無敵の防御を誇っていたはずの5つの宝珠を。
「どうしてぇ? なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、どうしてぇ? 私の絶対防御を作り出すこの5つの宝珠は無敵のはず」
「だからこの世には絶対は無いということよ」
 そう、常にサラスの周りを衛星のように飛んでいた5つの珠玉は互いに高磁場を発生させて、絶対的な防御壁を作り出していた。だったら・・・
「宝珠を壊せばいいと言うのぉ? ふざけないでぇ。宝珠の動きは高速で、ランダムで、撃ち壊すことなど無理よぉ!」
「それが違うのよ。ランダムのようでいて、規則性があったのよ。だから私にも撃ち壊せた。あなたの敗因はその宝珠の弱点を見抜けなかった事じゃない。玩具を見せびらかして、させたとどめをささずに相手をいつまでも弄るから、こうなる」
 勝ち誇った響きを持つ声で皮肉げに言ってやる。そうすれば怒りに我を忘れた彼女は、腰に下げていたレイピアを抜き払って、私に肉薄する。
「この人間がァッ、調子に乗りやがってぇーーーー」
 しかし、もともとが私の敵ではなく、ましてや怒りで我を忘れ、人知を超える身体能力を持つとはいえ、真っすぐに突っ込んでくるなどという愚考を晒した彼女など・・・
 奏でられた銃声はそれでもやはり無機質なメロディーの中に誰かの嗚咽かのような哀しい音色を響かせた。
 銃口から硝煙を立ち上らせる拳銃を構えたまま、私は夜空を見上げた。
 真っ白な雪を降らす夜空を・・・。
 断罪の天使の名を頂く回転式装飾拳銃を持つ私の戦いと、守りきれなかった物への懺悔はこれからも続くのだろう。
 そう、だから私はまだこの雪の白に塗り潰されるのを今は望まない。


 →closed


 某所の試験に出した小説だったりします。(笑い


 本当に毎日ここをチェックしてくださる皆様、ごめんなさい。
 5月10日が今度出そうと思っている投稿の期日なので、その辺からまた童話物語をやっていきたいと思いますので、またよろしくお願いいたします。
 こちらの方、本当に満足できずにすみません。
 両ブログ、ありがたくも見てくださっている皆様に本当に感謝しております。




かごめ

2006年03月25日 | 短編


「かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる
 夜明けの晩に
 つるとかめがすべった
 後ろの正面だあれ?」


 清明様の透明な歌声は夕暮れ時の太陽から橙が零れ落ちてきているような世界に優しく響いておりました。
 私はそれをただ隣で聴いていたのでございます。
 そうしておりますと、博正様が篭一杯の蜜柑を持ってやって来られました。
「何だ、清明。かごめかごめを歌っておるのか? 俺も子どもの頃にはよくやったものだ」
 縁側に腰をお下ろしになられた博正様に私は頭を垂れまして、お酒の用意をいたします。
「博正よ。おまえの言うかごめかごめは子どもの遊びであろうが、しかしあれは魂の慰撫なのだと、知っているか?」
「ん? それはどういう事だ、清明」
「ふむ」
 清明様は悪戯っ子に似た笑みをお浮かべになられます。
 どうやら今宵も清明様の授業がお開かれる様子。果たして博正様は今宵はできの良い生徒になれる事ができますでしょうか?
「博正、おまえはこの歌の秘密を知っているか?」
「ん? ただの子どもの遊びではないのか? ただのありふれた子どもの気まぐれで生まれた。昔はよく、本当に亀と鶴が滑ったのか考えたものだ」
 やはりずれた事を言って、天然振りをご披露される博正様。
 しかし清明様はそれにはつっこまれずに、酒を一口飲まれて、唇を湿らしますと、続けるのでございます。
 私も星が輝き出した空を見上げながら清明様のお声に耳を澄ましました。
「いや、この歌の歌詞とは口伝だよ。自分たちの罪を決して忘れぬように後世へと残すように。しかしそのまま罪を後世へと残すのには、気がひける。そんな想いから生まれた歌」そう言う清明様の顔はどこか悲しそうであり、そしてそんな人間を嘲われているようでございました。


 清明様は申されます。


 かごめかごめとは、
 ----囲め、囲め。


「何をだ、清明?」


 子ども。
 間引きされる子ども。
 貧しい村が生き残っていくために、
 親は、
 大人たちは、
 長男を残し、
 他の子どもらを、
 村の真ん中に集め、
 それを大人たちは、
 囲んで、
 決めた………



 ----何を?
 間引く、子どもを―ーーー





 篭のトリとは、
 囲んだ長(トリ)



 村の長を取り囲み、
 歌の最後の部分で、
 長の後ろに立っていた子が、
 間引きされる。



 鶴と亀が滑った………
 丑三つ時にーーーー
 コロサレル。




 殺された、ボクは!!!!





