銅鐸と銅鏡、見た目にどちらが凄いと思うかと問われれば、悩むまでもなく
銅鐸
と思うのは私だけでしょうか。
故に銅鐸から銅鏡に信仰の対象が変わったなどと、さらりと言われれば違和感を覚えてしまいます。
淡路島の松帆銅鐸の発掘により、初期銅鐸は紐で吊りさげて鳴らしていたことが判明しました。
銅鐸はキラキラ輝く上に鳴り響きます。「見る銅鐸」の大きさは鏡とは比べものになりません。
そんな銅鐸の金属光沢、音響効果、形状・大きさを知るものにとって銅鏡はどれほど魅力的に映ったか疑問に思うのです。
銅鐸同様姿を消した銅矛にしても、吉野ケ里遺跡周辺や荒神谷遺跡などから出る綾杉文状に模様をつけた銅矛は、太陽に直接光を当てたとき異常な反射をするといいます。
日本列島でしか出土しない三角縁神獣鏡は、3Dプリンターを使い精巧なレプリカを作成したところ、
反射した光が鏡の裏に描かれたものと同じ文様を映し出す「魔境現象」が起こることが分かったそうですね。
それは確かにすごいですが、銅鐸や銅矛を捨てさせるほどのものかと言われると、私には疑問です。
卑弥呼が鏡を祭祀に使用したとは魏志倭人伝には書かれていません。
国の統治にうまく利用せよと「銅鏡百枚」を与えたと書かれてあるだけです。
呪術的な意味があるには違いがないでしょうが、卑弥呼が鏡をどのように使っていたかは不明です。
辟邪?威信材?
一体どうやって使って、何故に首長は鏡をせっせと集め、何故に墓にせっせと副葬したのでしょう。
日本では鉄器と青銅器がほぼ同時期に伝わったので、実用性の低い青銅器を祭器にしたと言われています。
博物館などで銅鐸や銅鏡を見るにつけ思うことは、
青銅は経年変化として 緑青を吹く
このことが祭器に使用された理由の一つなのではないでしょうか。
鉄と違って錆びてもキレイですし、内部腐食を防いで強くなるのですから。
銅鐸と銅矛が消えて鏡に変わったことはムナカタ海人族の太陽神信仰の影響が大きいと思います。このはなしも、またまとめたいと思っているのですが、中々まとまりません。福永先生の話をもう一度読み直そうと思っています(*^^)v
太陽神信仰と首長霊信仰の兼ね合いというか関係というか、そのあたりがよくわかりません。
太陽神信仰の影響について、ぜひまとめてご教示くださいね。