goo blog サービス終了のお知らせ 

珈琲ひらり

熱い珈琲、もしくは冷珈なんかを飲む片手間に読めるようなそんな文章をお楽しみください。

1060 2月2日AM0時57分(2)

2008年01月26日 | 短編

「ええ、そう。そうなのよ。だからこれから来ない? 来れないかしら? いえ、そう。そうなの。それでね。うん。わかってる。わかってるから。バイト? ええ、それは今夜はお休みしたわ」
 津島志津音は携帯電話で話しながらコートを脱いでいたが、そのコートの右袖がこげているのを見つけて眉根を寄せた。
 しかしそれを携帯電話の向こうの人物に知られるわけには行かない。
 だから彼女はお気に入りのコートを台無しにしてしまったそのショックは隠して、懸命に明るい声を出していた。
「うん、そう。つい今し方まで紗枝も居たのよ。今、そこまで、彼女の彼が迎えに来たコンビニまで送ってきたところなんだけれど。そう。ええ、そう。あのね、恋が終わった友人の頼みぐらいすぐに聞いて来てよ。え、見返り? そうね。私の恋の傷が治ったら、あなたのに乗ってあげるわ♪ え? あははははは。うそうそ。すごーく深い傷よ。だから来て。お願いよ」
 そうしてこれからこの部屋で合う約束をして、彼女は携帯電話を切った。
 さて、
「これで完了ね」
 志津音はにやりと笑った。
 淡いピンクの口紅を塗った唇を舐めて、前髪をくしゃりとあげる。
 くっくっくっくと押し殺した声を零す。
 玄関のチャイムが鳴った。
 彼女は出る。
 目が大きく見開かれた。
 そして、その最後まで大きく見開いた目で、自分を刺し殺した犯人を、彼女はじっと見つめていた。



 続く。
 

1060 2月2日AM0時23分(1)

2008年01月26日 | 短編

「うわぁ、やばい。もうこんな時間か」
 成田なゆたは腕時計を見て愕然とした。
 あの馬鹿教授に頼まれた資料作成はまだ半分も終わってはいない。
 いい加減、ゼミの学生をこき使うのはやめて専任のアシスタントでもつけて欲しいものだ。
 どうせ大学から研究費の一環として手当てもつくのだから。ケチるべきところはケチるべきだろうが使うべきところは使うものだ。お金という奴は。
 なゆたはため息を吐いて、もう一度で時計を見る。しかし時計の秒針は進む事はあっても戻る事は無い。ただ、刻々と時を刻む秒針にため息が零れるばかり。
 さて、2時間後には彼女が奨学契約している新聞店に行かなければならない訳だが間に合うだろうか?
 なゆたの両親は彼が中学生の時に他界しており、両親がかけていた保険金は彼女が大学卒業までの生活費や授業その他諸々は充分に払える物であったが、しかしなゆたは両親の命の値段といってもいいその保険金を使うのを嫌い、一切手をつけずにいた。
 だから高校卒業までは祖父母の家にやっかいになり、大学からは新聞社が儲けている奨学制度を使って通っている。
 その仕事もあるわけだから、彼女としては堤下教授の手伝いは親のお金でのうのうと大学の近くで下宿して遊び呆けている苦労知らずのお子様方にやってもらいたいのだが、しかしそういう生徒を使うよりもなゆたの方が信を置けるというのが教授の弁。
 やれやれ、とため息を吐いて、なゆたはパソコンに向かった。
 キーボードを叩く音だけが深夜の研究室に響く。
 ただ無機質に。
 が、ふいに異音がそれに混じった。
 窓が開いた音だ。
 そちらは教授の研究室である。無論、堤下はとっくに帰っているし、外は雪が舞っているほどの気温だ。たとえ堤下が居たとしても好き好んで窓をあけるわけが無い。
 なゆたの心臓が跳ねる。
 椅子から立ち上がり、教授の研究室となゆたたち学生の研究室の間のアルミ製のドアを開ける。
 闇に光りが差し込んだのと同時になゆたの素肌を切るような冷気が撫でた。
 差し込む光りが陵辱する闇。
 闇の帳にアクセントをつける雪。それはひらひらと空間を舞う。
 黄色く黄ばんだカーテンは激しく踊っている。そのカーテンの向こうに………
 なゆたは羽織っていたフリースの裾を手で忙しなく弄る。
 心臓は激しく激しく脈打っている。寒さで。
 なゆたはため息を吐いた。
「もう本当にぼろいんだから」
 彼女はぷんぷんと怒りながら教授の部屋の窓を閉めた。その窓は鍵が壊れているために強い風が叩きつける程度で開いてしまうのだ。
 本当にやれやれだ。
 窓を閉め、研究室に戻る。
 すっかりと身体が冷えてしまった。鳥肌も浮かんでいる。
 なゆたは強く強くため息を吐いた。
 なんだか一生懸命押さえ込んでいた怒りがその苦労も無くとめどめもなくふつふつと零れ出てきていた。
 もう本当に私、怒っているんで話しかけないでください。そう全身で言っている。いや、ここには彼女しか居ないけれども。
 えーい、くそうぅ。
「もういいや」
 なゆたは開いていたファイルを全て保存してから閉じると、パソコンの電源を落とした。ワークステーションの電源はそのまま。
 教授に言われた作業はすでに済ませている。にもかかわらずにこんな時間まで残っていたのは、それこそが教授に彼女が作業を頼まれてしまう原因なのだが、彼女の完璧性がその作業をそこで終わらせることを良しとさせずに、つまり彼女は完ぺき主義であるが故にきっちりとその作業を終わらせたくって残って作業をしていたのだが、
「ええ、そう。もう本当にどうでもいいわよ。私がやらなくっちゃならないことでも無いんだし」
 そう。大学から高い給料を貰っているんだから、あとは教授自身が甘えずに自分でやれば良い。そもそも大学教授という奴は社会で働いた経験も無く、閉塞された環境で生きてきたせいか、どうにも幼稚でおかしい性格の人しかいない。なゆたは既に大学教授陣の幼稚性には辟易としていた。ついでに周りの親に甘えた、そのクセ口だけは一丁前のガキにも。
 本当、世の中馬鹿ばかり!
 外に舞う雪のような真っ白なコートを着て、それにあわせて彼女が編んだ真っ白なマフラーを首に巻くと、彼女は自分のデスクに置いてあった研究室の鍵を手に持って、研究室のドアを開けて、電機を閉めて、廊下に出て、扉を閉めて、鍵を差し込んだ―――
 そこで彼女は自分の眼から火花が出た、ギャグ漫画などでよく見るそれが正しい事を知った。
 彼女は目から火花が出たような衝撃に見舞われて、ゆっくりとその場に扉にもたれるようにして崩折れた。
 


