gooブログはじめました!

おわりに

 おわりに

 このようにして5世紀には、古代ギリシア・ローマの知的遺産の多くが散逸、消滅してしまいました。

 それらが探し出され、世に出るのは千四百年後、ルネサンス時代になってからです。

 古代アレクサンドリアで何故、このようなすばらしい知的遺産が生まれたのでしょうか。
2つの要因があったと考えられます。
 〇個人の飽くなき知的探究心
 〇それを許す環境

 古代ギリシア・ローマでは知により真理に近づける、神に近づけると考えました
キリスト教が勝利した後では、
 「真理は“聖典”にある。それに沿わない学問は“異教”である。」
となり、それが近世まで続いたのです。

 「単一のイデオロギー支配下では、革新的な知的遺産は生まれにくい。」
ということでしょうか。

 それと、この物語を書いていて、個人的には“多神教も悪くない”と思うようになりました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「智の都、アレクサンドリア」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事