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無敵艦隊(2)

 原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。日本人がはるかなる海に眼を向けたのは、室町や明治のほんの一時期にすぎない。世界では海の支配をめぐり、いくたびかの戦いが繰り広げられた。それを垣間見ることにより、歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

THE INVINCIBLE ARMADA (2)
     Always a fanatic, as he advanced in years the extermination of heretics became his one passion. He sent the pitiless Duke of Alva to the Low Countries, where however, all his cruelties and persecutions could not prevent the spread of the Reformed religion. Fortunately for England, as we shall see, the Low Countries declared their independence in 1581.

     In Spain, Philip was employing the Inquisition against Moors and heretics; and executions were depopulating the Peninsula and ruining the country. It was only by serious insurrections that the Milanese resisted the establishment of the Inquisition there; but to make up for that, and for his loss of the Low Countries, Philip had made the conquest of Portugal, and had extended to that country the practices of Spain.

無敵艦隊(2)
     何年にもわたって異端者(プロテスタント)の根絶を推し進めるとき、情熱的に行うことが彼(フェリペ2世)の殉教精神になった。  彼は低地諸国(ネーデルランド)に無慈悲なアルバ公爵を(反乱鎮圧のため)送った。  しかし、アルバ公の残虐行為も迫害もプロテスタントの拡大を防げなかった。  我々が見てであるが、イギリスにとり幸いなことに、ネーデルランドは1581年に独立を宣言した。

     スペインではフェリペ2世はムーア人と異端者に対し、異端審査宗教裁判を行った。  そして処刑がイベリア半島の人口を減らし、国を荒廃させていた。  しかし大規模な暴動は、ミラノ人が宗教裁判所の設立に抵抗して起こしたものだけだった。 フェリペ2世は、これと低地諸国の損失を補うため、ポルトガルを征服してスペインのやり方をポルトガルに拡げた。

(ひとこと)
          スペインの黄金時代を築くきっかけになった、コロンブスによる新大陸発見(ヨーロッパ人にとり)はカラック船“サンタマリア号”により行われた。  全長26m、幅8mで総トン数は、わずかに80トンだった。  3本マストの帆船で、乗組員は40人、他の2隻と一緒にスペインから西インド諸島のサンサルバドル島まで、69日間かけての“未知への航海”だった。  単純計算すると、1日平均80Km、平均速力2ノット(時速3.7Km)で、まさに風まかせの船旅だった。
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