 続く。

欠片探し

2008年01月13日 | 短編


 きみはぼくを好きだと言った。
 けれどもぼくはきみに嘘のぼくしか見せてはいなかったから、それを喜ぶ事が出来なかった。
 どうすればいいのだろう?
 ぼくは泣いた。
 神様に心の奥底から願いもした。
 もしも時間が巻き戻ったのなら、ぼくは絶対にきみに嘘なんていわない。
 出会いをやり直す事が出来たら、そしたらぼくはきみに胸を張って、きみのその好意を受け取れられる。
 けれども、果たしてそれは本当に?
 ぼくはきみに嘘のぼくを見せました。
 ぼくはきみの事が大好きでしたから。
 でもきみはその嘘で塗り固めたぼくを好きになりました。
 ぼくはどうすれば良いのでしょう?
 悩みます。悩みます。悩みます。
 果たしてきみが好きになったのは、嘘のぼく?
 それともその合間に織り交ぜて見せた本当のぼく?
 嘘で塗り固めたぼくは、きみの隣に居るためだけのもので、結ばれるための物ではありませんでした。
 なのに、なのに、なのに、きみは嘘のぼくを好きになってしまいました。
 ぼくはどうすればいいでしょう?
 きみの好きがぼくは欲しくて欲しくて欲しくてしょうがありませんでした。
 けれどもいざきみの好きを手に入れられた事が怖くて怖くて怖くてしょうがなくなりました。
 どれだけの罪をあがなう贖罪をなせば、ぼくがきみに吐いた嘘を吐き通す事が許されるのでしょう?
 願いが風に乗って、世界に祝福の鐘の福音を鳴らす事はあるのでしょうか?
 ぼくは嘘を吐きとおす事にしました。
 きみが好きだから。
 ぼくは嘘をきみに告白する事にしました。
 想像の世界に生きていく。
 嘘を吐きとおす事の贖罪がそれ。
 嘘を告白する。嘘を吐いた事の贖罪がそれ。
 ぼくはきみに嘘を告白しました。
 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。
 これが夢であるのなら、誰か、どうか誰か、ぼくを揺り動かして。
 どれだけ祈れば、その願いは天に届くのでしょう?
 願いよどうか風に乗って空に届いて、朝の光りをぼくに届けてください。
 きみはぼくの手を握って、ただ訥々と告白するぼくの声を聞いていたね。
 ぼくの手は震えていた。
 けれどもきみの手も震えていた。
 きみは泣いていた。
 ぼくにはその涙がとてもかなしいものに見えた。
 きみがぼくを責めているのだと思った。
 けれども違っていた。
 きみはぼくのために泣いてくれていた。
 ああ、それがどれだけ嬉しかっただろう?
 どれだけ安心できただろう?
 ぼくはただただきみのぬくもりに溺れた。
 そしてそれがとても幸せで、とても残酷な事に思えた。
 残酷だった。
 きみは、
 きみの優しさがぼくにはとても残酷だった。
 願いよ風に乗って、夜明けの鐘を鳴らせ。
 鳴らしてくれ。
 悪夢よ醒めろ。
 きみがぼくの嘘を許して、ぼくを受け入れるなんてそんな悪夢は醒めてしまえ。
 きみはとてもとても残酷だったね。
 ねえ、こんな形の出逢いしかなかったの?
 哀しいね。
 欲しくなんか無かった。きみの愛情なんて。
 願いよ、風に乗って、夜明けの鐘を鳴らせ。
 そうすればぼくは消える。
 明日に夢を持つきみの前から。
 進化しない心は、いつしか殻の中で力尽きる雛の様に退化して、
 ぼくはその悪夢から、悪い夢から、誰か揺り動かしてくれる事を願う。
 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。
 鏡に映るぼくが恥ずかしい。
 鳥の様に眩しい空に飛べない。
 どうか誰か、誰か、この悪夢を醒まして。
 きみを守って。
 きみはぼくを好きだと言ったね。
 ぼくはそのきみの愛情が嬉しくて幸せで、
 そしてそれ以上にそんな残酷なきみの心を憎んで、
 きみの心を壊した。
 運命さえ飲み込まれていたんだ。ぼくの心を汚染する闇は。
 明日に立ち向かうきみを守りたかった。
 だからぼくはきみの心の欠片を探す。
 ぼくはきみの心を砕いたから、きみの心の欠片を探す。
 誰かが揺り動かしてくれるまで。この悪夢から醒めるまで。
 どれだけ祈れば天に届くのだろう?
 願いよ風に乗って夜明けの鐘を鳴らせ。
 そうすれば夢から醒めたぼくは鳥になって飛んでいける。
 明日に向かうきみを守るために四葉のクローバーを探す旅に出よう。




 玩具が売り出されました。
 世界中の子どもがほしがる玩具でした。
 それは子どもが育てる玩具だったのです。
 けれども誰が知っていたでしょうか?
 その玩具こそが、子どもたちの誰か独りの中にあるかつて『きみ』と呼ばれていたひとりの天使を探すための呪いであると。

 そうしてひとりの少女と、一体の玩具が、奇跡の天使となるのです。
 少女と玩具の前に現れる敵の数々。それこそが少女の中にある『欠片』を輝かせる試練。
 物語の果てに、少女の前に現れるのは悲しき王子様。
 少女と王子様は地球を捨て、宇宙に、天界と呼ばれる場所へ行かんと。
 しかし少女が望んだのは、地球。日常。
 そして少女は泣きながら、玩具と融合して、天使となり、王子様と最後の戦いをする。
 けれども王子様は最後の最後で、少女の愛する少年人質に取る事で、わざと少女に殺され、消えてしまうのでした。
 少女は泣いて、そうして彼女は天使ではなく、大人になりました。



 王子様はどれだけ祈ったのでしょう?
 果たしてその祈りは天に届いたのでしょうか?
 どうかどうかせめて願いは風に乗り、夜明けの鐘を鳴らさん事を。
 大人となった彼女は明日に生きていく。
 鳥となって、空さえも取り込んで。
 運命さえも飲み込んで、沈み込んだ宿縁。
 けれども無数の闇は、天使の翼によって、乗り越えられた。
 人は進化しない生き物だけれども、それでも、王子様が見せた、掠める罪と悪意が、世界の人々を揺り動かし、悪い夢から起こす。



 どれだけ祈れば、天に届くのでしょう?
 願いよ、風に乗って、夜明けの鐘を鳴らせ。
 無数の闇を越えて、明日に立ち向かう、振り向かずに羽ばたく翼よ、あの空を越えて、未来を撃ち落させるな!



