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東トルキスタンその後

5.東トルキスタン、その後 

   金樹仁政権の悪政により起こった東トルキスタンの反乱はソ連軍

  の援助などにより、かろうじて鎮圧された。

 

   クーデターで金を追い出した盛世才は民族平等政策を掲げる。

  しかし、すぐに有名無実化し、統制強化に乗り出す。

   盛はソ連、中国共産党、国民党と、つかず離れずの立場をとり、

  権力を維持した。

 

   1942年:盛、南京政府に帰順。

   1944年:新疆省の自治獲得。

   1949年:軍、省政府、共産党政権に帰順。

   1955年:新疆ウイグル自治区成立。

 

   東トルキスタンの重要性が増すとともに、東トルキスタンの

  中国化が進んだ。

   人口構成で見てみると、1949年以降急速に漢人の比率が増した

  ことがわかる。

   1949年:人口 400万人、ウイグル族 76%、漢人 7%

   1990年:   1500万人、              48%、   38%

   2020年:      2500万人、      45%、   42%

 

   現在、ウイグル族などの少数民族に対する強制的な中国化が

  問題になっている。

 

 参考図:新疆ウイグル自治区の画像、bing.com/images

     

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