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無敵艦隊(6)

 原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。日本人がはるかなる海に眼を向けたのは、室町や明治のほんの一時期にすぎない。世界では海の支配をめぐり、いくたびかの戦いが繰り広げられた。それを垣間見ることにより、歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

THE INVINCIBLE ARMADA (6)
     The Duke of Alva was inconceivably cold-blooded and cruel, yet he was a man of great ability. No more perfect chevalier and enlightened soldier existed than the young Don John, whose career was so short; and the famous Duke of Parma, the greatest general of the day, was to command the army of invasion; while the Duke of Medina Sidonia, one of the highest grandees of Spain, was a most gallant soldier.

     He was no seaman, and was surrounded by a staff of soldiers, or else there might have been a different story to tell of Philip’s Armada. But that does not detract from the Duke’s personal devotion and gallantry; and the expedition was accompanied by hundreds of officers of like personal character.

無敵艦隊(6)
     アルバ公爵はまったく冷血で残忍だったが、大変な手腕家でもあった。  キャリアの短かった若きドン・ジョアンのような完璧なる騎士や啓発された戦士は、もはやいなかった。  そして、この時代の偉大なる将軍、著名なパルマ公爵がイングランドへの侵入軍を指揮することになっていた。  一方、スペインの最高位の大公のひとり、メディナ・シドニア公爵は最も勇敢なる戦士だった。

     彼は船乗りではなく、陸上部隊の幕僚に取り囲まれていた。  そうでなければ、フェリペの無敵艦隊の話は別な物語になっていたかもしれない。  しかし、そのことは公爵の忠誠心や勇敢さを傷つけるものではない。  この遠征は同じような特性を持つ数百人の士官を伴って行われたのである。

(ひとこと)
       本海戦の17年前、1571年にキリスト教同盟軍とオスマン・トルコ軍との間でレパントの海戦が戦われた。 オスマン・トルコの攻勢に対し、スペイン、ヴェネツィア、教皇庁が神聖同盟を結び、イスラム教世界に対抗して起こった海戦だった。この海戦に勝利し、スペインのフェリペ2世は自他共に認める、キリスト教世界の盟主となった。  この海戦の主役はまだ、ガレー船だった。  200トン前後で、オールで推進し、同乗している百数十人の兵士(槍、銃で武装)が相手船に乗り込んでの白兵戦で決着をつけた。  大砲は船首に積んではいたが、相手を驚かせる程度のものだった。
〔参考文献:岩根圀和著「物語スペインの歴史」、中公新書〕
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