 大人となった彼女は、生きていく。

Disappearance from home

2008年01月10日 | 短編
「どうしたの、帰らないの?」
 うるさいな。
 ぼくはぼくの目の前に立っている女の子をにらみつけた。
 歳はよくわからない。
 大人の人の年齢がわからないのはままある事だけど、ぼくにはこの子が果たして本当にぼくらと同じ歳の頃の子どもなのかよくわからなかった。
 それだけその子の雰囲気は変わっていた。
 ただ、その子のシンプルな白のノースリーブのワンピ、そのせいで目立つ身体は、ひどく痩せこけていた。
 腕も足もまるで棒切れみたいで、いくら子どもでも、少しは膨らんでいてもいい胸もぺちゃんこだった。
「えっち」
 女の子は笑いながら悪戯っぽく細めた目でぼくを見据える。
 しかもなんだ、それは? なんで両腕で胸を隠す? そんな、ぺちゃんこ胸!
「そ、そんなんじゃないもん」
「ベッドの下のエロ本が見つかって、それで気まずくなって家出?」
「ち・が・う。全然違うからそれ!」
「あら、そう。残念ね」
 彼女はひょいっと肩を竦めた。
 とてもませた子どもの仕草だ。
 ぼくはいい加減、ほかっておいて欲しくって、両腕で抱えた膝小僧に顔を埋めた。
「帰りたいのなら、帰ればいいのに」
 彼女は軽やかに言う。
 何にも知らないくせに。
 何も、知らないくせに。
 なんて、わかった風な、口調―――。
「うるっさいなっ」
 ぼくの声は乱暴な声になった。
 けれども自分を押さえ切れなかった。
 恥ずかしくって、
 哀しくって、
 苛々して、
 誰かに八つ当たりしなくっちゃどうにもならない感情がぼくの胸で渦巻いている。
 ぼくは立ち上がって、小象の滑り台の頂上で、地団太を踏んだ。
「なんにも知らないくせに偉そうな事をいうなよ。帰れる訳なんかないだろう。お母さんはぼくの事なんか大嫌いなんだ。嫌いだからぼくよりも弟の方ばかり助けるんだ。お兄ちゃんなんか好きでなったんじゃない!」
 そうだ。お母さんはぼくの事なんか嫌いなんだ・・・。
 もう溢れ出る涙を止められなかった。
 お母さんに叩かれた左頬がすごく痛い。
 お母さんは、ぼくの事なんか嫌いなんだ。
 ぼくは、いらない子なんだ・・・。
「お母さんはぼくの事なんか愛して無いんだ。嫌いなんだ。もうやだぁ」
 そうだ。お母さんは僕のことなんて愛して無いんだ。
 それがすごく絶望的なことだった。
「そっかー」
 彼女はくすりと笑った。
 すごく長い髪が、夕方のほんのちょこっとだけ物悲しいぬくもりの風に流されて、彼女の顔を負い隠す。
 だからぼくにはその時の彼女の表情なんてわからなかった。
 どんな顔をその子がしているかだなんて。
 ただ、なんとなくだけど、泣いてるような気がした。
 ぼくはふいに、なんだか息苦しいような思いになる。
 胸がきゅっとなって、なんだかとても悪い事をしているような、そんな感覚。
 ぼくはどう言えばいいのかわからなくて、その場に立ち尽くした。
 カラスが鳴いている。
 でももう、どれだけカラスが鳴いたって、ぼくには帰れる家なんて無い。
 と、ふいにぼくの手が握られる。
 ふにゃりとした、なんだかとてもずぶずぶな物に触った時のような感触。それでいて、それはとても冷たい。
 ぼくは思わずその手を振り払おうとして、けれども実際にはぼくの身体は動けなくて。
 彼女はぼくに優しく微笑んでいた。
 そして、ぼくの手を引いて、小象の鼻の滑り台を歩いて降りていく。
 ぼくは引かれていく。
 夕方の道。
 薄暗い道。
 どこをどう歩いているのか判らない。
 全然知らない道。
 とてもとても肌寒い、薄暗い道。
 ねえ、ここはどこ?
 きみはぼくをどこへ連れて行くの?
「あたしのお家」
 その子はとても静かに、抑揚の無い声で言った。
 顔を覆い隠す髪の隙間から、ぼくを上目遣いに見上げながら、にぃーっと薄く口を開けて笑う。
 その口の隙間から、血に濡れた折れた前歯が見えた。
 がりがりだったその子の身体がどんどんどす黒い青紫になっていく。
 臭い匂いは、その子の身体から香っている。
 鼻が曲がりそうな、胃の中の中身が思わず競りあがりそうな、何かが腐っていく臭い。
 その子がにぃーっと笑う。
「あなたはお母さんに嫌われているんでしょう? お家に帰れないんでしょう? お母さんなんて嫌いなんでしょう? あたしと違うね。あなたはあたしと全然違う。でも、あなたがお家に帰れないなら、ここに居ていいよ。いいよ、ここに居て」
 その子はそう言いながら、ぼくの手を握ったまま、
 もう片方の手で、ぼくの顔を触る。
 髪を触る。
 まるでお母さんみたいに。
 ぼくは動けなくて、
 声が出せなくて、
 助けて欲しくって、
 怖くて、
 哀しくて―――
 その子がにぃーっと笑う。
 とてもとてもとても嬉しそうに。
「良かった。ここにずぅぅぅぅぅぅぅっとあたし独りで居て、寂しかったから。これからはあたしは君と一緒。ずぅぅぅぅぅぅっとあたしときみのふたりきり」



 ずっと、ふたりき・・・・




 もうお母さんに会えないよ――――




「いやだぁ。おかぁ――――さん」
 ぼくは泣き叫んだ。
 その瞬間、
 その子は泣きながら微笑んだ。
「なーんだ、やっぱりあたしと一緒。お母さんが大好きなんだよね。お母さんに愛してもらいたいんだよね」
 そうその子は泣きながら微笑んだ。
 そしてその子は、ぼくを振り返らせる。
 振り返らせて、ぼくの手を離す。
「振り返っちゃダメ! 振り返ったら、本当に帰れなくなるから」
 彼女は優しい声で言う。
「そうしたら大好きなお母さんに会えなくなっちゃうよ」
「ごめん・・・」
「ばか」
 その子はくすりと笑う。
「ほら、ここだけはあたしとは違う。あたしとは違うんだ」
 その子はとても哀しそうな声で笑う。嗚咽をあげながら笑う。
「お母さんが、迎えに来たよ」
 そうしてとても嬉しそうにその子は言って―――



 最後にとてもとてもぞっと凍りつくような冷たい声で言った。



「愛情の反対は嫌いじゃないよ。愛してるから怒るんだよ。愛情の反対は―――」








 今でも覚えている。
 小象の滑り台の上でいつの間にか眠っていたぼくを見つけたお母さんは、ぼくの髪を優しくくしゃっとした後に、思いっきりぼくの頬を引っ張った。
 それから、涙を流しながら、「帰ろう」、って言ってくれて、
 ぼくはお母さんに頷いたんだ。
 だってお母さんはぼくの事が大好きだってちゃんとわかっていたから。
 それからぼくは一度もこの公園を訪れた事はなかった。
 この公園には哀しすぎて、訪れる事が出来なかったんだ。
 とても優しい、けれどもとても哀しいあの女の子が、今でもずっとここで母親が帰ってくるのを待っているのかと思うと、ぼくは悲しすぎてここには来る事はできなかった。
 昔、この公園ができる前、ここには小さなアパートが建っていて、そしてそのアパートでひとりの女の子のミイラが発見された。
 死因は餓死。
 その子は風俗店で働いていた女性が産んだ子で、戸籍も無く、そして母親の自供から明らかになったその子の年齢の平均成長に全然追いつかない未成熟な身体で、ずっとずっとずっと風俗店で知り合った男と一緒に自分を捨てた母親を、そのアパートでずっと、待ち続けて、餓死したんだ。



 けれどもその子は、お母さんが大好きだった。
 けれどもその子は、お母さんを憎んでいなかった。
 けれどもその子は、お母さんに、愛されたかったんだ―――。
 その子はずっと、お母さんが自分を迎えに来てくれるのを、あの薄暗い何も無いアパートの部屋で、ずっと、ずっと、ずっと、独りで待っていたんだ。ずっとずっとずっと、大好きなお母さんが自分を迎えに来てくれるのを小さな部屋で独り、餓死するその寸前まで待っていたんだ。




 愛情の反対は、無関心・・・





「こんにちは」
 真っ白いシンプルなワンピースドレスのスカートの裾を風に揺らしながら、18年前と少しも変わらない笑みで、その子はぼくに言った。
 ぼくはにこりと微笑み、子どもが好みそうなジュースやお菓子を入れた紙袋をそっとその子に手渡して、肩を竦める。
「ひさしぶり」
「うん。ひさしぶり。すっかりとおじさんになっちゃって」
「おじさん言うな」
「それで、今日は? また家出?」
 彼女はおしゃまに小首を斜めに傾げて、ぼくを見上げる。
 ぼくは苦笑して、顔を左右に振る。
「子どもが産まれるんだ」
「いつ?」
「12月が予定日」
「そう、おめでとう」
 その子はまるであの時の、ぼくを母親が迎えに来てくれた時のあの瞬間のような笑みを浮かべた。
 ぼくは、彼女にぼくの妻の胎内に居るぼくたちの子どものエコー写真を見せる。
「ぼくは、親になるから。ちゃんと子どもを愛して、子どもを見て、子どもを見捨てない親になるから。それをキミに約束するから。もう、それじゃあダメかな?」
 小首を傾げたぼくに、
 その子は、とてもとてもとても驚いた表情をした後に、
 同じくらいとても嬉しそうな笑顔の花を咲かせて、
 大きく頷いた。
 ぽろぽろと涙を流して。
 そうしてその子は金色の光に包まれて、優しい春の桜吹雪に溶け込むようにしながら青い空に、昇って逝ったんだ。
 ぼくはそれを見送って、小僧の滑り台の上で、少しの間、泣いた。


