フジモリの一般市民への知名度はゼロに等しく、泡沫候補とされ、マスコミにもとりあげられなかった。
それに、スペイン系の白人が支配層のペルー社会において、日系二世であることはハンディだった。
フジモリと「変革90」のメンバーは精力的に若者に訴える。
「今こそ変革の時だ!」
「既存権力とのしがらみのないフジモリこそ、ペルーを変革できる!」
そして、他の候補者たちが行かない貧民街や地方の農村に出かけ、大衆にフジモリへの投票を呼び掛けた。
マルコはメンバーと共に、ゲリラ組織が活動するアンデス中央山地の町や村に出かけ、演説する。
「フジモリが大統領になったら、テロ組織を撲滅して安全を確保し、インフラを整え、皆さんの生活を向上させる!」
そして、フジモリはテレビ、ラジオで“変革”を訴える。
誰もがバルガス・リョサの勝利を予測した。
しかし、現状に希望を持てない人々の変革を求める声が、徐々にフジモリ支持を広げていく。
投票が行われ、バルガス・リョサが28%の票を、そして泡沫候補だったフジモリが25%の票を獲得した。
両者とも過半数の票を獲得できなかったので、決選投票が行われる。
個人攻撃を繰り返すバルガス・リョサから浮動票が離れ、フジモリが57%の票を獲得した。
フジモリ大統領の誕生である。
この番狂わせの結果に、政治家やマスコミは呆然とする。
参考図:「大統領への道」、アルベルト・フジモリ、中央公論新社、2003
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