大学の教員免許を取得するための講義で、
子どもの環境説を学んだのですが、
子どもは、人間は環境を育てるというの。
私は人は環境が育てるというのはあまり好きではなくて、
犯罪者の言い訳だよな、逃げだよな、って。
でも、あるいはそうなのかもしれないなって。
エヴァのしんじが癇癪を起してばかりなのは、幼い頃に頼れる人がいなかったからで、
まどマギのまどかが泣いてばかりなのは、幼い頃に頼れる人に囲まれていたから、
というのは横に置いておくにしても、
結局、何かがあった時に、自分の行いのライン(境界線)になるのは、
それまで自分が関わって来た人たちとの関係、その人たちの人なり、
そういうのが関係してくるよな、って。
今の自分もそうだと思う。
自分を育ててくれた親のおかげでまあまあ自分で自分の事を好きでいられる優しい誠実な性格しているし、
なんだかんだで一番の最初の会社の営業部の年上の方たちのおかげでそういう基準もできているしで、
それは生きる上での大事な判断基準になっているし、
周りを見て自分にはそういう人たちがいてくれたけれどこの人にはいなかったのだろうな、って、
こう、哀れだなー、可哀想だなー、って感覚で癇癪を起して、沸点の低い、そういう人を見て思うしで。
だから、結局、人は人の中に居ないとダメなんだろうな、って。
どれだけきつくても、人の中に居る事で自分が成長できるし、人間を学べるし、サンプリングもできる。
それがないと、人生の選択肢に直面した時の判断基準が無くなってしまうだろうな、って。
良い人は良い人の、悪い人は悪い人の、判断基準をくれていると思う。
と、今の会社での人間関係を見て想った。
でも、本当、人生って、前に逃げたことが一周して、さらにややっこしくなってやってくる。
逃げても逃げても。
前に自分が人にした事もやってくるし。
ニュアンスは違うかもだけど、全部含めて本当に因果応報なのだろうな、と。
とりあえず、私は、前にした事の、再テスト、復習問題、応用問題を解いている環境。
そして、あと少しでそれが終わる。
そうしたら、次の私の運命、人生、環境はどうなるのかなー、ってちょっとびびっている最中です。
願わくば、自分的には再テストも、復習問題も応用問題も終わると思うので、
ご褒美の飴で、自分が心の奥底で想っていることが実現したら、って思っている。
そうなると、良いなー。