 約束するよ。
 ぼくは子どもをちゃんと愛するから。
 ぼくはちゃんと子どもを見つめ続けるから。
 子どもがいつだって太陽のように笑えていられるように守るから。
 絶対に。絶対に。



 ぼくはそうして、親になる。


 了

朱に咲く華

2007年12月02日 | 短編

 彼女の持つ刃物の切っ先がまたさらに僕に刺し込まれる。
 その度に湿った感触と熱い痛みが僕の全身を這いずり回る。
 脊髄を走るのは、あるいは死に至る僕を快感へと誘う電気信号なのかもしれない。
 僕と彼女は似たもの同士。
 まるで合わせ鏡に映る鏡像の様。
 けれども、
 悲劇だったのは、
 求めるものが僕と彼女とでは、
 違っていた事。
 僕は、
 似たものである彼女を求めて、
 彼女は、
 似たものである僕を廃絶しようとした。
 だから、
 僕らは誰よりも似た存在でありながら、
 誰よりも救われない関係となった。
 そして、
 彼女は、
 だから、
 僕を殺した。
 僕は朱に咲く華の真ん中で転がる。
 血の水溜りに沈んで、死んでいく。
 けれども、
 彼女に僕を殺させた僕は、
 それで、
 満足だった。
 だって、
 僕は、
 彼女の心に、
 朱の華を咲かせたのだから。
 咲き続ける朱の花は僕。
 これでもう、彼女は、僕を忘れられない。

aquarium

2007年11月30日 | 短編

 その人を見た瞬間、わかったんだ。
 ああ、この人もあのたった独りぼっちの夕暮れ色の世界を知ってる人なんだって・・・。



 aquarium




 わかってはいたけれども、
 でも、
 最初は、
 あたしは反対だった。
 お母さんの再婚には・・・。
 新しいお父さんなんて冗談じゃない!
 けれども、
 お母さんにはお母さんの人生があるわけで、
 優先されるのは、
 死んだお父さんじゃなくて、
 お母さんの気持ちなわけで、
 そういう感情に板ばさみで、
 胸が苦しくて、
 たった独りぼっちのあの家でお母さんを待つ時間に死んだお父さんの事を思い出して、罪悪感に胸を痛めた夕暮れ色の世界が、あたしはたまらなく嫌いだった。




 お父さんは大好きで、
 でも、
 お母さんも大好きで、
 だから、
 お父さんが可哀想で、
 けれども、
 お母さんの事も可哀想だから・・・


 ううん、
 違う。
 お父さんの味方をしないとお父さんに嫌われる。
 けれども、
 お父さんの味方をすると、
 きっと、
 お母さんは、
 また、
 独りになる・・・。



 それが、嫌で・・・



 ねえ、お母さん・・・・




 あたしとだけじゃ、





 寂しかった?





 そんな想いに胸を痛めて、初の顔合わせ。



 都内のレストランで、
 相手の男と、その娘と。


 そして、あたしはその人と、お姉ちゃんと会ったのだ。


 一目見て、お互いに判った。


 あの夕暮れ色の世界で、


 たった独りで、


 親を待つ、あの寂しい時間を・・・、


 過ごしている事―――。



 分かり合えたのは、お互いに独りを知ってるから。


 独りを知ってるから、


 お互いに求め合ったんだと思う。



 それに、
 どこかで思っていたから。
 


 ああ、自分がもう、この人の1番じゃ、なくなるんだって・・・。



「お姉ちゃん」



 お姉ちゃん、高校2年生の彼女は、小学3年生のあたしから見ればすごく大人で、
 しかもすごく美人さんで、
 何よりもあたしにすごく優しくしてくれた。
 本当に大好きだった。
 ずっと夢見ていた憧れのお姉さん。



 お父さんには罪悪感を感じているけれども、
 でも、
 あの日に、
 直感した。
 お姉ちゃんとなら、お互いに差さえあって、この罪悪感を乗り越えられるって。
 お互いの一番大好きで、
 守ってあげたい、
 親の為に。


 それに何よりも、あたしはお姉ちゃんをお姉ちゃんと呼びたかったから―――。




 あたしにすごく優しいお姉ちゃん。
 優しくって、
 温かい。
 でも、あたしは知っている。
 何時だって1番優しい人が、1番傷ついている。



 お姉ちゃんのお父さんは、お姉ちゃんのお父さんだから、とても優しい人で、あたしにもすごく優しくしてくれて、
 お姉ちゃんのお父さんがあたしや母さんにすごく優しくしてくれるたびに、
 あたしは優しく微笑んでいるお姉ちゃんが傷ついていってるように見えた。


 いつも、
 いつだって、
 お姉ちゃんは、
 優しく笑っているけれども、
 でも、
 それが、
 泣いてるみたいに、
 見えて―――



 ねえ、お姉ちゃん、小学3年生のあたしには、お姉ちゃんに何ができますか?
 なにがしてあげられる?
 


 どうすれば、大好きなあなたと、本当の姉妹のようになれますか?




 あたしは友達に訊いて見た。
 他人と、姉妹の違いを。
 そしたら、
「それは喧嘩、かな?」
「そう、喧嘩」
「ほら、友達と喧嘩したら、それが致命傷で、死刑宣告で、二度と、仲直りできない場合もあるけれども、姉妹だったら、どんなに喧嘩になっても、大抵は仲直りできる。それが、違い?」




 あたしは、悪い妹になる事に決めました―――



「お姉ちゃん、この新品の洋服ちょうだい」
「お姉ちゃん、宿題やって」
「お姉ちゃん、あたしが先にお風呂入る」
「お姉ちゃん、このスカート、洗っておいて」
「お姉ちゃん、まだ、この推理小説読んでいないの? 犯人は巫女子ちゃんで、むいちゃんが、巫女子ちゃんのために彼女が自殺した後に、友達を殺したのよ」


「あ、うん。良いよ、この新品の洋服、蓉子ちゃんの方が似合うと思うから」
「蓉子ちゃん、じゃあ、教えてあげるから、一緒にやろう」
「あ、うん。じゃあ、私は蓉子ちゃんの次に」
「良いわよ。他には無い?」
「あ、そうなんだ、じゃあ、この表紙、ネタバレ?」




 ・・・うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
 お姉ちゃん、天然?




 せっかくお姉ちゃんと喧嘩になるように頑張ってるのに、お姉ちゃん、それじゃあ、喧嘩にならないよう・・・。




 こうなったら、もう残る手は一つしかない・・・。


 あたしは日曜日、お姉ちゃんとその彼氏君とのデートについていって、それで、


「お姉ちゃん、あたし、英知君の事が好きなの。だから英知君をあたしにちょうだい!」
 ―――これでどうだ、お姉ちゃん!!!



