古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

天叢雲剣と尾張氏

2021-02-14 21:28:45 | 歴史

三種の神器の中で剣だけに固有の名前がついていることにずっと引っ掛かっています。

鏡も勾玉も「八咫」「八尺(瓊)」と寸法がそのまま名前となっているのに、剣だけは「天叢雲」「草薙」という固有名詞で名前がついているのは何故なのでしょうか。

鏡や勾玉は自分たちで作ったもので、剣はヤマタノオロチから奪ったものだったからなのでしょうか。

武力の象徴たる剣がもともとはヤマト王権のものではないことにも違和感があります。

 

ヤマタノオロチの頭上には常に雲がかかっていたから「天叢雲剣」と命名、

火攻めにあったヤマトタケルが剣で草を薙ぎはらい敵を倒したから「草薙剣」と命名、

いかにも後付け伝説っぽい話だと感じています。

既に名前の有った霊剣の名を奪うことは不吉だから、名前の由来を後付けしてそのまま使ったのでしょうか?

 

尾張氏の系譜にある「天村雲命」あるいは度会神主等の祖「天牟羅雲命」と関係ある剣なのでしょうか。

尾張氏の天村雲命は天香語山の子とされます。

天香語山の名前は大和三山のひとつ、天香久山とそっくりです。

神武天皇が大和を征服する際、天香久山の土を採取し甍を作り呪術に用いています。

崇神天皇の御代には吾田媛が天香久山の土を取り「これは倭国之物実」といって呪いをかけます。

大和を手中におさめるには何故三輪山ではなく天香久山なのでしょうか。

天香久山と天香語山が同一で、三種神器の剣が子の天村雲のものであったなら、尾張氏とは一体どういう存在だったのでしょうね。

その他大勢の豪族とは思えません。