勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

白根不動尊への散歩

2019-03-10 | 建物・風景

先日、天気も良かったので、いつも通っているプールの帰り道に、散歩がてら、白根不動尊へ寄り道してみた。

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 白根不動は社伝(縁起)によれば、八幡太郎源義家(1039~1106)が康平6年(1063)、鎌倉権五郎景政(生没年不詳)に命じて建てさせた不動堂がその起源、とされる。なお、義家は幼名を不動丸というが、この地区(武州都筑郡下白根村・現横浜市旭区白根)の字(あざ)が不動丸となっているところも興味深い。

また、神奈川県神社庁サイトによれば、「治承四年(1180年)源頼朝が奥州合戦に挙兵したおり、義家の佳例を思いこの不動尊に祈誓した」とある。
一族の英雄たる曽祖父義家と同じく奥州への出征、期するものもあったであろう。ここに記されている建久2年(1191)の堂宇再建は頼朝の時代と重なる。

新田義貞鎌倉攻め(1332~1333)とのくだりがあるが、ここ白根不動の傍らには鎌倉街道中の道(なかのみち)が通っていた。おそらく中の道を鎌倉へ南下する途上での焼き討ちであろう。なお、学説上は新田義貞の鎌倉攻めは上の道(かみのみち)下の道(しものみち)から行われたという見解が通説とされている。ただ、この地は中の道の道筋であると同時に上の道からの連絡路(鶴ヶ峯の尾根道)がすぐそばを通ってきて中の道に合流する地でもあったため、義貞の軍勢の手による焼き打ちの可能性は否定できないと思う。

 

神社であるが不動明王が不動堂に祀られているのは神仏混淆から神仏分離の時代を経た故のこと。鳥居には「白根不動尊」の扁額が掲げられている。

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 近辺地図→こちら

 

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梅の花がきれいだった。(これを狙ったのが本音)

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藤の花がきれいだった。

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 白糸の滝は河の整理で人口の滝となっており、風情は???だった。

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