 あたしはお姉ちゃんを見た。
 お姉ちゃんもあたしを見てる。
 それで、
「英知君。あたし、用事を思い出しちゃった。ごめんね。蓉子ちゃんの事、お願い」
 そう言って、
 お姉ちゃんは、
 ものすごいスピードで走り去って、
 後には、
 唖然とするあたしと、
 苦笑を浮かべながら、あたしを見る英知君が、
 残された・・・。



「だから、お姉ちゃんと喧嘩したら、本当の姉妹になれると思って・・・」
 コメダの片隅の席で、あたしは英知君に全ての事情を話した。
 英知君は大きくため息を吐いて、
 それから、すっかりと意気消沈するあたしに微笑んだ。
「早苗、すごかったんだよ」
 ん?
「初めて蓉子ちゃんに会った次の日、もう話す事は蓉子ちゃんの事ばかりでさ。こっちがもう本当に嫉妬しちゃうぐらいに。だから、そういう事」
 何が?
 あたしの胡乱げな目を見て、彼はにやりと笑った。
「蓉子ちゃんは、早苗にどうしてもらいたいの? そしてそれは、蓉子ちゃんだけの気持ち?」




 意味、わかんないよ・・・





 あたしは、お父さんとよく来ていた水族館に来た。
 お父さんはあたしが何か落ち込むたびに、よくこの水族館に連れてきてくれた。
 そして、
 だから、
 お父さんが死んだ後も、あたしは何かあると、この水族館に来ていた。
 来て、お父さんの事を思い出して、そして、きっと、お父さんを探している・・・。



 たぶん、これは、夢―――



 夢―――



 あたしは、水族館の水槽の中に居た。




 ゆらゆらとあたしは、水にたゆたっている。


 そして、
 水槽の向こうにはお姉ちゃんが居て、
 あたしは、お姉ちゃんに触れたくて、
 手を伸ばすけれども、
 水槽の硝子が、邪魔で、
 手が、
 伸ばせなくて、
 触れられないで・・・
 お姉ちゃんは、
 あたしを残して、
 消えてしまって・・・。




 あたしが、いけない子だから、お姉ちゃんに、嫌われた?



 嫌だよー。



 独りは、寂しいよー。



 あたしは水槽の水の奥底で、抱えた膝に、顔を埋めた・・・。



「蓉子」
 あたしはばぁっと顔を上げた。
 硝子の向こうにはお父さんが居て、
 そして、
 いつも、
 落ち込んでるあたしを水族館に連れてきてくれて、
 それで、
 あたしに、
 いつもアドバイスをくれた時のように、
 優しい笑みを浮かべて、
 でも、
 お父さんはそれだけで、
 どころか、
 お父さんはどんどん離れていってしまって・・・
 あたしは必死にお父さんに手を伸ばして、
 でも、硝子が―――
 あたしは、悲鳴をあげた。



 あげて、飛び起きて、




 そして、びっくりとした顔で、あたしを覗き込んでいたお姉ちゃんと目を合わせて、



「お姉ちゃんなんて大嫌い!」
 あたしはそうお姉ちゃんに言ってやった。
 もっと、
 言ってやる!
「いつもお姉ちゃんぶって、何でもしてくれて、そういうのすっごくお節介。あたしがどれだけそういうお姉ちゃんに気を遣ってるか知ってる? 他にも、お姉ちゃんは、」
 あたしは、
 思いつく限りのダメ出しをお姉ちゃんにしてやる。
 そう、
 あたしが悲鳴をあげて、飛び起きる前に―――
「私、私だって、そうよ。蓉子ちゃんなんか大嫌い。すごくませた風をよそおってるけれども、本当は弱虫で、寂しがり屋で、しっかり者を気取ってるくせに、でもいつも詰めが甘くって、そんな蓉子ちゃんを見てるこっちの事も考えて、プライドばかり気にしないで、できない事は出来ないって言ってよ。前に蓉子ちゃんがお洗濯で失敗したセーターだって本当はすっごく気に入っていたんだから!」
 
 あたしとお姉ちゃんはお互いにお互いの悪口を言い合って、
 もう、これでもか、っていうぐらいに言い合って、




 それで、



「「でも、大好き!」」




 お互いにそう言って、笑いあって、
 抱きあった。



 そう、お父さんが、夢の中で、消える前に教えてくれたんだ。



 ―――蓉子、そんなの簡単だよ。
 蓉子を閉じ込めてるその硝子を、割ってしまえば良いのさ。




 【END】

にわとり、どこに行った?

2007年11月29日 | 短編

 8月15日 お祭りで、パパにカラーひよこをかってもらいました。


 9月23日 今日もぴーこは元気です。


 10月18日 もうにわとりになったのに、ひよこの時と同じぴーこではおかしいと言われました。
 だから今日からぴーこはこけっこーになりました。

 12月24日 今日の夕飯は、鳥の丸焼きでした。すごく美味しかったです。


 12月25日 先生、こけっこーがいなくなってしまいました。パパやママにきいても、こけっこーがどこに行ってしまったのかわからないといいます。くすん。
 それにしても昨日食べた鳥の丸焼きは本当に美味しかった。

陰陽師

2007年11月28日 | 短編
 美味い酒が手に入った。
 源博雅は美しい満月を肴にその酒を清明と共に飲まんと清明の屋敷へと向かっていた。
 と、渇いた夏の空気、それをほんのかすかに揺らして耳に届く音…否、声に気付いた。
 声、
 それは子どもの声だ。
 子ども、
 女の子の声。
 その声は、優しく、
 けれども、
 よく聞けば今にも泣き出しそうな湿り気を隠している事に気づく。
 博雅は苦笑した。
 本当は自分も泣き出してしまいたいのに、しかしその声の持ち主は気丈にもそれを押し隠し、声をかける相手を励ましているのだ。
 何と、愛しい。(いとしい)
 何と、愛しい。(かなしい)
 博雅はその声の主に興味を持った。
 気丈で優しいその声の主を見て見たい、
 そして、
 鬼をも惚れさせる音を奏でられる博雅の性は優。
 それは、この男の性分であった。
 荒れた寺。
 その本堂の入り口で、幼い姉弟は抱きあっていた。
 弟は泣いている。
 が、もはや泣く気力も無い、それがありありと見て取れて、
 そして、
 姉は、そんな弟を励ましている。
 それは、
 この貴族が栄華を誇る都の裏の光景である。
 きっと流行り病か何かで親を失い、この姉弟はここへ流れてきたのだろう。
 そう、
 流れる水は、
 流れに任せて、
 行き着いて、
 そこで、
 渇くか、
 腐るか、
 する様に、
 この、姉弟も…。
 博雅は下唇を噛み締めた。
 見てしまえば、
 知ってしまえば、
 もはやそれを見ぬふり、知らぬふりなど、できようはずもない。
 いつか、清明に言われた言葉が脳裡に蘇る―――



『博雅。おまえ、野良猫に餌をやっていたが、自分がいかに惨たらしい事をしてしまったのか、気付いているか?』
『わからぬな、清明。俺は良い事をしたはずだ』
『いや、惨い事だよ。おまえに餌を貰った事で、あの野良猫は人というモノは自分に餌をくれるモノだと思ってしまった。だから、無理して自力で餌を狩らずとも、人間がくれる、その思い込みで、いずれ死ぬ事になる。よく覚えておくと良い、博雅。何かを望むものに、その何かを与えるという事は、その後の事にも責任を負う覚悟をしてでないといけない。見てしまったから、知ってしまったから、そんな下らぬ事で、その場限りの優しさを相手に与える事は、至極惨たらしい事だ』