「せ、清明よ、こ、この童は?」
「俺を頼ってやってきた子だ、博正よ」
 そして清明様は、歌を唄われるのです。
 優しい声で。
 夕暮れ時の中で、母が、子を呼ぶように。
 果たして、優しい柔らかな橙色の中で、手をつなぎ帰って行く母子を見たのは私だけでございましょうか?
 私は何となく博正様を見ました。
 さすればやはりこのお方は泣いておりました。
 清明様はただおひとり、お酒をお飲みになっておられまして、そして博正様も涙を拭うと、清明様に注がれたお酒を飲み干されたのでございます。
 私はそんなお二人を眺めておりました。


 【了】


 


 かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる
 夜明けの晩に
 つるとかめがすべった
 後ろの正面だあれ?



 他の通説


 嫉妬した姑が嫁を突き落とした。
 私を突き飛ばしたのは誰?


 かごめかごめ
 かごのなかのとりは(お腹の中の子どもは)
 いついつであう(何時生まれてくるの?)
 夜明けの晩に(夜明けの神社で)
 鶴と亀が滑った(赤ちゃんとお母さんが滑った)
 後ろの正面だあれ?(私の背中を押したのは誰?)



 罪人を斬首する歌。
 


 鶴と亀
 鶴(天)
 亀(地)
 より、天と地を統べた
 故に輪廻転生を謳った。



 

ネコ

2006年03月24日 | 短編


 猫。猫。おいで。
 にゃぁー。
 あたしは鳴いたものだ。
 舌足らずなおまえに呼ばれるたびに。
 おまえはあたしをかわいがってくれたね。
 おまえが腹を指でまさぐってくれるたびにあたしは喉を鳴らしたね。
 おまえの喜ぶ顔をあたしはよく見ていたものさ。
 おまえに猫パンチした時の顔といったら。
 ああ、だからあたしは愛しいおまえのために爪を研いだ。
 おまえを苛めるあの男の首を掻いてやろうと思ってね。
 だけどおまえを庇ったあたしは殺されて、おまえも殺された。
 おまえは家の裏の古井戸に落とされて、
 あたしはあいつが嫌いな奴の家に捨てられた。
 その家の者はあたしを手厚く葬ってくれた。
 それでもあたしの魂は地蔵に導かれる事も無く、この世にあり続けて、
 そうしてあたしは、理と真によって化け猫となった。
 この爪であたしは、あいつを殺してやるよ、お前様のために。


 にゃぁー。
 猫。猫。おいで。


 おまえの笑顔、あたしは忘れはしないよ。



「おまえの理と真を言え」
 それは陰陽師安倍清明。
 清明よ、何故におまえはその者を庇う!

「清明よ。何故にあの男は、化け猫に狙われるのだ!」
「それを訊いているのだ、博正よ」
「そうでございますよ。博正さま」
「くぅ。密虫まで」


「あれは、俺の娶った妻には連れ子がいて、その連れ子が可愛がっていた猫が、しかし死んだ娘を慕い、あーなったのだ。俺はひどくあの子を可愛がっていたが、しかしあの子は病気で死んでしまってな。だから俺は代わりに猫を可愛がろうとし、だが猫は餌を食わずに死んでしまった。それをあの猫は、恨んでいるのか?」


 何故、嘘を言う、清明よ、受け取れ。
 それはその薄汚い人間の偽の理と真。


 だがこれはあたしの真の理と真だ!



「化け猫よ。しかと受け取ったぞ。おまえの理と真。ならば後は私がその跡を受け継ごうぞ。故にお前は去れ」
「清明よ。俺にも見えたぞ。あの化け猫の想いが。これは何と惨い事か」
「嘘だ。私は謀ってはおらぬ。うぬらは―ぎゃぁ」
「殴る気持ちはわかるが博正よ、殺すなよ。この男には子殺しの罪を裁きを持って償わされるのだから」


 清明よ。あたしはお前にそれをさせるために見せたのではない。
 過去を知らしめるためにぞ。
 故にお前こそが、去れ。


「牙と爪を剥いて、私に襲い掛かるのは構わん。だが私は、お前に殺されてやる気は無い。陰」


 ―ーーあぁ、これがうぬの力か、狐の子。陰陽師安倍せいめいぃぃぃぃぃ。



「お前の怒りと無念、お前を無理やりに去らせた罪として、私が背負おう。故に許せとは言わん。しかしそれを私が知ったのだ。だからもう、眠れ。猫よ」
「そうだ、猫よ。俺もしかと知ったぞ。お前の無念。さぞかし辛かっただろうなー。悔しかっただろうなー。すまん。すまん。すまんかった、猫よ」


 おかしな男だな、清明よ。その男は。あたしのために泣いてくれている。涙を流している。
 温かいな。
 温かいのだなー、人の涙とは。
 清明。


「ああ。俺もこの男には救われているよ」



 ―ーー『猫。猫。おいで。ようやっと私を見てくれた。さあ、猫。一緒においで』


 みゃぁーーー



「清明よ。化け猫は、どうなった?」
「逝ったよ。可愛らしい女の子に嬉しそうに抱かれてな」



 【了】