 けれども、
 自分は、
 見てしまった、
 知ってしまった、
 この姉弟を―――。



「おぬしたち、大丈夫か?」
 驚かぬ方が、
 怯えぬ方が、
 おかしい。
 幼い弟を抱きしめ、
 姉は博雅をにらみつけた。
 博雅は苦笑を浮かべ、
 それから、弟へと目を向けた。
 優しい笑みを向けた。
 懐から、
 愛しい密虫への贈り物として忍ばせていた菓子を取り出して。
「すまぬが今はこれしかない。しかし、この二つの菓子で、今は、その空腹をごまかせるはずだ」
 博雅の言葉など弟は聞いてはいなかった。
 身を乗り出すように弟は博雅が差し出した菓子に両手を伸ばすが、
 その身体を強張らせたのは、
 自分を抱きしめる姉の腕に力がさらに込められたからだろう。
 しかし、博雅は姉に優しく微笑み、
 そして、
 音を奏でた。
 鬼をも惚れさせる博雅の笛の音。
 それは夏の夜の乾いた空気を振動させて、
 しじまを静かに打ち壊す。
 星は瞬きというため息を、
 花は香りというため息を、
 うっとりと零し、
 博雅の笛の音に耳を傾ける。
 いつしか姉は博雅の笛の音に聴き入っていた。
 そして彼女が零したのは、
 ようやっと、
 迷子が母に出逢えたときかのような、
 そんな、
 嗚咽。
 それでも、
 必死に、
 必死に、
 ひっしに、
 本当は弟とそうは歳も変わらぬその娘は、
 それでも、
 自分を律し、
 泣く事を許さなかったが、
 そんな娘を、
 幼き姉弟を、
 博雅は、
 その大きな胸に抱いた。
「何を我慢しておる。心のままに、感情のままに泣ける事が、子どもの特権だ」
 その博雅の言葉に、娘は大きく目を見開き、
 そして、
 泣いた。
 感情のままに。


 不安だった。
 怖かった。
 哀しかった。
 ただただ誰かに優しくしてもらいたかった。


 けれども、


 自分は姉だから。
 弟を守らないといけないから。
 他人にへたれた自分を見せたら、そこに付けいれられるから。



 だから、


 泣く事を堪えて、
 堪えて、
 堪えて・・・


 ああ、
 だけど、
 泣けた事が、
 この広くって温かい胸の中で、
 泣けた事が、
 こんなにも、
 嬉しくって、
 安心できて・・・。



 だから、
 娘は泣き続け、
 弟も泣いた。
 博雅はそんな泣き続ける二人を抱きしめ続けたのであった。




「とてもよい事をなされましたね、博雅様」
 屋敷に入り、顔をあわせた瞬間に、その美しい顔にほんの少し、意地悪い感情を浮かばせて、蜜虫は言った。
 博雅は好いた女子に褒められたというのに、ほろ苦そうな顔をする。
 それから横目で、縁側で酒を飲んでいる清明を睨むのだ。
「清明、おまえ、見ておったのか?」
 清明は博雅など見ずに、美味そうに酒を飲みながら、しゃあしゃあと言った。
「見たのではない。聞いたのさ。梟に」
 確かにあの廃寺のそばの木に梟が居た事を思い出し、博雅は舌打ちをした。
 それから清明の隣に腰を下ろし、
 その博雅に、用意してあったお猪口を密虫が渡す。
 その用意されていたお猪口がまた憎たらしい。
 博雅はまるで親の仇の様に密虫が注いでくれた酒を一気に飲み干してしまった。
 それでようやっと清明は博雅に視線をくれる。
「おいおい、博雅。その酒もおまえがあの姉弟に渡してやった酒瓶に入っていた酒と同じく上物の酒なのだ。もっと味わって飲んでほしいものだな」
「知らん」
「ふん。そう拗ねるな」
「拗ねてなど、おらん」
 そこで博雅は視線を明後日の方にやり、
 それで、
 何かを言おうとするが、結局、何も言えずに酒を飲んだ。
 密虫はそんな博雅の隣で上品に口を手で隠しながらくすくすと笑う。
 清明はため息をつき、言った。
「かつて俺はその後の事まで背負う覚悟が無いのなら、優しさなどくれてやるなと確かに言った。だが今宵のおまえは、自分の持っていた酒瓶をあの姉弟に渡し、酒屋を頼るに様に言い聞かせた。自分の酒瓶を見ればあの酒屋の亭主ならば、この姉弟が自分の命でこの店に来た事を信じるはず。ならばあの顔の広い酒屋の亭主ならば必ず良いようにしてくれると信じて。おまえはそうやって俺が言った事を守ったのだろう?」
 意地の悪い、
 そして、
 同時に優しさに満ちた声で、
 清明は言う。
 博雅はばつが悪そうに酒をさらに飲み、
 そんな彼の空いたお猪口に、密虫はくすくすと笑いながら、酒を注いだ。



 この時、おそらくは清明は知っていた。
 ―――博雅と出会い、その縁で姉弟が住み込みで働き始めた屋敷が、盗賊に襲われ、そこに住む者全員が皆殺しにされる事を・・・。


 密虫はそんな事を予感してか、自分の行いを清明が認めてくれた事を喜ぶ博雅の隣で月を見据える哀しげな清明の横顔を、やはり哀しげに見ていた。



 笛の名手、源博雅が笛を吹く事をやめたのは、その事件を知った翌日であった。


 しかし、誰かは博雅に言った。
「それが良いかも知れぬ。夜な夜なとある廃寺の付近に現れては、笛を持つ者を襲う鬼がおるからな」




 無論、博雅は、それを聞いた夜に、笛を懐に入れて、あの廃寺に赴いた。


 そして、


「何故おまえがここに居る、清明?」


 廃寺の前で、まるで自分が今宵ここに来る事を見透かしていたかのように待っていた陰陽師 安部清明を睨んだ。
 清明は例の人を喰ったかのような意地の悪い笑みを浮かべた。
「これはおかしな事をいう、博雅。この俺に、おまえの考える事が、行う事が、わからぬと思うか?」
 博雅は深くため息をつき、
 そして、
 もはやそれ以上何も言わずに清明の横を素通りした。
 

 廃寺の境内に入り、
 博雅は笛を奏でる。
 夜の湿った空気が、その瞬間に塗り変わった。
 湿気を帯びた空気は、何も感じぬ空気となる。
 笛の音以外の音が、あろうことか消える。
 夜空には確かに美しい上限の月があったはずだったが、
 それも今や消えている。


 無味無臭。
 何も感じぬ、
 世界に、
 声がする・・・


「さむい。さむい。さむい。さむい」



 博雅は笛を奏で続け、



 そして、




 その博雅の前に広がる闇から浮き出るようにして現れた、鬼―――。



 鬼は俯きながら歩いてくる。



 長い髪は顔を隠し、鬼がどんな表情を浮かべているかわからぬが、
 しかしその鬼が悲しみと恨みを込めて呟く声が、如実に見えぬ表情の種類を語っていた。
 ゆっくりと歩いていた鬼は、ゆっくりと、ぶつぶつと、「さむい」、と口にしていたが、
 しかし、
 その語る口調が早くなる。
 感情が込められていく。
 激しく、激しく、激しく、激しく、激しく―――
 そして、鬼の動きも早くなり、
 それが掻き消えた、そう思えた次の瞬間には、博雅の前に居て、博雅の首を絞めていた。
 鬼の長い、これまで殺してきた数多くの者の血で濡れた爪が、博雅の首の皮を破り、肉を裂いている。
 けれども博雅は笛を奏でる事をやめなかった。
 それ以外の音の無い世界で、博雅は笛を奏で続ける。
 そして、
 鬼も叫び続けるのだ。
「さむい。さむい。さむい。さむい。さむい。さむい。さむい。さむい」
 笛の音が、
 止んだ。
 もはや虫の息である博雅は、それでも鬼を抱きしめた。
 そう、あの夜のように。
 ここで、そうしたように。
 そして、
 それが、
 鬼に人であった時の事を思い出させる。



『央太、さむくない?』
『うん。おねえちゃんがだきしめててくれるから、あたたかいよ。おねえちゃんは?』
『お姉ちゃんも、央太を抱きしめてるから、温かいよ』



 温かいよ。
 温かい。
 この温もりは、
 弟は、
 央太は、
 私が、
 守るの―――




「さむい。さむい。さむい。私、央太、弟を、守れなかった・・・。守れなかった・・・。さむい。さむい。さむい。央太、どこ? どこ、央太?」



 鬼は血の涙を流しながら、博雅の首を絞め続けた。
 まるで、懺悔するかのように。


 そして、
 博雅も・・・。


「それでおまえの気は済むのか、博雅?」
 博雅の身体がぴくりと震えた。
 そしてもはや虫の息すらもでもないその男の目が、清明を睨むのだ。
 拒むのだ、かの者の、介入を。
 それを清明は鼻で笑った。
「それはおまえの我が侭だよ。この姉弟が死んだのはおまえのせいではない。盗賊のせいだ。そんな事では生きているおまえの命を止めて良い理由にはならない。それは身勝手で、見当外れも甚だしい我が侭だ。そしてそこの鬼となった娘が人を殺す理由もまた、見当外れも甚だしい我が侭。否、いつも、いつの世でも、人とは、どのような姿になろうとも、己が我が侭を貫き通す生き物。生きる事でさえも、誰かを愛する事でさえも、恨む事でさえもな。そして、そんな我が侭が、通るのまた、それが人間だからだ。殺す側の我が侭か、殺される側の我が侭か。それだけで、話は、事は、終わると思うか?」
 清明は博雅にそう語りかけ、
 そして口だけで、哂った。
「馬鹿を言え。おまえたちだけの我が侭で話は済ませぬ。この俺の、おまえを死なせぬ、という我が侭も、聞いてもらう。そう、いつの世でも、想いが強き者の想いが、貫き通されるのだ。他の想いを、蹴散らしてな」



 ならば、おまえたちの我が侭、想いなど、この俺の想いの前では、叶わぬ―――




「清明よ。俺は、俺は、殺されてやっても良かったのだ・・・。それしか、できぬから・・・」
 博雅は、大地に涙を落としながら呟いた。
 そんな彼の前に、鬼から人となった娘が現れ、博雅に頭を下げる。
 ありがとう、と、唇を動かして、


 それから、
 娘は、
 泣いている博雅に同情するような、
 憐れむような、
 そんな博雅に泣いてしまうような、
 そういう表情の全てを織り込んだ表情を浮かべて、
 そうして微笑んだ。
 ただただ、微笑んだ。
 娘は、心優しき博雅のために。



「約束しようぞ、この陰陽師 安部清明が。この憐れな姉弟を魂の地で再会させ、救うと」
 娘は、清明に頭を下げ、
 そうして、
 博雅の頬に、唇をほんの少しの間だけあてて、
 消えた。
 逝った。



「なあ、清明よ。俺には、何ができる? あの姉弟の為に俺には何ができるのだ?」
 声を絞り出す博雅に、清明はいつもと変わらぬ口調で言う。
「笛を吹いてやれ。鬼をも惚れさせるおまえの笛の音ならば、きっと、ふたりを導けるはずだから。それがあのふたりの救いだ」



 その夜、都には笛の音が流れ続けた。
 とても優しく、清らかでありながら、しかし涙を誘う哀しい音色が。



 【了】


 

手袋を買いに。

2007年11月25日 | 短編

 狐さんが居ました。
 まだまだ幼い狐さんです。
 その狐さんはまだ変化の術もろくに扱えない未熟者でした。
 でも最近、
 その狐さんのお友達がすごーくハードな試練を乗り越えやがったのです。
 なんと、
 事もあろうに、
 信じられないのですが、
 そのお友達の狐さんは、変化の術もろくに使えないのに、人間のお店で手袋を買ってきたのです。
 それはとても温かな手袋でした。
 すごーく、
 すごーく、
 すごーく、
 その狐さんは悔しかったのです。
「うぅぅぅ、あたしも手袋を買いに行きたい!」
 狐さんはお母さん狐に何度も言いました。
 けれども、
「ダメよ。あなたにはまだ早いわ」
 って、反対されるばかり。
 何が早いのでしょう?
 狐さんは不満で一杯でした。
 その温かそうな手袋を見るたびに、悔しい気持ちで胸が張り裂けそうでした。
 だから、
 狐さんは、一生懸命山で落ちているのを拾って集めたお金という物を持って、山を降りました。
 うぅー、ドキドキする。
 狐さんは、何度も周りを見ては深く深呼吸をするのです。
 尻尾の付け根の辺りがちりちりとするのは緊張のためでしょう。
「早く手袋を買って、帰ろう」
 狐さんは自分に言い聞かせるように呟きました。



 おばあさんは町で独りで住んでいました。
 部屋のランプはおばあさんの目が悪いためにとても薄暗い光しか放ってはおりませんでした。
 前はおばあさんは町一番の手編みの達人でしたが、しかし今はもう、大好きな手編みをする事もかないません。
 けれども、
 それでおばあさんは構いませんでした。
 いえ、頑張れば、前のようには行かなくても、それなりの物は編めたはずです。
 でも、そんな気力さえ起きないのは、
 おばあさんがとても大事にしていた孫娘が病気で他界してしまったからです。
 今日はその娘の誕生日で、
 そして、それはとても不恰好だけれども、それでもその孫娘の為に心を込めて編んだ手袋を渡すはずでした。
 けれども・・・
 それは、
 もう・・・。




 狐さんは、とぼとぼと歩いていました。
 お金が足りなかったのです。
 葉っぱでお金を作るのは、お母さんに怒られるので、できなくて・・・。
 だから、
 泣く泣く・・・。
 と、
 狐さんの耳がぴくぴくと動きました。
 誰かが泣いています。
 泣いているのは誰?
 狐さんは小首を傾げました。
 窓から薄暗い部屋を覗き込むと、おばあさんが泣いていました。
 狐さんもおばあさんの泣き声を聞いているうちに泣きたくなってしまって、
 泣いてしまいました。


「あらあら、泣いているのは誰?」
 おばあさんは外に出ました。
 泣いているのは独りの女の子でした。
 それも、
(あら、あれは尻尾? まあ、この娘、狐だわ)
 おばあさんは悲しみも忘れて驚きました。
 そして、
(とても優しい狐さんね)
 その狐が自分の為に泣いてくれているのがわかったのです。

 おばあさんは狐さんを招き入れて、とても温かい蜂蜜酒をご馳走しました。
 狐さんが化けている女の子はとても嬉しそうに微笑みながらそれを飲んでくれて、おばあさんもとても嬉しくなりました。
「こんな夜更けにあなたはどうして外に居たの?」
「うんとね、手袋を買いに来たの」
「手袋?」
 おばあさんは少女のように小首をかしげ、
 それから狐さんの手を見ました。
 小さな小さな紅葉のような手を。
 その手は・・・
「待っていて」
 おばあさんは立ち上がって、
 それで、
「これをプレゼントするわ」
 狐さんに手編みの手袋をプレゼントしました。
 狐さんが化けた女の子はとても喜び、
 おばあさんも素敵な想いで一杯になりました。
 それからというもの、おばあさんの家には時折山からのプレゼントが届くようになり、
 それを持ってやってきてくれる狐さんとのお茶会が、ものすごく楽しみになりました。

 【お終い】



 きっと、ここは見られてはいないのでしょうが、東京怪談で依頼していただけた、手袋に魂が乗り移ったお嬢さんで書かせて頂いたお話を思い出しました。
 このPCさんのPLさんに初めて頂いた依頼での私信もすごく嬉しかったんですよね。
 うん。
 そのPCさんも本当に可愛くって書いてて楽しかったですし。
 また書きたいなー、ってすごく思います。私でよかったら。
 たくさん、また書かせて頂きたいな、っていうPCさんは本当にたくさん居ますし、
 感謝しているPLさまも本当にたくさん。
 こう、本当にOMCもやって良かったな、って思います。
 逆ノミネートで、クリエーターの方から書きたいPCさんに営業できる様になればよいのになー。そしたら書きたい物語がたくさんあるのに。



ある殺人犯の告白

2007年11月02日 | 短編
「君は酷い人だね」
「何が?」
「彼女を苦しめた」
「ストーカーをした事?」
「くっくっく。わかってるクセにはぐらかすのはよせよ」
「はいはい。そうだね。ああ、自分でもわかってるよ。僕はあれを自分の物だと思ってた。そうだね、お気に入りの玩具でしかなかったよ、あれの存在は。そういう意味で執着してたんだ」
「そう。そう。それで」
「ああ。けれどもあれが生意気にも僕から離れて行こうとしたんでね。それが気に入らなかった。だから好きだと言ってやったのさ。あれを引き止めるにはそれが一番だと思ったから。ほら、僕から告白されたらなびかない女なんていないからね」
「ナルシストだね」
「そう、僕はナルシストなのさ。だから僕が手をかけてやった玩具の分際で僕から離れようとしたあれが許せなくて、執着心が出たのさ。もしもあれが離れようとしなければ、僕が捨てていた玩具だったけれど、だからこそそうとなったら執着したんだね」
「それにプライドも刺激されたんだよ。あの程度の女が自分を袖にするのは許せない、って。君はそういう酷い男さ」
「ああ、そうだね。だから僕はあれに告白したんだね。そしたらお笑いごとさ。あれはあれ程度の分際で僕をフッタ。それで僕もえらくプライドを傷つけられてね。捨てようとしていた玩具にそうまでされたら僕も黙ってはいられないよ。だからストーカーしてやったのさ。そう。別に本当に恋心なんて抱いてはい無かったよ。あんな程度の、しかもあんな年増のおばんなんか、誰が好き好んで手なんか出すかよ。あの程度の女。だからこそ、だよ。ああ、面白かったさ。こっちは本心で言ったり、行動してたりしていた訳では無いのに、あれは真剣に怒ってきて、悩んで、泣き言を言ったり、まさしく悲劇のヒロイン気取りで友達に相談したり、日記で愚痴ってたりね。まあさ、それでイーブンだろう? あんな年増の、本当なら誰にも見向きされないおばんにこんな良い男に追いかけられる、っていうシチュエーションを楽しませてやったんだからさ。あれを落とすゲームには負けたけれども、まあ、滑稽なばばあの姿を存分に楽しませてもらったよ。でも本当、まるで思春期の乙女のような日記には笑ったものさ。こっちはただ玩具が逃げるのが気に入らなくて、その程度の理由の執着で、好きだって、嘘を言ってやっていただけなのにね。くっくっく。刑事さんにも見せてやりたいよ。あのばばあが身の程知らずにも純粋無垢の乙女のように日記で悲鳴をあげていたお笑い話を」
「だったら、君は、何で彼女を殺したんだ?」
「面倒臭くなったのさ。こっちは逃げるのが面白くなくて、それでからかってやるために、好きだって言ってたんだ。嘘だよ。引き止めるには、手元に置いておくにはその言葉が一番だろう? それにまあ、そう言って、逃げられて、ムカついたのは最初だけで、後は好きだって言いながら追いかけてやると、あれの反応が面白かったから、ただそれだけの理由で、お遊びで言ってやってたんだけど、そう、絶対になびかないのがわかっているからこそ、好きだって言いながら追いかけていたわけだが、逆にさ、その時からじゃあ、付き合いましょう、ってなったら、本当はこっちの方こそが迷惑でさ、誰が好き好んで、行き遅れのばばあと、しかもあんな痛いのと付き合わなくっちゃいけないんだよ。でもあれは頑固に逃げるから、そうならない確信があったから、ストーカーごっこをして、好きだって言いながら追いかけていただけなのに、あの女の反応が楽しくって、追いかけていただけなのに、あのばばあ、何をとち狂ったか、急に手の平を返して、付き合いましょうとかほざきやがって、それで迷惑になったのさ。あの女、本気で僕の所に来ようとしたからさ。口で言っても分からなくて、僕の場所に侵入してこようとしたから、面倒臭くて、殺しちゃった。いらない玩具だったんだよ、あれは。最初から。本当、何を勘違いしやがったのか。馬鹿な女。僕がおまえ程度に本気で好きだって言ってたと思っていたのかよ、ってね。最初から何から何まで、ただ玩具が逃げていくのが気に入らない、ただその程度の執着を満足させるための嘘だったのにさ。本当に、自分をわかっていない馬鹿な年増女は、痛いね。刑事さんも、そう思うだろう?」

魔女

2007年10月14日 | 短編
 彼女を魔女と呼ぶのは、彼女がこの世界に存在する全てのお姫様が救われる可能性を完全に消し去ってしまったから。


 元来、彼女を除いたこの世に存在する全ての姫は皇子様に救われる可能性があった。


 故にこの世に存在する全ての姫は不運とも戦えたのだ。



 しかしその彼女は、その可能性を全て消し去った。




 だから彼女を魔女と呼ぶのだ。



 そもそも魔女は姫の邪魔をするもの。


 魔女は決して王子様とは結ばれない。




 その娘は王子様を王子様ではなくした。



 王子ではなくなった彼は、彼でしかない。


 魔女は王子を王子でなくした。




 だから彼女は、魔女なのだ。

2007年10月14日 | 短編

 あれは魔女。
 あれは私たちから王子様を奪い去った。
 永遠にハッピーエンドを奪われた私たち。
 だから私たち姫はあれを呪った。
 魔女を呪った。

王子

2007年10月14日 | 短編

 遠き果てに王子はいなくなった。
 私はかつて姫であった。
 しかし私の物語に王子は現れてくれない。
 だから私は剣を取った。
 この手に剣を。
 剣に生き、剣に滅びる事を誓い、
 私は姫を捨て、私が王子になる事を誓った。

かつて王子

2007年10月14日 | 短編

 かつて王子様と呼ばれていたそれは、
 魔女のおかげで、永遠に姫を救い続けなければならない王子の呪いから解かれ、大人になりました。
 かつて王子であった男は、姫たちに呪われた魔女を憐れに思いました。
 魔女を救いたいと思いました。
 しかし王子の力を失い、ただの大人になってしまった彼にはもはや魔女を救う力は無かったのです。
 ああ、誰が気付きましょうか?
 魔女こそが物語で語られる姫であり、
 秘めたちこそが物語で語られる魔女であることを。
 それこそが現実。
 どのように見るかで、
 その立ち位置で、
 人の見られ方は変わる。
 被害者が加害者に、
 加害者が被害者に、
 悪が正義に、
 正義が悪に、
 かつて王子であった彼には、魔女こそが姫。
 姫こそが魔女。
 だけど彼が力を失っていることには変わらない。
 救われたくて、
 救われて、
 だけど、それで、救いたい人を救えない。
 ああ、自分の無力が許せない。
 彼は、神に祈りました。
 彼は、かつて王子として多くの姫を救ったのです。
 その権利はーーー
 しかし神は聞き入れませんでした。
 彼は王子としての仕事を捨てたのですから。


 ああ、救いたいのに、救えない・・・。



 魔女よ、魔女よ、魔女よ、



 たとえ多くの姫たちがあなたを呪おうが、



 私は貴女を愛するだろう。

王子

2007年10月14日 | 短編


 それが愛であるのであれば、僕が剣を振るうのに、他にどのような理由があるだろう?




 かつて姫であった王子は剣を振るい、姫たちの呪いに立ち向かい、



 しかし、その心を打ち砕かれた。